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恋のアトリエ・ドミノ Vol.7


第7章 第二の物語(4)

翌朝――。
ハーフェン中央広場の『渡り鳥亭』の前には、小さな集団が姿を見せていた。3人ずつの2グループに分かれ、どちらも男性2名に女性1名という構成になっている。そして、一組は旅立ち、もう一組は残ることになっていた。
「それじゃあ、行ってきます」
ヴィオラートが右手を上げ、竜騎士隊の敬礼を真似てみせる。背後では、本物の竜騎士ローラントと、実力では正規の竜騎士にも劣らないロードフリードが、それぞれ長剣を携えてたたずんでいる。3人は、これから盗賊団ヤグアールの本拠地、テュルキス洞窟へ向かうのだ。
「行ってらっしゃい。ヴィオ、気をつけてね」
買い込んだ骨董品の山に埋もれる夢を見ながら、ぐっすり眠ったクラーラも元気いっぱいだ。
「グレールさん、ダスティンさん。クラーラさんのことを、よろしくお願いします」
クラーラの後ろにいるふたりに、ヴィオラートは頭を下げる。
「ああ、まかせといてくれよ。かわいこちゃんの頼みだもの、何があっても、きれいなお姉さんを守ってみせるから」
相変わらずの底抜けの笑顔と軽い口調で、グレールが受け合った。ダスティンもうなずく。
「どっちみち、俺もグレールも、骨董市が終わるまでは店を開けられないからね。クラーラさんの助手を務めさせてもらうよ」
昨夜、ローラントとのテュルキス洞窟行きを決めた後、ヴィオラートとロードフリードは、ハーフェンに残るクラーラをどうすればよいか、話し合った。もちろん、クラーラをひとりで放っておくことはできない。『ハーフェン掘り出し物市』はまだまだ続くのだし、クラーラ自身、途中で切り上げるつもりはない。
「ええ、行ってきてくれていいわよ。わたしはゆっくり、買い物を続けるから」
ヴィオラートが事情を話すと、クラーラはにっこり笑って答えた。そして、隣で聞いていたグレールが、すぐに世話役を申し出たのだった。
「そういうことなら、ぼくにまかせといてくれよ。ハーフェンのことは隅から隅まで知ってるし、役に立つと思うよ。きれいなお姉さんのナイト役なんて、最高じゃないか。ねえ、ダスティンもそう思うだろ?」
「ああ、そうだな。ヴィオラートにはいろいろと世話になっているし、ここらでひと肌脱ぐか」
そんなわけで、ヴィオラートたちの留守中は、グレールとダスティンがクラーラのお守り――いや、護衛を務めることがあっさりと決まったのだった。
ヴィオラートは、クラーラに聞こえないところで、ふたりにささやくのも忘れなかった。
「クラーラさんは、夢中になると止まらなくなっちゃいますから、ちゃんと頃合を見計らって、どこかでストップをかけてくださいね」
「ああ、わかった。心得ておくよ」
「そうとも、かわいこちゃんの期待を裏切るようなことはしないさ」
ダスティンもグレールも、しっかりとうなずいてくれた。
「では、出発しよう」
ローラントの声に、ヴィオラートら3人が外門へ向かおうとしたときだった。
「ちょっと待って!」
『渡り鳥亭』のドアが開き、ディアーナが急ぎ足で出てくる。手には一通の手紙を握っていた。
「クラーラさん宛てに、カロッテ村から速達よ。昨日の夜中に、早馬で届いたらしいのだけれど、今まで気がつかなくて」
「はあ・・・。何かしら」
差し出された手紙を、クラーラはいぶかしげな表情で開くと、目を走らせる。カロッテ村から急な手紙が届くなど、尋常ではない。村でなにか変事があったのではないか。ヴィオラートもロードフリードも、気遣わしげな表情で見守る。
「まあ・・・」
眉をひそめつつ、一通り読み終わったクラーラは、複雑な表情を浮かべる。大きなショックを受けたような様子がないのを見て、ヴィオラートはほっと息をついた。
「何て書いてあるんですか、クラーラさん」
クラーラは、泣き笑いのような表情で、ヴィオラートを見る。
「おじいさまが、ギックリ腰になってしまったんですって」
「へ? ギックリ腰?」
ヴィオラートは目を丸くし、ロードフリードは眉をひそめる。わざわざ早馬を使って速達を送ってくるほどのこととは思えない。それとも、相当な重症なのだろうか。クラーラは続ける。
「それでね、しばらくは立てなくなってしまったから、今度の『カロッテ村メモリアル記念日』で、わたしに代わりにスピーチをしてくれ――ですって」
「『メモリアル記念日』? 妙な表現だな」
「うちの村長は、独特の言語センスをしていまして・・・」
ローラントとロードフリードがささやきを交わす。
「どうしましょう・・・。すぐにカロッテ村へ戻らなくては――。でも、まだ骨董市は全部見て回っていないし」
板ばさみになったクラーラは、顔をくもらせる。祖父思いのクラーラである。すぐにでもオイゲンの指示に従って村へ戻りたい。かといって、せっかくやって来た『ハーフェン掘り出し物市』を、一日だけで切り上げなければならないのも、心残りだ。
ヴィオラートも、ロードフリードと顔を見合わせる。
「どうしよう、ロードフリードさん。あたしたちで、クラーラさんを村まで送り届けなくちゃいけませんよね」
「ああ、そうだな」
「私のことならば、気にする必要はないぞ。もともと単独行動のつもりだったのだからな」
どこかほっとしたような口ぶりで、ローラントも言う。ヴィオラートは考え込んでしまった。
「でも、ホーニヒドルフのハチミツがないと、誕生パーティーのケーキが作れないし」
ホーニヒドルフで極上のハチミツを買うのが、今回の旅の本来の目的である。
「わたしなら、大丈夫よ。乗合馬車にでも乗れば、ひとりでカロッテ村へ帰れるわ」
クラーラの言葉に、ロードフリードはきっぱりと反対した。
「いや、それはだめだ。今は盗賊団の動きから判断して、馬車で王国横断道を行くのも安全とは言えない。しっかりした護衛が、ついていなければ――」
「それなら、俺とグレールがついていこう」
ダスティンが進み出た。ヴィオラートが目を丸くする。
「へ? ダスティンさんと、グレールさんが?」
「ああ、それはグッドアイディアだね」
振り返るダスティンに大きくうなずいて、グレールも胸を張った。
「どっちみち、ぼくもダスティンも、かわいこちゃんが戻ってくるまではクラーラさんと一緒にいるつもりだったからね――あ、いや、一緒にいるって言っても、変な意味じゃないよ」
傍らのディアーナを気にしたのか、グレールがあわてて言い訳をする。
「ああ、ハーフェン市内にいるか、カロッテ村へ向かうかだけの違いさ」
冒険者としても確かな腕を持っているダスティンは、タトゥーを入れた力強い二の腕を叩いて見せた。
「ディアーナさん、ファスビンダー行きの乗合馬車は、いつ出るんでしたっけ?」
グレールの質問に、ディアーナはすぐに答える。
「ファスビンダー行きの馬車は、いつも正午に北門から出発するわ」
「よし、それに乗ろう。荷物は積めるかな? かなり多いけれど」
「ちょっと待っててくれ。事務所へ行って、ぼくが訊いてくるよ」
フットワークのいいグレールは、すぐに北門の方へ走っていく。ダスティンは、めまぐるしい展開にあっけにとられているヴィオラートに笑いかけた。
「これで、ファスビンダーまでは安全だ。ファスビンダーから先の護衛も、きっと大丈夫だと思うよ」
「へ? どういうことですか?」
「うん、ちょっと心当たりがあるんだ」
ロードフリードとローラントは、何事かを小声で話し合っている。グレールとダスティンの提案が信頼に足るものか、プロの立場で検討しているのだろう。やがて納得がいったらしく、小さくうなずき合う。
そうこうしているうちに、グレールが手を振りながら戻って来た。
「お〜い、荷物を積むスペースは十分だってさ。宿から馬車まで運ぶ人手も、手配しておいたよ」
「さすがグレールさん、頼りになるなあ」
ヴィオラートの声に、グレールは照れくさそうに笑った。
「うん、これで後は、支度をして、お昼を待つだけだ。かわいこちゃんたちは、安心して出かけてくれていいよ」
「はい、ありがとうございます! じゃあ、クラーラさん――」
ヴィオラートはクラーラに向かい、
「気をつけて、帰ってくださいね」
「ええ、ヴィオも気をつけてね」
そして、ヴィオラート、ロードフリード、ローラントの3人はテュルキス洞窟へ向けて出発した。
3人を見送ったクラーラは、ダスティンとグレールを振り返る。
「ええと・・・。馬車が出るまで、まだしばらく時間があるんですよね」
「うん、そうだけど」
「帰り支度をする時間は、十分あるから、安心していいですよ」
元気付けるように、グレールもダスティンも答える。
上目遣いでグレールとダスティンの顔を見渡しながら、恥ずかしそうな照れたような、複雑な笑みを浮かべて、クラーラは言った。
「あの・・・、出発の時間まで、『ハーフェン掘り出し物市』に行ってきても、いいかしら? まだ見ていないお店があるものですから・・・」


「ちょっと、ごめんなさいの〜。通してくださいの〜」
押し合いへし合いする人の群れの間を、ちょこまかと器用にすり抜けながら、シュトーラは『ハーフェン掘り出し物市』の会場を隅から隅まで歩き回っていた。とはいっても、骨董品や珍しいものを買おうと思っていたわけではない。
「う〜ん、みんな忙しそうですの〜。これでは、ちゃんと話を聞いてもらえそうにないですの」
両手をぶらぶらさせ、きょろきょろと左右を見回しながら、シュトーラは大きな目をぐるりと回して、つぶやく。
シュトーラは、仕事口を探していたのだった。しかも、ただの従業員ではなく、徒弟としてしっかりと商売の修行をさせてもらえるところでなければならない。
彼女は、北の内陸部にある、山に囲まれた小さな町の出身だった。冬の寒さは厳しく、大雪に閉じ込められることもまれではない。元気がよくて行動力にあふれていたシュトーラは、故郷にとどまっていることができず、大望を抱いて旅に出たのだった。最初は無一文だったが、行く先々の町や村の商店や工房で働かせてもらい、お金を貯めながら旅を続けて、カナーラント王国へと流れ着いた。この国は小さいが、それぞれの町や村には際立った特徴があり、様々な商売の修行を積むにはもってこいだった。ホーニヒドルフの養蜂場、ファスビンダーのワイン倉庫など、土地の特産品を扱う施設で住み込みで働いた後、シュトーラはついに首都ハーフェンへとやって来た。ハーフェンは海運業の中心地であり、国内外から様々な農産物、工芸品、織物、酒、食料品などが集まってくる。それらを扱う商人もたくさん出入りしており、働き口にも事欠かないだろう。
特に、やって来てすぐに、この『ハーフェン掘り出し物市』が開かれることがわかったので、シュトーラは新たな出会いを求めて、心のアンテナを最大限に張り巡らしながら、会場を歩き回っていたのだった。
「ちょっと疲れちゃったですの・・・。いえ、こんなことでくじけてはダメですの。きっと、わたしを受け入れてくれる優しくて腕のいい雇い主が見つかるはずですの〜」
励ますように自分に言い聞かせ、シュトーラは別の通路に足を踏み入れる。
すると、客の年齢層が高い骨董市会場には珍しい、若い女性のかん高い叫び声が、耳に飛び込んできた。切迫した必死な響きがある。
「お願い! 手を放してください! 行かせてください!」

「あの、クラーラさん。もうそろそろ、馬車乗り場へ行かないと・・・」
ダスティンがしきりに時間を気にしている。隣でいくつかの箱や包みをかかえたグレールも、そわそわしながら言う。
「そうだよ、きれいなお姉さん、骨董市はまた来年もあるんだし。馬車に乗り遅れてしまったら、カロッテ村の記念日にも間に合わないんだよ」
「ええ、わかっています。でも――」
返事はするものの、クラーラの視線は露店のテーブルに並べられた様々な骨董品や珍品から離れようとしない。そして、引き寄せられるように店から店へと、骨董市の奥へ入り込んでしまう。
「どうしよう。参ったな」
お守り役のグレールとダスティンは顔を見合わせた。腕っ節のいいダスティンが護衛役、グレールが荷物持ちと、役割分担はきちんとできている。
「万一、馬車に乗り遅れて、クラーラさんが約束の期日に村へ戻れないようなことになったら、俺たちの責任だ。信頼して俺たちに任せてくれたヴィオラートに、あわせる顔がないよ」
ファスビンダー行きの乗合馬車がハーフェンの北門から出発するのは、正午きっかりである。骨董市の2日目が始まってから正午までは数刻の余裕があり、簡単に見て回るだけなら、時間は十分にあった。楽しみにしていた買い物を急に切り上げて帰らなければならなくなったクラーラの気が済めばと、軽い気持ちでダスティンもグレールも一緒に会場を訪れたのだが、見通しは甘かったと言わざるを得ない。ヴィオラートから釘を刺されていたものの、珍しいものを目にしたときのクラーラの暴走は、ふたりの予想をはるかに越えたものだった。
新たな店を覗こうとするたびに、クラーラは必死の表情で訴えかける。
「これで最後ですから」
だが、次の瞬間には、
「もう一軒、もう一軒だけですから、いいでしょう?」
と、はしご酒をする酔っ払い親父のような発言が飛び出してくる。もちろん、酔っ払いの「軽く一杯」とか「もう一軒だけ」というセリフは、絶対に信用してはならない。
「だめですよ。本当に、乗り遅れてしまいます」
何度言い聞かせても、そのときは「はい」と答が返ってくるのに、クラーラの身体は勝手に逆に動いてしまう。
「まずいよ。もう限界だ」
グレールの切迫した声に、とうとうダスティンは心を決めた。
「仕方がない。ちょっと手荒だが、無理やり引きずっていこう」
ダスティンは、タトゥーを入れたたくましい腕を伸ばすと、先に進もうとするクラーラの腕をつかんだ。
「さあ、クラーラさん。もうお楽しみの時間は終わりです。急いで馬車乗り場へ行かないと」
「そうだよ、かわいそうだとは思うけれど――」
「え? そんな――」
振り向いたクラーラは、死刑宣告を受けたかのような絶望的な表情を浮かべる。
「お願い、もう少しだけ――」
「だめです」
ダスティンはきっぱりと言うと、逃がさないようにクラーラの左手首をしっかりと握り、後ろから右肩に手を回してがっちりと抑える。身をよじらせて逃れようとするクラーラだが、ダスティンの手は離れない。
「お願いです。手を放して――。行かせてください! もう一軒だけですから」
クラーラの声が悲壮さを帯びて、かん高くなる。このままでは、周囲の注意を引いて、騒ぎにならないとも限らない。そうなったら、足止めをくっているうちに、馬車が出発してしまう可能性もある。
「騒がれたらまずいぞ、ダスティン。おとなしくしていてもらわないと」
グレールの言葉に、ダスティンもうなずく。
「わかった。ここで逃がしたら、元も子もないもんな。――クラーラさん、失礼します!」
右肩を抑えた手をさらに伸ばし、ダスティンはクラーラの口をふさいだ。クラーラは抵抗して、足をばたつかせるが、ダスティンの力にはかなわない。
「とにかく、早く北門へ連れて行って、馬車に押し込めちゃおう。そうすれば、諦めてくれるさ」
「ああ、そうだな」
けがをさせないよう、力加減に気を遣いながらも、ダスティンはクラーラを抱きかかえるようにして引きずっていく。グレールの指示で、骨董市を突っ切らないで済むいちばん近い裏道へと向かった。
荷物を抱えなおすと、ダスティンの後に続きながら、グレールはつぶやいた。
「それにしても、きれいなお姉さん、ずいぶんと買い込んだものだな。ぼくは骨董のことはよく知らないけど、売り払えば、いいカネになるんだろうな・・・」

路地に消えるその後ろ姿を、青い服を着て白うさぎのような大きな帽子をかぶった小柄な少女――シュトーラが、ぽかんと口を開け、目を丸くして見送っていた。
「ハーフェンって、けっこう怖いところですの。わたしも気をつけなくちゃですの〜」


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