瑠璃光寺 |
第七十七番 寺名 瑠璃光寺(るりこうじ) 山号 保寧山 宗派 曹洞宗 所在地 山口県山口市香山町
SPOT 五重塔(国宝)
室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立。義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃-30年の月日を要した-に完成した。江戸幕府成立後、萩に移った毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩に引寺したため、跡地に元禄3年(1690年)、仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。
五重塔(国宝)は、大内文化の最高傑作と称されるまた、日本三名塔(京都の醍醐寺・奈良の法隆寺)の一つに数えられている。高さは31.2m、檜皮葺屋根造りが特徴。
五重塔は、人々の願いにより、この地に残された。
ほれぼれする容姿である。2008.11.29
Snap shot
五重塔(国宝) 正面から 五重塔(国宝) 正面アップ 五重塔(国宝) 屋根の端がキュッと引締まっている 五重塔(国宝)
二層目にのみ勾欄(テラスみたいなの)がある。普通は全部の層にある。大内弘世像
長門・周防国の守護
京都に倣った都市計画に基づく市街整備を行う境内 鐘楼 慈母観音 本堂 身代わり地蔵
あらゆる不幸について身代わりになってくれるという後生車
一回回すごとに罪過が浄化されるという知足の蹲踞(つくばい)
「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれている。中央の四角い穴が「吾唯足知」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されている回廊、鐘楼の向こうに五重塔 水掛け地蔵 魚板 禅寺では良く見かける。食事の時に叩いて知らせる。この寺では、(ほう)と書いてました。
魚は寝ないから、修行のひとつのシンボルなのでしょう。一畑薬師分院
島根県の一畑寺(百寺巡礼対象寺)は、眼病平癒のお寺ですが、出雲は遠いという人の為に分霊されたもの。当寺の本山が永平寺(百寺巡礼対象寺)その関係なのでしょう。 左の禅堂の前の、大念珠。
心静かに8つの珠を回して落とすと、煩悩が取り除かれるという。8つ以上にならないようにするには、慎重さが必要です。仏足石 境内の紅葉 毛利家墓所
階段の前が「うぐいす張り石畳」
飛んだり跳ねたりしないと音はならないけれどね(笑)毛利家墓所
朱印
五木寛之の一言 司馬遼太郎の「街道をゆく」には"長州は、いい塔をもっている"とあるとのこと(実は石碑があるのだが、見落とした)
瑠璃光寺の塔は、二百年にわたって栄えた大内文化の力そのものである。そう思い当たったとき、この塔が持っている。"強さの美"というものが、ようやく納得できたと思った。
kazu_sanの一言 大内文化を今に伝えるものと言えば、大内人形である。
天然木に本漆、純金箔を用いた本格的漆芸の「大内塗」。
谷口漆香堂さんおすすめの品を買いました。
安いのもあるけれど何故?
漆でなくニスを塗ってるのがあります。長い時間が経つと違いが分かりますよ。本物は、お孫さんの代でも色は変わりませんよとのこと。
少し高かったけれどね。