2002年9月分(9/3〜9/30)

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9/3 ホンマに九月か?といいたい暑さです

 あうう、そろそろここのフィアナさんのお写真も新しくしたいのですが、完全にネタ切れです(^^;;)。夏コミの時の写 真も、ピンぼけだらけで使い物にならないし〜〜。しばらく撮ってないと、てきめんに腕が落ちますね。

 ……まぁ、そちらの方は、おいおい考えるとして〜、まずは先日の話題の続き。
 本日(9/2)角川「ザ・スニーカー」10月号、立ち読みして参りました。巻頭特集が「愛しのロボット!」とあるので、もしや……とページをめくってみたら、ありましたよ。カラーグラビアで「スコープドッグ対パープルベアー」が1ページ(大河原画伯作ではありませんでしたが)。
 文章の方は大した内容はなく、大まかな作品紹介と、「あの伝説の名作がこの秋甦る! 乞うご期待」みたいなアオリ程度でしたね。で、新刊予告のコーナーに、ひっそりと囲み記事で「10月の新刊」のラインナップの中に、先日ご紹介した通 りの内容↑が。
 ……というわけで、とりあえず「TVシリーズノベライズ」は夢ではないようですが、果 たしてホンマに10月に出るんかい(^^;;)という、不安が一抹、二抹、三抹と……。
 ほら、だって、お年寄りだし〜〜。あ、スコープドッグのことですよ。もちろん。
 新作『ガンダム』や『キングゲイナー』、アニメには(まだ?)なってないけど『ランブルフィッシュ』といったピカピカの現役や新人に挟まれたスコープドッグに、「過去の遺物」「年寄りの冷や水」なんて、妙な哀愁を感じてしまうのはわたしだけだろうか?
 いや、わたしにとっては未だに『ボトムズ』はバリバリの「現在」だけど、それってあくまでも「わたしにとって」だけであって、こうして正真正銘の「巷の現在」と同列に並べられたら、やっぱりか〜な〜りキツイものがあるぞ〜(^^;;;)。
 #もちろん、「あっぷつーでーと」であることと作品としての良否は別だと思いますが。

 もっとも、高橋良輔センセイの小説の内容については、最初からいっさい期待してはいませんけど(苦笑)。まぁ、「どれくらい怒らせて/呆れさせてくれるかな〜」みたいな期待はあるけど、こういうのは「期待はずれ」でもいっこうにかまへんし〜〜。

 あ、トロトロ書いてるうちに、日付が変わってしまった(^^;;)。


9/4 角(かど)立てまくりの流されまくり

 100%「情」だけに沿った本音を言えば、実は、「いっさい期待していない」どころか、「このまんまポシャってくれ……」とすら祈っていたりします。>『ボトムズ』ノベライズ
 他のライター(吉川さんとか、いっそノザッキーとか)ならまだしも、他ならぬ 、あのお方が書くってことがイヤ。「キリコ(男)の役に立たないフィアナ(女)なら死んでもいい」なんてこと(大意:出典は「ボトムズ・アライヴ」太田出版 2000年8月発行)を、一片の悪気もなく言えちゃって、なおかつ、その独善的な理屈を女性が受け入れると当然のように思いこんでいる(女性fanから愛想づかしの手紙もらったらショック受けちゃうくらいに)ような、愚鈍で無神経な人間の手で、またフィアナの運命(既に決まっているとはいえ)がいじり回されるのかと思うと、悔しさで目の前が真っ暗になって吐き気がする。 叶うものなら、本人の襟首掴まえてタコ殴りして「汚い手でそれ以上フィアナに触らないで!!!」って叫びたい。
 上の発言から(本の発行日で言えば)約1年後の「ボトムズ・バイブル」でのインタビューで、フィアナのことに話が及んだところで、「てめーにその名を口にする資格はねえ!!」って、本、壁に叩きつけそうになったもの。
  ……振りかぶったところで、(チープな中身にはそぐわない)塩山画伯の表紙イラストを初めとする立派な装丁が目に入ったのと、なによりも「税別 2500円」というお値段を思い出したので、思いとどまりましたが(^^;;)。
 #まさか、それを見込んで豪華な表紙とバカ高い値段つけたんじゃないでしょうね。>樹想社

 なのに……自分の中の「智」の部分は、どうしようもなく好奇心をそそられている。「小説」に限らず「文章」というのは、作り手の「頭の中」を覗くのに最適な媒体だと思いません? 「アニメ」は基本的に大勢の人間の共同作業で作るから、どこからどこまでが「高橋良輔」の意識(ないし無意識)の個性や責任範囲であるのかが不明確になるし、「インタビュー」にしたって、まず取材者の意識のノイズが入るのに加えて、取材される側も演技や自己欺瞞が(そうとは意識してなくても)出ちゃうし……。
 その点、「小説 」というのは、基本的に単独作業(間にゴーストライターやお節介な編集者が挟まったりしなければ)だし、「テキスト」の読み込みは(「映像」の読解に比べたら)わたしの得意分野だし………つまりは、またとない「観測」のチャンス。
 「情」の部分では、天地がひっくり返っても許せない相手だけど、そうであるが故にこそ、「いったいなんだって、この男はここまで無神経になれるんだ!?」という好奇心が止められない。思うに、フィアナの扱いに関する、かの御仁の度し難さは、彼個人の知性や感性が他人に比べてことに魯鈍であるというわけではなく、「社会通 念」がそれを許しているからじゃないのか………等々。
 でも、一方で「情」の方は、「あの男が『ボトムズ』について書いたものなぞ、一字一句すら目の汚れ! 妾は見とうない!」って(女王様入った状態で)拒否したがるし…… (^^;;;)。

  漱石の有名なあの一節(智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通 せば窮屈だ……ってヤツね)は、「智」と「情」がぶつかり合うこういう状態を指しているのではない筈ですが……(^^;;)。それでも、今の心境は、「とかくに人の世は住みにくい。」ですな。


9/6 あっという間の7DAYS

 もう週末ですか……今週は早かったな〜。
 シゴトはそこそこ忙しかったんだけど、わりと次から次へとテキパキと片づいて、「理不尽な残業してる」って感覚をあまり持たずにすんだせいかもしれませんが……いつもこんな風だと良いんですけどね(^^;;)。
 こんな調子だと、あっという間に10月が来てしまいそうですが……ホントに出るんですかね〜。『ボトムズ』ノベライズ。9/6午前3時現在、角川のサイトには、未だ予告ナシですし。
 正直、これが「来年の20周年&新作への布石」だなんて全然期待できない。「去年のテロ事件のあおりくらって新作企画がポシャってヒマになったから、小遣い稼ぎに、持ち込まれた企画につい乗ってしまった」ってなところじゃないの〜?なんて、思いっきり疑っている。もう、作者氏に対する悪意バリバリですね(苦笑)。
 この調子で、このコーナーを罵詈雑言で埋め尽くしていったら、遠からず「デンパサイト」認定を受けてしまいそうだから、自重しないと。…え? もうなってる?(爆)


9/8 好事魔多し

 あるいは、「キジも鳴かずば撃たれまい」というべきか?
 そこそこ忙しかったものの、長時間の残業をするほどはなく、つまりはそこそこ充実した一週間は、最後の最後、金曜の16時過ぎになって暗転いたしました(T_T)。
 「人手が足りないの。お願い、ちょっと手伝って」の一言に、断り切れずにその日は久々に22時半まで残業。移転前の山手線某駅から5分のオフィスならば、その後1時間は粘れるものの、現在の東京の外れ、倉庫街のど真ん中にあるオフィスでは、終電の時間を考えるとその時間までが限界。「じゃ、残りは翌日にお願い〜」と泣きつかれ、翌日土曜も朝9時(平日の出勤時間よりも早いぜ)から、22時過ぎまで延々と拘束されていました(大泣)。
 ……というわけで、全然更新できてなくて申し訳ないです〜〜。 せっかく金、土といつもより大勢のお客さんがいらしてくださったのに……わたしも、書きたいことはいっぱいあるのに……しくしくしくしく(T_T)(T_T)。まぁ、なまじ体力があまっていると、どなたかさんへの罵詈雑言を延々と書き連ねることにもなりかねないので、神様が「ちょっと待て」とブレーキをかけてくれたのかもしれませんが……でも、ちょっと効きすぎです。>神様
 せめて日曜は、もうちょっとなんとかなるといいなぁ……


9/9 突然ですが…

質問:『ブレードランナー』で、「タイレル社を出たレイチェルがどうして(他のところではなく)デッカードの元に来たのか?」

 あ、最初にお断りしておきますと、実はワタクシ、この「ボトムズ者の基礎教養」とも言うべき作品を観たのは、ほんの 数年前に一度きり、それも、「完全版」を観ただけです。
 ただ、出逢う時期が遅すぎたんですかね? レイチェルととデッカードが駆け落ちしてしまう(それもラブラブで)という結末に納得がいかなかった(笑)。
 ディックの原作を先に読んでいたせいかもしれませんが、なんか、あの“Say, kiss me ! ”のシーンが好きになれなくって……。原作にあった「レプリを蔑みながらも、どうしようもなくレイチェルに惹かれてゆく自分自身の気持ちに戸惑うデッカード」という描写 が、映画ではあまり観られなかったせいもあるかもしれませんが、レイチェル側の視点からみると、ああいう風に粗暴に(←「強引に」とは違います!)扱われて、なおかつ、その相手のオトコに惚れちゃうなんて、すごく「屈辱」という気がしちゃって。でもって、デッカードと寝ちゃった後のレイチェルの行動も、「うわぁ、そう来るか〜〜!?(^^;;) 」な原作に対して、映画ではただおとなしくオトコの帰りを待ってるだけだし……
 いえ、「待つ女」「ケナゲな女」自体はキライではないですが、「その男を待つ理由」を自分でハッキリ自覚しないままに盲目的に待っている女……というより、そういう女を「いい女」扱いしている話は、やはりこの歳になっちゃうと、どうも好きになれません(^^;;)。
 #もっとトシをくえば、かえって諦めがつくのかもしれませんが……

 というわけで、SF史上に名高いこのカップルには燃えも萌えもせず、ジーターの小説もまだ読んでいない(ブックオフで見つけたから一応持ってはいるけど)テイタラクですが……それでも、あの映画の中で、レイチェルのとった「タイレル社を出てデッカードの元に来る」という行動自体は好き……というか、共感できるんですよ。

 わたしが思うに、レイチェルが何故(他のどこでもなく)デッカードのところに来たのか、そもそも、何故タイレル社を出たのか……というと、 「(誰かのコピーではなく)自分自身でありたかった」からじゃないのかな……と。
 なにぶん、映画を観たのがずいぶん昔なので、うろ覚えの記憶ですが(^^;;)、確か、映画でのレイチェルの記憶って、彼女が実際に経験したものではなく、実在した人間の女性(タイレルの姪の「サラ」というのは、映画の方にも名前出てきましたっけ?)の記憶なんですよね?  故に、今のままタイレル社にいる限り、彼女は「誰かのコピー」でしかいられない。と言って、ここを出てどこかに行こうにもどこに行けばいいのか?
 一般的に、人が家出したり失踪したりするときも、名前を聞いたことすらない土地にいきなり行ってしまうということは、あまりないみたいです。やっぱり、「知人のいるところ」「以前いったことのあるところ」「行ったことはないけれど、TV、雑誌ほか各種媒体を通 じてかねてからなんらかの情報を得ていたところ」……等々、「それまでの自分」の経験と何かしら関係のある場所へ向かおうとするみたい。つまり、そこで行き先を決める判断の基準となるのは、「自分の記憶」です。
 ところが、レイチェルの場合、その「記憶」すら自分自身のものではない。彼女の経験としては物理的に不可能な「幼い頃の想い出の場所」はもちろん、最近の記憶、もしかしたら彼女自身が実際に経験したであろうことさえ、それが「誰かのコピー」として経験したことであるのなら、「自分自身の記憶」と言い切ることは難しい(この辺は当人の気の持ちようで変わることでもあるんだけれど)。
 そうなると、確実に「自分自身の記憶」と言えるのは……皮肉なことに、彼女をレプリカントだと見破ったデッカードとの会話だけになるんですよ。
 わたしは、人間が行動を起こす原動力の中で、一番強いのは「自分が自分であるため」だと考えています。このときの彼女にとって必要だったのは、「誰かのコピーではない自分個人として接してくれる相手」だった。それができる相手が、デッカードしかいなかった。彼がどんな人間であるのか、それは知らない。だけど、少なくとも彼の前だけでは、自分は「誰かのコピー」ではなく存在できる。
 だから、彼女はデッカードの元へきた。「作られた記憶に操られる自分」ではなく、たとえレプリカントであっても、自分自身の記憶を積み上げてゆく人生を生きるために──

 ……というのが、冒頭の疑問に対するわたしの回答です。まぁ、映画の結末が結末だけに、制作側にそんな意図はなかったんだろうなぁ…とは思いますが(^^;;)。
 デッカードの元へ来たレイチェルの行動を「恋愛感情」と解釈してしまえば、収まりがいいのかもしれませんが、わたしとしては、あの時点でレイチェルがデッカードに惚れていたとは納得しがたい(^^;;)。ましてや、「彼女をレプリカントとして扱うタイレル社の人間と異なり、デッカードは『人間』として彼女を愛してくれることを知っていたから」だなんて到底思えない。
 あの世界で「人間として扱われる」ことが「レプリカントとして扱われる」ことよりも「良い扱い」であるのは、社会通 念としてレプリカントに人権というか「個人の尊厳」が認められていないからであって、だとしたら、「尊重されるべき人格を持った個人」として扱われなければ、ハードウェア的には『人間』であっても、『レプリカント』と同じなんじゃなかろうか? 逆に、レプリカントではあっても、「かけがえのない個人」として認めてもらえれば、別 に「人間」であることにこだわる必要はないわけで……
 さっきもちょこっと書いたけど、転がり込んできたレイチェルに対するデッカードの態度って、「レプリカント」=「人間(man)ならぬ 存在」=「勝手にうろつき回っていれば殺してもいい」という風には扱っていないにせよ、悪い意味で「女」=「男(man)ならぬ 存在」=「自分の庇護下にあれば、相手の意思を無視して相手の心身を支配してもいい」扱いしてないか?みたいに見えるし……
 まぁ、レイチェル本人が「誰かのコピーとして深窓で大切にされるよりは、この世でただ一人の自分として、(少なからぬ 人間の女性がそうしているように)ロクデナシの男にくっついていく人生」に納得しているのなら、それでいいのかもしれませんが……。でも、「フィアナ」のご先祖(?)に当たるキャラクターだけに、ついつい文句の一つも言ってしまいたくなります(^^;;)。


9/16 いまは〜、もう秋〜♪

 ご無沙汰してます〜〜。先週は、ず〜〜〜っとカイシャに(ほぼ)泊まり込み状態でオシゴトしてたので、更新できませんでした〜〜(泣)。
 このカイシャ、ピーク時には外注に出したフィルムの上がりをまって徹夜〜なんてことはしばしばあるのですが、今回は「待機」ではなく、自分の手をシコシコ動かしてパワーポイントで資料作ったりコピー取ったり……と、ずっと働いてなくちゃならない状態での深夜&徹夜続きだから辛かった〜〜。

 ともあれ、カイシャに拉致られてた一週間がどうにか終わって、連休に入ったら途端にひんやり冷たい秋雨の日々で、おかげで一週間分の睡眠不足を取り返すイキオイで眠り続けてます(^^;;)。
  気がつけば、9月も半ばを過ぎてしまったのですが……スニーカー文庫の『装甲騎兵ボトムズ ウド編』は、角川のサイトに9/16日現在、未だに記載なし。やっぱり、コレは発売延期ですかねぇ……(^^;;)。


9/17 大人しい者ほど屁が臭い

 図書館で借りた岩井志麻子の『東京のオカヤマ人』を読んでます。
 わたしの行きつけの図書館では、「小説」と「エッセイ・評論」の棚は別になっていて、たとえば「小説家の書いたエッセイ」でも、それは同じ作者の書いた「小説」の棚から離れて、「エッセイ」の棚に分けて置かれています。で、この『東京のオカヤマ人』は、「エッセイ」の棚にあったし、表紙はリンク先のAmazonに載っているように、作者本人の似顔絵風だし……で、てっきりエッセイだと思ったら……「私の回りのぼっけえ、きょうてえ話」とでも言うような、「半実話風ホラー」でございました(T_T)(T_T)。
 この作家さんの「実話系コワイ話」は、以前にも宝島社のムック「この文庫が…ナントカ」とか、「このミステリーがドウトカ」で、何度か読んだことがあるのですが、マジで怖いんですよ〜〜。お化けとか幽霊とかじゃなくって、自分自身を含めた普通 の人間の身の回りにある悪意や狂気を、ひんやりと泥臭い語り口で実にまがまがしく取り上げていて……

 で、本日のタイトル、「大人しい者ほど屁が臭い」というのは、岡山の諺…と言ってもいいのかな?(^^;;) 作者曰く、「「百姓に二年なし」(豊作は二年続かん)と並ぶ、岡山の最高に含蓄ある諺。そんな諺聞いたことねえ、と岡山県民を怒らせることでも並ぶ。」 だそうなので……結局、岡山にそういう諺は実在するのかしないのか?? いずれにせよ、この『東京のオカヤマ人』の中の一編でして、タイトル通 りに含蓄深いお話でした。

 妊娠をキッカケに、ご近所の奥さんのことがイヤでイヤでたまらなくなる。その人は評判の良妻賢母で、それまでは平均以上に親しくおつき合いもして、特に相手を嫌う理由も思い当たらないのに……

 という始まりなんですが、わたしが「うわぁ」と感じたのは、主人公がその奥さんに嫌悪感を感じるようになった、「理由」の描写 。主人公本人ですら忘れてしまっていたくらい「ごく些細なこと」なのですが、そこに滲む、「悪意」の強烈さといったら……更に続いて、「自分はそこまで彼女に恨まれるようなことをしただろうか?」と考えるうちに、ようやく思い出した、こちらも「ごく些細な、しかし受け取る側にとっては深刻な侮蔑となるであろう一言」がまた……(怖)。
 結末は、まぁありがちというか、さほど怖さは感じなかったのですが、この途中の部分には、なんか、ちょっと身につまされてしまいました(^^;;)。

 わたしのネット歴はかれこれ四年ちょっとになりますが、かなり言いたい放題のことを言って無茶しているわりには、「悪意」や「恐ろしいこと」に遭遇した数は少ない方だと思います。たまに遭遇しても、ちゃんと対応して切り抜けてこられた方だと思うし……。それでも、一人だけ、どうしても「敵わない」って感じて、尻尾を巻いて逃げた相手がいたんですよ。この話にでてくる「大人しい顔して屁が臭い奥さん」の描写 に、その相手のことを思い出しちゃって……。去年の七月から今頃の時期にかけては、そのことで、ずいぶん胃が痛い思いをしたっけなぁ……。
 本当に、礼儀正しくて、愛想良くて、公正で、傍目には文句のつけようのない人だったんですよ(逆に、その「気ぃ使い」ぶりが、時々わざとらしくて鼻につくくらいだった)。嫌いな相手にはハッキリそう宣言してケンカを売る(このサイト開設当初からご存じの方はご存じかもしれませんが)このわたしですら、「ここでわたしがこの相手にケンカを売っても絶対勝てない。わたしがおつき合いして欲しいと願う周囲の方々は、絶対わたしよりも相手の方が正しいと思うだろうから」…って、戦う前から「負け」が見えちゃっていたくらい。
 結局、その相手とはハッキリ決着をつけないまま、たまに先方から、【余所の掲示板で】呼びかけられても徹底無視ということで、今日まで来てますが……。

 わたしが、その相手を嫌う「理由」の半分は、主人公がご近所の奥さんを嫌う「理由」と同じくらい、傍目には「ごく些細なこと」の積み重ねなんですよね。でも、傍目にはどんなに「些細なこと」でも、その中に人間がどれだけの「悪意」を籠められるのかというのを、こういう風に小説で見せられると、なんか、変な話ですが「ホッと」しちゃったんですよ(^^;;)。
 誰も同意してくれなくても、理解してくれなくても、少なくとも、この世でわたし一人だけは、あのとき、彼女の言葉に「悪意」を感じて、以後、そのHNを見るだけで吐き気がするほど相手を嫌った自分のことを「間違ってない」って言ってあげられる気がして。
 もちろん、「大人しい顔して……」の主人公と同じく、相手からそこまで憎まれる理由はわたし自身にもあったんだろうけれど……それはそれで、もうしょうがないな、と。
 この先、別の相手とのつきあいの中では、同じ過ちをしないように気をつけようとは思うけれど、あそこまで嫌な思いをさせられた後では、今更あの相手に謝って、やり直す気にはなれない。向こうがわたしを恨みたければ恨んでいいけれど、わたしは、その「恨み」から身をかわせるように厚かましく逃げ回ってやろうかなぁ……と。

 ……って、これたぶん、ほぼ確実に当の「相手」の目に触れますね(^^;;)。
 というわけで、

>ミセス某
「ごめんなさい。
 一年以上たった今頃になってネタにしてしまったこと、お詫びいたします。
 #でも、これくらい時間を置かないと冷静にふりかえったりできないもので。
 既にお気づきだとは思いますが、 わたし、そちらとは『ご挨拶』程度であっても
 おつき合いしたくありませんので、以後わたしのことはお捨て置きくださいませ。
 余所様でたまたま同席した際も、「見ない振り」をしていだければ幸いです。
 そちらが楽しいネットライフを(わたしとの接触のない範囲で)送られることを
 心よりお祈りしております」


9/22 繰り言になるだけかもしれないけれど……

 なんか、17日の日記、「マジでコワイ話」というより、「タダのイヤな話」になっちゃってスミマセン(^^;;)。
 モンダイのミセスとは、ここしばらくは何があったというわけでないのですが……。もう、その前から吐き出すに吐き出せなくて貯まり続けたものが2年分以上あって、それが、時々うわっと当時の感情がフラッシュバックして、自分自身の記憶に苦しめられる…みたいな、厄介な状態になっちゃって(^^;;)。
 ホント、彼女とはコトが起こったあのときとかあのときとかあのときにキッチリ決着をつけておけば、今頃こんなにイヤな思いをしなくて済んだのに……と、それができなかった当時の自分のヘタレとバカさに対して、ちょっと腹が立ったりして(^^;;)。まぁ、悪いのはわたしばかりではなくって、彼女の方もまた、わたしに反撃の隙を与えないくらい狡猾で巧妙だったというせいもあると思いますけど……。ホント、攻撃相手がわたしでなければ、「意図」の是非は棚上げして、ほれぼれしちゃうくらい上手に言葉を使う人だったなぁ。
 ええ、この件が尾を引いている一番の理由は、「彼女がイヤな人間だったから」ではないんです。彼女の言動は確かにわたしにとって不快で苦痛だったけど、その一方で、彼女の「言葉使いの巧みさ」に興味を惹かれずにはいられなくて……だから、すっぱり忘れ去っちゃうこともできなくて、いつまでも引きずっちゃうんだな(^^;;)。
 わたしの見たところ、彼女は根本的に「自分を表現する」ためではなく、「相手を操作する」ために言葉を使う人、だった。わかりやすい例でいうと、「どこかの掲示板上で浮いた書き込みを繰り返している相手に対して、発言を控えるようにさりげなく誘導する……」とかね。彼女の言葉の使い方を見ていると、いわゆる「気配り」っていうのも、他人の「情動」や「行動」に対する一種の「操作」なんだなぁ……って思っちゃったんですよ。
 ……って、こう言っちゃうとなんか人聞きが悪いですけどね(^^;;)。その「操作するための言葉」も、いつもいつも不快だったわけじゃないんですよ。それに助けられたことだって何度かあったし。これが、互いに物理的・社会的な移動に制限のあるオフラインでの出逢いだったら、たとえば、彼女がシゴトの上司だったりしたら……最高に信頼できるひとだったかもしれない。

 でも、生憎、ここはネットで、「文章」という形で、オフラインの音声会話では不可能な情報量 をいきなり相手にぶつける…というコミュニケーションが可能な場所だった。その中でワタシは……というより、「kayako」という人格は、「自分が何をどのように感じているか」を表現するために最大級のエネルギーを注いじゃって、それによって他人の共感を得られるか、誰かを説得できるかどうかは二の次というヤツだった……のが、不幸の元だったのかな……なんてことを思ったり。
 別にわたしだって、「他人がどう思うかなんて関係ない」なんて考えてるわけではなくって、できれば他人様の共感や賛同は欲しいなぁ……とは思っているんですよ。でも、「他人」の心がどう動くかなんて予測したり、まして、思い通 りに動かすことなんて、所詮は不可能……少なくとも、ワタシのように対人関係のスキルの低いヤツには絶対無理ですもん(^^;;)。だったら、「自分自身を正直に表現する」のが一番。「ありのままの自分」をできる限り正確に観察して、ヘタに正当化したり取り繕ったりせずに、迷ったり、変心しちゃったりって部分も隠さずに表現するために「言葉」を正確に使うのが一番……という結論に達したわけです。
 多かれ少なかれ「生活」のかかっていて、簡単に断ち切るわけにはいかないオフラインの人間関係と違って、ネットでは「そりが合わない相手」とは袂を分かつのも簡単ですしね(^^;;)。
 で、「自分」を客観視する訓練を積めば、他人のことも、ほんの少〜〜〜〜〜〜しはわかるようになる。まぁ、元は同じ人間なんだし、わたし自身はさして「個性的」でもない平凡な感性の持ち主ですから、「自分がこの立場だったらこう感じるだろうなぁ……ということは、この相手はこういうことが言いたいわけだな」って想像する事自体は、そんなに難しくはない(当たり外れは別 として(^^;;))。

 だけど……彼女に対しては、「この人は何が言いたいのか」が、まったく読めなかったんですよ。いや、単に「何が言いたいのかわからない」だけなら単なる言語能力に不自由な人(ワタシ的価値観では「バカ」となります)というだけなのですが、彼女はそうではなかった。むしろ、すさまじく言語能力は高かった。「彼女自身の価値観・願望」を完璧に隠しながら、「kayakoに何をさせたいのか」だけを、ビシビシ伝えてくる。あくまでも言葉の上での礼儀は完璧に……って、コレはめちゃくちゃコワイ!!
 まだこのサイトに掲示板があった当時、そういう「表現は柔らかだけど恐怖を感じさせるほどドギツイ言葉」以外でも、彼女の書きこみに対して、「奥座敷に上がり込んでおきながら、家主(kayako)に尻を向けて話をされている気分」を感じたことが何度かありました。「この人は、ワタシと話がしたいんじゃなくって、『kayakoと話をしている自分』を周囲にアピールしたいだけなのか?」って疑っちゃったくらい……。まぁ、この疑いは「そんなことして何になる?(^^;;)」と即座に自己ツッコミしちゃいましたが、でも、この疑いがハズレだとしたら、本当に何がしたくてわたしに話しかけてくるのか判らないんで、コレはやっぱりものすごくコワイです(^^;;;)。

 世間一般の基準では「デンパ」だったり「キチガイ」だったりするのは、「たかがアニメキャラ(フィアナ)のために、【現実】の法によって保護される人格を持った個人(高橋良輔氏)に対する誹謗中傷まがいのことを書き散らすヤツ」であるわたしの方で、そんなわたしが「気配り上手な常識人」の彼女を恐れるというのは、実に変なハナシなんですが……(^^;;)。
 あるいは、わたしが彼女を怖がったように、彼女の方もわたしのことが怖かったのかもしれない……と、今になってふと思ったり。日頃の心正しく公正な態度にふさわしからぬ 、ワタシに対するあのチクチクと不愉快な態度は、「有害なキチガイをこらしめてやろう」という、「義憤」の表れだったのでしょうかねぇ……


9/23 風邪ひいたみたい……

 鼻がグスグスして、やたら眠いし、寝てると咳がとまらないし……

 というわけで、連休の後半は半死体状態でした(^^;;)。
 ところで、上にも書いたように、『ボトムズ』小説版、やっぱり延期の模様です(^^;;)。なんか、一部で「9月28日発売」とかって情報も流れた(情報源を明記してなくてすごく信憑性低くはあったんだけど)ときは、「まさか!? あのグータラのロクデナシ(って知ってるのか?>自分)がそんなに勤勉に働くわけない! そもそもスニーカー文庫の発売日は毎月1日って決まってる(首都圏の大手本屋ではその前日には出てますが)のに…」って思ったけど、案の定、収まるべきところに収まったようで……世はなべてこともなし(^^;;)。
 しかし、アレですな、人間、誰しも「希望的観測」に飛びつきがちなものですが、「延期」の方で安心するってのは、我ながらどーよ?って思います(^^;;)。 普通、ファンならば、「発売日前倒し」の方の情報を信じたがるものではないかと……。
 ちなみに、某掲示板で「9月28日」説を流してた方は、それ以前の書きこみから判断するに、どうやら最近『ボトムズ』や高橋作品を好きになった方のようで……。ソースも曖昧なままフライング気味に書きこんじゃってるあたりに「楽しみにしてまっす! 早くでないかなぁ、ワクワク」ってイキオイが感じられて微笑ましゅうございました。いや、皮肉でもなんでもなしに、本来、こちらの方が正しいファンのあり方ってやつではないかと思う(^^;;)。
 わたしのように、「どーせ延期だぜ」って冷めきってるのはまだしも、新参の熱い方に対して「いやぁ、お若い方は初々しくてよろしいですなぁ……」と苦笑まじりに眺めてるなんざ、タダのものすごくイヤらしい年寄りだろーが……と、すっかスレちゃった自分に、しみじみとため息のでる今日このごろです。
 #神林の新刊に対してなら、まだまだじゅうぶん「初々しい」んだけどさ!<負け惜しみ

 

9/24追記:
↑の「9月28日発売」説ですが、神田界隈などでは他の大手書店よりも更に早く、発売日の2日〜3日前に店頭に並ぶ例もあるそうなので、もしかしたら、そういう本屋さんで仕入れた情報だったのかもしれない……と、後になって思いつきました。
今回『ボトムズ』は無理そうですが(^^;;)、スニーカー文庫の他の10月のラインナップが28日に高岡書店 あたりに並んでいるようでしたら、まったくのガセネタではなかったということになりますな。「信憑性低い」なんて書いて、失礼しました〜。


9/25 会社帰りに…

 『西洋骨董洋菓子店』4巻を買う。つい先日最終回を迎えたと聞いたばかりでしたが、もうコミックスになりましたか……って、そういや、去年の11月に出た3巻は、同時期に書店に並んでるWINGS掲載のエピソードまで収録してまたっけね(^^;;)。新書館のサイトの予告では、例の誘拐事件が大詰めに……みたいに書かれていますが、読み終わってみると、そっちよりも、橘ふくめた全キャラのそれまでの細かいエピソード一つ一つがそれなりの収束や変化を迎えて……という方が印象に残りました。
 まあ、誰しも心の傷の一つや二つや三つは、大小に差はあれど抱えているもので、どんなにあがいても100%それが癒されたり解決されたりなんてことはないんだろうけれど、でも、たまーにちょっとだけ報われたりすることもあるから、そう捨て鉢になることもないんじゃない……と思ってると、誰かがちょっとだけ救われてるそのすぐ隣で、別の誰かが取り返しのつかないことになっていたりすることもあって……やっぱり納得いかない……。それでも、ま、それが人生っちゅーもんでしょう。とにかく生きている限り、できる限り良かったことを思い出しながら生きていこうかねぇ……みたいな、シミジミした余韻の残る、よいお話でした。
 先に、某所で「結局、橘のトラウマに救いがもたらされたわけじゃない」っていう評を聞いていたもので、もうちょっとビターでダークなエンドを予想していたのですが……なんだ、そう来ましたか(^^;;)。
 物語における「救い」って、キャラクターのそれと、読者や視聴者のそれ(そして、制作者のそれ)は、一致しているようでいて微妙にずれているものなんだな……と、「キャラクターにとっての救い」と「読者にとっての救い」の狭間を微妙にさばく作者のさじ加減に脱帽いたしました。
 いや、この「キャラクターの救い」と「読者・視聴者の救い」の違いは、「悪い意味」でなら『赫奕』でイヤと言うほど思い知らされていたんですけどね(^^;;;)。

 と、『ボトムズ』に話をふってしまうのは、わたしのいつものビョーキのせい……だけではなく(^^;;)、オビの予告にぶっ飛んだせいでございます。

 『西洋骨董洋菓子店』CDドラマ化決定

 キャスト
 橘圭一郎:山寺宏一 小野裕介:郷田ほづみ
 神田エイジ:関智一  小早川千影:井上和彦

 橘役の山寺さんや、元「リングのジャニーズ」エイジ君の関さんは順当なところでしょうが……よりによって郷田さんが小野を〜〜〜!? ちい(千影)じゃなくって!?
 昨秋フジの月9でドラマ化した際は、「魔性のゲイ」設定は思いっきりスカされました(と話に聞いている)が、今度はいくらなんでも原作通りですよね〜〜〜?
 いや、最近、郷田さんもBLもののドラマにご出演なさっているというウワサは漏れ聞いておりますので、今更ホモネタ程度ではどうこう申しませんが……でも、よりによって、小野ですよ! 普段はのび太君か木暮さん、魔性モードになると三井+誘い受木暮に豹変しちゃう、魔性のゲイっぷりが演じられるのか!?(もしかすると、郷田さんに対してむちゃくちゃ失礼なことを言ってないか?>自分)
 また、よりにもよって、千影(昨秋のフジの月9のドラマではアベちゃんがやってました)役が井上和彦さんだというのが…。 土砂降りの雨の中、(ハンサムでタッパあるけど)メチャメチャとろくて純朴な井上さん(はまだイイ)を誘う魔性のゲイの郷田さん……って、フツー…というか、ワタシの脳内イメージでは絶〜〜〜っ対「逆」なんですけど〜ど〜ど〜(T_T)。

 大いにショックを受けつつも、既にCD買う決意は固めているワタクシです……


9/30 あ〜あ……

 「審判の日、来たる」……ってな感じでしょうか。
  一時は、このままポシャってくれるんじゃないか……なんて、淡い期待を抱きもしたのですが……甘かった。

 先月は、「ザ・スニーカー」誌上での予告も無視して沈黙していた公式サイトが、こうやって広告を載せちゃっている以上、今度は出るんだろうなぁ………はぁあああ〜〜〜〜〜〜っっ(ため息)。

 ちなみに、表のタイトル「DOOMSDAY」というのは、いわゆる「最後の審判の日」=the Judgment Day のことですが、「DOOMSDAY BOOK」というのは、発音は一緒だけど綴りの違う「Domesday Book」1086年、英国のウイリアムI世が作らせた「土地台帳」のことだそうです(^^;;)。「お裁きの日(=DOOMSDAY)」に引っかけた呼び名は、その台帳を元に税金を搾り取られた地主さんあたりが言い出したんでしょうかね?

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