鶴岡八幡宮
本宮(重要文化財) 神奈川県鎌倉市。武家源氏、鎌倉武士の守護神。 八幡宮は、応神天皇を祭神とする。本家は、大分県の宇佐八幡宮。 康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。その後、源頼朝が宮を現在の地に遷す。 二の鳥居 参道 段葛(だんかずら)と言い、二の鳥居から三の鳥居までの457m程続く。周りの車道、歩道より一段と高くなっている。鎌倉時代に、道のぬかるみを避けるために作られた。 神奈川県指定史跡 鳩サブレーの本店があった 源平池 三の鳥居 (本宮側から) 楼門 その向こうが本宮 大石段 61段ある 大銀杏は樹齢千年余と言われている。 手水舎 舞殿 鎌倉まつりでは、この舞殿で「静の舞」が奉納される。 源義経の愛妾「静御前」は、ここ鶴岡八幡宮で、源頼朝に舞を命ぜられ「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」と歌い、頼朝の怒りを買い、身籠っていた義経の子(男子)は、由比ヶ浜に沈められた。歌の大意は、義経全盛の昔に帰れたらいいのにということ。当時は、まだ舞殿はなかった。 拝殿 戻る
康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。その後、源頼朝が宮を現在の地に遷す。