2006年12月分(12/25)

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12月になってしまった……(12/25)

 ……なってしまった、どころか、既に今年も残り一週間切ってますから〜〜

 え〜、前回更新した直後からシゴトが年末モードに突入して連日の深夜帰宅になったり、後は家のこと諸々に時間と気力を取られて、なんつーかこう、思いっきり「オタ失格」な日々でした。
 とはいえ、これはこれで『地道に真っ当に生きてるワタシ」みたいな妙な充実感があって楽しかったんですけどね(笑)。ネットで妄言をまき散らしたりせず、(残業代も出ないのに)粛々と勤労と納税という国民の義務を果たし、母に孝養を尽くし(って自分で言うか)、借金は作らず、収入の範囲内で時折(と言うには頻繁でしたが)の観劇を楽しみ…と、「名もなく貧しく美しく」というか、「正しい庶民の生き方」をしてるな〜なんて感じちゃうあたり、やはりワタシは「オタク=世間から迫害されるから隠れてなくっちゃ」という意識が抜けない、旧い時代のオタクなのでしょうな。
 冬コミも落選したことですし、ひょっとしてワタシ、このまんま脱オタ? な〜んて、ふとカンチガイもしましたが、単にここで更新してないだけで、よそさまのブログとかチャットとかで芝居や映画の感想とかぶちまけてたり。場所がちがうだけで、やることはな〜んも変わってね〜〜(^^;;)。よそのお宅で相手のペースおかまいなしに喋りまくるよりは、どうせなら、こっちで書いた方が、わざわざ覗きにきてくださった方にも無駄 足踏ませずに済むってーのに、ついつい自分が楽しい方に流れてしまってすみません……

 とりあえず、ご無沙汰していた11月半ばから現在までのハマりもののご報告など。
小説 『マルドゥック・ヴェロシティ』(冲方丁 ハヤカワ文庫全3巻)。 ミュージカル 『マリー・アントワネット』

 どちらもこの秋の話題作(少なくともジャンル内では)ですので、ちょっと検索すれば、あちこちで感想や評が見られます。前者はおおむね好評。後者は…賛否両論、毀誉褒貶が激しい、かな。(つまり「否」や「貶」の方が目につきます(^^;;))
 この両者、わたしの中では
「時代の変革期の混乱の中、新たな社会システム構築の過程で死屍累々が築かれる話」
 ということで共通しています。ただ、これ、前者『マルドゥック・ヴェロシティ』の作者が自作について語った発言でして、後者、M. A.こと『マリー・アントワネット』を「そういう話」という視点で見る人はあまりいないと思う(^^;;)。M. A.の「死屍累々」は、ほんの始まり(王妃の処刑)で終わるし。
 ただ、「そういう話」だと思うことで、とっても評価の難しいM. A.に対して、私的には「落としどころ」を見つけることができました。開幕直後の悪評轟々を聞いたときは、制作陣とキャスティングだけでうっかり5回分のチケットを取ったことを後悔しかけましたが、全部通った今となっては「もう1〜2回観たかったな〜」って気分ですし。
 とはいえ、巷の不評の内容にも「ごもっともです」とは思ってしまんですけどね(^^;;)。特にレミゼ*1好きな人にはウケが悪いんじゃないかなぁ。たまたまわたしが目にした一例だけでそう言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、「酷評」ブログの一つが、書き手さんがレミゼfanだったのですよ。で、わたしはその評に対して「そうですよねぇ…(苦笑)」と、思いっきり納得しつつ、逆に自分がこの作品の「どこ」に惹かれたのが少しわかった気がしたのです。
 私的にはこの話、「裏レ・ミゼラブル」という受け取り方もアリだと考えています。革命の理想に燃える若者達とか、神の愛とか、苦難の中でも喪われない信仰とか、恋人への一途な愛情だとか、『レミゼ』で「美しきもの」「善きもの」とされているものが、醜悪に変わっていたり、まったく無力だったりするし。特に「革命」の描写については、ところどころ「これって『レミゼ』へのすごく意地悪なパロディかも」って感じたシーン*2もあるし。で、「レミゼ的真善美」ぶち壊しておいて、かわりに何があるかといったら、混沌と暴力(と言っても、それほど過激な描写はありませんが、それでも「東宝&帝劇にしては」結構強烈なシーンもあります。)……あとは、たぶん何もナシ。
 だが、そこがいい(笑)。もちろんワタシもレミゼは嫌いじゃないです。来夏の公演のチケットもとりあえず2公演分押さえてるし、できればもう3〜4回行きたいし。でも、「反(アンチ)レミゼっぽい」部分に「いいぞ。もっとやれ!」と感じてしまったのも確かなのです(笑)。

 M.A.に対する批評の一つに「キャラの誰にも感情移入できない」というのがありました。まぁ、「感情移入」ってのも、曖昧な言葉ですが(^^;;)、そのキャラに入れこんで、「頑張れ」って応援したり、そのキャラの幸せや願望の実現を妨害するキャラが憎らしくなったり……って意味でなら、わたしも、M.A.のキャラには、「感情移入」はできません。でも、「ああ、あるあるそういうこと。わかってるんだけど、つい、ねぇ……」「うわっ、やっちゃってるよ。やめとけってば……」っていうような、ネガティブな方向で「リアルに身につまされる感じ」なら、劇中のあちこちでビンビン来ました。対して、レミゼは、高邁なヒューマニズムに溢れた(多分(^^;;))『ええ話』ですから、当然、(主に俳優さんの演技に)ハッと胸を突かれたり、つい涙腺が緩んだりすることはシバシバありますが、M.A.から感じる「うわ〜、やめて〜〜、言わないで〜〜〜!」ってピリピリするような恐ろし恥ずかしな感情に比べると、ごくごくマイルドで薄味なのです。
 まぁ、ただ東宝&帝劇という、「裕福なマダムや小金持のOL向けブランド」の作品で、「身につまされるような恐ろし恥ずかし」な気分が求められているか? というとまた全然別の話なんで、万人にオススメはいたしかねますが(爆)。東京公演は終わってしまいましたが、年明けから博多座、大阪梅田劇場と回って、来年4月に(一部キャストが変わって)帝劇に戻ってきますので、お金とお時間に余裕があれば、是非、ご一見を。クンツェ&リーヴァイの音楽と、豪華なキャスト陣に騙されたと思えば腹も立たない……かも(^^;;)。

*1:「レミゼ」=『レ・ミゼラブル』文豪ビクトル・ユゴー作の小説を原作にしたロンドンミュージカル。ブロードウェー、ヨーロッパ全域、日本、オーストラリア等々、世界各地で上演されるミュージカル史上不滅の名作の一つ。日本では'85年より東宝にて公演。色々な意味で、日本のミュージカルシーンを変えた作品。
*2:1幕、恩人を処刑されたヒロインが、(血染めの?)赤い布を握りしめて「今こそ立ち上がるのよ!」と周囲を煽る(レミゼで言えば『ピープルズ・ソング』ですな)シーンで、ヒロインが歌うお立ち台がアンサンブル共々「舞台奥」に引っ込んで行っちゃうのです。通常、ミュージカルのこの手のシーンでは、全員が舞台前方にワーッと押し寄せてフィニッシュ、となります(『エリザベート』の「ミルク!」とか)。まぁ、本家のレミゼも、学生達が舞台一周したあとフェードアウト…なので、「力強いフィニッシュ」ではないのですが(今思うと、その辺りも学生達の「革命」の行方を暗示していたのかも)、歌いだしのアンジョルラス(学生達のリーダー)から次々と赤い旗が投げ渡され、歌と行進が広がって行く躍動感と比べると、M.A.のこの演出にはかなり意表を突かれました。
  2幕、バスティーユが落ちた後の洗濯女達のシーン。ここは絶対、作り手はレミゼの「バリケード陥落」の翌朝の女達の合唱を意識してると思う。「馬鹿なことを…死ぬことなんて教えなかったのに……」と、虚しく散った学生達を悼む優しさと、「所詮何も変わらない」という穏やかな諦めとともに日々の仕事に戻って行く『レミゼ』の女達に比べると、M.A.の女達(&男達)は、非常にエネルギッシュ。「立ち上がるのよ! 女達!」と煽るヒロインへの「馬鹿だね、無理だよ!」と返す言葉の調子や、あるキャラの介入で一転して、ヒロインの意図しない形でヴェルサイユへの行進へと殺到するあたりは、『レミゼ』に対するブラックジョークにすら見える……。

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