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恋のアトリエ・ドミノ Vol.17


第17章 第一の物語(1)

「そもそもの始まりは、イングリド先生からの手紙だったのよ」
『アルファルの糧食』をほおばりながら、マルローネが言った。
ここはテュルキス洞窟の第一層でもっとも広い空間である。元々は盗賊団の待機場所だったらしいが、数週間前にマルローネが破裂させたメガフラムの爆風のため、調度類はすべて奥の壁際に吹っ飛ばされ、岩の床はがらんとしている。中央で火をおこし、それを囲むようにして、総勢8名は思い思いの格好で腰を下ろしていた。
外は、もうとっぷりと日が暮れている。はからずもテュルキス洞窟前で再会した8人は、動かなくなった『究極の用心棒』を洞窟の奥へ運び込み、ようやくひと息ついているところだった。普通では大の男が何人かかっても運べない重さの巨体も、アイゼルとクライスが持っていた『グラビ結晶』のおかげで、簡単に持ち運ぶことができた。
たき火をおおうように、瓦礫を器用に組み合わせた急ごしらえのかまどが作られ、かけられた鍋からシチューから美味しそうなにおいが立ち昇っている。ヴィオラートとバルトロメウスの兄妹が調理した心づくしのシチューだ。お湯も沸いており、アイゼルが淹れたハーブティーの香りも漂う。
マルローネががっついている『アルファルの糧食』は、バルトロメウスが勝手に持ち出してきたヴィオラーデンの在庫の残りだ。店の在庫を無断で持ち出され、食べつくされてしまったヴィオラートは怒り心頭だったが、代金をブリギットがまるまる支払うことで話がついた。もちろん、代わりにバルトロメウスは、ひと夏、カロッテ村のジーエルン屋敷の庭で草むしりのただ働きをすることになっている。
マルローネの後ろには、落ち着いた表情のクライスが控え、ローラントとロードフリードはまだ眠そうに、岩壁に寄りかかっている。ブリギットはかいがいしく、ロードフリードにシチューの給仕をし、アイゼルはマルローネの近くに腰を下ろしてハーブティーをすすっている。バルトロメウスとヴィオラートは、料理の味と火加減を気にしながら、マルローネの話に耳を傾けようとしている。
「その手紙というのは、これよ」
マルローネはアイゼルに一通の手紙を差し出した。
グラムナート動乱のさなかと、騒ぎが収拾された直後、ザールブルグとグラムナートの間で何度か手紙がやり取りされた。はるか大陸の反対側まで一瞬で移動する能力を持っていた妖精パウルがメッセンジャーとなり、ザールブルグ・アカデミーに残っていたイングリドとフィンデン王国に来ていたヘルミーナとの間をはじめ、何通もの手紙が行き来した。その中に、イングリドから愛弟子のマルローネに宛てた手紙もあったのだ。
内容をかいつまんで言えば、こういうことになる。
――冒険して見聞を広めるのもいいけれど、そろそろあなたも研究論文のひとつくらい、発表してもいい頃だと思います。グラムナートを旅する間に研究テーマを見つけて、論文を仕上げてみてはどうかしら? いい協力者もついていることだし、今度ザールブルグへ戻るときには、素晴らしい論文を見せてもらえることを期待しています。もし、その期待に違うようなことがあったら――
「――わかっていますね?」
末尾の部分だけをアイゼルが声に出して感情を込めて読むと、「ひっ」とマルローネは首をすくめた。相変わらず、師のイングリドの小言は苦手らしい。アイゼルはくすっと笑った。
「それで、『究極の用心棒』――自律成長型ホムンクルスをテーマに決めたわけですか」
「ううん、それは後で考え付いたんだよ。最初は別のテーマだったから」
マルローネの言葉に、アイゼルはいぶかしげに眉をひそめる。クライスは肩をすくめると、つぶやいた。
「あれはまったく、マルローネさんらしいテーマでしたよ」
「うん、最初に思いついたテーマは、『爆弾のバリエーション』だったんだ」
空色の瞳を輝かせて、マルローネは言った。

きっかけは、グラムナート動乱だった。
ある作戦の必要上、ヴェルン郊外の森に隠された魔法陣の遺跡を確保しなければならなくなったのだ。遺跡を警備している敵の兵士を追い払うため、マルローネは2種類の新型爆弾を使い、作戦はほとんど完璧な成功を収めた。このとき使われたのが、旅の途中で開発した『墨クラフト』と『蜂クラフト』だった。
錬金術の世界で知られている爆弾は、その成り立ちから大きく二系統に分かれる。天然素材を活用する『クラフト』系と、火薬を主原料とする『フラム』系だ。
『フラム』は火薬の爆発を利用した本格的な爆弾で、火薬の量を増やすことで破壊力が増加していく。現在のところ、この系列で知られている最強の爆弾は『テラフラム』だ。
一方『クラフト』は、衝撃を与えると激しく種を飛び散らせる木の実『ニューズ』を基本材料としている。そのままでも簡単な天然の爆弾として使える『ニューズ』を袋に詰め込んで圧縮し、破壊力を増したものが『クラフト』である。純粋に『ニューズ』だけを詰め込めば普通の『クラフト』が出来上がるが、『ニューズ』以外の材料を加えることで、これまでにもいくつかのバリエーションが開発されていた。ザールブルグ・アカデミーが創立された当時の錬金術書にも、とげが鋭い『うにゅう』を組み込んだ『うにクラフト』、『毒きのこの粉』を仕込んだ『きのこクラフト』などのレシピが記されている。
ヴェルンの森の戦いでマルローネが使った2種類の爆弾も、『クラフト』の応用だった。中でも『蜂クラフト』は、凶暴なキュクロスバチを仮死状態にして詰め込み、弾け飛んだ瞬間に息を吹き返した蜂が相手を襲うという強力な生物兵器爆弾で、そのアイディアにはヘルミーナさえ感心したものだ。
それに気をよくしたマルローネは、思いつく限りの材料を『クラフト』に追加して、様々な効果を持った爆弾を開発し、イングリドから課せられた論文を仕上げようと目論んだのだ。
動乱が終息した後もザールブルグへは帰らず、フィンデン王国からカナーラント王国にかけてを放浪したマルローネは、クライスに手伝わせて、爆弾に使えそうなありとあらゆる材料を集め、調合を繰り返した。そして、複数の状態異常を同時に起こさせる『暗黒クラフト』、相手の行動を一時的にストップさせる『石版クラフト』、『ローレライの鱗』で魅了効果を付加した『鱗クラフト』など、いくつもの新型爆弾が生み出された。もっとも、あたりがいきなり豪雨になる『雨雲クラフト』(マルローネいわく「対フランプファイル用の切り札よ!」)や、敵味方を含めて全員が酔っ払ってしまう『ビアクラフト』(「ねえ、これ、パーティグッズとして酒場に売れないかな?」)、単に貴重な材料を浪費するだけの『ドンケルクラフト』(「あ――あはははは、まあ、いいじゃない」)など、意味のわからないものもあったが。
こうして多彩な爆弾を手にしたマルローネは、さらにテーマを掘り下げようとした。材料を変えるだけでなく、従属効果にもバリエーションを持たせようとしたのだ。ミジンコサイズやお化けサイズなど、大きさの変化も試したが、もっともマルローネが熱中したのは『生きている』属性の付与だった。
ザールブルグ・アカデミー所蔵の錬金術書にも、『生きてるフラム』という爆弾のレシピはある。所持している本人がけがをするなどで危機に陥ると、敵に対して自動的に発動するというものだ。そのような属性を持つアイテムは、ザールブルグでは『生きてるナワ』などの一部の特殊なアイテムを除いて、あまり知られていなかったわけだが、グラムナートの錬金術では当たり前のように『生きている』属性が活用されていたのだ。例えば、回復アイテムに『生きている』属性を付与しておけば、ピンチに陥ったときに自動的に発動して体力を回復させてくれる。しかも、『やる気マンマン』や『活きがいい』など、付与する属性を細かく調整すれば、発動するタイミングまであらかじめ設定することができる。そのことを知ったマルローネは、ヴィオラートの錬金術書を読みあさって技術を身につけ、開発した爆弾に次々と『生きている』属性を付与していったのである。
「研究材料もかなり集まったことですし、そろそろ論文を書き始めたらどうですか?」
クライスに言われて、マルローネはしぶしぶ執筆に取り掛かることにした。だが、もともと勉強のための勉強が苦手なマルローネにとって、長い文章を論理的に書くというのは相当な重荷だった。
「だめよ、こんな騒がしい場所じゃ、落ち着いて集中できないわ!」
ハーフェンの宿屋の二階の一室で、マルローネはノートとペンを放り出して叫んだ。
「おや、不思議ですね。爆弾や薬の調合なら、どんなにうるさい酒場の片隅でも平気でこなしてしまうあなたが、こんなことで弱音を吐くなんて」
「だって、集中できないものは集中できないのよ! ほら、今だって、下の酒場の音が聞こえてくるじゃない」
「まあ、たしかに、酒場の物音が聞こえれば、お酒が飲みたくなりますよね」
「そう! それなのよ! ――じゃなくて!」
マルローネは地団太を踏んだ。
「とにかく、もっと静かな環境が必要なの! お願い、クライス、手伝って〜」
うるんだ空色の瞳で見つめられれば、クライスは断れない。
「やれやれ、では、どこか山奥にでもこもるとしましょうか」
そして、宿で仕入れた情報を元に、ふたりは自然の洞窟が点在しているというカナーラント北西部の高地へと向かったのだった。

「それじゃ、静かに論文が書ける場所を確保する、ただそれだけのために盗賊団を壊滅させたんですか?」
ヴィオラートが目を丸くした。アイゼルはあきれたようにため息をつく。伝説の爆弾娘ならば、何をしでかしたとしても驚くにはあたらないわけだが、これほどとは・・・。
「それは――、違うのよ。弾みというか、成り行きというか・・・。ほんとよ」
マルローネはあわてて手を振って否定し、助けを求めるようにクライスを見やる。
「たしかにまあ、ある程度は、マルローネさんの言うことも正しいのですが・・・」
クライスの言葉は歯切れが悪い。
「こんな大事になってしまったのには、マルローネさんに責任があることも否定できませんね」
「うるさいわね! わかってるわよ! 何度も言わなくてもいいじゃない!」
「しかし、あなたと私以外の人は、初めて耳にする話ですし、納得していただくためには、ちゃんと説明しなくてはいけないのではありませんか」
「うー・・・わかったわよ」
不満そうに黙り込むマルローネに流し目をくれ、眼鏡の位置を整えると、クライスは淡々と話し始める。
「直接の原因は、様々な従属効果を付与した爆弾を、マルローネさんがたくさん身につけていたことでした・・・。いえ、それ以前に、いろいろと欲張った目標設定をしたのが間違いだったのでしょう。あのとき、きちんといさめて、止めておくべきでした」

「何ですって!?」
ホーニヒドルフ北西に広がる森の中の踏み分け道を進んでいたクライスは、マルローネの目的地を聞いて、眼鏡がずり落ちそうになった。
「どうしてまた、わざわざテュルキス洞窟へ行ってみようなどと言うのです? 落ち着いて執筆活動ができる静かな無人の洞窟なら、探せばいくらでも見つかるでしょう。何も、好きこのんで盗賊団の根城になっていることがわかりきっている場所へ行かなくとも――」
テュルキス洞窟と言えば、カナーラント王国全土に悪名をとどろかす盗賊団ヤグアールの本拠だ。この洞窟にまつわる恐ろしい話は、旅の途中に立ち寄ったあちこちの酒場で、嫌というほど聞かされている。
返って来る答は想像できたが、クライスはあえて尋ねた。マルローネが目を輝かせて答える。
「だって、盗賊団が長年住んでいるってことは、居住環境がいいってことじゃない。どうせ悪いやつらなんだし、追い出してしまえば、そのまま居心地よく暮らせるのよ。無人の洞窟を、しばらく住めるようにわざわざ掃除する必要もないんだから、理想的だわ」
マルローネは何よりも掃除が苦手なのだ。それに、ここには部屋の掃除をしてくれる妖精もいない。
「しかし、相手は竜騎士隊が束になってかかっても、なかなか退治できないという連中ですよ」
クライスの心配にも、マルローネは取り合わない。
「だいじょぶだってば。洞窟を根城にしている盗賊団退治には慣れてるわよ。マイヤー洞窟のシュワルベ一味だって、あっさりやっつけちゃったじゃない」
「まあ・・・、あなたの戦闘力を疑うわけではありませんが、本末転倒ではないかと――」
「固いこと言わない言わない。それに、盗賊団をやっつけてあげればドラグーンの人たちも喜ぶだろうし、洞窟には財宝やレアアイテムがごろごろしているかも知れないし――」
「やっぱり、それが狙いですか」
クライスはため息をつく。マルローネは意気込んで続ける。
「あたしも専用の仕事場が持てるし、いいことずくめじゃない。ほら、ことわざにもあるでしょ。ええと、何だっけ・・・あ、そうだ、『偕老同穴』?」
「違います。それを言うなら『一石二鳥』でしょう。あなたの場合、三鳥も四鳥も狙っているようですが」
思いがけない言葉がマルローネの口から出てきたので、クライスは赤面しながら答えた。もちろん、マルローネ本人は意味がわかって言っているわけではないだろう。
「あれ、違った? それじゃ、『偕老同穴』って、どういう意味なのよ?」
「たまには、ご自分で辞書を引いて、調べてみてはいかがですか」
「何よ、ほんとはあんたも知らないんじゃないの?」
ここで「夫婦が仲睦まじく暮らし、一生添い遂げること」という正しい意味を教えたら、マルローネがどんな反応を示すか見てみたい誘惑にかられたが、クライスは我慢した。
「とにかく、ちょいちょいと行って、盗賊どもをやっつけちゃおう!」
あらためて先頭に立ち、両手をぶんぶん振り回しながら、マルローネは張り切って叫んだ。
しかし、テュルキス洞窟の掃討は、思いがけない展開を見せることになる。
第一層の探索は、比較的楽に進んだ。襲ってくる盗賊は多かったが、下っ端ばかりで、マルローネの必殺技『星と月のソナタ』やクライスの『エーヴィヒズィーガー』であっさりと退けることができた。
だが、最初の誤算は盗賊たちが寝室代わりにしていたスペースで起きた。
「行くわよ! ――あわわ!」
勢いよく踏み込んだマルローネが、転がっていた酒の空き瓶を踏みつけて転んでしまった。思わずついた右手が、とがった岩で傷つく。そのとたん、ローブの陰にしまいこんであった『やる気マンマン』属性を持つメガフラムが飛び出していったのだ。従属効果が『やる気マンマン』の場合、アイテムは所持者が少しでもけがをすれば自動的に発動してしまう。その結果、爆風でベッドはすべて吹き飛ばされ、非番で寝ていた盗賊たちは壁に叩き付けられて気を失った。拠点兵長がボヤッキーに語った通りである。
そんなアクシデントにもめげず、第一層を制覇したマルローネとクライスは第二層へと向かった。
今度の敵は第一層よりはるかに手強い。拠点兵長を初め、親衛隊や用心棒など、屈強で剣技に優れた盗賊が次々と襲い掛かってくる。もっとも、先方としては襲ってくるわけではなく、正当防衛で侵入者を迎え撃っているだけなのだが。
相手が強いため、戦いも第一層のように一方的な展開にはならず、特に先陣を切るマルローネが傷を負うことも多くなった。そしてその度に、隠し持っていた新開発の爆弾が、マルローネの意思と関係なく発動していく。本人が手加減しようにも、自動発動する爆弾には手の施しようもない。『やる気マンマン』属性のメガフラム、『暗黒クラフト』、『石版クラフト』などが次々と炸裂し、さしものヤグアールの主力部隊もあっという間に総崩れになった。その攻撃力、破壊力はすさまじく、幹部のひとりが“悪魔”の仕業と語ったのも無理はない。
ヤグアールの首領を初めとする幹部たちは、強い睡眠効果を持つ『暗黒水』を材料とした『暗黒クラフト』の直撃をくらったのだろう。ボヤッキーが証言したように、いまだに昏々と眠り続けているのだ。
生き残った盗賊たちが退却していった後も、マルローネは洞窟の最奥部に向かって突き進んだ。そして、ヤグアールの最後の切り札、『究極の用心棒』と対峙したのである。

「で、やっつけたんですか?」
ヴィオラートの問いに、マルローネは得意げに答えた。
「もちろんよ。魔法攻撃が効かないから、かなり手こずったけどね。クライスは全然役に立たないし」
「そんなことはないでしょう。私が回復に専念していたから、マルローネさんも心置きなく戦えたのですからね」
心外だ――とでも言いたげに、クライスが口をはさむ。
「うるさいわね、そんなのわかってるわよ。『攻撃には役に立たなかった』って言いたかっただけなんだから」
「では、ちゃんとそう言ってください。発言は正確に願いたいものですね」
「ほんとに細かいわね。そんなこと気にしてると、早く老けちゃうわよ」
相変わらずのふたりの会話に、アイゼルは思わず吹き出した。クライスににらまれ、あわてて表情をつくろう。
「それで、『究極の用心棒』を倒した後、どうされたのですか?」
アイゼルの質問に、マルローネは身を乗り出す。
「そう、それなのよ! 調べてみたら、びっくりしちゃってさ! たしかに人間離れした強さだったし、普通の剣士じゃないとは思ってたけど、まさか正体がホムンクルスだったなんてね」

クライスに手伝わせて――正確には「面倒な細かい調査と、難解な問題の解明はすべて押し付けた」です、とクライスが注釈を入れた――、マルローネは、ぴくりとも動かない『究極の用心棒』の巨体を隅から隅まで調べた。そして、『究極の用心棒』の正体は、はるか昔に、現在では失われてしまった錬金術の技術によって創られた人造生命体――ホムンクルスだという推論にたどり着いたのだ。
「すごい! 大発見よ! やっぱりテュルキス洞窟に来てよかったじゃない!」
「そういうのを『結果オーライ』と言うのですよ。まあ、あなたの行動は大抵の場合、そうですが」
「ほら、ユーディットが暮らしていた200年前のフィンデン王国では、錬金術が当たり前のものだったっていうし、『旅の人』がケントニスに錬金術を伝えたのは、ほんの50年前よね。ということは、やっぱり錬金術が発達したのはエル・バドールじゃなくて、大陸のこっち側だったというヘルミーナ先生の推論も、成り立つじゃない! ――へ? 何?」
「ひとの話を全然聞いていませんね、あなたは」
「こうしちゃいられないわ! さあ、クライス、実験の準備よ!」
「論文の執筆の方は、どうなったのですか? 盗賊団も逃げ出しましたし、この洞窟も当分の間は静かになるでしょう。どこか落ち着いた部屋を見つけて、あなたの大好きな爆弾をテーマに、書き始めたらいかがですか」
「ああ、そのことね。論文は一からやり直しよ。テーマを変えるわ」
「はあ?」
あっけらかんとしたマルローネの言葉に、銀縁眼鏡の奥でクライスの目が点になる。
「では、あれだけ苦労して材料集めをして調合を繰り返して準備した、『爆弾のバリエーション』はどうなるのです?」
「とりあえず、お蔵入りってところね。だって、こんなに斬新で、こんなにスケールの大きな新テーマが見つかったんだもん」
マルローネは、目を閉じて安らかに眠っているかのような『究極の用心棒』をつついた。
『戦慄! 暗黒の巨大地底洞窟に眠る太古の超技術の遺産! 幻の人造超戦士は実在した! 今、明かされる、自己修復機能付自律成長型ホムンクルスの真実!』――なんてタイトルはどう?」
『川口浩探検隊』みたいですね」
「へ? 何よ、それ」
「いえ、何でもありません。ありえない発言でした」
クライスは咳払いをして、
「まあ、テーマを変更するのはマルローネさんの自由ですが、とにかく、タイトルは学術論文にふさわしい、真面目なものに変えてください。そんなタイトルを目にしたら、イングリド先生がどんな顔をなさるか、想像がつきますからね」
「そ――そうね。じゃあ、タイトルはクライスに任せるわ」
イングリドの厳しい顔が大画面で脳裏に浮かんだのか、マルローネはあっさりと引き下がる。
「それはできません。タイトルは論文の顔ですからね。ちゃんとご自分で考えなければいけませんよ」
「ちぇ、ケチ」
マルローネは、けばけばしく飾り立てられた『究極の用心棒』の根城をうろうろと歩き回り始める。
「じゃ、とにかく実験を開始しましょう。クライス、手伝ってね」
「実験? 何の実験ですか?」
いぶかるクライスに、マルローネは目を輝かせて、にんまりと笑みを浮かべた。
「決まってるじゃない。このホムンクルスをどこまで強化できるか、試してみるのよ」

「そんなわけで、『究極の用心棒』の自律成長機能を強化する実験に着手したわけです」
クライスは言葉を切り、人造戦士の巨体が眠っている方向を見やった。
「なるほど、だから短期間のうちに、あれだけ強くなっていたんですね」
ヴィオラートが納得したようにうなずく。岩壁にもたれたローラントは無言だったが、余計なことをしおって――とでも言いたげに顔をしかめ、こちらをにらんでいる。
「でも、どうやって機能を高めたんですか」
錬金術士としての興味から、アイゼルが尋ねた。心の中では、ほっと息をついている。もしヘルミーナがここにいて、『究極の用心棒』とその正体がホムンクルスだと知ったら、もっととんでもない事態が引き起こされていたかもしれない。
「まあ、その辺は論文が完成してからのお楽しみよ」
マルローネはもったいぶって言った。
「肝心の論文は、まだ一行も書かれていませんけどね」
クライスが鋭く突っ込む。恨めしそうにクライスをにらんで、マルローネはアイゼルに苦笑して見せた。
「ええと、ヒントだけ教えてあげるわね。『植物用栄養剤』に――」
「――『持続性栄養剤』を配合して、成長促進効果を高めると同時に、効果を長時間持続させるようにしたのですね」
「へ? ・・・う、うん、だいたいは当たりだよ」
ヘルミーナの薫陶よろしく、ホムンクルスに関する知識ではアイゼルも負けてはいない。アイゼルにあっさりと言い当てられてしまったので、マルローネは憮然としてうなずく。クライスは含み笑いをし、ヴィオラートは目を丸くして、大先輩の顔を見比べている。
「でも、まだ実験は途中だったの」
気を取り直して、マルローネは続けた。
「ホムンクルスの身体を構成する成分を、より強固なものにできないかと思って実験を続けていたんだけれど、足りない材料が出てきちゃったのね。仕方がないから、希少金属を探しに古代遺跡の下層まで遠征することにしたのよ。それと、栄養剤の材料の中には、この時期にしか採れない物もあったから、大急ぎで二月湖と大砂丘も回らないといけなかったし」
「私としては、完全に制御できていない被験体を放置して出かけるのは不安だったのですが――」
クライスが口を挟む。
「――マルローネさんをひとりで採取に行かせるのは、もっと不安だったものですからね」
「クライスさんって、優しいんですのね。そんなにマルローネさんのことをご心配なさるなんて」
それまで黙っていたブリギットが言った。
「違います! マルローネさんのような爆弾娘を野放しにしておいたら、地元の皆さんにどんな迷惑がかかるか、わからないからです!」
むきになったように、クライスがまくしたてた。ヴィオラートと顔を見合わせ、アイゼルがくすっと笑う。だが、すぐに真顔に戻り、ふたりを見つめて言う。
「でも、ご一緒にいても、ホーニヒドルフのグレゴールさんとルディさんには、ご迷惑をかけてしまったようですわね」
「面目ありません」
「うん・・・。それは悪かったわ」
アイゼルとブリギットから、先ほどホーニヒドルフでの一部始終を聞かされていたので、マルローネとクライスは、しおらしい声を出した。
「でも、悪気はなかったのよ」
「そうですね。ですが、しばらくの間、テュルキス洞窟にこもって実験に集中して、ストレスがたまっていたマルローネさんが、酒場に立ち寄ったらどんなことになるか、予想していてしかるべきでした・・・」
声に反省の色をこめて、ふたたびクライスは語り始めた。


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