次ページへ

右往左往の一日(平成16年11月15日)
 昨夜から可成りの雨が降り続いている。最近記憶力が薄れ時々物忘れをすることがある。今日は母親も病院に連れて行かないといけないので忘れないようにしなければいけない。今回の病院行きは具合が悪いのではなく、先月介護保険の更新で審査を受けたが、その結果の通知で従来の介護2から介護1に下がってしまった。介護1では現在受けているヘルパー派遣を受けることが出来なくなるので、再審査を依頼したために、主治医の再面談が急遽必要になったためである。普段の通院の時は妻がデーサービスに出ている時間帯で予約を入れるが、今回は報告書の提出時期が迫っているために病院より指定された午後5時となってしまった。
 
 妻の学校通いの日(デーサービス)であるので、出掛ける準備をしていると電話が鳴った。大学の恩師M先生からの電話であった。米国在住の同級生が一時帰国するので、一緒に会食予定にしており1ヶ月程前に案内をメールで送ってあったのだが、届いてないとのことであった。場所及び時間をお教えしもう一度メールを送ることにした。

 9時半に妻を学校まで車で送る。帰宅後忘れない内にM先生にメールを送る。11時に母親の火災保険の集金に予定通り来る。10年の長期火災総合保険で今回が最終回とのことである。これは父親が生前に掛けていたもので、確か父が『この保険を掛けたから、108歳まで生きる保証がされた』とか、訳の分からないことを言っていた記憶がある。

 2日程前に母親の所に喪中のはがきが届いた。父母の非常に懇意にしていたご夫婦(故人)のご長男が亡くなられ、その奥様からのものであった。亡くなられた月が11月となっており、1週間か10日程前に亡くなられた様子である。お住まいが区内で比較的近いので、母の代理で1時から弔問に出掛けた。

 帰宅後、落ち着く間もなく、3時半に妻を学校まで迎えに行く。母親の病院の予約時間が5時なので、遅くとも4時45分には家を出る必要がある。しかし妻を一人にしておくと、一人で買い物に出掛けようとするのは間違いないので、行きつけのスーパーまで、買い物に出掛けてきた。そして母親を病院に連れて行って来るから、一寸待ってるように言って出掛けた。

 予定より少し時間が掛かったが5時50分頃帰宅すると何時も持ち歩くカバンを玄関に置いたまま、妻が出掛けてしまったようだ。母親宅の戸を開け、車より降ろし家の中まで誘導し、急いで探しに出掛けた。カバンを持って出ていれば装置が入っているので、パソコンから追跡できるのだが、カバンを置いて出ている。行き先は先程行って来たスーパーだと思われるので、車でスーパーまで行きレジで確認すると、「何時も二人で来るのにコートも着ずにカバンも持たずに一人で来た。家が分からないため110番連絡をした。客の中に知っている人がいて、今パトカーで帰った。」とのことであった。早速家に戻ると警察官に連れられて母親宅の方に入っていた。警察官に礼を言い、自宅に戻った。そして、休む暇なく夕食の支度に取りかかった。

 病院より10分早く帰宅できていれば、ここまで大事にならずに済んだことだろうが、二人を同時に介護していることの宿命なのかもしれない。兎に角、目まぐるしい一日であった。

病 院 通 い(平成16年12月3日)
 この1ヶ月余りはよく病院通いをしたものだ。先月、区からきた生活病検診を受けたところ、妻の血糖値が非常に高く、糖尿病であるので、専門医に診て貰った方が良いと言うことで、大森日赤への紹介を受け、通院が始まった。本来なら入院加療の方が望ましいとのことであったが、妻一人での入院は難しいので、変則ではあるが院内処方を受け、自宅での加療として貰った。薬の投与も重要だが、食事療法が重要であり、栄養士の指導を受けることにもなった。

 一方母はH病院より諸々の薬を受けているので2週間毎に薬の処方箋をもらいに行っているが、急に足の「むくみ」を訴えだし、診察を受けに行くことになった。また介護保険の再審査のために医師の再面談のためでも通院することにもなった。

 また自分自身も目がチカチカするので、鏡で見ると真っ赤に充血しており、急遽眼科へ行く結果となった。
この1ヶ月余りの通院状況は下記の表の通り、兎に角病院通いに明け暮れた感が強い。
通院日 通院先 内  容
10月29日(金) Aクリニック 二人の2週間毎の定期通院。
10月30日(土) 大森日赤 妻の糖尿病のため初通院:入院療法が一般的だが、変則的に自宅療養をお願いした。
11月4日(木) 母のケアマネージャの定期訪問。
11月6日(土) H病院 母の薬の処方箋.。
11月12日(金) 大森日赤 妻糖尿病2回目の検査並びに受診。血糖値が下がる。入院加療はしなくて済む。
11月13日(土) Aクリニック 二人の2週間毎の定期通院。インフルエンザ予防注射。
11月15日(月) H病院 (母)介護保険審査のための受診。
11月19日(金) W眼科 眼底充血のため受診。妻のケアマネージャの定期訪問。
11月20日(土) H病院 母の薬の処方箋.。
11月22日(月) 大森日赤 糖尿病の食事療法について、栄養士より指導を受ける。医師の指示は1200Kcal/日とのことで可成り厳しい。
11月24日(水) K皮膚科医院 妻の頭部に湿疹が出来たので受診。
11月26日(金) Aクリニック 二人の2週間毎の定例通院。
11月30日(火) 昭和大 定期検診。M先生不在のためK先生の受診のみ。
11月1日(水) 大森日赤 妻糖尿病3回目の検査並びに受診。血糖値が下がる。薬の効果が出ており、現在の加療を継続。

入れ歯の紛失(平成16年12月12日)
 夜中に電話のベルが鳴った。時々ワン切りの電話が鳴ることがあるが、連続してなっている。寝ぼけ眼で受話器を取りながら時計を見ると3時半を少し廻ったところである。受話器を耳に当てると母親の悲壮な声が聞こえてくる。何事かと聞いていると「今トイレに行ったが、入れ歯を落としたことを知らずに水を流してしまった。」とのことである。取り敢えず、母親宅に行く。
 
 泣き声で「落としたのを知らずに、水を流してしまった。便器を取り外して取り出せないか。」と無理なことを言い出す。便器用のゴムポンプがあるので、2,3回押してみた。しかし、大きな詰まりものなら浮きでてくる場合もあるが、入れ歯程度の小さなものは逆に押し流してしまう可能性があるので、中止し、明日考えるからと言って引き上げた。

 家に戻って床に入り、ウトウトし始めたところで、また電話のベルが鳴った。4時半である。電話に出ると母親の声である。「今ベットに入って寝ようとしたら、入れ歯がベットの中に落ちていた。」との電話であった。事件は一件落着であるが人騒がせなことである。翌朝、雨戸を開けながら、様子を見に行ったが、昨夜大騒ぎしたことなど、全く忘れてしまって記憶になくケロッとしていた。

母の誕生日(平成17年2月3日)
 今日は2月3日節分である。また母の誕生日で明治41年生まれの母は97歳を迎えた。昨年の誕生日には腕の骨折の後で、まだまだ手先もやっと頭に届く程度で動きは可成り鈍っていたが、今では腕はなに不自由なく動くようになり、腰の曲がりは増したが、行動そのものは良くなってきている。
 夜戸締まりの時、大量に豆まきをして、撒かれた豆を踏んで転ばれたら困るので、豆を少し摘んで一応豆まきをした。その後、母親の年の数まで数えたが、さすがに97とは大量である。年の数より1つ多い98粒を取ったがとても食べられる量ではないので、端数の8粒だけを食べて貰うようにした。もう一息で100歳を迎えることができる。夫婦共々100歳を迎えて貰いたいと思っている。

墨翠会書道展(平成17年2月19日)
 墨翠会は長女の参加している書道の団体で、今年は第39回である。娘は小学校に入学した頃から近所の書道塾に通い、墨翠会の別途開催される小学生の部の書道展に出展していたが、その後、当時同会理事長の富永先生より本格的指導を受けるようになって現在に至っている。
 毎年2月に開催される本会と上野美術館で6月に開催される日本書道院展には必ず出品しているので、両展示会には妻と二人で見に行くようにしてきた。今回は墨翠会と併設して91歳を迎えられた富永先生(元墨翠会会長、元日本書道院理事)の集大成である書画展も開催されたので、銀座画廊まで妻と共に見学に出掛けた。何時もは電車で出掛けていたが、小雨も降っており、少々気温も低かったので、車で出掛けることにした。妻は車で出掛けるのは好きであり、またおとなしく乗っているので、最も安全な移動手段である。

 最近妻は展示会場などでは一人で勝手に移動したがり、ゆっくり見て回ることが出来ないのだが、今回はこちらの歩調に合わせて一緒に歩いてくれたので、比較的ゆっくり見て回ることが出できた。

 富永先生の書は常々拝見しているが、絵も描かれていることはかねがね伺っていたが、単独の絵の作品を拝見するのは始めてである。かつては妻は会場で富永先生にお会いすると良く話を交わしていたが、今回の展示を見てどのような感想を持ったことだろうか。話せないのが残念である。
 
富永秀峰 齋藤佳僊

次ページへ

介護奮戦記の目次へ