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恋のアトリエ・ドミノ Vol.1


第1章 それぞれの物語

カロッテ村は、うららかな日差しの中でまどろんでいる。
つい数ヶ月前まで、隣国フィンデン王国の不穏な噂に脅かされていたことなど、まったく感じさせないのんびりとした雰囲気が漂っている。もっとも当時、村人のほとんどは、オイゲン村長を含めて、自分たちがどれほどの危機の瀬戸際にいたのかまったく気付いていなかった。隣国の異変を知った、ごくわずかの勇気ある人々が、グラムナート地方全域を巻き込もうとしていた闇の影を追い払い、平和を取り戻したのである。一般の村人がそのことを知ったのは、すべてが終わってからだった。
後に『グラムナート動乱』と呼ばれることになる、この大事件については、シグザール聖騎士隊、ザールブルグ・アカデミー、シュルツェ一家など関係者の協力で、詳細な記録がまとめられている。それらの公式記録(通称『この青い空の下』)は各地の図書館に収められているので、参照していただきたい。
そこには、屈することなくレジスタンス活動を展開した地元の冒険者、救援のため異郷からはるばる駆けつけた騎士隊とともに、錬金術士たちの献身的な行動が事態の収拾に貢献したことが語られている。
カロッテ村出身のヴィオラート・プラターネも、そのひとりだ。


「ぐーるこん♪ ぐーるこん♪」
楽しそうにリズムを取りながら、ヴィオラートは仕込みの作業に集中していた。
錬金用の大鍋の中では、ぐつぐつと景気のいい音を立てながら、『マメのスープ』が湯気を立ち昇らせている。ヴィオラートが大きなしゃもじでかき混ぜるたびに、カロッテ村――いやカナーラント王国随一の錬金術の店『ヴィオラーデン』の店内に、食欲をそそる美味しそうな匂いが漂う。村の名物である極上にんじんと近くの畑でとれるひよこ豆を、ファスビンダーの美味しい井戸水で煮込んだスープは、『ヴィオラーデン』開店以来の人気商品だ。
グラムナートの動乱に関わり合ってから数ヶ月の間、店はほとんど開店休業状態だった。店主のヴィオラートは先輩錬金術士のアイゼルらとともに事態の打開のために国中を駆け回っていたし、留守を任された兄バルトロメウスも、妹の身が心配で店の経営などにはまったく気が回らなかったのだ――と、少なくともバルトロメウスは主張している。
ともあれ、ここ何ヶ月か落ち込んだ売り上げを回復するべく、ヴィオラートは奮闘しているのだった。さいわい「グラムナートを救ったのは錬金術だった」という、いささか大げさな噂が広まったため、『ヴィオラーデン』を訪れる人は日を追うごとに増えてきている。店が元の活況を取り戻すのも時間の問題だろう。
「そうだ、もう来月は7月なんだ・・・」
材料に均等に火が通るように、リズムよくかき混ぜながら、ヴィオラートはつぶやいた。
「月末は、盛大に誕生パーティをしなくちゃいけないなあ」
彼女の誕生日は7月29日だが、前日の28日は都会から来た友人ブリギット・ジーエルンの誕生日、そのまた前日27日は幼馴染のロードフリード・サンタールの誕生日である。つまり、自分を含めて仲間うちの誕生日が3日も続くのだ。動乱の後始末も一段落し、みな元の生活に戻りつつある。ここはひとつ、大いに盛り上がろうと考えるのも無理はない。
「誰を招待しようかなあ・・・。村の人はみんな招いて、ミーフィスと、カタリーナさんと――。ローラントさんやダスティンさんは来てくれるかな? アイゼルさんも、もうすぐ旅から戻ってくるはずだし・・・」
ヴィオラートは、招待客の顔ぶれを頭の中で指折り数える。そして、思いはパーティ料理のメニューにまで及んでいく。
「ええと、ワインの在庫はあるし、野菜も肉もお魚も、新鮮なのを氷室に貯蔵してあるから大丈夫だよね。あとは、ケーキか・・・あっ!」
はっとして小さな叫びを上げる。大事な材料が足りないことに気付いたのだ。
どうすればいいだろう? ヴィオラートは忙しく考えを巡らせ始める。
「・・・ィオ、おい、ヴィオ!」
「へ?」
背後からの兄の呼びかけに、ヴィオラートは我に返った。
「あ、お兄ちゃん、どうしたの?」
「何をぼーっとしてるんだよ。スープが煮詰まっちまうぞ」
「あ!」
いつの間にか、スープをかき混ぜる手が止まっていたのだ。バルトロメウスは妹の手からしゃもじをひったくると、慣れた手つきで力強くかき混ぜはじめる。意外にも、バルトロメウスの料理の腕は確かだ。やる気になれば――という難しい条件付きだが。
そんな兄に、ヴィオラートは上目遣いで声をかける。
「お兄ちゃん・・・。ちょっと、ホーニヒドルフまでお使いに行って来ても、いいかな?」


カロッテ村がカナーラント王国の東の果てなら、ホーニヒドルフは西の果てである。
首都ハーフェンからつづら折の山道を何日もかけて登った先に、ハチミツの村として知られるホーニヒドルフはある。ここから西は険しい山岳地帯となっており、山賊の集団や凶暴な熊、さらに強い魔物が潜んでいる。そのため、さらに奥地へ入り込むのは、よほど腕に覚えのある冒険者だけだ。しかし、ホーニヒドルフには大きな養蜂場があり、芳醇で濃密なハチミツを特産しているため、それを求めてやって来る商人たちは引きも切らない。当然、護衛の冒険者たちも訪れる。
村の中央広場に面して、唯一の酒場兼宿屋『泉亭』とハチミツを扱う雑貨屋が軒を連ね、奥へ進むと大きな金網で囲まれたハチの管理小屋がある。金網の中では、無数のキュクロスバチが巣を作り、せっせとハチミツを貯めこんでいる。キュクロスバチは性質が荒く毒性も強いので、無闇に人が入り込まないよう、管理小屋の前には必ず番人が立っている。番人を務めているのは、生真面目な――別の言い方をすれば融通が利かない、一本気な青年グレゴール・ヴァッサーマンだ。常にきちんと正装して、冷静沈着に仕事をこなしている。
だが、今日はいささか様子が違うようだ。
いつもは背筋をぴんと伸ばしているグレゴールが、背を丸め、うつむき加減で地面に目を落としている。時おり頭を上げ、宙に目をさまよわせたかと思うと、大きなため息をついて再びうなだれる。これを、ずっと繰り返しているのだ。
ぱたぱたと軽い足音が近づき、グレゴールははっとそちらに目を向ける。見なくとも、相手が誰かは足音でわかる。訴えかけるような目で、おずおずと声を絞り出す。
「・・・ルディ?」
雑貨屋のカウンターでハチミツの販売を担当しているルディ・ヤッケは、エプロン姿で髪をピンクのリボンで結んでいる童顔の女性だ。ハチミツ用の空き瓶がいくつも入っているかごを抱えて現れたルディは、グレゴールには目もくれずに通り過ぎようとする。それを見て、グレゴールは目を伏せ、またため息をもらす。
とたんに、ルディが足を止め、くるりと振り返ると、つかつかとグレゴールに歩み寄る。口を引き結び、意志の強そうな黒い瞳に怒りとも苛立ちともつかない光を宿して、腰に手を当て胸をそらす。身長差が20センチ以上あるので、こうしないとグレゴールの顔をまっすぐに見据えることができないのだ。
「ルディ・・・」
「気安く呼ばないでよ!」
弱々しいグレゴールの声を、ぴしゃりとルディがさえぎる。
「何よ、さっきから見ていれば、遠くを見たりため息をついたり――。よっぽど重症の恋わずらいみたいね!」
「そうじゃない――。これは、違うんだ!」
なんとか説明しようとするグレゴールに、ルディは耳を貸そうともしない。
「ふん、あたし、忘れないわよ、あの時のグレゴールの顔。でれでれ鼻の下を伸ばしちゃってさ。よそから来たっていうだけで、女の人にあんなに親切にするなんて」
「だから、それは、あの女性は具合が悪いみたいだったから――」
「それで、優しく介抱したってわけね! あたしが風邪をひいた時も、あんなふうに優しくしてくれたことなんて、一回もないくせに!」
「そ、それは・・・」
「知らない!」
ルディは、抱えていたかごを武器のようにグレゴールに突きつける。中に並んだ空っぽのガラス瓶が、手荒な扱いに抗議するかのようにガチャガチャと音を立てた。
「この空き瓶にちゃんとハチミツを詰めて、夕方までに倉庫に収めておいて! 忘れるんじゃないわよ! じゃあね!」
ぷいと背を向けると、ルディは肩をいからせ、大またで事務所へと戻っていく。腹いせのような叫び声が、グレゴールの胸に突き刺さった。
「錬金術士なんて、大っ嫌い!」


グラムナートには、錬金術士は数えるほどしかいない。
そのひとり、アイゼル・ワイマールは、カナーラント王国中部の『妖精の森』にいた。
ザールブルグ時代から愛用しているピンクの錬金術服を身にまとったアイゼルは、樹齢数百年にもおよぶ『妖精の木』の木陰で日差しを避けながら、静かな午後を楽しんでいる――ように見えたが、実は心の中ではやきもきしていた。約束の日はとうに過ぎたのに、妖精パウルが森に戻ってくる気配はない。
「もう・・・。いったい何日、待たせたら気が済むのかしら」
幾星霜の風雨にさらされて滑らかになった老木の幹に背をもたせかけ、髪の毛をかきあげたり足を組み替えたりしながら、アイゼルはぶつぶつとつぶやく。
「まあ、あの妖精に時間を守らせるなんて、最初から無理だと思っていたけど。どうせ、あちこち寄り道しているのに決まっているわ」
穏やかな涼風が木の葉をそよがせ、こずえでは無数の小鳥がさえずる。シャリオ牛ののんびりとした啼き声や、あたりで遊びまわる妖精たちのはしゃぎ声が響いてくる。村に着いた頃はなにかとアイゼルにちょっかいを出してきていた地元の妖精たちも、飽きたのか、アイゼルの機嫌が悪くなっているのに気付いて敬遠したのか、今日はそばにも寄って来ない。
アイゼルが森のはずれにキャンプを張ってから、すでに3日が経過していた。つまり、パウルとの約束の日から、もう3日が経っているということになる。
「仕方がないわね、気長に待つことにしましょうか。さいわい、最近は何事も起きていないし」
アイゼルは腕組みをすると、身体の力を抜いてエメラルド色の目を閉じる。空気は美味しく日差しは温かで、そのまま眠り込んでしまいそうな気分だ。思いは、懐かしいザールブルグへと帰っていく。
(ノルディス・・・)
はっと目を開けると、心のつぶやきを誰かに聞かれたのではないかとでもいうように、わずかに頬を染める。もちろん、そばに誰もいはしない。日なたで元気に駆け回っている妖精たちの笑いさざめく声が、聞こえてくるばかりだ。その笑い声の中に、ひときわかん高い声が混じる。
「パウルだ〜。パウルが帰って来たよ〜」
「――!!」
アイゼルは弾かれたように身を起こすと、声が聞こえてきた方角へ走った。妖精の村の北側を流れる小川のほとりに出る。そこには、おそろいの緑色の服と帽子に身を包んだ、何人かの妖精に囲まれて、ひときわ目立ついでたちの妖精がふんぞり返っていた。服装は、ほかの妖精たちと同じだが、自分の身長よりも大きな剣を背負い、妖精には珍しいきりりとつり上がった太い眉が印象的だ。名実ともに“妖精最強の戦士”パウルである。知られている限り、戦士を名乗る妖精は世界にひとりしかいないのだから、パウルが自称どおり“妖精最強の戦士”なのは間違いないところだ。
村のあちこちからわらわらと集まってくる妖精たちをかきわけながら、アイゼルははやる心を抑え、ゆっくりとした足取りで近づく。仲間たちの迎えに笑顔で応えていたパウルは、アイゼルに気付くと、さらに得意げに胸を張った。
「あ、おばさん、今帰ったよ! どうだい、早かっただろう」
パウルの失礼な呼びかけに、頬がぴくりと引きつったが、アイゼルは余計な怒りを抑え込んだ。今は、パウルを怒るより、彼が持ち帰ってきたはずの手紙に関心がある。
アイゼルはひざまずくと、パウルと目の高さを合わせ、興奮をつとめて押し隠した落ち着いた口調で尋ねる。
「じゃあ、今回もちゃんと、ザールブルグへ行ってくることができたわけね」
「うん、もちろんだよ! ザルブルドッグは、オイラの庭みたいなものさ!」
遠距離を一瞬で移動できる能力を持っている妖精だが、その到達距離にはおのずと限界がある。ここグラムナートから、ストウ大陸の反対側にあたるザールブルグまで移動することは、普通の妖精には不可能だ。だが、行動でも考え方でも従来の妖精の常識を打ち破ったパウルならば、その遠距離でもこなすことができる。数ヶ月前のグラムナート動乱の際、パウルはザールブルグとの間の貴重な連絡役となってくれた。そして再び、アイゼルは、一足先にザールブルグへ戻った師のヘルミーナへ宛てた手紙を託し、パウルを送り出していたのである。もう一通の、私的な手紙とともに――。
「それで? 手紙の返事は預かってきてくれたんでしょうね?」
「ちょっと待ってくれよ。ええと・・・どこだっけ?」
身体のあちこちを探りまわっていたパウルは、ようやく、しわくちゃになった一通の手紙を引っ張り出す。
「はい、これ。ヘンナ先生からの手紙だよ」
受け取ると、アイゼルは手紙のしわを伸ばす。封蝋に押された印は、間違いなくヘルミーナのものだ。後で読むために、ポケットへしまいこむ。そして、期待を込めて、エメラルド色の瞳でパウルを見つめる。
「これだけじゃないでしょう? 他の人からも、手紙を預かってきてくれているのではなくって?」
「え? オイラ、知らないよ」
「何ですって!?」
たちまち、アイゼルの表情が剣呑なものに変わる。手紙を読んでくれたなら、ノルディスが返事をよこさないはずがない。ということは、パウルがアイゼルの手紙をノルディスに渡し忘れたか、返事を受け取ってくるのを忘れたに決まっている。
「いいこと? もう一度、思い出してちょうだい。アカデミーの誰かから、あたし宛に別の手紙を預かってきてはいない?」
魔物相手ならば一歩も引かないパウルだが、アイゼルの迫力には恐怖を感じたのか、思わず後ずさる。そして、なにかを思い出そうとするかのように、両手をむやみやたらと振り回す。
「ええと、ちょっと待ってよ・・・。そうだ、確かにアカデミーのなんとかいうお兄さんからも手紙を受け取ったよ。ええと、ノル・・・ノル・・・何だっけ?」
「ノルディスでしょう!?」
アイゼルが勢い込む。パウルはぱっと目を輝かせた。
「そうそう、そのノルデコお兄さんだよ。手紙は・・・ええと、どこへしまったっけ?」
「まさか、落としたとか忘れてきたなんていうことはないでしょうね!」
なぜ自分は“おばさん”なのにノルディスは“お兄さん”なのかと問い詰めるのも忘れ、アイゼルはなおもパウルに詰め寄る。パウルはまた一歩、後ろへ下がって、小川に転げ落ちそうになった。アイゼルが、あわてて袖をつかんで引き戻す。せっかくの手紙をびしょぬれにされてはたまらない。
「ああ、そうだ! 頭だよ、頭」
「へ? ノルディスの頭がどうしたっていうの?」
不吉な想像がはたらき、アイゼルは眉をひそめる。まさか、ノルディスの髪が早くも危機的状況になってしまったとでもいうのだろうか。
「ううん、違うよ」
パウルはかぶっている帽子の下へ手を入れると、もう一通、手紙を引っ張り出した。
「ほら、あった。大事なものだから、帽子の下に隠しておいたのさ。はい、おばさん、ノルデコお兄さんからの手紙だよ」
「見せて!」
ひったくるように受け取ったアイゼルは、封筒の表に書かれた宛名の筆跡を確かめる。間違いない。懐かしいノルディスの直筆だ。
「ありがとう。ご苦労様、パウル。これは少ないけど、お礼よ」
先ほどとは打って変わって優しい口調になり、アイゼルはポケットから紙袋を取り出す。中身は、ヴィオラートの工房を借りて調合しておいた『星砂糖』だ。
「わ〜い、甘いお菓子だ! ありがとう、おばさん!
アイゼルの目がぎろりと光った。
「ロートブリッツ!」
相変わらず学習能力のないパウルは、直撃をくらってひっくり返る。そこへ、鼻の利く仲間の妖精たちがわらわらと群がってきた。
「くんくん、おいしそうなニオイがするよ〜」
「あ、パウル、何をもらったの〜?」
「ボクたちにも分けてよ〜」
「ダ、ダメだよ。これはオイラがもらったセートーなホーシューなんだぞ!」
「ひとりじめなんて、ずるいよ〜」
「そうだそうだ、シノーコーショーじゃないか〜」
「ちがうよ〜、それを言うならシミンビョードーだよ〜」
『星砂糖』を奪い合う妖精たちの騒がしい声を背中に聞いて、早くもアイゼルは村はずれへと向かっていた。一刻も早く、ノルディスからの手紙を開封したい。
そして、ひとときの幸福にひたったら、その後は・・・。
いったん、カロッテ村へ戻らなければ。フィンデン王国から帰還後、気にかかることがあったので、アイゼルはヴィオラートたちと別れ、しばらくの間、カナーラント各地をひとりで旅してきたのだった。愛弟子のヴィオラートからも、7月下旬の誕生日までには戻ってきてほしいと言われている。
「ちょうどいいわ。少し早いけれど、ここの新鮮なシャリオミルクを持って帰ってあげましょう」
自然に足が速まる。誰にも邪魔されない、落ち着ける静かな場所を探しながら、アイゼルはつぶやいた。
「相変わらず、にぎやかなんでしょうね、ヴィオラーデンは」


閉店時間が近いヴィオラーデンは、静かなものだった。
「ああ、構わないぜ。店番は、俺がやっててやる。ホーニヒドルフへでもどこへでも行って来い、行って来い」
「へ? ほんとに、いいの?」
兄があまりにあっさりと許してくれたので、ヴィオラートは拍子抜けした気分だった。いつもなら、ヴィオラートが遠出したいと言い出すと、畑仕事が忙しいから店の面倒まで見られないとか、自分も一緒に連れて行けとか、文句たらたらで説得に苦労するはずなのだが。
ヴィオラーデンのレジカウンターに頬杖をついたバルトロメウスは、だらしなく上げた右手を振る。
「ああ、もちろんだ。だって、ホーニヒドルフで材料を調達しなけりゃ、美味いケーキが食えないわけだろう?」
「なんだ、そういうことか」
食い気が理由とわかり、ヴィオラートもあっさり納得する。ホーニヒドルフまで行かなければならなくなったのは、バースデーケーキの材料に欠かせない甘いハチミツが在庫切れを起こしていたためだ。本当に美味しいハチミツを手に入れたければ、現地まで行くしかない。
「じゃあ、さっそく明日にでも出発することにするよ。ハーフェンから先の山道では山賊や熊が出るから、ロードフリードさんとカタリーナさんに護衛してもらうことにするね」
「ああ、そうしろ、それがいい」
「うん、そうと決まれば、お願いに行って来る!」
善は急げとばかりに、ヴィオラートは張り切って飛び出していく。ドアベルがチリンと鳴った後、店は静寂に包まれた。その中で、カウンターにだらしなくもたれたバルトロメウスは、にんまりと笑みを浮かべている。頭の中では、自分勝手なシナリオが次第に膨れ上がっていった。
村長の孫娘クラーラ・バルビアは、一日一回はヴィオラーデンを訪れて買い物をする。ヴィオラートがいなければ、店を切り盛りするのは自分だけだ。忙しそうにてきぱきと働いて、真面目さをアピールするのが第一段階。そして、数日したら、働きすぎで疲れているという様子をさりげなく見せる。きっとクラーラは心配して、優しく声をかけてくれるに違いない。強がって見せるか、それとも優しさにすがるかは、その時の状況次第だ。どちらにせよ、同情したクラーラは、毎日お店を手伝ってくれるようになるはずだ。同情は、いつしか愛情へと変わり、そして・・・。ヴィオラートが旅から戻ってきたら、なにげない顔で宣言するのだ――「俺、結婚することにした」
バルトロメウスの目はとろんとし、口元はだらしなく緩んでいた。目を開けてはいるが、何も見えてはいない。かすかに頬を染め、おずおずと店に入ってきたお客の姿も――。
「あ、あの・・・」
夕食用の『マメのスープ』を買いに来たクリエムヒルト・ラードラーは、カウンター越しに声をかけようとした。だが、心ここにあらずといったバルトロメウスの様子に顔を曇らせ、ため息をついて背を向ける。たった今、共同井戸の前でヴィオラートと行き会い、バルトロメウスがひとりで店番をしていると聞いて、勇気を出してやって来たのだ。うまくいけば、世間話でもできるかも知れない。言葉は交わせなくとも、しばらくの間、一つ屋根の下でふたりきりの時を過ごすことができる・・・。内気なクリエムヒルトのそんな乙女心は、別の妄想にひたっているバルトロメウスには届かなかった。
クリエムヒルトは肩を落とし、何も買わずに足を忍ばせて店を出て行く。バルトロメウスのつぶやきが、彼女の耳に届かなかったのは幸いだった。
「ああ、クラーラさん・・・」


カロッテ村の中央広場に面した、ひときわ大きな村長の屋敷では、夕食の下ごしらえを終えたクラーラ・バルビアが、自室でほっとひと息ついているところだった。下働きのメイドはいるが、家事はできるだけ自分でこなすというのが、バルビア家の女性の伝統である。
落ち着いたたたずまいの寝室には、屋敷のほかの部屋と同じく、バルビア家に先祖代々伝わる古めかしい調度が置かれている。しかし、この部屋には、それに加えて、いささか珍妙ともいえる飾り物がいくつも鎮座していた。
マントルピースの上に置かれた“ぷにぷに”の石像に、額に入った“アジの開き”のレリーフ。悪夢を見そうな毒々しい色合いの大きな仮面が壁に掛かり、ベッドの脇には入れ子細工になった金属製のたるのミニチュアが転がっている。いずれも、少なくない金額を払ってクラーラ自身が買い求めたものだ。本人いわく、こんなにかわいいものはないとのことだが、祖父オイゲンやメイドたちは別の意見を持っているようだ。
これら異様なコレクションに囲まれて、うっとりと至福の時を過ごしていたクラーラだが、ノックの音にはっと我に返る。
「お嬢様、本日、届いた郵便物です」
メイドが一礼して去ると、クラーラは、届けられた手紙や書類にぼんやりと目を落とす。村の公務に関係した書類は、直接、村長である祖父オイゲンへ届けられる。クラーラの手元にあるのは、地元の婦人会から寄付を募る手紙や歌声サークルの会報、首都ハーフェンで開かれる展覧会の案内状などだ。
「え?」
何の気なしにながめていた一枚のチラシに、クラーラの目が釘付けになる。食い入るように文面に目を走らせ、顔を上げたときには、深みのある黒褐色のつぶらな瞳に熱病のような輝きが宿っていた。
「10日後、ハーフェンで・・・」
しばらくうっとりと思いにふけっていたクラーラは、意を決したように勢いよく立ち上がった。ロングスカートの裾を翻してドアへ向かう。廊下からリビングへ抜け、玄関の扉を開けようとしていると、食堂のテーブルからオイゲンが呼びかけてきた。
「どこへ行くのだね、クラーラ。もうすぐディナーの時間じゃぞ」
「ごめんなさい、おじいさま。ちょっとヴィオに会ってきます」
夕陽をあびて赤く染まる中央広場を、クラーラはヴィオラーデンの方向へ走った。思いは既に、ハーフェンへと飛んでいる。


首都ハーフェンの郊外、森に囲まれた高台に、白亜の豪邸がそびえている。カナーラントでも指折りの資産家にして、貴族の誉れ高きジーエルン家の本邸である。屋敷の南側に広がる緑の芝生の中央の噴水は清らかな水のアーチを描き、豊かな水をたたえる池では無数の水鳥が羽根を休めている。
玄関ホールの前には豪奢な四頭立ての馬車が乗りつけている。長距離の移動にも耐えられる作りになっている、ジーエルン家でも有数の馬車だ。馬も御者も元気いっぱいで、いつでも出発できる準備は整っている。
玄関の大扉が開き、旅装束に身を包んだ少女が飛び出してきた。旅装束とは言っても、ダンスパーティに行くよりは身軽な格好と言う方が正しい。身体のラインを強調したダークパープルのドレスにロングスカート、肩にはゆったりとしたローブをはおっている。リボンでとめた金髪の長い巻き毛を風にそよがせ、ブリギット・ジーエルンは御者に合図をして、馬車に乗り込もうとした。
「お待ちくださいませ、お嬢様!」
屋敷の中から追いかけてきた中年のメイド頭が、ステップに足をかけたブリギットに駆け寄り、すがるように叫ぶ。
「どちらへ行かれるのですか? いいえ、存じております、カルッテ村へ行ってしまわれるおつもりなのですね」
「カルッテ村ではなくて、カロッテ村です」
冷ややかに見下ろし、ブリギットが答える。
「お父様やお母様への義理は十分に果たしたわ。もうそろそろ、自由にさせていただいてもいい頃合だと思うの」
「そんな――? 旦那様と奥様がお留守の間に、お嬢様がお屋敷を出て行かれたとあっては、わたくしどもは旦那様に申し訳がたちません」
今日、ブリギットの両親は、二週後に迫った、年に一度の『ハーフェン掘り出し物市』という骨董市の打ち合わせに出かけている。母親は骨董市の運営委員会の理事で、父親は後援しているハーフェン商工ギルドの顧問なのだ。
「お手紙は残しておいたわ」
そして、ブリギットは心の中で付け加える。
(顔を見たら、カロッテ村へ戻る決心が鈍ってしまいそうですもの)
フィンデン王国の争乱が治まり、カナーラント王国から援助の手が次々に隣国へ伸ばされ始めると、ブリギットはカロッテ村からいったんハーフェンの実家へ戻った。カナーラントきっての資産家であるジーエルン家はフィンデン王国の通商ギルドとの関係も深く、当主であるブリギットの父親は支援物資の調達や運送の手配など、てんてこまいの忙しさだった。親思いのブリギットは、少しでも手助けをしたいと考えて実家へ戻ったわけだが、大忙しの日々が一段落しても、両親はブリギットを放そうとしなかった。今さら、カロッテ村へ帰る必要はないだろう、というのだ。
両親の言い分もわかる。
もともと、都会育ちのブリギットが辺鄙なカロッテ村へやって来たのは、生まれつきの肺の病気には、空気がきれいな土地への転地療養がいいと医者に勧められたからだ。そのために、ジーエルン家はわざわざ突貫工事でカロッテ村に立派な屋敷を建てたほどだ。カロッテ村へ来てからも、病状は一進一退を繰り返したが、ついに錬金術士ヴィオラートが調合してくれた薬のおかげで、難病を封じ込めることができた。病気を治すという本来の目的を達成したわけだから、もうカロッテ村で過ごす必要はないだろう、ハーフェンで一緒に暮らせばいいではないか――そう両親は言う。
たしかに、両親の見方は一面では正しい。ずっと離れていた後、ともに日々を過ごして、ブリギットも自分が家族を深く愛していることに改めて気付いていた。そして、両親が一人娘へ注ぐ、掛け値なしの愛情も。
――でも、お父様もお母様もご存じないことがある。
カロッテ村には、家族に負けず劣らず――いや、家族以上に大切な友人たちがいるのだ。これからも、一緒に歩んで行きたい人々が――。今度、帰って来る時には、あの人を両親に紹介することができるかもしれない。きっと、そうなる。そうしてみせる。
「さあ、出発しましょう!」
涙ながらに訴えかけるメイド頭を振り切り、馬車に乗り込むと、ブリギットは御者に命じた。
「はあっ!」
御者が鞭を鳴らし、四頭立ての馬車はゆるゆると進み始めた。うねりながら丘を下る道は、ハーフェンの北を回り込むようにして王国横断道に合流する。広い街道に出ると、北へ向かって馬はだく足となった。
きりりとした表情で、窓の外を流れる景色を見つめ、ブリギットはつぶやいた。
「もうすぐですわ。ブリギットが、あなたのおそばへ参ります。じき、お目にかかれますわね、ロードフリードさま・・・」


ロードフリードは、カロッテ村の酒場『月光亭』の裏手の空き地にいた。
女性と二人きりだった。しかも、ふたりとも荒い息づかいをし、肌は汗にまみれていた――と聞けば、ブリギットならば目をつり上げて詰め寄ったかもしれない。だが、真実は色気のかけらもないものだった。
「てえい!」
「どりゃあ!」
気合のこもった叫びとともに、剣がぶつかり合う鋭い音が響く。一撃必殺の長剣と、変幻自在の円月刀がからみ合い、打ち下ろし、なぎ上げ、突き、受け流すたびに、熱い汗が飛び散る。ふたりの剣士は、互いの技のすべてを出し切って戦っていた。片方が軽やかなステップを踏んで隙をうかがえば、一方はどっしりと構えた最小限の動きで相手の出方を見切る。
褐色の虎と、白き龍――広場の端から声も出せずに見守るヴィオラートには、そんなふうに見えた。 ひとわたり互角に剣を交し合ったふたりは、一瞬、飛び下がって間合いを取る。
「いざ、参る!」
「おう!」
褐色の虎――マッセン出身の女剣士カタリーナ・トラッケンは、円月刀を構えると、地を蹴って突進する。
白き龍――かつて竜騎士隊幹部候補として将来を嘱望されたロードフリード・サンタールは、大地に足を踏みしめ、長剣を縦に構える。
一瞬、右にステップを切ったカタリーナがジャンプし、振りかぶった円月刀を袈裟懸けに振り下ろす。そして、身を丸くして下り立つと同時に、反動を使って今度は斜めになぎ上げる。
「アイン――ツェル――カンプ!」
並みの相手ならば、古の剣聖が編み出した最終奥義の前に、ずたずたに切り裂かれていただろう。
だが、ロードフリードは完璧なブロッキングで防いでいた。
マントをひるがえし、くるりと向き直ったカタリーナが、剣を収め、口元に笑みを浮かべる。
「ありがとう。いい練習になったわ」
ロードフリードも乱れた髪をかき上げると、礼儀正しく一礼する。
「こちらこそ。久しぶりに、いい汗をかかせていただきました」
「すごいです! ふたりとも――」
拍手しながらヴィオラートが近づくと、ロードフリードが照れたような笑みを浮かべる。
「やあ、ヴィオ、見てたのか」
「あら、なにか用?」
放浪の女剣士カタリーナは、いつも通り、つかみどころのない飄々とした表情だ。
ヴィオラートはすぐに用件を切り出す。
「はい、そうなんです。ホーニヒドルフまで行きたいので、おふたりに護衛をお願いできないかと思って」
「ああ、俺なら構わないよ」
ロードフリードがうなずく。カタリーナはすまなそうに首を振った。
「ごめんなさい、ついさっき、酒場の紹介で、別の護衛の仕事を引き受けてしまったのよ」
「はあ、そうだったんですか・・・。それじゃ、仕方ないですね」
ヴィオラートは上目遣いに考え込む。
「もうひとりは、どうしようかなあ。お兄ちゃんにはお店番をしてもらわなきゃいけないし、アイゼルさんが戻ってくるのは、もう少し先だろうし・・・」
「そうだな・・・。何だったら、ハーフェンまでは俺とヴィオとふたりでも大丈夫じゃないか? ハーフェンまで行けば、雇える相手もたくさんいるだろう。ハーフェンから先は、盗賊や強い魔物が多くなるから、もうひとり護衛は必須だけれどね」
ロードフリードの提案に、ヴィオラートも目を輝かせてうなずく。
「なるほど! 今はブリギットもハーフェンにいるし、ダスティンさんやローラントさんも――」
「そういえば、ローラントさんも久しぶりにフィンデン王国から戻ってきているみたいだな」
戦乱で疲弊したフィンデン王国を支援するために、カナーラント王国の竜騎士隊は交替で隣国へ派遣されている。ロードフリードの騎士精錬所時代の先輩で、今や竜騎士隊ドラグーンの中隊長を務めるローラント・オーフェンも動乱直後のフィンデン王国へ向かい、救援部隊の指揮を執っていた。だが、今は任期を終えてハーフェンのドラグーン本部へ帰還しているはずだ。
「そうですね。ローラントさん、元気なのかなあ・・・あれ?」
そのとき、ヴィオラートは、広場の向こうで手を振って呼びかけているクラーラに気付いた。


「ああ、私は元気いっぱいだよ。だが、休めという上官の命令だからな、こうしてありがたく休暇を楽しませてもらっているわけだ」
首都ハーフェンの中央広場に面した酒場『渡り鳥亭』のカウンターで、ワインのグラスを傾けながら、ローラント・オーフェンは女主人のディアーナと世間話に興じていた。ディアーナ・ホルンは、美貌と気風のよさで常連客に人気が高いが、今は店が暇な時間帯ということもあり、ずっとローラントの相手をしてくれている。ローラントもまんざらではないらしく、フィンデン王国での体験談をひとくさり披露したところだった。
「そう。噂でしか聞いていないけれど、メッテルブルグは大変な騒ぎになっていたらしいわね」
「ああ、まったくだ。幸い、ハーフェンでは未然に防げたが――」
ローラントははっと口をつぐむ。動乱のさなか、カナーラント王室やドラグーン本部がひそやかな侵略を受け、存亡の危機に見舞われていたことは、竜騎士隊の最高機密だ。ディアーナは意味ありげに眉を上げてみせたが、何も口にしない。ローラントも安心したように軽くうなずいた。
(この女店主は、信用できる――)
ディアーナのところには、表のものと裏のものとを問わず、ありとあらゆる情報が集まってくると言われている。言うべき時と、口をつぐむべき時を心得ている――それこそが、ディアーナが信用されている所以である。
「そういえば、非番のところ悪いけれど、あなたを見込んで伝えておきたい情報があるのよ」
ディアーナが声をひそめる。ローラントはとたんに背筋を伸ばした。こういうときのディアーナは、間違いなく竜騎士隊も知らない重要な情報をつかんでいる。
「テュルキス山道からアルト山麓街道にかけて、盗賊団の動きがひどく活発化しているらしいわ。ホーニヒドルフ周辺で、怪しげな連中を見たという旅人や商人が激増しているの。実質的な被害は増えていないようだけれど、とにかく異常な情勢よ。厄介なことが起きる前兆でなければいいのだけれど」
「うむ、わかった」
ローラントは重々しくうなずいた。たしかにフィンデン王国救援に部隊を割かなければならなかったため、北西部の山岳地帯を根城とする山賊の監視は手薄になっている。竜騎士隊に届く被害報告は、これまでのところ目立った上昇は見られない。しかし、公式な情報よりも世間の噂の方が正鵠を射ているのはままあることだ。
「特に目立つのは、テュルキス盗賊団の連中よ。大々的に移動しているみたい」
ディアーナがワインを注ぎながら、付け加える。
「そうか、やつらが動き出したか」
ローラントはグラスを覗き込み、考え込む。テュルキス洞窟を根城とする盗賊団はヤグアールと呼ばれ、カナーラント西部の山岳地帯でもっとも人数が多く、手口も荒っぽい。旅人たちに怖れられている悪名高い連中だ。カナーラントの治安を守るためには、そのような輩は厳しく取り締まる必要がある。だが、フィンデン王国支援に全力を挙げている現在、ドラグーンが大がかりな山賊の討伐行動をとるのは難しい。
まずは、もっと詳しい情報を集めることだ。グラスを置くと、ローラントは心を決めた。
「ここはひとつ、テュルキス洞窟を探ってみる必要がありそうだな」


“彼”は不意に目覚めた。
目を開くと、松明に照らされた岩の天井が見える。
ゆっくりと身を起こし、周囲を見回す。窓はない――いや、“彼”は窓というものを知らない。
この部屋には、たしかに見覚えがある。壁際に置かれたけばけばしいサンゴの置物や、意味もなく立ち並ぶ古典様式の大理石の柱など、すべての調度が“彼”の美的感覚に訴えかけてくる。
中央の壁際にそそり立つ剣士の像――どうやら“彼”自身がモデルのようだ――の台座には、自分の手で刻み込んだ座右の銘が燦然と光っている。
『ねばーぎぶあっぷ! 負けても諦めるな! お前は強い! あんたが大将!』
いつから自分がここにいるのか、これからどうなるのか――。それはまったくわからない。“彼”にとっては無意味なことだった。
ただ、無限の繰り返しがあるのみ。
いくつもの戦いがあった。
この聖域に足を踏み入れて来る者は、すべて敵だ。
ほとんどの敵は、“彼”の剣技の前に斃れ、再び目の前に現れることはない。
しかし、“彼”も敗れることがある。敗れれば、“彼”はいっとき、無に帰す。
それでも、“彼”が死ぬことはない。
しばらく眠りに就いた後、甦るのだ。そう、たった今のように。
記憶が空白となる直前に目にした敵の姿が、意識に浮かび上がってくる。おそらく、その相手が“彼”を打ち倒したのだ。
敵は、女だった。見慣れぬ異国風の服とローブを身にまとい、杖を振りかざした女だ。怪しげな術を操っていた。護衛だろうか、男も一緒にいたような気がする。
甦った時、“彼”は常に新たな力を得ている。倒されれば倒されるほど、“彼”は強くなる。
だが今回は、なにかが違っていた。
これまでにない強烈な力が、身体全体にみなぎっている。すべてが、新しく生まれ変わったかのようだ。
堅い寝台から立ち上がり、腰の剣をすらりと抜く。手にしっくりと収まった剛剣から、無限の力が流れ込んでくる。
私は、無敵だ――そう直感した。早く、戦いたい。この大いなる力を敵に叩き付けたい。
胸に突き上がってきた熱き衝動を、“彼”は激しく宙にぶつけた。気合を受けただけで、岩壁が震え、砕けたかけらが飛び散る。
『究極の用心棒』の雄叫びが、テュルキス洞窟に響き渡った。


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