戻る

前ページへ次ページへ

恋のアトリエ・ドミノ Vol.4


第4章 第二の物語(1)

鬱蒼とした暗い森を抜けると、温かな陽光が降りそそぐ草原の向こうに、城塞都市ハーフェンがかすかに姿を現した。あたりの様子も、ここまでの暗さから一変、のどかで平穏な風景に変わる。
「あ、見えたわ! ヴィオ、早く早く!」
「クラーラさん、待ってくださいよ〜」
目的地が視界に入ったクラーラは思わず足を速め、一歩遅れたヴィオラートがあわてて後を追う。しんがりを務めていたロードフリードは穏やかに微笑みを浮かべて、ゆっくりと歩を進める。
背後にそびえる、人跡未踏の山頂に謎の浮船が舞い降りるという神秘の高峰『神々の食卓』――その西麓に広がる深い森は、『失意の森』と呼ばれる。その名の通り、ここまで進んできた森は気を滅入らせるほどに暗く、好戦的なエルフや凶暴なクマ、猛禽アードラといった魔物の襲来を常に気にしていなければならなかった。しかも旅人を迷わせる魔法に包まれているため、不用意に森に入り込んだ者は同じところをぐるぐるとさまよい歩いたあげく、元の入口に戻されてしまう。無事に戻れる者はまだ幸運な方で、迷っているうちに魔物に襲われてしまう旅人も後を絶たない。ヴィオラートは『妖精の腕輪』を持ち歩いているので、森にかけられた魔法にも惑わされることはない。それでも、戦力として頼りにならないクラーラの前後を守りつつ、常に神経を張り詰めていなければならなかったロードフリードとヴィオラートである。ふたりとも、クラーラとは別の意味でほっとし、自然に笑みがこぼれていた。
名前だけは『王国横断道』の一部とされているが、森の中では街道とは名ばかりで、木の根と石ころだらけの歩きにくい道だった。しかし、開けた土地に出ると、街道もようやく名前にふさわしい姿を取り戻した。広くなった道はなだらかな丘を下り、ゆるやかにうねって旅人たちを首都へといざなう。この先、道しるべが小さく見えている大三叉路を突っ切れば、ハーフェンまでは一本道だ。
最初の曲がり角まで弾むような足取りで駆けていったクラーラは、立ち止まると振り返って太陽のような笑顔を向け、後ろのふたりに手を振る。
「ふたりとも〜! 早く早く!」
「あ〜あ、クラーラさん、あんなにはしゃいじゃって」
「ははは、よっぽど骨董市が楽しみなんだな」
ヴィオラートとロードフリードは顔を見合わせると、足を速めた。
追いつくと、クラーラは足踏みしながらもどかしげに声を上げる。
「ほらほら、ふたりとも、もう疲れちゃったの? 早く行かないと、掘り出し物が売れてしまうかもしれないわ。急がなきゃ」
「へ? だって、クラーラさん――」
ヴィオラートがきょとんとする。クラーラが見せてくれたチラシによれば、『ハーフェン掘り出し物市』は明日からのはずだ。
そのことを言うと、クラーラは一瞬黙り込んだが、すぐにむきになったように言い返す。
「だって、ヴィオだって珍しいアイテムが採れる場所があるって聞いたら、気が気じゃなくて、いてもたってもいられないでしょう? それと同じなのよ。ああ、どんなかわいいものに出会えるのかしら」
両手を胸の前で組み合わせ、クラーラはうっとりとした夢見るような表情を浮かべる。ヴィオラートは、ふと思った。
(なんか、お兄ちゃんがクラーラさんのことを考えてる時の顔に似てるなあ)
苦笑しながら、ロードフリードが言う。
「でも、クラーラさん、ハーフェンまではまだ半日以上かかりますからね。あんまり張り切りすぎると、バテてしまいますよ」
「そうですよ、夕方まで歩き続けなければならないんですから、ペースを守って歩かなきゃ。足でも痛めて、肝心の骨董市に行けなくなりでもしたら、大変ですよ」
ヴィオラートも言い添える。
「あと半日くらい、平気よ。大丈夫、大丈夫」
クラーラは目を輝かせ、両手を挙げてこぶしを握りしめる。そして、左手を腰に当てると、高々と掲げた右手でハーフェンを指差した。まるで、名画に描かれた、人民を導く女王のような姿だ。
「さあ、行きましょう!」
力強い足取りで歩き始めるクラーラに、旅慣れているヴィオラートは思わずロードフリードを見上げる。頭ひとつの身長差があるので、立ったまま話すときは、こうしなければならない。
「本当に、大丈夫かなあ」
「まあ、クラーラさんがバテたら、そのときは俺がなんとかするよ。ヴィオは心配しなくていい」
さらさらの髪をかき上げ、ロードフリードは言った。ヴィオラートは頼もしそうに、幼馴染を見上げる。昔から、様々な場面でロードフリードはヴィオラートとバルトロメウスの兄妹を助けてくれた。錬金術に出会い、一流の錬金術士を目指して修行を始めてからも、ロードフリードは材料採取の護衛に、ヴィオラーデンの店番にと、嫌な顔ひとつせずに手助けをしてくれている。身内なのに護衛代を要求する兄とは、えらい違いだ。どこから、こんな違いが出てくるのだろう。
「どうしたんだい、ヴィオ?」
「へ?」
ロードフリードの声に、ぼんやりと思いにふけっていたヴィオラートははっと顔を上げる。怪訝そうに覗き込む幼馴染の顔が、目の前にあった。
「あ、いえ、何でもないです!」
あわてて両手を振り、照れ笑いを浮かべる。ロードフリードは、からかうような笑みを浮かべ、
「ヴィオこそ、バテるにはまだ早いぞ」
「そんなんじゃありません」
「ははは、さあ、行こうか。クラーラさんにおいていかれてしまうよ」
ふくれ面をするヴィオラートの頭を、親しみをこめてなでると、ロードフリードは一部の隙もない完璧な姿勢で歩き出す。
「あ、待ってください!」
追いかけながら、ヴィオラートは10日ほど前のことを思い出していた。

「お願い、ヴィオ。どうしてもハーフェンに行きたいの。ねえ、連れて行ってくれない?」
カロッテ村の酒場『月光亭』裏の広場で、ロードフリードや女剣士カタリーナと話していたとき、クラーラが手を振りながら駆け寄って来たのだった。クラーラが握りしめていたチラシは、首都ハーフェンで年に一度開かれるという骨董市の案内だった。
「ずっと前から、行きたい行きたいと思っていたのよ。でも、遠いし、道中危ないからと、おじいさまはいつも許してくれなくて――」
すがるような目で、クラーラは訴える。いつも控えめでしとやかなクラーラからは、想像がつかない熱心さだ。
「おじいさまが心配するのも、無理ないと思うわ。わたしだって、ひとりでハーフェンまで無事に行けるとは思わないもの。でも、今はヴィオが――頼りになるお友達がいるんですもの。ヴィオが一緒に行ってくれると言えば、おじいさまだってダメだとはおっしゃらないはずよ」
「あ、ええ・・・」
クラーラの勢いにたじたじとなりながらも、ヴィオラートは答えた。ロードフリードは微笑みながら、カタリーナは興味深げに成り行きを見守っている。
「ちょうど明日、ロードフリードさんとホーニヒドルフへ行こうとしていたところで――」
「本当!? ハーフェンは、たしかホーニヒドルフへ行く途中にあるのよね! お願い、わたしも連れて行って! この機会を逃したら、今度いつ『ハーフェン掘り出し物市』に行けるかわからないのよ。ねえ、ヴィオ、一生のお願い!」
「その前に、聞きたいんですけど――」
事態を落ち着かせようと、ヴィオラートが口をはさむ。
「『ハーフェン掘り出し物市』って、そんなにすごいイベントなんですか?」
「すごいに決まっているじゃない! どれだけすごいのかって言うとね――。ええと・・・あら?」
クラーラが口ごもる。説明しようとするのだが、具体的なことを知らないので、うまく言えない。とにかく、珍しいものやかわいいものが山のように売られているという思い込みしかないのだ。
「まあ、ハーフェンの人口が普段の3倍になると思えばいいだろうね」
ロードフリードが助け舟を出す。
「あ、そうか。ロードフリードさんはハーフェンにいたから、ご存知なんですね」
ロードフリードは、カナーラント王国が誇る竜騎士隊ドラグーンの騎士精錬所に所属して、数年間をハーフェンで過ごしたことがある。文武に秀で、優秀な成績を修めて将来を嘱望されながらも、竜騎士になる道を捨てて故郷のカロッテ村へ帰ることを選んだロードフリードだった。
「ああ、一度、仲間に誘われて覗いてみたことがあるよ。とにかくいろんなものがあった。でも、あまりの人出の多さに閉口して、すぐに宿舎へ戻ってしまったけどね」
「そんなにすごいんですか」
ヴィオラートが目を丸くする。
「ああ、絵とか壺とか置物とか、古銭に古本、何に使うのかわけのわからない道具まで、そういうものを並べた露店が、噴水前広場をあたり一面に埋め尽くしていたな。なんでも、大陸のありとあらゆる場所から商人が集まっているということだった」
「古代の剣とか、防具とかもいろいろ置いてあったわよ」
カタリーナがぽつりと言い添える。
「カタリーナさんも行ったことがあるんですか?」
「ええ、大陸中から大勢の人が集まってくるわけだから、マッセンの騎士に関する情報が得られるかと思ってね。毎年、ぶらぶら歩き回っていたわ」
「うらやましい・・・」
感極まったこのセリフは、クラーラのものだ。ロードフリードが続ける。
「もしかすると、ヴィオの錬金術に役立つものも見つかるかもしれないよ」
「でしょう? だから、みんなで行きましょうよ!」
クラーラが一段と声を張り上げる。
「う、うん、ホーニヒドルフへ行くついでだし、あたしは構わないけど・・・。ねえ、ロードフリードさん?」
ヴィオラートがロードフリードを見やる。
「ああ、俺も仲間が増えるのは大歓迎だよ」
相変わらずロードフリードは如才がない。ヴィオラートはうなずく。
「わかりました、クラーラさん。オイゲンさんが、いいと言えば――」
「わかったわ! 待ってて、すぐにお許しをもらってくる!」
ものすごい勢いで、屋敷へ駆け戻っていくクラーラを、3人はぽかんと見送るばかりだった。
その後、バルビア邸で、祖父と孫娘の間でどんな会話が交わされたのかはわからない。確かなのは、翌朝早く、村はずれの集合場所に、旅支度を整えたクラーラがにこにこしながら現れたことだけだ。

一行がハーフェンの外門にたどり着いたのは、日がとっぷりと暮れてからだった。
ロードフリードとヴィオラートの懸念どおり、張り切って急ぎすぎたクラーラが足をつらせてしまい、途中で動けなくなってしまった。しばらく休んだ後、ロードフリードがクラーラを背負って出発したが、遅れは取り戻しようがなかった。
日没後は、治安上の理由から、ハーフェンへの一般人の出入りは原則として禁止されている。規則に従えば、市外で野宿をして一夜を明かさねばならないところだったが、城門を警固する騎士がロードフリードの顔なじみだったため、なんとか入れてもらうことができた。
疲れが出たのか、クラーラはロードフリードに背負われたまま、ぐっすりと眠り込んでしまっている。一行は中央広場に面した酒場『渡り鳥亭』に部屋を取り、その晩は酒場で情報収集もせずに眠りに落ちた。
そして、夜が明けた。


「さあ、早く行きましょう! 骨董市が終わってしまうわ」
久しぶりにちゃんとしたベッドでぐっすり眠ったクラーラは、元気いっぱいだ。昨日は昼間からロードフリードの背中で寝ていたのだから、なおさらである。
「あわてなくても大丈夫ですよ。まだ骨董市が始まるまで二刻もあるんですから。ふああああ〜」
張り切るクラーラに早朝から起こされたヴィオラートは、口に手を当てて大あくびをする。
「だって、ほら、ここにいる人たちって、みんな掘り出し物を探しに来ているんでしょ? じっとしていられないわ」
クラーラは周囲を見回し、声をひそめた。
「まあ、たしかにその通りですね。でも、品物も星の数ほどありますから、心配はいらないですよ」
ロードフリードはいつも通り、きちんと正装して髪も整えている。
3人がいるのは、酒場『渡り鳥亭』のカウンターの隅である。普段の『渡り鳥亭』は、朝食時の客の入りはまばらなのだが、さすがに『ハーフェン掘り出し物市』の初日ということもあり、テーブルもカウンターも、ほぼ埋まっている。いつも幅を利かせている冒険者の姿は少なく、抜け目のなさそうな商人風の男たちや、異国の衣装をまとった旅芸人などが目立つ。商人は掘り出し物を求め、あるいは一儲けしようとして、また旅芸人は骨董市に集まる人々を目当てにひと稼ぎしようと、首都ハーフェンに集まってきたのだろう。女主人ディアーナがてきぱきと客の注文をさばき、いつもの倍の人数のメイドや給仕が、焼きたてのパンや香り高いスープを厨房からテーブルへと忙しく運んでいる。
ヴィオラートたちの前にも、アードラの卵を材料にした温泉卵に渦巻き貝のスープ、焼きたてのデニッシュといった朝食が置かれている。クラーラとヴィオラートはすべて平らげ、デザートに伝統ケーキまで注文した。ハチミツ入りの紅茶をすすりながら、今日の予定を話し合う。
「俺は、ジーエルン家に挨拶をして来ようかと思うんだ」
ロードフリードが言った。ヴィオラートが驚いて振り向く。ロードフリードは、照れたような笑みを浮かべる。
「いや、俺がハーフェンへ来ているのに、知らん顔をしていたと知ったら、ブリギットは後が怖いからね」
「でも――」
ヴィオラートは不満そうだ。実を言えば、クラーラに付き合って骨董市を回る役はロードフリードに任せて、酒場で情報収集をしたり仕事を受けたりしたかったのだ。それに、自分ひとりだけでは、たくさんの珍しい品を目の前にしたクラーラの暴走を抑えられるか自信がない。
ヴィオラートの沈黙を、ロードフリードは誤解したようだ。からかうような口調で、
「おや、ヴィオ、妬いてるのかい?」
「そんなんじゃありません!」
むきになったように、ヴィオラートが口をとがらす。クラーラはくすくす笑った。
「それに、ほら、ロードフリードさんが一緒にいてくれた方が、クラーラさんも安心でしょ?」
「ううん、あたしはヴィオがいてくれれば大丈夫よ」
クラーラはヴィオラートの腕を取って自分の腕をからませ、ぎゅっと身を寄せてきた。バルトロメウスが見たら、うらやましさと口惜しさで地団太を踏んでいただろう。
「いえ、やはり男の人がついていた方が安全よ」
カウンター越しに落ち着いた女性の声が聞こえ、3人は一斉に顔を向ける。手の空いたディアーナが、お茶のお代わりを持ってきてくれたのだ。振り返れば、酒場の客は潮が引くようにいなくなり始めている。みな、自分の商売の準備をしに行ったのだろう。
「ええと・・・。男の人がいた方が安全って?」
ヴィオラートがいぶかしげな声を出す。湯気の立つポットから、それぞれのカップに紅茶を注いだ後、ディアーナは自分の分のカップも用意して、カウンターの向かいに腰をすえた。
「骨董市に来る人の全部が、まっとうな目的を持っていると思わない方がいいってこと」
考え深げな眼差しを、特にクラーラの方へ向け、ディアーナは静かに言った。
「それって――」
「ヴィオラートも、そちらのあなた・・・クラーラさんでしたっけ? ふたりとも、『ハーフェン掘り出し物市』は初めてだと言っていたわね」
「はい・・・」
「骨董市だけではないけれど、都会でお祭があると、本当にいろいろな人がやって来るわ。もちろん、多くの人は買い物をしたり催し物を楽しんだりするために来るわけだし、異国の産物や骨董品を売りさばいて一儲けしようと思っている商人だって、考え方としては健全と言えるわ」
ディアーナは遠くを見るような眼差しで、続ける。
「でもね、商人の中には、贋物やまがい物を、わかっていながら高値で売りつけようとする輩もいるの。運営委員会では、そういう悪質な商人を排除しようと努力しているけれど、抜け道はいくらでもあるから・・・」
「あの、わたし、一応、見る目はあるつもりですけど」
クラーラは反論するが、ヴィオラートは懐疑的な表情だ。クラーラの美的感覚に、“見る目がある”という表現は適当ではなかろう。ディアーナは余裕の微笑みを返す。
「そう言って、何人もの玄人気取りが全財産を失うのを見てきたわ」
「そんな――」
顔を曇らせるクラーラに、ディアーナは慰めるように言う。
「別に、あなたをくさそうと思っているわけではないのよ、誤解しないで。でも、骨董市で贋物をつかまされるくらいは、かわいいものよ。騙すか騙されるか、ゲームのように楽しんでいる人たちもいるくらいだしね」
いったん言葉を切ると、ディアーナは表情を引き締めた。
「それだけじゃないわ。お祭の人ごみには、スリや詐欺師もうようよしているから、財布にはいつも気をつけていることが大切よ。それから、かわいい女の子と見れば声をかけずにはいない連中や、騒ぎを起こしたがる血の気の多い若者たちもいる。世間知らずの若い女性がひとりで歩いていたりしたら、どんな目に遭わされるかわかったものではないわ。でも、そんな連中も、強そうな男の人が一緒にいれば、手は出してこないものよ」
「ひええ・・・。『ハーフェン掘り出し物市』って、そんなに怖いものだったんですか?」
ヴィオラートは大きな目をますます丸くする。
「まあ、今の話はちょっと大げさだったかもしれないけれどね。悪い部分だけを取り出して、強調して話しているから。骨董市に来ている100人のうち99人は、まっとうな、いい人よ。でも、たまたま運悪く、残り一人の悪人に出会ってしまったら――わかるでしょう?」
「自分の身は、自分で守らなければならないということですね」
ロードフリードが静かに言う。ディアーナはうなずき、付け加える。
「それと、誰か信頼できる人に守ってもらうことね」
「そうですね! よくわかりました! さすがディアーナさん、年の功ですね!」
ヴィオラートの言葉に、ディアーナの眉が上がる。ロードフリードがヴィオラートを肘で小突いた。
「へ? どうしたんですか、ロードフリードさん」
ロードフリードはディアーナに目で謝ったが、当のヴィオラートはきょとんとしている。悪気のなさではパウル並みだ。それをわかっているのか、大人のディアーナはそ知らぬふりで話題を変えた。
「でも、今年は特に心配なのよ。十分、気をつけた方がいいと思うわ」
「どういうことですか?」
「西の山岳地帯に、盗賊団がいくつも巣食っているのは知っているでしょう?」
「はい」
「どうやら、やつらが隠れ家を出て、ふもとの方へ下りて来ているらしいのよ。お祭のにぎわいに紛れて、なにか悪巧みをしている可能性もあるわ」
「そうなんですか」
盗賊団ヤグアールの根城であるテュルキス洞窟へ侵入したこともあるヴィオラートは、あまり動じていないようだ。盗賊など、おとぎ話かロマンス小説の中にしかいないと思っているクラーラも、きょとんとしている。表情を引き締めたのはロードフリードだった。ディアーナに尋ねる。
「もっと情報はないですか」
「さあ、わたしもこれ以上は・・・。詳しいことが知りたかったら、竜騎士隊のローラントさんに聞いてみるといいわ」
「なるほど、わかりました」
「夕方には、ここに顔を見せると思うわ」
この件に関してローラントが現時点で知っていることは、すべてディアーナが情報源なのだが、そんなことはおくびにも出さない。もし自分がこの場ですべてを話してしまって、後でかれらがローラントから話を聞いたときに、「あ、それ、全部ディアーナさんが話してくれましたよ」ということになったら、ローラントの面目が立たない。客を立てる――それがディアーナのルールだ。
「わかった。それじゃ、俺もヴィオやクラーラさんについていこう」
ロードフリードはきっぱりと言った。ディアーナがうなずく。
「でも、ブリギットにもちゃんと連絡しておいた方がいいと思いますよ」
ヴィオラートが蒸し返した。ブリギットは今、フィンデン王国の復興支援に尽力する父親を手助けするために、ハーフェン郊外にある実家に帰っている。ロードフリードがハーフェンへ来たのに、知らせもせずにいたとわかったら、後で八つ当たりされるのはヴィオラートである。
「お手紙を出したらどうかしら。『ハーフェンに来ていますから、夜にみんなで食事でもどうですか』って。礼儀にかなっているし、しゃれていると思うわ」
クラーラが提案する。
「うん、それはいいな」
「さすがクラーラさん、グッドアイディアですよ!」
「ジーエルン家ね。手紙は、うちの者に届けさせておくわ」
ディアーナが受け合ってくれ、その場でロードフリードは短い手紙をしたためた。
そして3人は、ディアーナの警告を心に留めながらも、クラーラを先頭に、意気揚々と『ハーフェン掘り出し物市』に繰り出したのだった。


前ページへ次ページへ

戻る