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恋のアトリエ・ドミノ Vol.18


第18章 第一の物語(2)

「ねえ、いいでしょ、ちょっと休んでいこうよぉ」
「おかしな人ですね。洞窟を出るとき、『古代遺跡までノンストップで直行するわよ! 疲れたなんて言ったら承知しないからね!』と張り切っていたのは、どなたでしたでしょうか」
「固いこと言いっこ無し! だって、ほら、あんなにいい匂いがしてるんだよ」
海から吹き上げてくる東南の風に乗って、甘酸っぱいハチミツの香りが漂ってくる。
マルローネとクライスは、『空飛ぶホウキ』にまたがって、ハチミツの村ホーニヒドルフの上空へさしかかったところだった。眼下に広がる森に囲まれて、箱庭のようなホーニヒドルフの村は、午後の陽光の中でまどろんでいるかのような穏やかなたたずまいを見せている。テュルキス洞窟に閉じこもって、何日も根を詰めて働いていた身としては、羽を伸ばしたくなるのもわからないではない。不足してきた錬金術の調合材料を求めて、カナーラント王国南部の海岸地帯へ向かう途中ではあるが、半日ほど遅れても、さして不都合があるわけではない。
「ねえ、ちょっと酒場へ寄って、腹ごしらえしてから行こうよぉ。よく言うでしょ、――ほら、『騎士は食わねど高楊枝』って」
空中に停止したまま、てこでも動かないという表情で、マルローネは言い張る。
「まったく違います。それを言うなら『腹が減っては戦はできぬ』です」
「そう、それよ! だから、ね?」
上目遣いにせがむマルローネに、クライスは折れた。それに、いつも元気なマルローネだが、ここしばらく未知の技術の産物の研究に取り組んでいただけに、本人に自覚はないにせよ、疲れが溜まっているのは間違いないだろう。
「仕方ありませんね。一服するだけですよ」
「わあい! クライス、大好き!」
はしゃいだ声を上げたマルローネは、頬を真赤に染めたクライスにも気付かないまま、村の北側の森へ向かって舞い降りていく。
(まったく・・・。あの人は、自分の言葉の意味をわかっているのでしょうか)
なかば悩み、なかばにやけた表情を隠せず、クライスは後に続いた。
『空飛ぶホウキ』に乗ったまま、村まで入っていくことは避ける。別の村へ降りて行ったとき、魔物が襲来してきたと勘違いされて、自警団に矢を射掛けられたことがあったのだ。
村人に見られないようにして近くの森へ降り立つと、荷物になるホウキは木陰に隠し、普通の旅人のようにぶらぶらとホーニヒドルフの村へ入っていく。
「あ、あそこに酒場があるよ!」
のどかな風景には目もくれず、マルローネは『泉亭』という看板が下がった酒場へ飛び込んでいく。しばらく中央広場のながめを楽しんでいたクライスも、ため息をついて、木の扉を押し開けた。
「えー!? この村の名物料理はできないの?」
カウンターにとりついたマルローネが、奥にいる青年に向かって素っ頓狂な声をあげていた。エプロンをした朴訥そうな青年は、申し訳なさそうに言う。
「すいません、ゼムさんが留守にしているもんで、つまみも作れないんですよ」
聞けば、亭主がギルドの寄り合いで首都のハーフェンへ出かけてしまっており、この青年は留守番を頼まれただけなのだという。
「なあんだ、せっかく美味しい郷土料理が食べられると思って、楽しみにしてたのに」
見るからにがっかりした様子のマルローネに、青年も済まなそうな表情になる。
「あの、せめて、名物のハチミツ酒でも召し上がってください」
「うん、いただくわ!」
差し出されたグラスには、芳醇な香りのハチミツ酒がなみなみと注がれていた。
「マルローネさん」
ぐいと一気にあおったマルローネに、クライスが呼びかける。
「何よ、クライス」
「一服するだけという約束でしたからね。忘れないでください。飲みすぎてはダメですよ。しかも、すきっ腹なんですから」
「ああ、わかってる、わかってる」
いい加減に手を振って見せ、マルローネはすぐに2杯目に取り掛かる。
「やれやれ・・・。でも、お腹に食べ物を入れないのは、よくありませんね」
自分も小腹が空いていたクライスは、村人からパンでも譲ってもらおうと、いったん酒場を出た。マルローネはカウンターに腰をすえ、ほろ酔い加減で、青年の背後の酒棚に並んだボトルに目を走らせていく。空色の瞳に、不意に光が宿った。
「あ、そこにあるのって、カイザーウイスキーのボトルじゃない?」
「は、はい、そうですけど」
「ねえ、このハチミツ酒、甘くて飽きちゃったわ。ちょっと、それで割ってくれない?」
「はあ、カイザーウイスキーで、ハチミツ酒を割るんですか?」
亭主のゼムが居合わせたなら、客の素性や様子を見極めて、「そいつはやめといた方がいいよ、お客さん」と断ったに違いない。だが、この朴訥な青年には、この後どのような状況になるか判断できるだけの経験はなかった。言われるがままに、少量のハチミツ酒に、アルコール度が高いカイザーウイスキーをなみなみと注ぐ。
「そうそう、これよ、これ! う〜ん、美味しそう」
目を閉じて香りを味わったマルローネは、琥珀色の液体を、いかにも美味そうにのどに流し込む。
「お代わり!」
音をたててカウンターにグラスを置いたマルローネの目は、既に据わっていた。
その頃、肝心のクライスは、村はずれの小屋で暇をもてあましていた話し好きの老人に捕まって、延々と昔話に付き合わされる破目になっていた。

「あ、あの・・・。お客さん?」
「ふぇ?」
カウンターに突っ伏していたマルローネは、がんがんする頭に顔をしかめた。目がかすみ、血が昇ったかのようにぼうっとしている。
「あによ?」
しゃべろうとしても、ろれつが回らない。
「そろそろ、お勘定を・・・」
青年は、腫れ物にさわるような態度で、おそるおそる声をかけてくる。酔っ払って暴れる荒くれ男を相手にするのは慣れているだろうが、べろんべろんに酔った女性客をあしらうのは初めてなのかもしれない。
「あ〜、いいよいいよ、いくら?」
マルローネはローブの陰をまさぐる。
「えっとぉ・・・。これは――あ〜、財布じゃない、爆弾だぁ。財布、さいふ・・・と」
ようやく引っ張り出した皮袋から、一握りの銀貨をつかみ出す。
「あい、お釣りはいらないから〜」
「あの、お客さん」
「あ、いいよいいよ、お礼なんて」
「いえ、これでは足りません」
「はにゃ? じゃ、好きなだけ取って〜」
ようやく支払いを終えると、マルローネはぼんやりとあたりを見回す。
「クライシュ〜、クライシュ、どこ〜?」
「あ、お連れ様なら、なにか食べ物をもらってくるとおっしゃって、かなり前に出て行かれましたけれど」
「食べ物!」
一瞬、目を輝かせたマルローネだが、すぐにげんなりとした表情になる。
「らめ・・・。ちょっと、気持ちわるい・・・」
「大丈夫ですか?」
「うん・・・。ちょっと、酔いをしゃましてくる・・・。クライシュが来たら、待ってるように言って」
「は、はい、承知しました」
「じゃあね〜。ごひそうさま〜」
足をもつれさせながら、マルローネはなんとか戸口へ向かう。ローブの裾に引っかけて、椅子を何脚も倒してしまったが、ほとんど意識していない。
バタンと音をたててドアが閉まると、臨時店員の青年は散らかった店内を片付けながら、ため息をついた。
(世の中にゃ、ああいうお客もいるんだな。ああ、おっかねえ・・・。ハーフェンさ行って、一旗上げようかと思ってたけんど、おらあ、この村にいれば満足だあ・・・)

「ううう、空が回る、地面が回る、村が回ってるよぉ・・・」
ふらふらと左右に揺れながら、マルローネは涼しい風が吹いてくる村の奥へ向かって、ゆっくりと進んでいった。養蜂場の事務所の前の路地を入っていけば、ハチ小屋の前へ出る。
「ああ、頭いた〜い! クライス、水〜!!」
大声で叫んでいるつもりだが、弱々しいかすれた声になってしまっている。村はひっそりと静まり返り、民家からは人が出てくる気配もない。ほとんどの村人は、昼間は畑仕事や狩に出ているのだ。
「うう、気持ち悪いよぉ」
すきっ腹に強い酒をがぶ飲みしたのだから、こうなるのも自業自得である。しかし、何度痛い目に遭っても、こういうことに関しては、酒飲みに学習能力はないらしい。
路地を抜けたところで、とうとう、マルローネは立っていられなくなった。足がもつれ、つんのめるように前に倒れる。
「大丈夫ですか!」
若い男性の声が聞こえたような気がするが、顔も上げられない。転んだ拍子に、むき出しの膝小僧をすりむいてしまったが、痛みも感じない。
一方、ハチ小屋の前でいつものように番をしていたグレゴールは、錬金術服を身につけた女性がふらふらと現れ、哀れっぽい声をあげて不意に転んだのに驚いて、助けようと思わず駆け寄ってきたのだった。
その瞬間、マルローネがローブの陰に納めていた新型爆弾が飛び出してきた。
『やる気マンマン』属性を付与された『鱗クラフト』だった。魅了効果を持つ『ローレライの鱗』のエキスを抽出し、粉にしたものをたっぷりと詰め込んだものだ。先日のテュルキス洞窟の戦いの際と同様、マルローネがかすり傷を負ったために自動的に発動したのだ。
軽い爆発音とともに、周囲は一瞬、ピンクの霧に包まれる。効果は覿面だった。
「ああ・・・。ああ・・・」
助け起こそうとしていたグレゴールの手が、力強くマルローネの肩を抱く。マルローネは顔を上げ、両手を伸ばして、グレゴールの首に回そうとする。半開きになったくちびるから、声にならない切なげなささやきが漏れ、グレゴールの顔に接近する。そして――。
「ちょっと! 何やってるのよ!」
「何をしてるんですか!」
若い女性の悲鳴に近い叫びと、度を失ったクライスの声が交錯する。
あわてて飛び出したクライスは、マルローネの腕をつかんでグレゴールからもぎ放すと、夢中で引きずっていく。パニックを起こしかけていたために、クライスは、すぐ脇で凍りついたように立ちすくんでいる、かわいらしい顔立ちをした小柄な女性には、まったく気付かなかった。
「はれぇ、クライシュだぁ・・・」
「マルローネさん! あなたという人は――」
何と言おうとしたのかも覚えていない。
しなだれかかってくるマルローネをなんとか背負うと、クライスは後も見ずに、ホーニヒドルフの村を逃げ出したのだった。

「とにかく、人目を避けられる場所へ行って、マルローネさんが正気に戻るのを待つだけで、精一杯でした」
恥ずかしげにうつむいたまま、クライスは絞り出すように話を終えた。
「で、騒ぎの後始末もしないで雲隠れしたってわけかよ。まったくしょうがねえな」
バルトロメウスが、普段の自分の行動を棚上げにして言う。
「申し訳ありません・・・。なにぶん、動転していたもので、そばに、そのルディさんという女性がいらっしゃったこともわかりませんでした。目撃者は私のほかにいないと思っていましたし、しばらくすれば魅了効果も薄れるので、大丈夫だと考えてしまったのです。言い訳にしかなりませんが・・・」
「マルローネさんは、何も覚えていらっしゃらないんですか?」
不思議そうにヴィオラートが訊く。
「うん、酒場で美味しいお酒を飲んでいたと思ったら、気がついたら森の木陰で寝てたの」
クライスに膝枕をされていた、という事実には触れない。
「はあ・・・」
「ヴィオラート、あなただって、ミーフィスと飲み比べをして記憶をなくしたことがあるじゃない」
「あ、そういえばそうですね」
アイゼルに突っ込まれて、ヴィオラートは頭をかいた。
「とにかく――」
アイゼルは大先輩ふたりの顔を交互に見て、きっぱりと言う。
「おふたりには、近々ホーニヒドルフへ行って、ルディさんとグレゴールさんに事情を説明して、お詫びしていただかなくてはいけません。錬金術士の名誉のためにもね」
「おっしゃる通りです」
「うん、わかったよ」
クライスとマルローネは素直にうなずいた。

「それはいいとして――」
話が一段落したと見て、黙って聞いていたローラントがいかめしく口を開く。
「テュルキス洞窟で引き起こした騒ぎについても、ふたりにはドラグーン本部へ出頭して事情説明をしてもらわねばならんだろうな」
「へ? また逮捕されるの?」
情けない声でマルローネが叫んだ。ローラントは苦笑し、
「そこまでの必要はないと思うが、始末書のひとつくらいは書いてもらわねばならないかも知れぬ」
「そっか・・・。仕方ないよね。始末書かぁ・・・クライスも手伝ってね」
クライスににっこりと微笑みかける。
「それは、すべて任せるから書いてくれ――という意味ですね」
ぶすっとした声で答えるクライスに、アイゼルは吹き出しそうになった。
こうして今回の不可解な騒ぎのほとんどに説明がつき、あたりは沈黙に包まれた。ヴィオラートは兄にもたれて、こっくりと船をこぎ始めている。
「そうだ!」
突然、マルローネが大声をあげた。目を輝かせ、ローラントに向かって身を乗り出し、
「ねえねえ、せっかくだから、お詫びのしるしに、新しいホムンクルスを一体こしらえて、ドラグーンに寄贈してあげるよ!」
「な、何だ、藪から棒に」
たじろぐローラントに、マルローネはまくしたてる。
「だって、せっかく『究極の用心棒』を研究したんだから、そこで得た技術を応用して、一から自己修復機能付ホムンクルスを創ってみたいのよ。理論的には無限に戦い続けられるし、騎士の訓練相手にはぴったりだと思んだけど・・・。ちゃんと、制御用の合言葉を設定するから、暴走することはないし」
「う・・・うむ、考えておこう」
勢いに飲まれて、ローラントはうなずいた。
「やったあ! これなら論文を実践的なものにできるし、竜騎士隊にも喜んでもらえるし、『偕老同穴』だね!」
「・・・『一石二鳥』です」
感情を押し殺した声で、クライスが訂正した。
後日、マルローネとクライスが創り出した新型ホムンクルスが、秘密裏にドラグーン本部へ届けられた。『黒の騎士』と名付けられたホムンクルスは、その後、竜騎士の鍛錬に大いに役立つことになるのだが、それは別の物語となる。
「そういえば・・・」
ふとなにかを思い出したかのように、ブリギットがつぶやいた。
「この洞窟へ来る途中、気付いたのですが、あたりの森には、まったく生き物の気配がありませんでした。あれも、マルローネさんの仕業でしたの?」
同じように疑問を感じていたのか、ロードフリードやアイゼルもマルローネを見た。
「ああ、そのことね」
マルローネはあっさりとうなずいた。
「洞窟の近くを魔物がうろつくと落ち着かないから、新型爆弾のひとつ『ガッシュクラフト』を、森で何発か破裂させたのよ。ちょっと効き過ぎたのか、魔物だけじゃなくて、森の生き物もいなくなっちゃったみたいだね。でも、もうにおいも消えているし、徐々に戻ってくると思うよ」


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