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恋のアトリエ・ドミノ Vol.3


第3章 第三の物語(2)

不意に、ざわざわと頭上の枝が揺れた。
「何だ?」
「気をつけて! 殺気を感じますわ」
バルトロメウスが剣の柄に手をかけて振り仰ぎ、ブリギットは腰を落として身構える。
あっという間に、一抱えもありそうな弾力性のある丸いかたまりが、ぼたぼたと落ちてきた。緑や赤のゼリー状の生き物は、地面に落ちるとぶるんと震え、ゆるゆるとふたりの方へ向き直る。縦長のふたつの目と、大きく横に広がって笑っているような口は、愛嬌があると言えないこともない。
「けっ、ぷにぷにか」
すらりと剣を引き抜いたバルトロメウスは、拍子抜けしたように言う。カナーラント――いや、ストウ大陸のいたるところに生息している軟体生物は、熟練した冒険者にとって危険な敵ではない。
「この程度の相手、俺ひとりで十分だ。あんたは下がっててくれ」
「言ってくれますわね。では、お手並みを拝見させていただきますわ」
ブリギットは一歩譲ったが、油断なく周囲に注意を向けている。バルトロメウスはぷにぷに集団の前に仁王立ちになった。緑ぷにが3匹と、その後方に赤ぷにが2匹。赤の方が強い。油断は禁物だ。
「でやあ!」
重い両手持ちの広刃の剣を振りかぶったバルトロメウスは、ずるずると間近に迫って来た緑のぷにぷにに振り下ろす。剣はあっさりと沈み込み、そのままぷにぷには潰れた。返す刀で、次の緑ぷにを両断する。すぐに残りの緑ぷにが、さらに赤ぷにが、その後を追った。
「へん! どんなもんだ!」
勝ち誇ったバルトロメウスは、最後に残った赤ぷにに向かって身構える。
そこを、背後から衝撃が襲った。
「危ない!」
ブリギットが、いきなり後ろから思い切り突き飛ばしたのだ。バルトロメウスはもんどりうって、赤ぷににぶち当たる。だが、ぷにぷにの弾力性のある身体がクッションになり、けがはしなかった。弾き返されて下生えに転がったバルトロメウスは、振り返り、怒りの声を上げようとした。
「何しやが――」
次の瞬間、バルトロメウスが立っていた空間を、燃え盛る火の玉がうなりを上げて飛び抜けていった。
「な――何だ?」
「向こうに、魔法を使う敵がいるようですわ」
言い放つと、ブリギットは身をひるがえして前方の藪に飛び込んでいく。
「お、おい――」
後を追おうとするバルトロメウスだが、残った赤ぷにがアタックをかけてくる。まずは、そちらを相手にしなければならない。
低く突き出た枝をひょいと首をすくめて避け、下生えを踊り越えて、ブリギットは突進した。木々のすき間を見すかしても、敵らしき姿は見えない。だが、武道で鍛えられたブリギットの心眼は、相手の気配を確かにとらえている。
(いた――!)
全身を緑の服でかため、森の風景に溶け込むような姿をしている長身の人影がふたつ――。いや、人ではない。森の奥深くにひそむ好戦的な魔法の民、エルフだ。先ほどバルトロメウスを襲った火の玉も、エルフが火の魔法で呼び出したものに違いない。
手前のエルフは、どうやら突進するブリギットに気付いたらしく、抜き身の短剣を構えている。後方の一体は、呪文を唱えている最中のようだ。
ブリギットの足が軽やかに地を蹴り、彼我の距離は一瞬にして縮まる。
手前のエルフが、素早く右手の短剣を振りかぶる。
「遅いですわ!」
ロングスカートをひるがえして高く蹴り出したブリギットの旋風脚が、エルフの右手首を的確にとらえた。弾かれた短剣はくるくると宙を舞い、藪に消える。勢いのまま左足を軸に半回転し、体重を乗せて、斜め下からえぐるような裏拳を顔面に叩き込む。
ひとり目の戦闘力を奪いながら、ブリギットはもう一方のエルフにも注意を払っていた。エルフは身じろぎせず、意味のわからない言葉を宙につむぎ出している。魔法の呪文は、最後まで唱えられなければ効果がないはずだ。だが、今にも唱え終わるかもしれない。
ブリギットは流れるような足運びでエルフに迫ると、重心を下げ、こぶしを腰だめに構える。
「あたたたたたたっ!」
間髪入れず、気合とともに目にも止まらぬ正拳突きの連打がエルフの急所に吸い込まれる。
飛びのいて間を取ったブリギットは、ふっと息を吐く。エルフは両手をだらりと下げ、ぽかんと目を見開いて、こちらを見つめたまま立ち尽くしている。指先をエルフに突きつけると、口元にかすかな笑みを漂わせ、ブリギットは静かに言った。
「あなたは、もう死んでいます」
口調は若干違うが、子供の頃に愛読していた、東方から伝わってきたマンガの主人公のセリフである。その影響で、拳法を習い始めたといってもいいくらいだ。
エルフはよろめき、がくりとくずおれるように繁みに倒れこんだ。もちろん本当に死んだわけではない。だが当分は起き上がれないだろうし、戦えばどんな目に遭うか思い知ったはずだ。
「こええ・・・。これじゃ、護衛なんか要らねえじゃねえかよ」
赤ぷにを倒してから追いかけてきて、木の間越しにこの様子を見ていたバルトロメウスは、茫然とつぶやいた。


「ねえ、いつまでかかりますの? あなたのお話では、もうとっくに森を抜けて、『妖精の森』に着いているはずではなくて?」
ブリギットが不満げに言う。バルトロメウスは黙りこくって、ひたすら前へと足を進めている。
あの戦い以降、魔物には遭遇していない。当初の予定では、日のあるうちに森を抜け、妖精の住む森に到着してキャンプをするはずだった。
だが、既に日は大きく西に傾き、夕闇が迫るのも時間の問題になっている。バルトロメウスも不安を感じてはいたが、口には出さない。先ほど、エルフ二体を一瞬で倒したブリギットの姿を見てしまったのだ。へまをしでかしたと知られたら、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
「もしかして・・・。道に迷ったんじゃなくて?」
ついにブリギットが、バルトロメウスが怖れていた疑問を口にした。
「ははは、そんなことはないさ。魔物に襲われたりしたから、ちょっと余計な時間はかかっちまったが、大丈夫。だいたい、俺たちはずっと西へ西へと進み続けているんだぜ。迷いようがないだろ?」
自らも不安を打ち消すように、バルトロメウスは饒舌になる。ブリギットは眉をひそめ、ぽつりと言う。
「だといいのですけれど」
「あ、ほら、広場があるぜ。あそこで休憩しよう」
前方に開けた場所があるのを見つけたバルトロメウスが、意気込んで言う。そういえば、またお腹が空いてきていた。
「さっきも同じようなセリフを聞きましたわね」
言いながらも、ブリギットも一休みするのに反対ではないようだ。
開けた森の一画の中央には立札が立ち、丸太のベンチが置かれている。
立札には『死に急ぐな! まだ人生はこれからだ! カロッテ村青年会』という文字が書いてあった。
「ねえ、これ・・・」
身をかがめて立札の字を読んだブリギットが、だらしなく丸太にもたれて座り込んだバルトロメウスを振り向く。
「あ? 何だよ」
不安げなブリギットの表情に、バルトロメウスも身を起こした。
「わたしたち、先ほどもこの場所で休憩しませんでした? この立札の文句、まったく同じですわ。もしかしたら、同じ場所をぐるぐる回っていただけなのではなくって?」
「そんなの、偶然だって。カロッテ村青年会は熱心だから、森のあちこちに同じ立札を立ててるんだよ」
きっと、そのはずだ、そうに決まってる――バルトロメウスは心の中で付け加えた。
「それなら、良いのですけれど・・・」
つぶやいたブリギットは、自分も休もうと、ベンチに腰かける。手をかけて、はっと息をのんだ。
「ん? どうした?」
いぶかしげなバルトロメウスの視線が、不安と怒りが入り混じったブリギットの瞳とぶつかる。
「これをご覧になっても、そんなことが言えて? あなた、まさか、森のベンチ全部に、こんな恥ずかしいものを刻み込んでいるのではないのでしょう?」
きつい口調でブリギットが指したベンチの表面には、真新しい相合傘が刻み込まれていた。バルトロメウスとクラーラの名前が、薄れゆく黄昏の光に浮かび上がる。
「ええと・・・、これはだな、その・・・」
バルトロメウスは口ごもる。頭の中が真っ白になり、説明も言い訳も思い浮かばない。指先をバルトロメウスの胸につきつけ、ブリギットはヒステリックに叫ぶ。
「あなたみたいな人を頼ったわたしが、ばかでしたわ! この落とし前、どうつけてくださいますの!?」
不意に、傍らの繁みが、がさがさと動いた。バルトロメウスもブリギットも、はっと振り向く。また魔物が襲ってきたのだろうか。
現れたのは、魔物ではなかった。
「あら、ずいぶんと珍しい組み合わせね」
ピンクの服の錬金術士が、エメラルド色の目をきょとんと見開いて、進み出る。
「あなたたち、こんなところで何をしているの? 大きな声が森の奥まで響いてきたけれど、まさか痴話ゲンカ――ってことはないわよね」
『妖精の腕輪』を持ち歩いているおかげで、森にかけられた迷いの魔法に惑わされることのないアイゼル・ワイマールは、あっけにとられているふたりの顔を見比べて、笑った。


「まったく! もう少しで、とんだ無駄足を踏むところでしたわ!」
アイゼルの案内で『神のいろり』の峠道を西へたどりながら、ブリギットはまだぶつぶつ言っている。たしかに、アイゼルと出会わなかったら、延々と森の中をさまよい続けたあげく、通り抜けるのを諦めてカロッテ村へ引き返さざるを得なかったろう。それから改めて北回りのルートでハーフェンへ向かったのでは、ロードフリード一行に絶望的な遅れを取ることになったに違いない。
一方的に責めたてられて、バルトロメウスは不満そうだ。クラーラの件があるとはいえ、ブリギットにいいように引きずり回されてきたという思いも強い。
「俺のせいにばかりしないでくれよ。だいたい、『迷いの森』を通り抜けるのに必要なアイテムがあるなんて、わかるわけがないじゃないか」
「冒険者なのでしたら、そのくらい心得ているのが当然ではありませんこと?」
「俺の本職は農業だ。冒険者じゃねえ」
ぶすっとして黙り込むバルトロメウスに、ブリギットは険しい視線を向ける。また厳しい言葉をぶつけそうな雰囲気だ。
「まあまあ、気持ちはわかるけれど・・・」
アイゼルが割り込む。アカデミーの学生時代、エリーに誘われて採取に出かけるたびに、今のブリギットのようにエリーやダグラスにつっかかっていたのを思い出し、微笑ましい気分になっていた。
「『妖精の腕輪』のことを知っているのは、錬金術士でもごく限られた人たちだけですもの、仕方がないと思うわ」
そう言って、アイゼルは荷物の中から小さな腕輪を出して見せた。ハーフェンの雑貨屋で売っている粗悪品に比べて、装飾が細やかでつやもある。旅の途中で倒したエルフが落としていったものだ。覗き込んだブリギットが、眉をひそめる。
「金ぴかで、趣味の悪い腕輪ですわね。とても着ける気にはなりませんわ」
ブリギットと同様、アクセサリーにはうるさいアイゼルもうなずく。
「ええ、その通りね。さいわい、この腕輪の効力は、身に着けなくても持ち歩いているだけで発揮されるから」
「そうか、ヴィオもこれを荷物の中に入れていたんだな。だから、あいつと一緒にいるときは、俺も森で迷わないでいられたってわけか」
「そういうことね」
「でも――変ですわね」
ブリギットが考え込む。
「わたし、ヴィオラートと一緒でなくても、この森を抜けたことがありましたわ」
数ヶ月前、フィンデン王国の異変を竜騎士隊に知らせるために、ロードフリードと一緒にハーフェンへ行った帰りのことである。ハーフェンで出会ったふたりの錬金術士――マルローネとクライスを伴って、カロッテ村へ帰ろうとしたロードフリードとブリギットは、ジーエルン家の馬車を駆って、このルートを逆方向に突っ走ったのだ。悪路を疾走して無理をかけたのと、魔物にぶつけようとして手元が狂ったマルローネの爆弾が至近距離で炸裂したせいで、馬車はカロッテ村へ着く寸前にばらばらになってしまったが。
そのことを話すと、アイゼルは笑って説明してくれた。
「あ、それはね、マルローネさんが『妖精の腕輪』を持っていたせいだと思うわ。あの人も、シグザール領内の『妖精の森』に出入りを許された、数少ない錬金術士のひとりだから」
「なるほど、そうでしたの」
とりあえずバルトロメウスに対する矛を収めたブリギットは、機嫌を直してうなずく。
「ところで、アイゼルさん、わたしたちと一緒に来ていただいて、本当に構いませんの?」
アイゼルがブリギットたちと出会ったのは、妖精の村から『迷いの森』を通ってカロッテ村へ帰る途中だった。それなのに、ハーフェンまで――あるいはその先のホーニヒドルフまで、同行してくれるという。
「ええ、いいのよ」
アイゼルは、穏やかな表情でうなずく。ノルディスがくれた優しい文面の手紙を肌身離さず持ち歩いているだけで、心は安らかだ。
「カロッテ村へ帰っても、ヴィオラートがいないのでは仕方がないものね。ヴィオラートに会って、一緒に戻ることにするわ。それに――」
賢いアイゼルは、続く言葉をかみ殺す。
(あなたたちをふたりだけにしておいたら、どうにも危なっかしくてしょうがないし――)
「ともかく、ありがてえ。よろしく頼みますよ、アイゼルさん」
バルトロメウスの言葉にも実感がこもっている。アイゼルがいてくれれば、四六時中ブリギットの相手をしなくても済むのだ、当然だろう。あとは、クラーラに追いつくべく、先を急ぐだけだ。


その後は大きなトラブルにも見舞われず、数日後の昼過ぎ、一行は首都ハーフェンに到着した。
カナーラント王国南西部に位置するハーフェンは、何本もの運河で海と結ばれ、水上交通が盛んな城塞都市である。陸路としては、北西のホーニヒドルフ、北東のファスビンダーと街道で繋がっている。街を取り巻く城壁にはいくつも水門が設けられ、大小の船舶が忙しく出入りしている。
アイゼル、ブリギット、バルトロメウスの3人は、もっとも大きくて人の出入りが多い東門からハーフェン市街へと足を踏み入れた。年に一度の大イベント『ハーフェン掘り出し物市』は3日前から始まっており、会場の職人通り噴水前広場へ向かう道は、王国各地や他の国からやって来た人々でごったがえしている。これだけの人波の中から目指す相手を探し出すのは、かなり難しそうだ。
「闇雲に探し回っても仕方がないわ」
アイゼルが提案した。
「まずは、酒場へ行って情報収集しましょう」
「いや、そんな悠長なことをやってる場合じゃねえ」
バルトロメウスが反論する。
「クラーラさんが『ハーフェン掘り出し物市』に行ったことはわかってるんだ。骨董市の会場で、片っ端から探せば、すぐに見つかるって。きっと、ヴィオやロードフリードのやつも一緒にいる。なあ、あんたもそう思うだろう?」
助けを求めるように、ブリギットを見る。ブリギットは眉をひそめ、らしくない態度で口ごもる。
「わたしは――。アイゼルさんのご意見に賛成ですわ」
ブリギット自身、内心では、すぐにでもロードフリードを探して街じゅうを走り回りたい気分だった。だが、骨董市の会場を探し回るのには、抵抗がある。
彼女の両親は、ふたりとも『ハーフェン掘り出し物市』運営委員会の関係者だ。会場で偶然、出くわすかもしれないし、そうでなくとも、父親の部下にでも顔を見られる可能性がある。書置きだけを残して、勝手に家を出てきてしまったのだ、今、両親と顔を合わせるのは、どうにもばつが悪い。そこにロードフリードがいると確実にわかっているならともかく、無闇にハーフェン市内を探し回るのは、できることなら避けたいのが本音だった。
「そうかい、わかったよ! じゃあ、俺ひとりで探してくらあ! ロードフリードを見つけても、あんたには教えてやらないからな」
バルトロメウスは今にも人波に向かって駆け込みそうな勢いだ。彼の頭の中には、街のごろつきどもに狙われているクラーラの姿がありありと浮かんでいる。そして、それを助けに果敢に飛び込んでいく自分の姿も――。
アイゼルは落ち着きはらって答える。
「いいわ。後で、中央広場の『渡り鳥亭』で落ち合いましょう。あたしたちがいなくても、ディアーナさんに伝言を残しておくから」
「了解だ! クラーラさん、今、俺が助けに行きます!」
ヒーロー気分で、バルトロメウスは人ごみに飛び込んでいく。あきれたように見送るブリギットをうながして、アイゼルは歩き出した。
「なんて単純な人なのかしら」
「まあ、気が済むまで走り回らせておきましょう。もしかしたら、大当たりを引き当てるかもしれないしね。どのみち、一通り情報を集めたら、手分けして動く方が効率がいいわ」
「そうですね。でも、ちょっとうらやましいですわ、あの思い込みと情熱――」
バルトロメウスが消えた方向を見やり、しんみりとした口調でブリギットが言う。アイゼルは驚いたようにブリギットを見た。視線に気付いたブリギットが、頬を赤らめる。
「あら、あなただって、想いの強さでは負けていないんじゃなくって?」
悪戯っぽく言うアイゼルに、頬を染めたまま、むきになってブリギットは言い返す。
「少なくとも、アイゼルさんには負けていないつもりですわ」
「まあ」
眉をひそめ、アイゼルはにらみ返す。だが、やがてふたりの貴族令嬢は、顔を見合わせて笑い出した。

「いらっしゃい」
酒場『渡り鳥亭』は、ほぼ満席だったが、アイゼルとブリギットは、なんとかカウンターの隅に席を確保した。店主のディアーナに無言の合図を送り、手が空いて、来てくれるのを待つ。ブリギットは焦れてやきもきしていたが、わがままを言うわけにはいかない。特にアイゼルの前では、人間的な未熟さを見せるわけにはいかなかった。
ようやく、ディアーナが目の前にやって来た。大胆に肌を露出したドレスを身につけているが、いやらしさは感じられない。選りすぐられたアクセサリーと、濃い目だがどぎつさを感じさせない上品な化粧は、同じ女性として秘訣を聞き出したいほどだが、今はそんな場合ではない。
「ああ、錬金術士のヴィオラートなら来たわよ。2日ほど前にね」
アイゼルから話を聞いたディアーナは、即座に答えた。ディアーナは、もったいぶって話を引き伸ばすべき時と、そうでない時を心得ている。
「ロードフリード様も一緒でしたか?」
ブリギットが勢い込んで尋ねる。ディアーナは優しげにうなずく。
「あの品のいい青年ね。一緒だったわよ」
「それで? 今どこにいるかはご存知ですか?」
「そうね。たぶん、今ごろはテュルキス山道を北上しているんじゃないかしら」
「え? では、もうホーニヒドルフへ向かってしまったんですの?」
ブリギットが肩を落とす。
「ええ、着いたその日に、ここで竜騎士隊のローラントさんと出会ってね。話し込んでいるうちに、一緒に北へ向かうことになったようよ」
「竜騎士さんも、ホーニヒドルフへ用事があったのですか」
アイゼルの問いに、ディアーナは首を横に振った。しばらく、アイゼルとブリギットの顔を見比べて考えをめぐらしていたが、微笑んでうなずく。
「あなたたちになら、話してもいいでしょう。ローラントさんの目的地はホーニヒドルフではなくて、その先――テュルキス洞窟よ」
「テュルキス洞窟?」
ブリギットはいぶかしげな表情をし、実際に現地へ行ったことがあるアイゼルは眉をひそめた。
「テュルキス洞窟を根城にする盗賊団ヤグアールが、活動を活発化させているという情報があってね。ドラグーンはフィンデン王国の支援に忙しくて動けないから、ローラントさんがひとりで偵察に行くことになっていたのよ。そうしたら――」
「その話に、ヴィオラートが飛びついたというわけですね」
アイゼルがうなずく。
「まったく、あの娘らしいわ」
「もう! 本当に、どこまで面倒をかけたら気が済むのかしら。ロードフリード様もロードフリード様ですわ。そこまでヴィオラートに付き合わなくてもよろしいはずですのに!」
ブリギットが、その場にいないヴィオラートに怒りをぶつける。アイゼルが振り返って、ブリギットの顔を見た。
「さて、どうする?」
「もちろん、ロードフリード様を追いかけますわ」
ブリギットはこぶしを握りしめ、きっぱりと言った。その様子を微笑みながら見ていたアイゼルが、ふと眉をひそめ、考え込む。
「ちょっと待って・・・おかしいわね」
「どうなさったんですの?」
「腑に落ちないことがあるのよ」
いぶかしげに見るブリギットに、アイゼルが答える。
「ヴィオラートとロードフリードさんが、ローラントさんに同行したのはわかるわ。でも、クラーラさんも一緒に行ったのかしら?」
そのとき、酒場のドアが荒々しく押し開けられ、青ざめた顔のバルトロメウスが飛び込んできた。あわただしく店内を見回し、アイゼルたちの姿を認めると、満員の客を蹴散らしながら突進してくる。やっとカウンターにたどり着いたが、肩で大きく息をし、声も出せない様子だ。ディアーナが差し出した強い酒をひと口飲んで、ようやく自分を取り戻したバルトロメウスは、血走った目をして大声で叫ぶ。
「大変だ! クラーラさんが、盗賊にさらわれた!」

支離滅裂で要領を得ないバルトロメウスの話をまとめると、こういうことになる。
アイゼルたちと別れたバルトロメウスは、『ハーフェン掘り出し物市』の会場になっている職人通りの噴水前広場へ向かった。
いつもは武器屋や雑貨屋が店を開いている職人通りだが、骨董市が盛大に行われているためか、どこの店にも「本日休業」の札が下がっている。バルトロメウスになじみのあるダスティン・シュミートの武器工房も休みだった。ダスティンの店が営業中ならば、立ち寄ってなにか聞き出せるかもしれないと思っていたのだが。
人波をかき分けるようにして、クラーラの姿を探す。髪の長い女性を見かけるたびに、片っ端から声をかけて顔を覗きこんだせいで、警備の騎士に不審者扱いされたが、バルトロメウスはめげない。
今度は、焼き物や壺、絵画や彫刻などの骨董品を、高級品からガラクタまで所狭しと並べた露店の商人に、次々と質問していく。
「クラーラさんを見かけなかったか?」
しかし、まったく手掛かりは得られなかった。こんな質問の仕方では、相手にされないのも無理はない。カロッテ村ならば誰もがクラーラを知っているから、こう質問するだけで十分なのだが、ここは多くの人が出入りするハーフェンである。
「クラーラさんって、いったい誰だよ」
声をかけた全員にそう問い返されて、ようやくバルトロメウスは質問の仕方を変えた。クラーラの年格好や服装を説明し、心当たりはないかと尋ねて回る。それでも、返って来るのは、
「さあな、このとおり、とんでもない人出だからな。常連さんならともかく、人の顔なんて、いちいち覚えていられねえよ」
といった答ばかりだった。それでも、バルトロメウスは行き会う人行き会う人に、根気よく声をかけ続けた。
「その女の人なら、お昼前に見かけたですの〜」
露店の骨董屋と、何十回目かの無益な問答を繰り返していたとき、傍らから声がかかった。
「何だって!?」
振り向くと、奇妙ないでたちの少女がバルトロメウスを見上げている。背が低く、幼い顔立ちで、耳をだらりと垂らした白うさぎのような大きな帽子をかぶり、青を基調にした服を着込んでいる。
「どこでだ!? それより、今、クラーラさんはどこにいるんだよ?」
少女の両肩に手をかけ、大声で言う。少女は怯えたようにあとずさる。
「放してくださいの〜。それに、そんなに大きな声を出されたら、怖いですの〜」
「あ、いや、すまねえ。つい夢中になっちまって・・・」
素直にバルトロメウスは謝る。やっと見つけた大事な情報源だ。怖がらせて逃げられてはたまらない。
「わたし、シュトーラですの」
くりくりした目で、少女は名乗った。
「わかった。で、シュトーラ、クラーラさんをどこで見かけたんだ?」
「この会場のはずれですの。外門へ向かう道の途中ですの」
シュトーラは、ぽつりぽつりと話し始める。アイゼルやブリギットならば、もっとうまく秩序立てて話を聞き出せるのだろうが、焦るバルトロメウスはまともに順を追って質問ができない。
「田舎くさいけど上等な白い服とロングスカート、それに紺のベストを着ていたですの」
「おう、それだ、間違いない、クラーラさんだ」
「明るい茶色の、長い髪をしていましたの〜」
ますます確証は深まる。
「で? ひとりだったのか?」
「男の人と一緒でしたの」
「何だとぉ!?」
バルトロメウスは目をむく。だが、すぐに思い直す。ロードフリードが一緒だったのかもしれない。それに、ヴィオラートが一緒にいたとしても、背が低いから人波に埋もれて見えなかったのだろう。
「その男ってのは、きちっとした服を着て、背の高いキザっぽいやつだったんじゃないか?」
「違いますの。入れ墨をした、荒っぽそうな人でしたの」
「何だって?」
「男の人はふたり連れで、なんか、無理に女の人を連れて行こうとしていたみたいですの。女の人は抵抗して、何度も『放してください、行かせてください』と訴えていましたの。でも、男の人は手を放さず、嫌がる女の人を無理やり引きずっていったですの。『逃がしたら面倒だ』とか『早く馬車に押し込めちまえ』とか言っていたですの。あと、『売ればいいカネになる』とか言ってた気もするですの〜」
「まさか!?」
旅の途中で何度も抱いていた妄想の前半が、本当になってしまった。かみつくようにシュトーラに訊く。
「そいつらは、どっちへ行ったんだ!?」
「北の方ですの。そっちに馬車がいるとか言っていましたの」
「くそ、盗賊どもめ! クラーラさんをさらって売り飛ばすつもりだな。こうしちゃいられねえ。シュトーラ、ありがとよ!」
「あ、あの・・・」
まだなにか言いたそうなシュトーラを放って、バルトロメウスは人波を押しのけ、走り出した。だが、ひとりで盗賊の後を追わないだけの分別は残っていた。売り飛ばすつもりだとしたら、さしあたってはクラーラの身は安全だろう。だが、凶悪な盗賊団のことだ、何をするかわからない。相手が何人いるかもわからないのだから、追いかけるなら人数は多ければ多いほどいい。爆弾や様々な攻撃アイテムを使いこなすアイゼル、拳法の達人ブリギットが援護してくれれば、相手が盗賊団でも引けはとるまい。もちろん、先頭に立ってクラーラを救い出すヒーローは、このバルトロメウスだ。
そんなわけで、バルトロメウスは大あわてで酒場『渡り鳥亭』に駆け込んできたのだった。
「だから、頼む! すぐに一緒に盗賊どもの馬車を追跡して、クラーラさんの救出を手伝ってくれ!」


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