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  比叡山延暦寺の春

昨年暮れの雪の比叡山では行けなかった延暦寺の横川(よかわ)と西塔へ行く事にしました。
延暦寺について改めて少し調べてみました。
延暦寺は平安時代以前に天台宗の宗祖伝教大師(最澄)によって創建されたお寺。最澄は一部の特権階級の学問だった奈良仏教に失望し、すべての人を救うのが仏教の本来の使命であるとして延暦寺を開山しました。法然、親鸞、日蓮、道元禅師ら主なる仏教の宗祖はこのお寺で修行し学びそれぞれ旅立ちました。まさに仏教信仰のふるさととも言えるのが比叡山です。しかし後に信長により全山焼き討ちされほとんどが焼失しました。現在の建物は一部を除きほとんど秀吉、家康の時代に再建された物ばかりです。
JR湖西線の比叡坂本駅で降り西に向かって歩きます。しばらくすると日吉大社の鳥居が見え門前町の雰囲気がしてきます。日吉大社は古来より比叡山の地主神で、のちに国家鎮護、方除けの神として祀られ、さらに天台宗の護法神として祀られ仏教との関わりもありました。

大神門神社
日吉大社の門を守る小さな神社です。

創業300年の蕎麦の老舗「鶴喜そば」
「鶴喜」の「喜」は正確には「七」が3つの漢字だったはず…?

滋賀院門跡のそばを流れる疎水。花は枯れかかっていましたが川底の石がきれいでした。

今回もケーブルカーで延暦寺駅へ。そこから東塔(とうどう)へ向かう途中の燈籠。
東塔の根本中堂に来ました。
今回は寄らずに阿弥陀堂へ。

この鐘は自由につけるので撞いてみました。大きいのでいい響きがしてとても気分がいいです。
広い石段を上がると阿弥陀堂の屋根が見えてきました。
阿弥陀堂としだれ桜
この後、横川と西塔に向かいました。

山内を巡回しているバスで横川に来ました。横川の中心となる舞台造りの横川中堂です。
朱塗りが鮮やかでした。
元三大師堂(四季講堂)に来ました。「横川のお大師さん」とも親しまれおみくじの元祖とも言われています。

これから咲く桜のようです。ソメイヨシノは比叡山でもほとんど終わっているのですが…
引き返して横川中堂に戻ってきました。
観音様があることに気づきました。

創建は848年と古いですが昭和17年に落雷で焼失し再建された新しい建物です。
根本如法塔
書写した教典を安置し祈念する塔です。

新緑がまぶしい。紅葉時は格別でしょうね。

バスで西塔へ。にない堂はふたつの堂が渡り廊下でつながっています。弁慶がこの渡り廊下をてんびん棒にしてお堂をかついだという伝説があります。

にない堂前の苔がきれいでした。
石段を降りると西塔の中心となる釈迦堂があります。
本尊の釈迦如来は最澄の自作。
そびえ立つ杉が独特の雰囲気を醸し出しています。

2本の木の根元が融合しています。
どちらも立派な杉でした。
東塔近くのバスセンターへ歩いて戻ります。

バスで山頂へ。山頂から八瀬大原方面をのぞみます。春霞みで眺めは良くありません。

比叡山人工スキー場。

ロープウェイで降ります。

伐採された跡が見えます。


ケーブルに乗換えます。時間があるので駅前で一服。

西方向が見下ろせます。霞がなければ宝ヶ池や岩倉、上賀茂あたりははっきり見えるはずです。

ケーブルで八瀬へ降ります。

叡山電鉄八瀬比叡山口駅。無人駅です。上半身裸の男の子がいました。
今まで延暦寺といえば東塔の根本中堂などしか知らなかったのですが西塔、横川に行くとさらに静寂と奥深さが感じられます。また横川中堂は色鮮やかなお堂と大きな杉とが調和がとれて美しかったです。
仏教信仰のふるさと比叡山は848メートルと日本アルプスやその他の高い山と比べると低い山ですが、その存在は仏教文化の日本にとってとても大きな山だったことを改めて認識しました。これからは比叡山を見たら手を合わせないといけないなあ、などと出来もしないことを…