Scene−7
空は抜けるように青く晴れわたり、はるか天空にいくつか、綿菓子のように真っ白な雲がふわふわと浮かんでいる。柔らかな日差しが緑の大地に降りそそぎ、陽光がもたらすぬくもりと、さわやかな風が運んでくる深緑の香りが交じり合い、緑の草の波におおわれた大地はまどろみの中にいる。
上空では小鳥の群れがさえずりながら上へ下へと飛び交い、丘陵地に放牧されている牛や馬ののんびりとしたいななきがかすかに聞こえてくる。
カナーラント王国東部はもともと人口が少なく、主な集落といえばカロッテ村しかなかった。カロッテ村が過疎問題を解決し、この地方の中心地として発展を遂げた今でも、周辺に人の住まない大地が広がっていることに変わりはない。特にカロッテ村の南に広がる平原地帯は、村に近い一部が畑や牧場として利用されているだけで、南へ行けば行くほど、人の手が加えられていないそのままの自然が残っている。草原と森が混在する丘陵地帯と、狭い海峡を越えた先にある『一角島』と呼ばれる無人島――カナーラント王国竜騎士隊ドラグーンが、初の大々的な実戦演習を実施するために選んだのが、この土地だった。
人里離れた山岳地帯や深い森の奥地には強い魔物が出没し、街道では盗賊団が暗躍するものの、カナーラント王国は基本的には平和な国だった。東の大国フィンデン王国とは険しい山で隔てられ、西と南には国と呼べるようなものはない。そういう土地柄のため、カナーラントの軍隊は他国の脅威から国を守るというよりは、国内の魔物や盗賊から住民を保護するという性格が強かった。それを揺るがしたのが、数年前に勃発したグラムナート動乱である。竜騎士隊中枢部へのひそやかな侵略は、ザールブルグからやってきた錬金術士によって阻止され、フィンデン王国のような大事には至らなかったものの、カナーラント王室やドラグーン幹部が受けた衝撃は大きかった。
竜騎士隊本部は平時の訓練の重要性を再認識し、定期的に実戦さながらの大演習を実施することを決めた。そしてローラントをはじめとする幹部たちが具体的計画を練り、カロッテ村を拠点としたカナーラント南東部の辺境地域が演習場として選ばれた。そして、外交的理由から他国の軍隊にも視察と参加を要請し、シグザールからダグラスが派遣されたのは知っての通りである。
今、ダグラスは蒼く煌く聖騎士の鎧に身を固め、ドラグーン第2中隊長ローラント、カロッテ村駐在武官ロードフリードとともに、南部平原を見下ろす高台に立っていた。
草の波がうねる平原と、点在する森は、ゆるやかに東へ下ると断崖となって海へ落ち込んでいる。正面――つまり真南は、こんもりと盛り上がった深い森の向こうに、一段と高くなった森が見える。実際にはその森は狭い海峡を越えた先の一角島にあり、こちら側とは地底の洞窟で繋がっているという。
「なるほど、こいつはすげえや。スケールの大きな訓練ができそうだぜ」
腕組みをしながら、ダグラスは素直に感想を述べた。傍らでローラントがうなずく。
「うむ、ロードフリードの推薦でここを選定したのだが、間違いはなかったようだ」
「おほめに預かり、光栄です」
そつなくロードフリードが答える。ローラントはドラグーンの紋章が刻まれた竜騎士の正規の鎧を身につけ、襟の高いマントをはおっているが、竜騎士隊員ではないロードフリードは軽装だ。かつて騎士精錬所で優秀な成績を修め、幹部候補生として将来を嘱望されたロードフリードだが、過疎に苦しむカロッテ村を立て直すために、騎士の地位を捨てて故郷へ戻ったのだ。そして、カロッテ村の復興後も村にとどまり、駐在武官として首都ハーフェンとの連絡役を務めている。ローラントとは騎士精錬所時代の先輩後輩の間柄で、互いの信頼も深い。
「早いとこ、ここで思い切り剣を振るいたいもんだな。腕が鳴るぜ」
涼風を受けながら、ダグラスが言う。演習が始まるのが待ちきれないようだ。
「ふふふ、頼もしいな。グラムナート動乱の際の貴公の活躍ぶりは、私も聞いている」
ローラントは言った。当時、竜騎士隊はカナーラント国内にとどまっていたため、ザールブルグからの遠征隊を指揮したダグラスとは顔を合わせる機会はなかった。だが、戦後復興の中でまとめられた報告書には、ザールブルグからやってきた聖騎士隊の勇猛さが大きく記述されている。
「だが、あの時は最後の最後に、肝心なところを隊長に持ってかれちまったからな」
ダグラスの口調に不満の色が混じる。ローラントは口元に笑みを浮かべると、意味ありげにロードフリードを見やった。
「ダグラスさん、よろしければ、ひとつ小手調べに訓練のリハーサルといきませんか」
ロードフリードの言葉に、ダグラスは眉を上げた。
「うん? どういうことだい?」
「カロッテ村へ来てから、歓迎会や打合せや準備作業ばかりで、身体がなまってしまったでしょう。演習当日まで、まだ間がありますから、ここらで思い切り身体を動かしませんか」
ダグラスの目が輝く。
「ありがてえ。さっきから、腕がむずむずしてたんだ。あんたらふたりなら、相手に不足はねえ」
早くも剣の柄に右手をかけ、今にも抜きそうな構えだ。ローラントが笑った。
「ははは、まあ、そうあわてることはない。われらより、もっと骨のある相手を準備してある。もちろん、われらも一緒に立ち合わせてもらう。貴公も、夜中に素振りをしているだけでは物足りぬだろうからな」
「なるほど、お見通しってわけかい」
ダグラスも不敵な笑みを浮かべる。宿舎にあてられた酒場『月光亭』の裏庭で、日課の剣の素振りを繰り返していたのを、誰かに見られたのだろう。
「私にも、同じ習慣があるものですからね」
ロードフリードは言うと、先に立って丘を下り始める。
「この下の空き地に、用意するよう命じておきました。昼までまだ一刻ほどあります。ひと汗流しましょう」
「ふうん、何を用意するっていうんだい」
「ドラグーンでも選ばれた優秀な騎士しか相手にできない、極秘の訓練相手ですよ。今回の演習の、目玉のひとつでもあります」
「極秘の訓練相手ねえ・・・」
ロードフリードの答えにも釈然としない表情のダグラスに、ローラントはぽんと肩をたたいて答えた。
「相手は疲れを知らぬ不死身の戦士だ。さあ、参るとしよう」
「な――何だい、こりゃあ?」
丘を下り、ふもとの草原にやって来たダグラスは、そこに鎮座していた巨大な姿を見て、目を丸くした。
漆黒の鎧と兜に身を固めた巨人が、うずくまっているように見える。全身が黒光りする金属でおおわれ、身長も肩幅も、普通の人間の倍はあるだろう。腰に差した剣も身体の大きさに見合った巨大なもので、その重さと大きさは、エンデルクでも扱いに苦労するに違いない。
「まさか、こいつは・・・」
マッセンハイムで戦った魔界の騎士のことを思い出し、ダグラスはごくりとつばを飲み込んだ。
「いや、心配には及ばぬ。確かに、あの時の敵の姿を参考にして創られてはいるが、邪悪なものではない」
背後からローラントの声が聞こえた。
ダグラスは振り返り、肩をすくめる。
「確かに強そうな見かけはしているけどよ。こんな動かない金属人形をぶっ叩いたって、面白くもなんともないぞ。これがドラグーンの秘密の訓練だっていうのか?」
やっぱり田舎の国だな――言いかけて、ダグラスは言葉を飲み込んだ。国際問題にならないよう、できるだけ口を慎めというウルリッヒの忠告を思い出す。
「誰が動かないといいました?」
ロードフリードが静かに言う。
「何だって? じゃあ、もしかして、誰かがあの中に入って動かすって言うのか?」
ローラントを見やる。ローラントはあわてて首を振り、
「いや、そうではない。いくら私でも、あんな鎧や兜を身につけては思うように動けん。あれは――われわれは『黒の騎士』と呼んでいるが、勝手に動くのだ。錬金術の力でな」
「錬金術だと!?」
ダグラスが目をむく。ローラントは重々しくうなずき、
「ザールブルグからこの地を訪れた錬金術士が、遺跡を破壊したお詫びだと言って、騎士の訓練用にと、創ってドラグーンに寄付していってくれたのだ」
「錬金術士? しかも、ザールブルグだと?」
「貴公もご存知だろう。マルローネとクライスの両名だ」
「なるほど、あのふたりか・・・」
ダグラスは納得したようにうなずいた。
動乱のさなか、ケントニスにいたはずの錬金術士マルローネとクライスが、忽然とカナーラント王国に現れた。そして、遺跡を破壊した爆弾魔として指名手配されたあげく、首都ハーフェンで魔界から来た存在と遭遇し、カナーラントへの侵略を阻止したのだった。その後、フィンデン王国へ移動したふたりはダグラスらと合流し、マッセンハイムでの最終決戦にも参加した。戦いが終わってからは別行動をとり、ダグラスら遠征隊がグラムナートを離れる頃には、カナーラント南部に点在する古代遺跡の探検をしていたらしい。
「その後も、古代遺跡で謎の爆発があったという報告がいくつかもたらされて、竜騎士隊としても放置しておくわけにはいかなかった。ところが、捜査に着手する前に、ふたりがハーフェンに出頭して詫びを入れ、この『黒の騎士』を置いて去っていったというわけだ」
「なるほど、『爆弾娘』がやりそうなこったな」
ダグラスはマルローネの通り名を思い出して、言った。
「制御も簡単なので、騎士の鍛錬には非常に役立っている。ただ、機械なので加減というものを知らぬ。技量が未熟な騎士だと大けがをしかねぬので、その点だけは注意しなければならぬのだが、貴公ならばまったく問題はあるまい」
ローラントは自ら剣を抜いた。訓練用の模擬剣ではなく、本物の長剣だ。眉を上げるダグラスに、
「貴公も真剣を使って構わぬぞ。『黒の騎士』はすべてグラセン鋼というものでできているそうだ。そう簡単には壊れぬ」
「なるほど、ありがてえ、手加減無用ってことだな。だけどよ、スイッチはどうやって入れるんだ?」
「簡単ですよ。合言葉を言えばいいんです」
ロードフリードも剣を抜いて、身構えながら言う。うながされて、ダグラスも腰に差した聖騎士の剣を抜いた。
「準備はいいですか――では、合言葉を言います。マルローネさんが、なぜこんな合言葉を選んだのかはわかりませんが」
ロードフリードはぴくりとも動かないでいる『黒の騎士』に向かって、大きく腕を広げた。そして、叫ぶ。
「ぼくの力を見せてやる〜!!」
これを聞いて、ダグラスがこけそうになった。
「おい、何だよ、その気合が抜けるようなセリフは!?」
「気をつけて! 来ます!」
警告は遅過ぎるくらいだった。
一瞬にして、グラセン鋼製の人形に生命が宿り、『黒の騎士』は恐るべき戦闘マシンと化した。流れるような動作で立ち上がった巨人戦士は、すらりと長剣を抜き放つと、大地を揺るがしてロードフリードに向かって突進してきた。
「てえい!!」
打ち下ろされた『黒の騎士』の剣をロードフリードが受け止めると、激しい金属音とともに火花が散る。勢い余って行き過ぎた黒騎士は、その体重からは思いもよらない素早い動きで振り返り、気合とともに打ちかかったローラントの剣をはねのける。
「さあ、ダグラスさんもご遠慮なく!」
ロードフリードの言葉を聞くまでもなく、ダグラスはにやりと不敵な笑みを浮かべ、聖騎士の剣を振りかぶった。
「確かに、これなら相手にとって不足はねえ。ザールブルグへ戻ったら、すぐにアカデミーに発注して、一体創ってもらわなきゃな」
そして、ダグラスは剣と一体となり、蒼い稲妻となって突進した。
「シュベートストライク!!」
ダグラスが張り切って『黒の騎士』を相手にしている間に、ローラントが後輩に呼びかける。
「ロードフリード、行くぞ!」
「了解!」
ロードフリードとローラントは体勢を整え、揃って剣を垂直に構えた。
「ドラグーン・ノヴァ!」
ふたりの合体技が炸裂しても、錬金術の粋を尽くした人工戦士は倒れない。
「こいつは楽しいぜ!」
外交儀礼や会議でストレスが溜まっていたダグラスには、格好の発散の場だった。ダグラスは、心から楽しんでいた。
太陽は南中し、昼食の時間が近付いても、いまだに四つどもえの剣戟は続いていた。
本当に『黒の騎士』は疲れというものを知らず、切っても叩きつけても、幾度となく立ち上がってくる。逆に、いかに選りすぐりの剣士であるとはいえ、生身であるダグラスたちの動きは次第に鈍くなり、黒騎士の猛攻に押される場面が多くなってきていた。ローラントの言葉どおり、機械である『黒の騎士』は遠慮というものを知らないから、一撃をまともにくらえばただでは済まないだろう。もっとも、訓練で遠慮を知らないという点では、ダグラスもそう変わらないわけだが。
「おい、念のために訊いておきたいんだが――」
気合をこめて切り結んで飛びのき、黒騎士がローラントに矛先を変えたとき、ダグラスはロードフリードに叫んだ。
「こいつを止める合言葉は、何て言うんだ?」
万が一、合言葉を知っているローラントとロードフリードが倒されてしまったら、自分には巨人戦士を止める術がない。ダグラスにもそのくらいの計算ははたらく。
「そうですね、そろそろ中止にしますか」
振り向いたロードフリードが、涼しい顔で言う。
(ふん、こいつもなかなかやるな。まだまだ余力を残してやがる)
ダグラスは思った。
だが、ロードフリードが口を開く前に、背後からかん高い女性の叫びが響いた。
「いい加減にして〜!!」
とたんに『黒の騎士』はぴたりと動きを止め、剣をぽろりと落とすと、膝から崩れるようにうずくまった。もはや、ぴくりとも動かない。先ほどまでの素早い動きが嘘のようだ。
汗にまみれた身体に、吹き寄せる涼しい風が心地よい。3人の荒い息づかいが、妙に大きく響く。
「そうか・・・。こいつを止める合言葉は『いい加減にして』か。まったくふざけた合言葉を考えやがるぜ」
ひとりごとを言ったダグラスだが、先ほど『黒の騎士』を止めた合言葉が女性の声だったことに気付き、振り向く。傍らで、ロードフリードが手ぐしで髪を整え、声をかけた。
「やあ、ブリギット」
少し離れたところで腕組みをして立ち、あきれたような表情でこちらを見ているのは、両肩をむき出しにした涼しそうな青いドレスをまとった金髪の若い女性だった。胸元に輝くネックレスやイヤリングの宝石は極上の品で、ドレス自体も超高級品だ。カロッテ村で最大の屋敷の持ち主で、首都ハーフェンでも指折りの資産家の娘、ブリギット・ジーエルンである。ダグラスとエリーの歓迎晩餐会でも会場を提供してくれ、オイゲンの紹介で挨拶もしている。もっとも、それは儀礼的なものに過ぎず、その後もほとんど会話らしい会話は交わしていない。
「しばらく前から拝見していましたが、本当に、いつまで経ってもお止めにならないんですもの。辛抱できずにお声をかけてしまいました。ロードフリード様、あまりご無理をなさってはいけませんわ」
左手で大きなバスケットを下げたブリギットは、ロードフリードを気遣うように言葉をかける。わざわざロードフリードを名指しにするのが、いかにもブリギットらしい。
「すまなかったね、ブリギット。訓練に夢中になってしまっていたものだから、気付かなくて」
都会派で礼儀正しいロードフリードは、さすがに如才なく対応する。一方、ローラントは対照的に険しい表情を浮かべ、つかつかとブリギットに近付いた。
「失礼だが、お嬢さん、なぜドラグーンの機密事項をご存知なのかな。場合によっては、詳しく事情を聞かせていただくことになるかもしれん」
「はあ? 何のことですの?」
ブリギットは眉をひそめる。
「とぼけないでいただきたい。貴女はたった今、竜騎士隊の機密事項である『黒の騎士』を止めるための合言葉を口にしたではないか」
真剣な表情で問い詰めるローラントに、ロードフリードが苦笑して答える。
「ローラントさん、ブリギットが合言葉を言ったのは、偶然ですよ。いつまでも夢中で訓練を続けている私たちを見れば、誰だって『いい加減にして』と叫びたくなります。こちらに用がある相手なら、なおさらのことです。そうでしょう、ブリギット」
「何のことだか、よくわかりませんが、ロードフリード様のおっしゃるとおりですわ」
ブリギットはすまして言い、ロードフリードは含み笑いをもらす。ローラントが苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべているのを見て、ダグラスも吹き出しそうになったが、外交問題になるのを怖れて自重した。
「そうそう、差し入れにお弁当を作って来ましたのよ。ロードフリード様、お昼がまだでしょう」
ブリギットはバスケットの中身を示す。サンドイッチやフルーツがぎっしりと詰め込まれていた。ロードフリードはにっこりして、
「それは嬉しいな。じゃあ、みんなでいだだきましょう」
「みんな・・・ですの?」
眉をひそめるブリギットに、ロードフリードは、
「だって、こんなにたくさんあるんだもの。4人がかりでも食べきれるかどうかわからないよ」
「そ――それも、そうですわね」
まだ不満げな表情を浮かべていたブリギットだが、諦めたように小さくため息をつくと、ローラントとダグラスにも声をかける。
「では、シグザールの聖騎士様も、ドラグーンの方も、よろしければ召し上がってくださいな。お口に合うかどうかは保証の限りではございませんけれど」
「ありがてえ! 腹がぺこぺこだぜ」
鎧を脱ぎ捨てて柔らかな草の上に腰を下ろし、シートを広げてバスケットの中身を並べると、待ってましたとばかりにダグラスが手を伸ばす。ロードフリードに寄り添うように座ったブリギットは目を見張ったが、よその国では礼儀作法がどうのこうのと聞こえよがしにつぶやいて、携帯用のポットから注いだお茶をかいがいしくロードフリードに給仕し始めた。ダグラスはブリギットの態度に気付くこともなく、チキンやシーフードを挟んで香草を利かせたサンドイッチを次々とほおばる。そのペースにはローラントもあきれて目を丸くするほどだ。
「うん、・・・うめえうめえ、こんなに美味いサンドイッチは初めてだぜ」
マナーはともかく、食べながら何度もダグラスが発する賛辞にはお世辞のかけらもなく、これにはブリギットも気を良くしたらしい。
「ああ、食った食った」
満腹して、草をベッドに寝そべったダグラスは、遠慮もマナーも忘れてだらしなく伸びをした。カナーラントに来て、初めてリラックスできた気分だった。
「お粗末さまでした」
サンドイッチという簡単なものではあったが、自分の料理をほめられたブリギットは、上機嫌で後片付けを始めた。如才なくロードフリードが手伝う。もっとも、「ダグラスったら、お腹が空いてる時は、どんな不味いものを食べても『美味しい美味しい』って言うんだよ」というエリーの評価を耳にしたことがあったとしたら、ブリギットもなにか別の反応を見せたかもしれない。
ともかく、機嫌がよくなったブリギットは、クラーラと同じように村のホステス役を演じる気分になったようだった。これまで社交パーティで身につけた話術を駆使して、なにくれとダグラスに話しかけ、会話を引き出そうとする。だが、シグザール城で開催される社交パーティにはできる限り理由をつけては出席しないで済ませようとするダグラスのこと、エンデルクのように貴族の会話をそつなくこなす技術など持ち合わせてはおらず、ボロを出すよりはと無愛想な返事を続けるしかなかった。
いささか風向きが変わったのは、共通の知人としてアイゼルのことが話題になったときだった。
「ああ、そうか。アイゼルのお嬢もカロッテ村に世話になっていたんだよな」
「わたくしの方こそ、いろいろと教えていただきましたわ。初めてお会いした時は、随分とお高くとまった方だと思いましたけれど」
「あんたよりかい」
「まあ」
遠慮のないダグラスの言葉に、ブリギットはあきれたように絶句したが、悪気がないことがわかったのか、気を取り直して笑顔をつくろう。ダグラスは草をちぎって風に飛ばし、
「まあ、アイゼルのお嬢も、アカデミーに入学した頃は、やけにつんつんした鼻持ちならねえ女だと思っていたけどな。人間、変われば変わるもんだぜ」
「そうだったんですの?」
「貴族なんて、もともとあんなもんじゃねえのか。あいつが変わったのは、エリーやノル公と付き合うようになってからだ。それに、自分でも変わらなきゃいけねえと思ったからじゃねえのかな」
「そうですわね・・・」
自分のことに思いをはせたのか、ブリギットはしんみりとした口調になったが、ダグラスの言葉に出てきた名前に気付く。
「エルフィールさんにはお目にかかりましたが、ノルコウさんとおっしゃるのは――?」
「ノルコウじゃない、ノルディスだよ。アイゼルの旦那さ」
「まあ、アイゼルさん、ご結婚なさったんですの!?」
「あのふたりが、あんなにあっさり結婚しちまうとは、俺も思ってなかったけどな」
「そうですか・・・」
ブリギットはちらりとロードフリードの方を見て、なぜか頬を赤らめた。ダグラスが不審そうにじろりとブリギットを見る。ブリギットはあわてて、話題を変えようとする。
「そういえば、エルフィールさんは、アイゼルさんの親友だそうですわね。それにしては、ちょっと野暮ったい感じがいたしますけれど」
言ってしまってから、ブリギットははっとしてダグラスを盗み見た。言い過ぎたかと思ったのだが、ダグラスは気にする素振りは見せない。
「ははは、まあ、そうだな。でも、それがエリーのいいところなんだぜ。あいつがアイゼルみたいにきんきらきんの服を着たって、似合わねえよ。想像しただけで、笑えるぜ」
「そんなものなのかもしれませんわね」
ヴィオラートが自分のドレスを着たところを想像して、ブリギットは笑みを浮かべながら素直にうなずいた。そして、さりげなく尋ねる。先日の歓迎晩餐会で、花束を贈ったロードフリードがエリーの手に口づけしたことが心に引っかかっていたのだ。ダグラスとエリーとが、なにか特別な関係だとすれば、ブリギットとしても安心できる。
「ダグラスさんは、エルフィールさんとはどういったご関係なんですの?」
「え? あいつ?」
草をいじっていたダグラスの手が止まった。珍しく口ごもる。
「まあ、あれだ、その――」
「ブリギット、あまり立ち入ったことを訊いては失礼だよ」
ロードフリードが助け舟を出す。ローラントも立ち上がって、
「もう十分、休憩したろう。どうだ、腹ごなしに『黒の騎士』相手に、もうひと汗かこうではないか」
「まあ、まだ訓練なさるんですの?」
ブリギットはあきれたように眉をひそめたが、諦めて肩をすくめる。
「では、わたくしは退散いたしますわ。ロードフリード様、夕食はわたくしの家でご一緒していただけますわね?」
あなたたちはお誘いしていませんわよ、というようにローラントとダグラスを冷ややかに見やって、ブリギットはロードフリードに微笑みかける。ロードフリードは苦笑した。
「ああ、わかったよ、ブリギット」
ブリギットが行ってしまうと、ダグラスがローラントとロードフリードに声をかけた。
「さっき、この黒騎士とやりあっているときに思いついたんだがな・・・」
と、自分のアイディアを説明する。先ほどのブリギットの質問に関しては、もう忘れ去っているようだ。ダグラスの話にロードフリードは目を見張り、ローラントは難しい顔をして考え込んだ。
「もちろん、それは理論的には可能だが――」
「しかし、まったくの未経験者がいきなり行うのは――」
「呼吸と、タイミングが――」
「技術的には、問題はないな――」
「まずは、練習してみることだ――」
3人は額を突き合わせ、真剣な表情でなにやら話し込んでいる。
「とにかく、やってみようぜ」
ダグラスの声に、ローラントとロードフリードはうなずき、鎧を身につけ始める。
「今度は、俺に合言葉を言わせてくれよ」
剣を取り、準備が整うと、ダグラスが言った。ローラントがうなずく。
「ああ、もちろんだ。頼むぞ」
「よし」
ダグラスは、生命なくうずくまっている『黒の騎士』に向かい、気合をこめて叫んだ。
「さあ来い! 俺の力を見せてやる!」
『黒の騎士』はぴくりとも動かない。
「ダグラスさん、『俺』ではダメです。『ぼく』と言わなければ」
傍らでロードフリードがささやく。ダグラスは舌打ちした。
「ちぇ、わかったよ。言えばいいんだろ、言えば」
そして、合言葉――実は、クライスが必殺技を放つ際の脱力のセリフ――を口走る。
「――ぼくの力を見せてやる!」
『黒の騎士』との死闘が再開された。