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楽譜(参考運指つき)
楽譜(音の高さと長さの情報以外はほとんど削除した状態)

フランス組曲 6番 ホ長調 BWV817 〜 サラバンド


「バッハが書いたもっとも美しいサラバンド」

という言葉は、いろんなところで見かけます。
昔買ったフランス組曲のCDのライナーではフランス組曲1番のサラバンドがそんなふうに書かれてました。
5番のサラバンドが最も美しいという文もどこかで読んだことがあるような気がします。
あと3番ってのもあったかな。
他にも「ゴルトベルク変奏曲のアリアこそ至高のサラバンド」とか。
「平均律1巻8番のプレリュードを超えるサラバンドはこの世に存在しない」とか。
いや、そこまで大げさな誉めっぷりだったかどうかは憶えてませんけど。

そもそもバッハのサラバンドってのはいくつぐらいあるんでしょ。
組曲3つ X 6 = 18
あとフランス風序曲の中にもあったような気がする。
他にゴルトベルクのアリアや平均律1巻8番のプレリュードみたいに、サラバンドという名前はついてなくても中身はサラバンドなんてのもあったりして。
そういえばイタリア協奏曲の2楽章はサラバンドじゃなかったっけ。
なんてことを考えているうちに、「バッハが書いたもっとも美しいサラバンド」という言葉に妙な苛立ちをおぼえ始めた。
いったい何なんだ、この言葉は?

「美しい」という言葉の胡散くささもさることながら、何より「サラバンド」という括り方が気に食わない。
たとえば、「バッハが書いたもっとも〜なアルマンド」とか「バッハが書いたもっとも〜なクーラント」なんて言葉は読んだこともきいたこともない。
「バッハが書いたもっとも〜なメヌエット」なんて言葉が出てきたとしたら、間抜けすぎて、おまえ可愛い子振ろうとしてんのかと言いたくなる。

で、「バッハが書いたもっとも美しいサラバンド」
なぜか言葉としての座りは悪くない。
そのもっともらしさがますますもって気に食わない。
「ベートーヴェンが書いたもっとも〜なソナタ」とか「バッハが書いたもっとも〜なフーガ」とかなら、どんな反論でも受けて立とうという決意が感じられる。こういうモノの言い方書き方に対する好き嫌いは別にして、潔さはたしかに感じる。
なんで「サラバンド」なんだ。
えらそうなこと書くなら、ずばり「バッハが書いたもっとも美しい緩徐楽章」とするべきだろよ。
そんなふうに書くと非難轟々、責任とりたくねーから、「サラバンド」とか、ひとまわり小っちゃく括っちゃったんだろよ。

いや、苛立ちの原因はたぶんそこじゃありません。
これだけいろんなサラバンドに対して「最も美しい」の賛辞が寄せられているのに、このフランス組曲6番のサラバンドに対してそれがないのはどうしてなんだと。
そんなにダメな曲じゃないと思うんですけどね。
これ、たとえばイ長調に移して、イギリス組曲の1番のそれと差し替えたら、何人か何十人かは間違いなく「もっとも美しい」と言ってくれたはずですよ。
この言葉が冠せられている曲の多くが、フランス組曲中のサラバンドってあたりがミソですね。
長さというか短さが、ちょうどいいんですよ。
イギリス組曲のサラバンドは長すぎる(最後まで眠らずに集中して観賞できる人がいたら尊敬。たぶんそのあたりが人気ランキングに入ってこない理由だと睨んでいます)

でもって、この6番のサラバンド、フランス組曲中の他の5曲と比べても決して見劣り聴き劣りするもんじゃありません。
絆創膏が決壊して血とリンパ液がちょっと滲み出ちゃいました的な感情吐露もいいタイミングで出てくる(この点に関しては1番ニ短調よりずっとお洒落。1番のそれは、もともとが短調ってせいもあるけど、ボルテージ高すぎ下品すれすれ)。
この絆創膏決壊部分(後段へ短調カデンツまで)は弾いていても妙に感情がたかぶって無駄にデカい音出したくなりますけど、それはそれで、成り行きにまかせちゃっていいと思います。曲のお洒落っぽさがすべてカバーしてくれます。