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恋のアトリエ・ドミノ Vol.14


第14章 第二の物語(7)

グラムナート地方は、火山地帯である。
もっとも有名なのは、フィンデン王国北部にそびえるボッカム火山だ。定期的に繰り返される噴火は、国家の重要な行事や季節の移り変わりを先触れする風物詩で、地底で荒れ狂う溶岩は炎の竜ボッカムドラゴンの伝説となって昔から人々の間に語り継がれている。
地下の火山脈は南のカナーラント王国へも伸び、王国南部の二月湖周辺に大きな温泉地帯を形作っている。また、古代遺跡ヴェストリヒナーベルの地下通路では、煮えたぎる溶岩が噴出して探索者の行く手をはばむ。カナーラントの火山地帯は、現在では王国南部に集中しているが、かつては北西部のゾラ山脈一帯にも大規模な火山活動があったようだ。その名残が、ごつごつとした岩山に穿たれた多くの天然の洞窟である。岩盤の脆弱な部分を貫いて噴き上がった溶岩は、迷路のような長大な洞窟をいくつも残し、その中には指先程度の太さのものから、優に人間が歩き回れるほどの広さを持つものまである。
いつしか、そのような洞窟は、世間から潜み隠れていたい類の人々や、お天道様の下を歩けない、まっとうでない生業の連中の隠れ家として利用されるようになった。そして、悪名高い盗賊団ヤグアールが根城に選んだ自然の城砦こそが、テュルキス洞窟だった。
テュルキス洞窟の内部は大きく二層に分かれ、中心となる通路からはいくつもの枝道が分岐して、広くなった部分が盗賊たちの倉庫や厨房、待機場所、寝室などに使われている。侵入者を迷わせることだけを目的とした迷宮や、罠が隠されたダミーの通路もある。地表から入ったばかりの第一層は下っ端の盗賊が数多く守りを固めており、そこを突破して第二層へ下りても、鍵のかかった扉や、戦闘の専門要員である選りすぐりの親衛隊、剣技の秘術を心得た凄腕の用心棒などが待ち構えている。ヤグアールが長年にわたって盗み集めた貴重な財宝や武具を手に入れようとすれば、それらの障害を突破して最深部の宝物庫に侵入しなければならない。だが、宝物庫の入口までたどり着いたとしても、複雑なギミックを解明して扉を開くのに成功しない限り、罠にはまってひどい目に遭い、ほうほうの体で逃げ帰ることになる。

「静かですね・・・」
森の中にいた時と同じ言葉が、何度もヴィオラートの口から漏れ、洞窟の岩壁にかすかに反響する。
ロードフリードとローラントは無言だ。
一定の間隔で岩壁に取り付けられた松明が炎を上げて燃え、揺らぐ炎に合わせて3人の影が踊る。自然に穿たれた大小の穴が岩壁を貫いて外部と繋がっており、空気の流通が十分にあるため、この程度の松明が燃えても酸欠になることはない。
かつてヴィオラートは何度か、先輩錬金術士アイゼルや女性冒険者カタリーナと一緒にテュルキス洞窟を探索し、宝物庫へ迫ったことがある。竜騎士隊のローラントですら足を踏み入れたことのない、ヤグアールの心臓部だ。ただし、その時は宝物庫の扉を開くことには失敗した。その代わり、逃亡した盗賊団の首領の捨てゼリフに応えて出現した“センセイ”と呼ばれる敵と戦い、苦闘の末に倒している。
以前に洞窟を探索したときは、角をひとつ曲がるたびに敵が飛び出してきたし、扉を開けた先には必ず罠が待ち受けていた。
ところが今回は、洞窟内はしんと静まり返っており、動くものの気配すらない。トンズラとボヤッキーには森の中で待っているように言い含め――もちろん、おとなしく待っているとも思えなかったが、逃げられたとしても行き先は知れている――、岩壁にぽっかりと口を開けたテュルキス洞窟の前に立ったときは、内部で待ち構えている未知の危険を前に身も心も引き締まる思いをしたものだが、今は拍子抜けした気分だ。
「あのふたりも案内役として連れて来るべきではなかったでしょうか」
左に折れる通路へ入り込んだロードフリードが、周囲を見回しながら言った。
「かも知れん。だが、あの連中の言ったことが100パーセント信用できるとも限らない。大掛かりな罠が待ち受けている可能性も考えられるからな」
とはいえ、ローラントの口調からは、自身そのような可能性を考えているとは感じられない。
「あのふたり、嘘はついていないと思いますよ」
通路の片隅に転がっていた宝箱をあらためながら、ヴィオラートが言った。宝箱は空だったらしく、小さくため息をついてその場に戻す。先ほどから、通路のあちこちに宝箱――またはその残骸――が落ちているが、中身が入っていたのはひとつもない。
「なんか、誰かがアイテムを根こそぎ持って行っちゃったみたい」
ヴィオラートのつぶやきに、ふと思い当たって、ロードフリードが尋ねる。
「じゃあ、洞窟を襲った“悪魔”というのは、アイテムを欲しがって、盗賊団を追い出したということかい? まるでヴィオみたいだな」
「あ、ひどい、ロードフリードさん。あたしは、そんなアコギなことはしませんよ」
言いながら、ヴィオラートは瓦礫の隙間でなにかが光っているのを目ざとく見つける。素早く駆け寄ると、何枚かの金貨を拾い上げていそいそとポケットに収めた。それに目を止めたローラントがつぶやく。
「強盗と火事場泥棒とでは、どちらが阿漕なのだろうか」
「はい? なにかおっしゃいましたか、ローラントさん」
とげのあるヴィオラートの声に、ローラントはさりげなく目をそらした。
「いや・・・ひとりごとだ。気にしないでくれ」
「ですが――」
ロードフリードが真面目な口調で言う。
「もしも、“悪魔”の行動がアイテム目当てだとしたら、盗賊が言ったような超自然の存在ではないのかも知れませんね」
「うむ。だが、私としてはその方がありがたい。剣が通用しない相手となると、いささか難渋することになるからな」
いわゆるスピリット系の魔物やゴーストには、剣による物理攻撃はほとんど効かない。腕自慢のローラントにとって、苦手な相手だ。
「あ、その時はあたしに任せてください。『暗黒水』も『ラアウェの写本』も、在庫は十分にありますから」
ヴィオラートが、“アイテム取り寄せ”効果のある『秘密バッグ』をまさぐりながら、自信たっぷりに言う。このバッグはカロッテ村にあるヴィオラーデンのコンテナと超次元的に繋がっており、別の場所にいながら、コンテナ内のアイテムをすべて取り出して利用できるのだ。
「回復アイテムも頼むよ、ヴィオ」
ロードフリードの言葉に、ヴィオラートはにっこりする。
「はい、在庫を確認してみますね。ええと――」
バッグを覗き込んだヴィオラートは、つぶやきながらアイテムの在庫を数え上げていく。
「完全回復効果の『エリキシル剤』は数が揃ってますから、いざという時でも大丈夫ですね。それから――と。・・・あれえ、『アルファルの糧食』がかなり減ってるなあ。お店で売れたんならいいけど、まさか、お兄ちゃんがつまみ食いしたんじゃ――」
「あはは、バルテルならやりかねないな」
ロードフリードが笑った。
「でも、大食いのお兄ちゃんがいくらつまみ食いしたとしても、こんなに減るわけないですよね。おかしいなあ」
バッグから顔を上げたヴィオラートは、釈然としないようだ。もちろん、バルトロメウスが旅の食糧にするために大量に持ち出していたわけだが、兄が店番をしていると思っているヴィオラートは、知る由もない。
「おい、こっちを見てみろ」
先に立って進んでいたローラントが、ふたりを差し招いた。ヴィオラートはちょこんと身をかがめ、ロードフリードはがっしりしたローラントの肩越しに覗き込む。
「うわあ・・・」
「こいつは、ひどいな」
そこは、行き止まりになった岩の通路が末広がりになった空間だった。ヴィオラートも、以前に探索したときに足を踏み入れたことがある。粗末だが頑丈に作られた二段ベッドが整然と並び、下っ端の盗賊たちが集団で寝ていた場所だが、今は惨憺たる有様だった。入口近くで、なにか大きな爆発があったかのように、木製のベッドはばらばらになって奥の岩壁沿いに折り重なり、焼け焦げてなかば灰になっている部分もある。飛び散った金属のかけらがえぐったのだろうか、左右の岩壁にもまだ新しい傷跡が無数につき、煤やなにかの燃えかすがこびりついている。ボヤッキーの話に出てきた拠点兵長が休んでいて、不意打ちをくった部屋というのは、もしかしたらここのことかも知れない。
(非番で寝ていたら、いきなりドカンと来て、それっきりだ・・・)
「いったい、何が――」
ひとりごとのように問いかけるロードフリードに、ローラントも肩をすくめる。
「わからぬ。ドラゴンが炎を吹いたのかも知れん。何者かが爆弾を破裂させたのかも知れん。少なくとも、そのときにこの部屋にいたくはなかったな。第一、逃げ道がない」
「そうですね。・・・どうした、ヴィオ?」
焼け焦げた天井を見上げていたロードフリードは、幼馴染がベッドの残骸に身をかがめて、しきりに首を振っているのに気付いた。
顔を上げたヴィオラートは、首をかしげる。
「このにおい、どこかでかいだ覚えがあるんです」
「たしかに、焦げ臭いな。だが、なにかが燃えれば、どこでも似たようなにおいがするものだろう?」
「そうなんですけど、でも・・・」
ローラントの言葉にも、ヴィオラートの表情は浮かないままだ。
「ここにいても、これ以上のことはわからないな。先に進もう」
ロードフリードがあらためて先頭に立つ。ローラントに続き、荒れ果てた光景を振り返りながら、ヴィオラートも出て行った。

第一層を隅々まで調査したが、生きている者はおろか、誰かが潜んでいる痕跡すら見つからなかった。分岐点に立っている看板――中には危険な場所へと導く罠もある――も、あるものは途中から折れ、あるものは黒く焼け焦げており、道しるべの役を果していない。ヴィオラートが以前来たときに作っておいた簡単なマップにしたがって、端から端まで調査して回る。罠しかないとわかっている通路にも入ってみたが、魔物が潜んでいるはずのダミーの宝箱が、部屋の隅にひっくり返っているばかりだった。
迷いやすいジグザグの通路を抜け、第一層の東南の端へたどり着くと、地下の第二層へと通じる岩の階段がある。
ロードフリードを先頭に、急勾配の階段を慎重に下りて行くと、踊り場のような空間に出た。天井は第一層よりも低く、厚い岩盤が圧迫感をもって迫って来る。
「ここも、破壊されてます・・・」
洞窟内の地理にはもっとも詳しいヴィオラートがつぶやいた。
通常ならば、西側へ向かう唯一の通路は頑丈な岩の扉でさえぎられており、第二層への侵入者を厳しく阻んでいるはずだ。ヴィオラート自身、初めて来た時には手持ちの爆弾やブリッツスタッフでは破壊できず、諦めて退散したものだ。
だが、今は厚い玄武岩の岩扉は跡形もなく壊され、大小の破片が階段のたもとや通路の先に飛び散っている。何者の――いや、何物の仕業かはわからないが、すさまじい破壊力だ。
「この奥に、“悪魔”が――?」
あらためて、ロードフリードが引き締まった表情で、ぽっかりと開いた通路を見やった。
「うむ。油断を怠ってはならんぞ」
うなずいたローラントはヴィオラートを振り向き、念を押す。
「よいな、敵が強大すぎると感じたら、ためらわず退却するのだ。私の命令に従ってくれ。決して無理と無茶を混同してはならんぞ」
「はい」
ヴィオラートは素直に返事をしたが、先に立って通路の奥へ踏み込んで行くローラントの背後で、ロードフリードにささやきかける。
「ローラントさん、いつになく慎重ですね。あんなに心配性の人じゃなかったんだけどなあ」
ロードフリードは微笑んで答える。
「守るべきもの、失いたくないものがあると、人は慎重になるものさ。――無鉄砲になる場合もあるけれどね」
「へ? 何ですか、それ」
「まあ、いいじゃないか。ヴィオも大人になれば、わかるよ」
「あ、また子ども扱いする――!」
「さあ、行こう。謎を解きたいんだろ?」
ふくれるヴィオラートをうながして、ロードフリードは先輩竜騎士の後を追った。


テュルキス洞窟の第二層は、第一層ほど構造が複雑ではない。
西へまっすぐ延びる通路をしばらく進むと、北側へ向かうふたつの分岐がある。分岐へ行き着くまでの通路には親衛隊や用心棒など腕自慢の盗賊が次々に出現するし、手前の分岐の先には複雑なギミックで守られた宝物庫があり、奥の分岐の先には“最後の切り札”とヤグアールの首領が呼んだ手強い敵が待ち受けているはずだ――普段ならば。
「やはり、あの出納係の盗賊が言った通りのようだな」
通路の壁や天井には、生々しい傷跡が無数に刻まれ、焼け焦げたすすがこびりついている。床のそこここで、壁や天井から崩れた岩屑が山をなしており、歩きにくいことこの上ない。歩きながら、ローラントもロードフリードも足と剣で、転がっている瓦礫を脇に押しやってまとめ、邪魔にならないようにしている。奥でなにかあった場合の、逃走経路を確保しているのだ。戦うにせよ逃げるにせよ、石ころや岩屑に足を取られたりしては話にならない。
「あれ? これって・・・」
ふたりの真似をして岩屑の山を脇にのけていたヴィオラートが、声をあげた。岩の床からなにかを拾い上げる。
「どうした、ヴィオ?」
ロードフリードがヴィオラートの手許を覗き込む。虹色をしたゼリー菓子のような半透明の丸いものが、ヴィオラートの手の平でかすかに揺れている。
「何だ、そのぷよぷよした玉は?」
「ローラントさん、惜しい! 『ぷよぷよ玉』じゃなくて、『ぷにぷに玉』です」
ローラントの問いかけに、ヴィオラートはにっこりして答えたが、すぐに首をかしげる。
「でも、なんでこんなところに落ちてるんだろう?」
天然自然の状態では、『ぷにぷに玉』は魔物の体内にしかない。しかも、『ぷにぷに玉』を宿している比較的弱い魔物ぷにぷには低地帯に多く、テュルキス洞窟や付近の森林地帯には生息していないはずだ。『ぷにぷに玉』は錬金術の調合材料として、『生きている』属性を付加するために重宝されている。
「では、それがなぜ、こんなところにあるのだ?」
ヴィオラートの説明を聞いたローラントが、顔をしかめる。説明がつかないことがまた増えたため、苛立ちを隠せないようだ。
「手がかりになるかもしれません。ヴィオ、なにか考えはないか?」
ロードフリードがヴィオラートを見やる。
「ええと、『ぷにぷに』がここまで侵入して、誰かに倒された可能性もありますけど、そうは思えませんね。あと考えられるのは、妖精さんの行商人が売り歩いているのを買い込んだとか、誰かが持ち歩いていて、ここで落としたとか・・・」
あごに手を当てて、ヴィオラートがつぶやく。
「盗賊どもが盗んで貯め込んでいたのではないのか?」
ローラントの言葉に、ヴィオラートは肩をすくめて首を振った。
「盗むわけがないですよ。盗賊には何の値打ちもないんですから。こういうアイテムを大事に持ち歩いているのは・・・。――あ!」
上目遣いで何事か考えをめぐらせていたが、やがてはっとしたように表情が引き締まった。
「どうした、ヴィオ?」
「なにかわかったのか? こういう代物を持ち歩いているのは、何者だ?」
ローラントが勢い込んで訊く。
「錬金術士・・・です」
愕然として、ヴィオラートが答えた。
「それじゃ、“悪魔”の正体というのは――」
ロードフリードが息をのんだ。
だが、3人が口を開こうとする前に、洞窟の最奥部からすさまじい咆哮が沸き起こり、岩壁をびりびりと震わせて響き渡った。


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