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糖尿病の症状(平成17年2月25日)
 糖尿病についての話はよく聞くが他人事と思い余り関心がなかった。しかし、今回妻が糖尿病にかかり、初めて真剣に考えてみると、色々な病気を併発する可能性があり、非常に怖い病気であることが分かってきた。先ず、糖尿病に関する本を見ると、その自覚症状として次のような事柄が挙げられている。
  1. のどが渇いて沢山水を飲む。
  2. 尿の量も増え(多尿)て、回数も多く(頻尿)となる。
  3. 食欲が出て急に太った。
  4. 普通に食べているのに痩せる。
  5. 疲労感、倦怠感が強くなる。
 これらの事柄を妻に当てはめると1,2及び5の3項目は完全に一致している。昨夏は特に水分を大量に飲んでいた。また尿の頻度が多く、1時間と持たない場合が出ていた。兎に角、買い物に外に出たがるのだが、外に出るとひどい時には数歩歩くと立ち止まってしまうことが、しばしばあった。また一昨年の暮れ頃より、ダンスも踊りの途中で立ち止まってしまい踊れなくなり、昨年4月より止めている。食欲は少しだらだらと食べるようになり、時間は掛かるが食べていた。むしろ間食も多いので、トータルとして少し多めであったようである。 

 本人が症状を訴えたり、質問に答えてくれれば簡単なのだが、外見から見た行動や体調から判断しているので、やはり大きな間違いを起こす。「特に昨夏の異常気温により必要な水分の要求があったり、暑さのために身体の動きが鈍っているのだろう」とか、「動きの鈍ってきたのは脳障害の影響が出てきたのではないか」と勝手に想像してきたのは大きな間違いであったようである。糖尿病の治療を始め、投薬の効果が出始めるにつれ、「水分の取り方」「尿の出方」及び「歩くテンポ」が正常に戻ってきたようである。兎に角、原因がはっきりしたことだけは余計な気を回す必要がなくなり、有り難いことである。


血糖値の改善(平成17年3月9日)
 糖尿病の検査のため大森日赤に出掛ける。予約は入っているが血液検査の結果が出るまで、1時間ほど待たねばならない。内科系診察室前の細い廊下が待合い場所となっているため、通路を通る人は殆ど膝に接しながら通っていくので、通院してきた人の顔が見える。不思議なことに通院のたびに必ず知人に会う。今回も元勤務先の後輩と出会った。

 昨年10月30日より通院を始め加療をしてきた。お陰様で入院加療に至ることなく毎回数値は改善され、ヘモグロビンも当初の半分以下にまで、減少した。前回より食事直後に飲む血糖降下剤の量が2分の1になり、今回更に2分の1となった。薬の量を減らしつつ、現在の数値を維持できることを期待している。
H16.10.20 H16.10.30 H16.11.12 H16.12.1 H17.1.12 H17.2.7 H17.3.9
血 糖 400 279 158 150 96 79 90
ヘモグロビン 11.9 12.6 12.0 10.1 6.8 5.6 5.6
 一応食事療法も順調にいっているようであり、一安心している。しかし本人の不満は間食が出来なくなったことである。本人からすると話すことが出来なくなり、「口が寂しい」のであろう。口は専ら食べ物を食べるためのものとなり、お菓子やジュース類を置いておくと、ついつい手を伸ばして食べていた。これがやはり血糖値を上げた最大の原因のようである。食事の量の制限よりも間食をさせない方が大変である。

 本人からすると従来買い物に行った際、自分から手を出して買い物かごに入れてお菓子やジュース類を買っていた。しかし最近はこれらのものは買って貰えなくなった。また家の中では従来お菓子の入っていた入れ物、戸棚や冷蔵庫を覗くが、食べ物や飲みもものがない。家にいて唯一の楽しみであった間食が出来なくなったことで、可成りストレスが貯まっているようであるが、やむを得ず間食をさせないようにしている。

痴呆(認知症)と徘徊(平成17年5月16日)
痴呆という言葉が最近差別語であるとして、“認知症”と言う言葉が使われるようになったようであるが、余りぴんとこない言葉であり、いずれも余り響きもよくなく、使用したくない言葉である。

 痴呆の人を身内に抱え、徘徊で困った話をよく耳にする。また行方不明となって捜索願を出して行方を探されている人も多数おられることも事実である。このようなことから“痴呆”と“徘徊”はセットのように言われており、妻の場合も行方不明になって110番や捜索願を出したり、また警察に保護されるなど何回か警察のお世話になっている。

 介護する側からすると「一人で黙って家を出て行き、そこらをうろうろされること」は困ったことである。しかし、一方本人からすると「何も好き好んでうろうろしている訳ではない。」と言いたいのだと思う。徘徊にも色々なケースがあるのだと思うが、妻の場合で考えてみるとこのようになるだろう。

 妻の現状は右前頭葉の脳障害によって、先ず言語障害を起こし話すことができなくなった。その後徐々に脳の萎縮が進み、今まで得てきた知識や色々の経験から得てきた常識が失せてきている。特に思考力/判断力がなくなり、また連想能力がなくなっている。例えば「春」と言えば一般に「暖かい」「桜」などを連想するが、このような感覚がない。しかし、幸いなことに目からの情報は認識できており、挨拶はできないが家族や知人の顔を見れば誰であるかは分かっている。また元気な頃、よく買い物に出掛けていた家を中心とした約2km四方の地図は従来通り記憶されて間違うことはない。

 妻の正常な頃は一主婦として家庭内では当然のことながら炊事、洗濯、掃除をこなし、また食材や日用雑貨を購入するために西に東にと買い物に出掛けるのが日課であった。しかし、掃除洗濯をやらなくなり、最も得意にしていた食事を作ることを忘れてしまった。また友達を呼んで「お茶をしながら話をする」とか、「電話で話をすること」が出来ない現在、家にいては何もやることがないのである。身体的な不自由さのない妻にとっては「何もすることがない家に一日中座っていろ」と言われる程つらいことはない。過去の経験で唯一残っているのは買い物に出掛けることである。従って基本的には必ず家には誰かがいるようにし、時間を見計らって買い物や散歩に日に2,3回は出掛けるようにしている。

 かつて電車に乗ってしまった事件以降、本人のバッグの中には位置情報発信器を入れているので、一寸した留守中に出掛けたような場合にはパソコンから検索すると大体買い物や散歩コースを歩いているので、問題なく見つけることができた。所が最近出掛ける時には必ず持って出るバッグを持たずに出掛けるケースが出てきた。また買い物も誰かが付き添って行くようになり、従来のように自分で買うものを選び、レジで時間は掛かるが支払いをするという行為をしなくなって来ている。

 昨年から2回ほど警察のお世話になったが、いずれも母親の介護に関連して一寸家を離れていたすきの出来事である。一度目は母親のケアマネージャが月一度の訪問で来たため、30分ほど家を空け戻ってみるとバッグを持たずに出掛けていた。当時は出掛けるとすれば3方向があり、それぞれのコースを足早に廻ってみたが見付からず、少し時間を掛けて探す必要があり母親にその旨を伝えに行った。丁度その時電話が鳴り、受話器をとると池上警察署からの電話で「現在警察署で保護している」とのことで、早速引き取りに出掛けた。署の話によると普段散歩道にしている道沿いにある池上のパン屋からの連絡で、保護されたようである。話ができないので、筆談で名前の「三田」と住所の「東矢口一丁目」が分かった。電話帳から「三田」姓の電話が2軒あり、先ず母親の方に電話を掛けたところ、丁度居合わせて連絡が取れたとのことである。

 二度目はやはり母親の介護保険の申請のために主治医のヒヤリングがあり、心配ではあったが、やむなく1時間ほど家を空け戻ってきた時、バッグを持たずに出掛けてしまっていた。これは行きつけのスーパーに間違えないと追いかけたが、行き違いで110番通報によりパトカーで帰宅した後だった。10分早く帰宅できておれば大騒ぎにならずに済んでいたはずである。

 両事件とも本人からすれば「何時も来ているスーパーだからレジを済ませれば、道は分かっているので一人で帰宅したのに」と言いたいところである。しかし、店側からすれば、「品物も持たずにレジの前に立たれ、声を掛けても返事がない。」やはりこれでは店としては困ってしまい、110番へ電話をする結果となった次第である。

 不幸にして認知症にかかった人達にとってはそれぞれ徘徊する理由はあるのだと思う。しかし、論理的に説明しろと言われても、悲しいかな一般常識や知識が失せて来てるため「何故」「何の目的で」「こんな時間に」などと問いつめられても返答ができないのである。その理由は一般常識では分からないが、「外出してみたい」「買い物に行きたい」「訪問したい」「電車に乗ってみたい」などと非常に単純なのだろう。我々からすると「どこへ出掛けたいのか」「何を買いたいのか」「誰に会いに行きたいのか」「電車に乗ってどこへ行きたいのか」など質したくなるが、そのようなことを聞かれても返事のしようがないのである。

 共通していることは「家にいては何もすることがない。」ことである。やはり本人からすれば、家にじっとしているのは退屈で、上記のような単純目的が生まれるのだと思う。そこで出掛けたくなり、つい出掛けてしまう。目的地まで到達する人、また途中で道に迷う人がいるだろう。目的地についても手順を追ってそこで何をするかがはっきりしていないから、訪問された側からすると、訪問の目的を尋ねても返事がなく、はたと困ってしまう。そこで知った人ならば自宅に連絡をしたり、また知らない人の場合には110番する結果となる。しかし、本人からすれば「本人しか分からない目的が達成されれば、その場を離れ帰宅したり、次の目的に向かって行動しようとしているのに、自宅に連絡されたり、110番されて、連れ戻されてしまう。」と思っているに違いない。

 いずれにしてもどのようにすれば家の中で楽しく過ごせるような環境を作り出せるかが、大きな課題である。

鳴らない携帯電話(平成15年5月27日)
携帯電話は余り必要性を感じないため従来は持っていなかった。しかし、妻が行くへ不明になった際、探しに出掛けたいが不在中にどこからか電話連絡が入ったらどうするか。「探しに行くか」、「連絡を待つか」で、はたと困った。このような場合に携帯電話は非常に有効なのだと痛感した。今後を考え早速携帯電話を持つことにした。

 一方妻が一人で出掛けた際、本人の居場所を知る位置情報発信器が必要となった。携帯電話型もあるが、これは本人が自分の居場所を確かめたり、また本人が電話を使用する場合で、妻は自分で確かめたり、電話を掛けることができないので、位置情報発信機能のみのものを利用することにした。

 携帯電話を持つと基本的に先ず外出した際、家との連絡が簡単にでき便利さがあるのだが、家に電話をしても妻は電話に出ることができないので利用できない。普段は自宅の電話を利用すればよいので、あくまでも携帯電話は緊急用である。従って電話番号を教えているところは子どもたちと妻に関連した施設など数カ所及び何か緊急の連絡先として知らせた数人の友人である。携帯電話を持つようになって2年程になるが、月1回利用するかしない程度であり、現在携帯電話の活躍場面は電話帳のみである。考えてみると持ち始めた当初からワン切り電話がよく入り、ワン切り電話の回数の方が利用した回数よりも多いのではないかと思われる。当初ワン切りは週1回から10日に1回位かかっていたが最近では殆どかからなくなった。ワン切りにも見放されたようである。

 それでも携帯電話の恩恵を受けたことが1度だけある。妻の高校時代の親友が茅野に住んでおり、妻の現状を心配して下さっておられるので、昨年夏の終わりに諏訪湖でお会いする機会を持った。翌朝電話があり、帰途ご自宅にお寄りすることとなった。比較的道には自身があり、国道より側路に入る部分の地図を持ち合わせていたので出掛けたがなかなか、到着しない。田舎道のため目印となる建物や構造物が少ないため、唯一の標識を見落としてしまい、可成り通り過ぎてしまった。公衆電話を探しても見付かるような場所でなく、携帯電話で連絡が取れ、やっとたどり着くことが出来た。この時ばかりは携帯電話の有り難みを痛感した。

 一方、位置情報発信器は利用を始めた当初は妻が一人で出掛けても発信器の入ったバッグを持って出ているので、月に1,2度使用し、居場所の確認が出来ていた。しかし現在では一人での外出は店などへの迷惑がかかるので、基本的に外出の際、誰かが付き添うようにしている。また、たまたま一寸した隙に出掛けてしまうことがあるが、バッグを持たずに出るケースが多くなり、位置情報発信器の利用価値が薄れてきている。考えてみると携帯電話及び位置情報発信器の利用料は一般電話料金を遙かに超えている。一寸ばからしくもあるが、保険料の積もりで今しばらくは両者とも利用していこうと思っている。

記 憶(その1)H17.6.23
母の介護保険の調査に来た人から「今日は何日ですか」などと質問を受けると、母は「はて何日だったかな」と考え込み「5日だったか、8日だったか」などと言い、それも間違った日であることが多い。更に曜日や月までも間違えるようになっている。新聞の紙面は殆ど読まず、日にちと曜日を確かめるために取っているいるようなものだが、良く覚えていないようである。何故、このようなことが分からなくなるのか不思議であったが、最近自分も時々物忘れをするようになり、また時々「はて今日は何日だったか」、咄嗟に出てこなくなって来ていることに気が付いた。理由を考えてみると、思い当たる節がある。

 勤めていた頃も、退職後も当然の事ながらカレンダー上に色々な予定が日付をベースに書き込まれていった。しかし、ここ2年ほど前より、妻と母親の介護が中心となり定期的な会合への出席を除いて、不定期な誘い事には殆ど失礼をすることなっている。その結果、予定表は日にちの管理でなく、曜日の管理になってしまったためと思われる。

 下表に示すように、いつの間にか曜日に対応した生活パターンが定着して仕舞ったようである。従って基本サイクルが週単位となり、頭の中のカレンダは曜日だけがはっきり見え、その下の日にちを表す数字のマトリックスの影が薄くなってしまったようである。時々、『今日は?』と考えた時、曜日はすっと出てくるのだが、日にちが出てこなくなり、最近これは危険だと痛感している。

ゴミ処理 妻関連 通 院 クラブ定例会
デイケアへの送迎 会合1(第2週)
ホームヘルパー 昭和大病院(第3または第4週) .
可燃ゴミ . 大森日赤(4週間毎) .
不燃ゴミ デイケアへの送迎 その他
母:薬の処方箋(2週間毎:H病院)
妻:薬の処方箋(2週間毎:Aクリニック)
会合2(第2週)
資源ゴミ ホームヘルパー 会合3(第1週)
可燃ゴミ デイケアへの送迎 会合4(第4週)
資源ゴミ(偶数週) . .

 先月の出来事であるが、上顎が縮んだせいか母親の入れ歯が緩くなり、時々紛失し大騒ぎになるので、歯医者さんに往診して貰うこととなった。往診の日を電話でお願いしたが、これが大失敗となった。電話には事務の人が出たので、「今週の金曜日に往診お願いできますか。」と尋ねたところ、「?日ですね。3時にお伺いできます。」との返事を頂いた。その時、?日は”あれ?”と瞬間思ったのだが、金曜日と言ったので間違いないだろうと思い、「ハイそうです。よろしくお願いします。」と言うことで電話を切った。

 しかし、時間に正確な先生なのだが、当日時間が過ぎても、お見えにならない。電話を入れてみると先生が直接電話に出られ、「16日の月曜日と伺ってます。」とのことであった。当日は来客があるとのことで、往診は一週間後の金曜日にお願いすることとなった。

 では何故間違ったのか?「金曜日(5月13日)」と言ったのを、先方は「月曜日(5月16日)」と聞き間違え、多分「16日ですね。」と言ったのだと思う。日付の入ったカレンダがスッと思い浮かんでいれば、先方の聞き間違えが直ぐ分かり「13日の金曜日です。」と訂正できていたはずである。

 一般にスケジュールを確かめる時には「何日の何曜日」と言うように、先ず日にちを言い確認の意味で曜日を言うのが普通である。しかし、最近の生活は曜日が中心となって仕舞ったために、曜日を言えば話が通じると思ったところに問題があったようである。

 生活が単調化し、常に日にちを確認しておく必要がなくなったために、日にちの記憶が薄れてきた結果であると思われる。極言すれば認知症の第一歩で、生活上の刺激が薄れてくると、徐々に関連性の薄いものから記憶が失せていくのだろうと思われる。認知症にならないためにも、これからは日にちを意識的に確認しながらやっていこうと思う。

記 憶(その2)H17.7.23
母親の現在の宝物は化粧品の化粧水、クリーム及び粉白粉の3点である。毎日使うものであるから、何時も使う一定の場所に置いておけばよのだが、もう数年も前からヘルパーに盗られるという被害妄想があり、仕舞うというよりか、色々なところに隠し廻るのである。そして隠し場所を忘れてしまい、出てこないとヘルパーが盗っていったと騒ぎ廻るのである。それでいてものが出てくると、ケロッとしたもので、今騒ぎ廻ったことなど忘れて涼しい顔をしている。

 しばらく化粧品騒動は落ち着いていたのだが、ここ10日間の間に3,4回起きた。日曜日の夕食を持って行くと居間におらず寝室の方にいた。そして「今朝使った化粧品がない」という。また今日はヘルパーが来ただろうとヘルパーを疑い出すので、「今日は日曜でヘルパーが来ない日だから、自分でどこかに隠したのでしょう。」と言うと、しばらくヘルパーのせいにしようとするのだが、一応やっとヘルパーでないことだけは認めるが、「でも朝使ったに、どこかに行ったのだろう」と言う。最近タンスの前に大きな段ボ−ルを置きその中に衣類品を一杯詰め込んだものが置かれており、その中を手探りしてみると化粧水とクリームが隠されていた。「こんな所に隠して!、もう隠すのは止めなさい。」と言って取り出して見せると、もう隠したことはどうでもよくて「アー良かった。出てきて助かった。」と一人で喜んでいる。

 また2,3日して夜10時頃電話を掛けてきて「化粧水とクリームがない。」と言う。仕方なく出掛けて段ボールの中や隠しそうなところを探すが、見当たらない。夜も遅いので翌日探すことで引き上げた。翌朝、雨戸を開けに行くと居間のテーブルの上に問題の化粧水とクリームがテーブルの上に載っている。早速寝室に行き、どこから出てきたか尋ねると「そんなものは知らない」と言う。しかしよく聞いていくと、昨夜自分が仕舞った居間の押入から探し出してきたようである。今まで殆ど開け閉めしたことのない押入であるので、新たに隠し場所として考え出したところのようである。

 またまた1週間程して朝、戸を開けに行くと化粧水がないと言う。よく見るとクリームは底に少し残った古いものであり、化粧水とクリーム共にどこかに隠してない状態である。寝室と居間の押入を含めて探すが、見当たらない。朝の忙しい時であり、後で探すからと引き上げたが、昼に夜に「化粧水がない」と電話をかけてくる。その都度探すも出てこないので、無駄を承知で化粧水は買ってきた。翌日何気なく「化粧水はどこへ仕舞ったの。自分で探してご覧。」と言ったところ、トコトコと居間まで歩いていき、押入を開けて奥の方に手を伸ばし、クリームを取り出した来た。しかし、そこには化粧水はなかった。押入に隠すとしても入り口に近い手前だろうと思っていたが、全く逆で一番奥の扉であった。化粧水が出てこないので、もう一度探してみた。物と側面の壁との間に隙間があるので、手を差し入れてみると可成り下の方に手にぶつかる物があり、取り出して見ると化粧水である。隠し場所として一生懸命考え一緒に置かずに分散して隠したのだと思う。

 これら一連の流れを辿ってみると、年を取ってくると古い記憶は残っているが、新しい記憶が出来ない、今言ったことを直ぐ忘れてしまう典型的なパターンであろう。所謂、一時記憶機能が衰えてきたためだと言われている。しかし、本人の思いこみによる「ヘルパーは自分の大事な物を盗っていく。だから、大事な物は隠して置かなければ。」と言う間違った記憶こそ、早く忘れて貰いたいのだが、これは鮮明に記憶に残っている。今後もこの繰り返しは続くことだろう。

記 憶(その3)H17.8.23
夕食後妻と二人で散歩に出かけるのが日課になっている。家を出て右回りに池上駅方向に約2kmの道を約1時間かけて歩いてくるのが最近のコースとなっている。当地域は東西、南北に区画されているために比較的分かり易い道である。しかし、慣れてない人にとっては縦と横を間違えてしまうととんでもない方向に行ってしまったという話も聞く。

 妻は右前脳の傷害により年を追って、過去の経験から得てきた知識や常識を失ってきている。散歩は基本的には赤線のコースを通っているが、池上駅周辺にくると時々経路を変更して手前の道を右や左に曲がる場合もあるが、大体赤線内を歩いている。しかし、先日池上駅交差点を右折せず、信号を渡りたがったので、そのまま進み、三叉路の本門寺新参道交差点まできたので、右折して路地に入って車道まで出た(緑線)。すると左手に「ダンス教室」の看板を見つけそちらの方向に歩き始めた。
 このダンス教室は昨年の3月まで二人で通っていた場所なので、記憶が蘇ったのであろうと思う。お邪魔かと思ったが、中に入りたい様子だったので、しばらくレッスンを見学させて貰った。さすがに踊ろうとはしなかったが、興味深くおとなしく見学していた。またダンス教室に通っていた時のコースは青線の通りであり、帰途この道を帰ってきたが、1年以上通っていない道だが間違わずに帰ってきた。

 その後半月程して散歩の途中また池上駅前交差点を渡り始めた。直進し先日と同様に本門寺新参道交差点まで行けばダンス教室に行くだろう。どの程度地図の記憶があるのか試してみたく、一つ手前の最初の交差点を右折して見た(
茶線)。これで真っ直ぐ歩いて行くだろうと思っていたのだが、最初の十字路まで来た時に、どうしても左に曲がりたがる。ダンス教室はこの十字路を左折して100m程の所にあるのだが、この場所からでは当然ダンス教室の看板は見えない。しかしダンス教室へ行こうと思ったのか左折して歩き始めた。そして目的地に到着することができ満足した様子であった。

 前述のように妻は知識や常識と言った記憶は失せているが、目からの情報処理は正常に出来ており、人の顔の認識や、かつて買い物に出掛けていた家の周辺2km四方の地形や、よく車で出掛けていた場所などたまに出掛けてもよく分かっている。これは知識や常識を記憶する場所と目からの情報を記憶する場所が幸いにも脳の中で異なっているためだろう。本人にとっては残念なことではあるが、目からの情報を記憶する場所はまだ健在であることを喜んでやるべきなのだろうか?
  

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