平安京


平安京は東西 約4.5km 南北 約5.2kmの大きさであった。
桓武天皇が造営。遷都は、西暦794(延暦13)年。
1869(明治2)年に東京に実際の首都機能が移るまで続いた。遷都の詔が出なかったので
今なお、京都に宮があるという人たちも居てる。

(厳密には1180年〜1184年安徳天皇が福原宮(福原京)−兵庫県神戸市に住んでいるが)

平城宮(710年から784年)から長岡京(約10年間)へ、さらに平安京まで
都を移したのは怨霊の祟りから逃れるためにあった。

桓武天皇の皇太子・早良親王は、785(延暦4)年、造長岡京使・藤原種継暗殺事件に
関与していたとの嫌疑で廃太子され、淡路へ配流の途中死亡した。
親王の死後、桓武天皇の宮廷は、その怨霊に脅かされることとなった。
天皇は、再三にわたり淡路に使者を送って親王の霊に謝し、崇道天皇と追称するなど、
その怨霊に対する恐怖には異状なものがあった。
平安京への遷都は、早良親王の怨霊の祟りから逃れることにあった。

平安京の略図

この配置は風水に叶ったものと言われている。
北の船岡山を基点にし、東に川、南に湖沼、西に街道。
陰陽道では鬼門に当たる、方向には、比叡山延暦寺を魔除けとしている。
実は、この配置は、江戸城も同じになっている。
北に、上野山、東に隅田川、南は江戸湾、西は東海道。鬼門の方向には、寛永寺がある。寛永寺の正式寺号は東叡山寛永寺という。単なる偶然ではないだろう。
延暦寺
(えんりゃくじ)
標高848m余り、平安京の鬼門に当たる場所にある。
百寺巡礼 延暦寺
東寺(とうじ) 平安京の中央を南北に走る朱雀大路の南端、羅城門を中心に東側に東寺、西側に西寺が建てられた。
百寺巡礼 東寺
西寺(さいじ)   京都市南区唐橋にあった。990年にほぼ消失。

その跡は、今は児童公園。
朱雀大路
(すざくおおじ)
  道幅84mあったと言われている。大阪の御堂筋は幅44mですから、その広さにびっくりです。現在の千本通り。
羅城門
(らじょうもん)
平安京の正門。
凱旋門でもあった。1107年平正盛が源義親を討伐した時に凱旋門として利用。
二層の門で正面32m,奥行き8m。あったと言われている。東大寺の南大門が幅29mです。
その後、荒廃し、盗賊のすみかとなり、芥川龍之介の「羅生門(らしょうもん)」の素材になる。
現在は、写真のような小さな公園に石碑があるだけ。
巨椋池
(おぐらいけ)
  昭和10年代に千拓され、現在は農地などになっています。京都市伏見区。
第二京阪道路の巨椋池インターチェンジにその名前が残っている。

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