戻る

前ページへ

恋のアトリエ・ドミノ Vol.19


エピローグ お約束

「そんなわけだから、ごめんなさい! 全部あたしたちが悪かったのよ、ね、許して!」
「申し訳ありませんでした」
ホーニヒドルフの養蜂場の事務室――つい先日、ルディが泣き崩れてブリギットとバルトロメウスに思いのたけを切々と訴えていたのと同じ場所で、当事者のグレゴールとルディを前に、クライスとマルローネは事情を話し終えたところだった。
「は、はあ・・・」
並んでソファにかけ、ルディとグレゴールはとまどったように顔を見合わせる。実を言えば、あの事件以来、ふたりの仲は急速に進展していた。ルディの錬金術士への反感も、アイゼルのおかげでほとんど消えてなくなっている。もちろん、売店の入口にあった『錬金術士おことわり』の貼り紙は、今はもうはがされている。
「あの・・・。もう、いいです。何も気にしていませんから」
グレゴールが固い口調で言う。別に含むところがあるわけではなく、これが普通の話し方だ。
「そうです、事故と誤解が重なったのが原因だって、今のお話で、十分にわかりましたから」
ルディもにっこり笑って答えた。テーブルの下で、グレゴールの手をしっかりと握っている。
「本当に、申し訳ありませんでした。その――」
再び謝罪の言葉を口にして、クライスはわずかに口ごもった。
「ええと、あなた方のような仲のよいおふたりを、その・・・」
「つまり、喧嘩させちゃって、ごめんね――ってことよ」
マルローネは単刀直入に言う。
「いえ、あたしの方も、カッとしてしまって、錬金術士の皆さんを悪く言うようなことをして、ごめんなさい」
ルディも素直に謝る。傍らのグレゴールを見つめ、
「彼が・・・、その、マルローネさんを抱き締めようとしているのを見て、てっきり誘惑されたんだと思ってしまったけれど、でも――」
かすかに頬を染める。
「でも、何?」
マルローネの問いに、ルディは微笑んで答えた。
「でも、マルローネさんには、こんなにお似合いのパートナーがいらっしゃるんですものね」
「へ? パートナー?」
マルローネは隣のクライスを振り向く。クライスは顔を窓に向け、夕陽に照らされたホーニヒドルフの風景をながめる振りをしていた。その顔が真赤に染まっていたのが、夕陽を浴びたせいなのかどうかは、定かでない。


「カロッテ村か・・・。何もかも、みな、懐かしい・・・
「お兄ちゃん! 柄にもなく、なに気取ってるのよ」
カロッテ村の入口で馬車を下りたバルトロメウスのつぶやきを聞き、ヴィオラートがまぜっかえす。
「随分長く、留守にしていたような気がしますわね、ロードフリード様」
「うん、そうだね」
ロードフリードにエスコートされて下りて来たブリギットも、並んで、懐かしい村の家並みをながめる。最後に下りて来たアイゼルは、ようやく肩の荷を降ろした気持ちで、ほっと息をついた。
グラムナートを去るときに、ヘルミーナが残していった言葉が脳裏によみがえる。
(――あのふたりから、目を離すんじゃないよ。放っておいたら、何をやらかすかわからないからね、ふふふ。イングリドが恥をかくのはかまわないけれど、あのふたりがなにか面倒を引き起こしたら、ザールブルグ・アカデミーの名誉に関わるんだよ。錬金術士の名誉を守るためにも、アイゼル、あんたがお目付け役をするんだ。頼んだよ、ふふふふ・・・)
イングリドとヘルミーナの懸念どおり、マルローネとクライスは、カナーラント王国にひと騒動を巻き起こした。だが、なんとか大きな波風を立てずに収拾することができた。もちろん、アイゼル個人の手柄ではない。ローラントやロードフリード、ヴィオラートやブリギット、みんなの協力があってこそだった。
アイゼルは胸を張って、カロッテ村の新鮮な空気を深く吸い込む。
テュルキス洞窟で一夜を明かした後、すぐにホーニヒドルフへ行って謝罪するというクライスとマルローネを残し、一行はハーフェンへ戻った。ローラントは竜騎士隊本部に事の顛末を報告した後、崩壊しかけているヤグアールの後始末に取り組むという。ローラントと別れた5人は、ジーエルン家が手配してくれた乗り心地のいい馬車で、ようやくカロッテ村へ戻って来たところだった。
ヴィオラートがカロッテ村を出発してから、ひと月近くが経っている。誕生日も目前だ。
「お店、大丈夫かなあ」
カタリーナが希望したデザインに基づくモニュメントの脇を抜け、ヴィオラーデンへと向かいながら、ヴィオラートは不安げにつぶやく。
「ヴィオ、お前も心配性だなあ。俺がきっちり、クリエムヒルトさんに留守を頼んできたんだ。大丈夫さ」
「本当?」
「何だよ、お前、クリエムヒルトさんが信用できねえってのか」
声を荒げるバルトロメウスに、ヴィオラートは首を振った。
「ううん、クリエムヒルトさんは信用してるけど・・・」
「じゃあ、何の心配もないだろうが」
(信用できないのは、お兄ちゃんの方だよ。悪いけど・・・)
ヴィオラートは心の中でつぶやいた。
共同井戸がある広場へ出ると、正面にヴィオラーデンが見える。左手の酒場『月光亭』のドアが開き、エプロンを着けたクリエムヒルトが出てきた。
「クリエムヒルトさん!」
バルトロメウスが声をかける。気付いたクリエムヒルトは、はにかみながら微笑んだ。
「あ、バルトロメウスさん・・・」
「クリエムヒルトさん、お店番、ありがとうございました!」
「あ、いえ、あの程度のこと・・・」
かすかに頬を染め、クリエムヒルトが答える。
バルトロメウスは妹の背中を叩き、得意げに言う。
「ほらみろ、俺の言った通りだろうが」
「クリエムヒルトさん・・・。本当に、こんなに長い間、お店番をしてくれていたんですか?」
ヴィオラートが尋ねると、クリエムヒルトはきょとんとした。
「はい? ちゃんと、あの日は、閉店までお店番をしたけれど・・・」
「あの日?」
「ええ、バルトロメウスさんに頼まれた日よ」
「あの・・・。その日、一日だけですか?」
ヴィオラートの言葉に、不意に剣呑な雰囲気が漂う。クリエムヒルトはちょっと首をかしげて、
「ええ、『ちょっと出かけてくる、すぐ戻るから』とおっしゃっていたので、てっきり、その日だけお店番をすればいいと思っていたのだけれど――違ったのかしら?」
「確かに、あの時バルトロメウスさんは、こうおっしゃっていましたわ。『ちょっと出かけてくるんで、お店を見ておいてもらえませんか、すぐ戻りますから』――とね」
ブリギットが冷静な口調で言い添えた。
「なるほど、そういう言い方をされれば、誰だって、その日だけだと考えるだろうな」
ロードフリードが大きくうなずく。
「お兄ちゃん」
普段とは打って変わった、冷たく静かな口調で呼びかけると、ヴィオラートは兄を見た。バルトロメウスは思わず後ずさる。
急に空気が凍ったのに気付き、クリエムヒルトも顔を曇らせた。
「あの、あたし、何か悪いことをしたのかしら?」
「あ、いえ、そんなことないですよ。お店番をしてくれて、ありがとうございました」
明るい声で、ヴィオラートはクリエムヒルトににっこり笑って見せる。
「とにかく、お店の中を見てみなくちゃ」
ヴィオラートはクリエムヒルトにお辞儀をすると、兄を引きずるようにして、ヴィオラーデンへ向かってすたすたと歩いていく。
「面白そうですわね。行ってみましょう」
ブリギットに誘われて、ロードフリードもアイゼルも後に続いた。
「なにか、あったのかしら?」
ぽかんと見送って、クリエムヒルトはつぶやいた。

「ああっ! スープが腐ってる! チーズにはカビが生えてる! 爆弾は湿気てる! にんじんはしおれちゃってるし、『海の星』はでろでろだよぉ!」
店内を駆けずり回って、棚に並んでいる商品を確認しては、ヴィオラートは悲鳴に近い叫びをあげている。
「あ、あのな、ヴィオ・・・」
バルトロメウスは何度も声をかけようとしているが、あっさりと無視されている。
入口を入ったところで、その様子を興味深そうにながめているのは、ブリギットとロードフリード、それにアイゼルだ。
最後にレジカウンターに近づいたヴィオラートは、帳簿を取り上げて目を通した。
「ここ一ヶ月、ヴィオラーデンは売り上げゼロ! 商品の在庫は半分以上、売り物にならない状態!」
帳簿にじっと目を注いでいたヴィオラートは、やがて目をあげる。
「お兄ちゃん・・・」
氷のような声で、店内に入って初めて、兄に呼びかける。
「おい、ヴィオ、あのな、ちょっと説明させてくれ」
腰を引き気味に、レジカウンターに近寄った兄に、ヴィオラートはにっこり笑って、天使のような飛び切りの笑顔を見せた。
「お兄ちゃん。ちょっと、あっちで、ふたりきりでお話ししましょうか」
「ひっ――。いや、ちょっと待て、話なら、ここでも――」
「いいえ、奥に行きましょう」
ヴィオラートの手には、今にも飛びかかりそうにひくひく動く『生きてるナワ』が握られていた。
「いや、その――。待ってくれ! どうせふたりきりなら、クラーラさんの方が――。うわあっ」
二階のドアが兄妹を呑み込み、バタンと音を立てて閉まった。
「その後、バルトロメウスさんの姿を見た人は、誰もいませんでした・・・」
ブリギットが静かにつぶやいた。
「ブリギット、それはちょっと――」
ロードフリードの言葉に、ブリギットはにっこり笑って、
「――と、日記には書いておきますわ。わたくしの家で、お茶でも召し上がりませんこと、ロードフリード様?」
「ああ、いただこうかな」
腕を組むようにして、ふたりは出て行った。
ひとりぽつんと残されたアイゼルは、肩をすくめ、ため息をつく。
「必然的に、わたしがお店番をしなきゃならないじゃない」
アイゼルは、レジカウンターの後ろへ回り込むと、椅子を引き出して腰を下ろす。ノルディスからもらった手紙を取り出し、何十回目になるかわからないが、最初からゆっくりと目を通していく。 二階から、物が倒れるような音やかすかな悲鳴が聞こえてくるが、無視を決め込むことにした。
目を閉じ、遠い故郷へ思いを馳せる。
「そろそろ、ザールブルグへ帰る潮時かしら・・・」


「それは大変だったわね。ご苦労様」
「ああ、だが、これも竜騎士の任務だからな」
首都ハーフェンの酒場『渡り鳥亭』で、カウンターに陣取ったローラントが、亭主のディアーナと言葉を交わしていた。
『ハーフェン掘り出し物市』も大盛況のうちに終了し、今の酒場は気が抜けたかのように静かだ。時刻も真夜中に近く、ほかに客はいない。
いつものように、ローラントはテュルキス洞窟を偵察した顛末を、ディアーナに話して聞かせているところだった。不思議なことに、こうして話しているうちに考えがまとまり、ドラグーン本部への報告資料もすらすらとまとめることができる。
「ふふふ、違うわよ。あのかわいい錬金術士さんのこと」
ディアーナは微笑んだ。
「ホレタハレタには百戦錬磨のあなたが、そんなに手こずるなんてね」
「ああ、完敗だった」
グラスを置くと、ローラントは降参するように両手を挙げてみせる。
「というより、恋愛ゲームのテクニックなど、最初から彼女には通用せんのだ。私も、そんな浮ついた気持ちには、一瞬たりともならなかったよ。彼女は――そう、ホレタハレタなどという俗な感情は、超越しているんだ。それが彼女にとって、いいことか悪いことかは、わからんが」
「まだ若いんでしょう。今はそれでいいのだと思うわ」
「そうか・・・。そうだな」
ディアーナが、ローラントの顔をしげしげと覗きこむ。
「嬉しいわ、ローラントさんにも、少年のように純な気持ちが残っていて」
「私のことを、何だと思っていたのだ?」
ローラントは苦笑する。
しばらく沈黙が下り、グラスの氷が揺れる音だけが響く。
「最後の一杯、付き合ってくれないか」
唐突に、ローラントが言った。
「ええ、喜んで」
ディアーナは、新しいグラスをふたつ取って、ボトルから注ぐ。今宵のラストオーダーだ。
「では、乾杯しよう」
「何に乾杯するのかしら? あなたの失恋に?」
「いや、違うさ――」
ローラントはグラスの中の琥珀色の液体を覗き込む。まるで、そこになにかの答が見つかるかのように。
「あの、何をしでかすかわからない、型破りで、偉大な連中――」
ディアーナとローラントはグラスを掲げた。
「錬金術士に――」
「ええ、錬金術士に――」
ふたつのグラスの縁が触れ合い、澄んだかすかな音が響く。
「――乾杯」

<おわり>


○にのあとがき>

本当に、お待たせいたしました(平身低頭)。
第1章を掲載したのが2006年9月28日のことですから、1年4ヶ月かけて、「恋のアトリエ・ドミノ」、ようやく完結です。楽しみにしてくださっていた皆様、申し訳ありませんでした。また、これだけ遅れたにも関わらず、待っていてくださり、ありがとうございます。
様々な事情が絡み合って、これだけ遅れてしまったわけですが、詮無いことですしコメントはいたしません(^^;

作品については、リクいただいた内容は「ヴィオラートがロードフリード、ローラントの両騎士と冒険するもの」というシンプルなものだったのですが、どうせなら「勘違いと偶然がいくつも重なって起きるドタバタラブコメ」にしようと欲張ってしまったために、かなり苦労しました(自業自得)。
最初から、第二のパーティ(ヴィオ、ロードフリード、クラーラ――途中からローラントに交替)が先行して、その後を第三のパーティ(バルトロメウス、ブリギット、アイゼル)が追いかけるという設定の裏で、正体不明の(笑)第一のパーティが暗躍するという構成でした。もちろん、『究極の用心棒』と戦ったりホーニヒドルフで騒ぎを起こした人物の正体に関しては、意外性を狙ったわけではなく、「見え見えだよね〜・・・ほぉら、やっぱり」とニヤニヤしていただければ本望であります。
また、他のアニメやマンガの名セリフをいくつもパクっていますが、笑って許していただければと(いくつおわかりになりました?)。
ちなみに、マルローネが創ってドラグーンに寄贈した新型ホムンクルスについては、詳しくは「異郷の旅人」をお読みください。

ここ数年で、アトリエシリーズを取り巻く環境もかなり変化し、保守派(笑)にはちと寂しい状況になっています。でもまあ、細々とでも続けていければと思います(笑)。
これからもよろしくお願いします〜。


前ページへ

戻る