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恋のアトリエ・ドミノ Vol.8


第8章 第三の物語(3)

「だから、頼む! すぐに一緒に盗賊どもの馬車を追跡して、クラーラさんの救出を手伝ってくれ!」
アイゼルとブリギットの顔を交互に見つめ、両手をすり合わせるようにして、バルトロメウスは叫んだ。先ほどまで青ざめていた顔は、ディアーナが飲ませた強い酒のせいか、気持ちの高ぶりが現れたのか、赤く染まっている。
夢中でカウンターに突進するバルトロメウスに突きのけられた酔客たちは、最初はぶつぶつ文句を言っていた。だが、バルトロメウスの切迫した口調と大声に、こちらをちらちらと盗み見ながら、なにやらひそひそとささやき交わし始めている。
アイゼルはブリギットと目を交わした。ここで大騒ぎを引き起こしたくはない。
「ここで話すのは、まずいわ」
そして、ディアーナを振り向く。心得たディアーナは、すぐに空いている部屋の鍵を渡してくれた。
「おい、何を悠長なことをやってるんだ!? こんなところでぼやぼやしてる暇はないんだよ! 早くクラーラさんを助けに行かないと――!」
なかば引きずられるようにして部屋に入ったバルトロメウスがわめいた。アイゼルは冷静な口調で、
「闇雲に追いかけても、かえって時間を無駄にすることになるわ。まずは状況をよく見極めて、適切な作戦を立ててから行動しないと・・・」
「そうですわね。急がば回れ、とも言いますわ。危急のときほど、落ち着いて行動しないと」
腕組みをして、ブリギットも言う。バルトロメウスはブリギットをにらみ、
「ロードフリードがさらわれても、あんたは同じように言えるのかよ!?」
「まあ・・・」
ブリギットは一瞬、気色ばんだ。だが、すぐに肩をすくめると、落ち着いた口調で返す。
「ロードフリード様は、盗賊にさらわれたりはしませんわ」
問いかけるように、アイゼルに目を向ける。アイゼルはエメラルド色の瞳を上目遣いに、あごに手を当てている。
「少なくとも、ここはクラーラさんが本当に盗賊に拉致されて、どこかへ運ばれようとしているという前提で動かなければならないわね」
「おい! 俺が嘘を言っているっていうのか!?」
「そうは言っていないわ。でも、いろいろな可能性を考えなければいけないということ。どんな事態にも対応できる準備をしておかなくてはダメなのよ」
言いながら、アイゼルは手持ちの錬金術アイテムで利用できるものがないか、素早く考えをめぐらせた。爆弾や、相手の戦闘能力を奪う毒薬などは、旅の間にかなり使ってしまったが、さいわい、まだいくらか残っている。
「とにかく、追いかける手段が必要ね。残念だけれど、今、手元には“空飛ぶホウキ”も“フライングボード”もない。空から探せれば早いし、それが一番なのだけれどね。どうやら、地上を追跡するしかないようね」
「だから一刻を争うんだって、さっきから言ってるだろう!? ガタガタ言ってないで、すぐに追いかけようぜ」
「もう! 人の足では、絶対に馬車には追いつけませんわ。そんなこともおわかりにならないの?」
業を煮やしたように、ブリギットが言う。
「竜騎士隊かどこかで、馬を借りられないかしら?」
アイゼルの言葉に、ブリギットがはっと顔を上げた。目が輝く。
「それなら、うちへ行きましょう!」
「ジーエルン邸へ?」
アイゼルの問いかけに、ブリギットは大きくうなずいた。
「はい、事業の一環で、父が競走馬を育てているんです。今も屋敷の厩舎に何頭かいるはずですわ。血統書つきの名馬で、調教もきちんとされています。ドラグーンの騎馬にも引けは取らないと思います」
「どうして早く言ってくれないんだよ! よっしゃ、すぐに行こうぜ!」
弾かれたように立ち上がると、バルトロメウスはすぐにドアへ向かおうとする。アイゼルは気遣わしげにブリギットを見た。
「でも、お父様のご商売に関係するものを、勝手に使わせていただいていいのかしら?」
「非常時ですもの、構いませんわ。後で、ちゃんと父には説明しておきます。大切なお友達の命がかかっているかも知れないのですもの、きっと父もわかってくれますわ」
顔を赤らめながら、ブリギットは言った。聞きつけたバルトロメウスが嬉しそうに言う。
「ありがてえ! よっしゃ、今度ロードフリードに会ったら、あんたのことをうんとほめといてやるよ――ロードフリードには、もったいないってな」
「まあ――!」
ブリギットの顔が、さらに真赤に染まった。


一刻ほど後――。
3騎の騎馬が、テュルキス街道を北へ向けて疾走していた。もちろん、バルトロメウス、アイゼル、ブリギットの3人である。
酒場『渡り鳥亭』を出た3人は、すぐにハーフェン北の高台にあるジーエルン家の屋敷へ向かった。ブリギットは両親と顔を合わせることを心配していたが、『ハーフェン掘り出し物市』の運営に関わっているふたりは、案の定、家を空けていた。お嬢様の思いがけない帰宅に、使用人たちは沸きかえったが、すぐにとまどいと驚きに変わる。ふたりの見知らぬ連れ――ひとりは明らかに礼儀知らずの田舎者だし、もうひとりは錬金術士を名乗る怪しげないでたちの女だ――を同道したブリギットが、当主が大切にしている高価な名馬を、3頭も外へ連れ出そうとしたのだ。馬具の準備を命じられた馬丁頭は卒倒しそうになり、若い馬丁たちはあたふたするばかりだった。業を煮やしたブリギットは、おろおろする使用人たちを無視して自らてきぱきと支度をし、貴族のたしなみとして乗馬に慣れているアイゼルも手伝う。農耕用の裸馬しか乗ったことのないバルトロメウスは、ながめているばかりだった。結局、もっとも脚力に優れた馬を3頭選び出すと――とりもなおさず、もっとも価値の高い3頭だった――、涙ながらに止める馬丁頭に有無を言わせぬ口調で「責任は、すべてわたしが取ります!」と言い放つ。そしてブリギットは先頭に立って馬にまたがると、屋敷を飛び出した。軽々と乗りこなすアイゼル、ややもてあまし気味のバルトロメウスが続く。貴重な名馬を強奪され、後に残された馬丁たちは全員が辞表を書き、悄然として当主の帰宅を待ったというが、それは本筋とは関係がない。
テュルキス街道は、王都ハーフェンとハチミツの町ホーニヒドルフとを直接結ぶ唯一の街道である。かなりの急角度でそびえる山の斜面に切り拓かれた道は、少しでも勾配がゆるい場所を選ぶようにうねうねと曲がりくねりながら、着実に高度を上げていく。それでも、ハチミツをはじめとするホーニヒドルフの特産品を運ぶため、小規模のキャラバンならば通行できる程度には道幅も広く、それなりに整備されている。カロッテ村から妖精の村を経由してハーフェンへいたる悪路に比べれば、天国と地獄だ。
「こいつはすげえ馬だな!――うぉっとぉ!!」
歓声をあげたバルトロメウスだが、バランスを崩して振り落とされそうになり、あわてて手綱を引く。彼が乗った経験があるのは、カロッテ村で畑を耕すために鋤を引かせている類の、ずんぐりとした動きの鈍い農耕馬ばかりだった。遊びで周辺の野原を乗り回していただけで、今のように長時間にわたって全力疾走させた経験などない。しかも、乗っているは品評会に出せば上位は確実という優良馬なのだ。馬自身、乗り手が普段と違う人種だということもわかっているはずだが、反抗することもなく、ただただ自由に走れることを楽しんでいるように見える。
「たしかに、優れた馬だわ。これなら、どの国の騎士隊でもほしがるでしょう。ジーエルン家は、優秀な厩舎を抱えているようね」
アイゼルがちらりと横を見た。アイゼルとブリギットは、焦って先を行くバルトロメウスから少し遅れ、馬を疲れさせないよう一定のペースを保ちつつ、並んで騎馬を駆っている。着替えている時間がなかったため、ふたりともスカートの下にそのまま乗馬用のスパッツをはいているので、ファッション性にはいささか問題があるが、気にしてはいない。
「カナーラントを少しでも豊かな国にするために、出来ることは何でもいたします。それが、貴族の務めですわ」
誇らしげな口調で、ブリギットが返す。アイゼルへのライバル意識は、こんなところにもにじみ出ているようだ。
「それにしても、本当にこの道でよかったのかしら?」
アイゼルがつぶやく。ひとりごとのつもりだったのだが、耳ざとく聞きつけたブリギットは強い調子で言った。
「クラーラさんをさらったのがテュルキス洞窟の盗賊だったとしたら、必ず最短距離で隠れ家へ向かうはずですわ。テュルキスの盗賊でなかったとしても、山賊が潜めるような洞窟は、どれも北の山の中にあるはずです。この道を追って行けば、必ず何か手掛かりがあるはずですわ。ディアーナさんも、そうおっしゃっていましたもの」
言い切ったブリギットは、凛とした表情で、前方を一心に見すえている。アイゼルの口元が、かすかにほころぶ。
(なにかに没頭しているときの誰かさんに、そっくり・・・)
そのとき、バルトロメウスの叫び声が聞こえた。
「馬だ!」
このあたりでは、険しい登り坂が中休みのようにやや平坦になり、街道も見通しが良くなっている。たしかにバルトロメウスの言葉どおり、こちらに向かって来る2頭の騎馬の姿がかすかに見えた。だが遠いため、どんないでたちをしているかなど、乗り手の正体は定かでない。
「あいつらが、なにか知ってるかも知れねえ! 行くぜ!」
鞭を入れると、バルトロメウスの馬は一気に加速し、アイゼルたちを引き離していく。
「あ、ちょっと待ちなさい!」
アイゼルの声も、聞こえてはいない。相手が盗賊の一味だという可能性もあるのだ。いきなり突っ込んでいくなど、無謀としかいいようがない。
「どうします?」
ややペースをゆるめ、ブリギットが振り向く。アイゼルは肩をすくめ、前方を見渡した。
「行くしかないでしょう。でも、油断しないでね。なにかあったら、あなただけでも、お逃げなさい。そして、竜騎士隊に通報するのよ」
アイゼルの言葉に、ブリギットの眉が上がる。
「ご自分にできないことを、ひとに押し付けてはいけませんわ」
「まあ」
アイゼルは苦笑する。言った本人も、ブリギットが素直に従うとは思っていなかったのだ。
すでにバルトロメウスは、相手と半分の距離に迫っている。援護するなら、早く追いつかねばならない。
「ちょっと、お待ちになって」
鞭を入れようとしたとき、ブリギットが言った。額に右手をかざし、前方を透かし見るようにしている。
やって来る騎馬の姿が、今やはっきりとわかるようになっていた。2頭のたくましい馬に乗っているのは、青光りする鎧をまとい、マントをはおった若者のようだ。
「あれは――竜騎士ですわ」
「ドラグーンの人なのね? 間違いない?」
「近づいてみれば、はっきりします」
ブリギットの声には、安堵感がこもっている。アイゼルも肩の力を抜いた。
「よかった・・・。とりあえず、危険なことにはならないようね。もしかしたら、クラーラさんに関する手掛かりも手に入るかもしれない。話を聞いてみましょう」
「そうですわね」
ブリギットもうなずく。早くもバルトロメウスはふたりの竜騎士に近づき、竜騎士も馬を止めていた。馬を進めながら、アイゼルが言う。
「竜騎士さんに、ちゃんと事情を説明しないとね。バルトロメウスさんが話をしたのでは、要領を得ないでしょうし」
「それにあの方は、礼儀作法に疎いようですから、余計なトラブルを引き起こしかねませんわ」
「まさかそこまでは――」
アイゼルは笑った。
だが案の定、バルトロメウスは余計なトラブルを引き起こしていた。


「おい、お前ら、ちょっと待て!」
手綱を引いて馬を急停止させると、バルトロメウスは声をかけた。前方からやってきたふたりの若い竜騎士は、一瞬いぶかしげな表情を浮かべたが、落着いて馬の速度をゆるめる。だが、ふたりはすぐに剣を抜けるよう油断なく身構えている。盗賊が出没する山道で、見知らぬ男から横柄な口調で声をかけられたのだから、当然の対応である。
「クラーラさんが誘拐されたんだ、何か知らないか?」
「何だと?」
質問を受けた竜騎士は眉をひそめ、年下の後輩と顔を見合わせた。この若者は、やぶからぼうに、何を言っているのだろうか。誘拐とは、ただ事ではない。それともなにか、裏に深い企みでもあるのではないか。
一方のバルトロメウスは、クラーラのことを心配するあまり、普段のぞんざいな口調がさらに荒くなり、詰問口調になっているのにも気付かなかった。見も知らぬ他人からいきなりそんな口調で話しかけれれば、誰でも怪しんで心を閉ざすか、怒り出すかだろう。ところが全員が顔見知りのカロッテ村で育ったバルトロメウスには、そこがわからない。
竜騎士は疑念を抱き、じろじろとバルトロメウスを見る。バルトロメウスはそれが気に入らなかった。
「おい、何を黙りこくってやがるんだよ? 知ってるか知らないか、どっちなんだ!?」
「貴公こそ、何者だ?」
落ち着いた口調で、竜騎士が言う。
「われわれは、ハーフェン駐屯のドラグーン第2中隊の者だ。ホーニヒドルフへの連絡任務を終えて、ハーフェンへ帰還するところだが――」
竜騎士の口調は、あくまで穏やかだ。不審人物ではあっても、相手は一般市民である。庶民相手に意味もなく高圧的な態度に出てはならないと、常々、上官から言い含められている。
「ドラグーンだか何だか知らねえが、こっちは質問をしてるんだぞ! ちゃんと答えろよ。この辺で、盗賊どもの馬車を見かけなかったかって訊いてるんだ」
竜騎士が答えようとする前に、もうひとりの騎士がはっとした様子で馬を下り、バルトロメウスの方へ駆け寄った。そして、警戒しつつ、近距離からしげしげとバルトロメウスの馬を眺める。
「おい、何しやがる――」
バルトロメウスの声に反応したかのように、その騎士はぱっと飛びのき、剣に手をかけた。
「この馬はジーエルン家が所有するものです!」
後輩騎士の言葉を聞いた馬上の竜騎士に、さっと緊張の色が走る。
「何だと? ジーエルン家の――? 間違いないのだな!?」
「はい! 先月、王室主宰の品評会で優秀賞を取った馬に相違ありません。私は当主のご厚意で、すぐそばで、触らせていただきました! この毛並み、色艶――疑いの余地はありません!」
「そうか・・・。貴様――馬泥棒だな!?」
バルトロメウスを真っ向から見すえ、竜騎士は厳しい口調で言った。
「な、何だって――?」
思いがけないことを言われて、バルトロメウスは目を白黒させた。
「違う! これはたしかにジーエルン家の馬だけど――」
「ふん、あっさり白状したか――。貴様、この馬がジーエルン家のものだと認めるのだな。――おい、逮捕しろ!」
「はっ!」
若い竜騎士は、油断なく近寄り、バルトロメウスの手綱に手をかけようとする。
「さあ、おとなしく馬から下りろ。自分がどんな罪を犯したか、わかっているのか? 馬泥棒は、重罪なのだぞ」
たしかに、貴族にとって優秀な馬は宝石と同じようにステータスを示すものだし、騎士隊にとっては貴重な戦力である。財産的価値は高く、それを盗めば厳しく罰せられるのは当然だった。
「おい、何を言ってるんだよ!? 俺は馬泥棒なんか、しちゃいないって! 言いがかりをつけるのもいい加減にしやがれ! それとも、お前ら、まさか――あ!!」
バルトロメウスの目が光った。
「わかったぞ! お前ら、騎士に化けてやがるが、本当は盗賊の一味なんじゃねえのか? それで、俺たちの邪魔をしようと、妙な小細工を――。そうだ、そうに決まってる。よし、こうなったら、相手になってやるぜ!」
バルトロメウスは剣に手をかけ、今にも抜こうとする。竜騎士も気色ばんだ。
「こやつ、抵抗するか――!?」
「やるか、悪党どもめ!」
今にも切りかかりそうな険悪な表情で、バルトロメウスと竜騎士はにらみ合う。
「鎮まりなさい!」
一触即発の状況を、凛とした声が切り裂いた。
その声にバルトロメウスは顔を輝かせ、竜騎士は油断なく身構えたまま振り向く。
「おう、待ってたぜ! 援護を頼む」
「く・・・、仲間がいたか」
現場に乗りつけたアイゼルとブリギットの馬を見て、若手の竜騎士が叫ぶ。
「こちらの2頭も、ジーエルン家が所有する名馬であります!」
「こやつら・・・。馬泥棒は単独犯ではなかったか。大掛かりな窃盗組織が背後にありそうだな・・・。よし、一網打尽にするぞ、油断するな!」
「はい!」
馬上の竜騎士は、ついに剣を抜き放った。陽光に、抜き身がぎらりと光る。アイゼルはローブの下で、ヘルミーナ直伝の『暗黒水』のびんを握りしめた。
ふたたび、緊張がみなぎる。
だが、ブリギットは落ち着き払っていた。
「この紋章が、目に入りませんこと?」
胸元のペンダントを、竜騎士に向かってかざしてみせる。
「そ、それは――!?」
殺気立っていた竜騎士は、ペンダントに目をすえたまま、ぽかんとして動かない。竜騎士をはじめ、カナーラント王国上層部の人間ならば、王国屈指の名家ジーエルン家の紋章を知らぬ者はない。そして、それを身に着けられるのは、当主以下ジーエルン家本家に属する、ごく限られた血族だけだということも。
「あ、あなた様は・・・」
ようやく声を絞り出した竜騎士に、ブリギットはいつになく貴族らしい、威厳と誇りが混じり合った口調で言う。多少、芝居がかった高慢さも混じっているようだ。
「わたくしを、誰と心得ます?、ハーフェンの由緒正しき名家ジーエルン家の長女、ブリギット・ジーエルンですわ。この馬はたしかにジーエルン家所有のものですが、ジーエルン家の長子たるわたくしの許可の下に、わたくしの責任で乗用しているものです。お役目はご苦労と存じますが、竜騎士隊のお手をわずらわすような事情は、わたくしたちにはございません」
馬は当主である父親のものであり、その意味では勝手に持ち出したブリギットにも多少の問題はあるわけだが、竜騎士たちにはそんな事情はわからない。
「し――失礼いたしました!」
年長の竜騎士はあわてて馬から下りると最敬礼し、土下座とはいかないまでも、後輩ともども直立不動の姿勢をとった。
バルトロメウスは、目を丸くして見ている。
アイゼルは、なかばほっとして、なかばあきれ、なかば感心しながら、ブリギットのパフォーマンスを見つめていた。貴族の身分を振りかざすことには抵抗があるアイゼルだったが、少なくとも、この場を収拾するには、今のようなブリギットの行動が、いちばん手っ取り早い手段だろう。
(それじゃ、さしずめバルトロメウスさんとわたしは、お忍びで諸国を漫遊するお姫様のお供というところかしら?)
真面目な表情を崩さないよう苦労しながら、アイゼルは心の中でくすっと笑った。


「いえ、われわれは一台の馬車も目にしてはおりません」
先輩格の竜騎士はきっぱりと答えた。
ジーエルン家の紋章がものを言って、竜騎士の誤解も解け、アイゼルが手際よく事情を説明したところだった。バルトロメウスが自分でまくしたてようとしたが「あなたがお話になると、いくら時間があっても足りません。しばらく口を閉ざしていただけませんこと?」とブリギットに冷ややかに言われてしまい、今は不満顔で腕を組み、いらいらと地面を踏み鳴らしながらなりゆきを見守っている。
「われわれは、休暇中の中隊長にドラグーン本部からの伝言を届けるため、ホーニヒドルフへ派遣されました」
竜騎士は続ける。
「ですが、中隊長はホーニヒドルフにはおりませんでした。われわれには、すぐにハーフェンでの任務に戻る必要がありましたので、それ以上先まで中隊長を追うことはできません。そこで、ホーニヒドルフに伝言を残し、今朝早く帰路についたのです」
「それで、ここまで来る間、怪しい馬車とはすれ違いもしなかったということですのね」
腕を組みながら、難しい顔をしてブリギットが言う。
「はい、山中の一本道ですし、そんな馬車がいれば見逃すはずはありません。それに、この街道には、途中に馬車がまるまる隠れられるような森も洞窟もありません。少なくとも今日一日、この街道に馬車が走っていなかったことは断言できます」
「それじゃあ、やつらは別の道を行ったってことか。――くそっ」
口惜しそうにバルトロメウスが言う。あごに手を当て、アイゼルもつぶやく。
「予想が外れたわね。となると、残りは――」
「ハーフェンからファスビンダーへ向かう王国横断道ですわね。北へ行くために使える街道は、それ以外にはありません。・・・もっとも、本当に盗賊団の馬車が北へ向かったとすればですけれど」
ちらりとバルトロメウスを見やりながら、ブリギットが言う。バルトロメウスはむきになって言い返す。
「何だとぉ! 俺の言うことを疑うのかよ!」
「あなたが安請け合いしたせいで、森で道に迷ったことを、もうお忘れになったの?」
「まあまあ、落ち着いて」
アイゼルがとりなす。
「ねえ、バルトロメウスさん。その馬車の特徴とか、もう少し詳しくわからないの?」
「だから、盗賊どもの馬車で、クラーラさんが引きずり込まれて――」
「そうじゃなくて、馬は何頭で引いているのかとか、荷馬車なのか乗用の馬車なのかとか、何色に塗られているのかとか、具体的に手掛かりになりそうなことを訊いているの」
「う・・・。それはだな・・・」
バルトロメウスは口ごもる。たしかにアイゼルの言うとおりだ。『ハーフェン掘り出し物市』の会場で目撃者のシュトーラに出会ったときに、もっとよく話を聞いておけばよかった。だが、クラーラが荒くれ男どもに連れて行かれたと聞いただけで度を失ってしまい、何も考えずに突っ走ってしまったのだ。今からハーフェンへ戻って探したところで、あの人ごみの中でシュトーラを見つけるのは至難の業だろうし、第一、そんなことをしている間に、クラーラは盗賊どものアジトに監禁されてしまうかもしれない。そうなっては手遅れだ。
「だからよ、とにかくそっちの街道を探そうぜ、なあ?」
「珍しく、まっとうな提案ですわね」
ブリギットが立ち上がり、アイゼルを見やる。アイゼルもうなずき、
「ひとつの可能性がなくなったら、次の可能性を探る――。それしかないわね」
「よし、行こうぜ、すぐに出発だ」
バルトロメウスは、早くも馬にまたがろうとしている。
「お待ちください」
竜騎士がブリギットに言った。
「ジーエルン家のご令嬢が盗賊の追跡をなさるなど、危険すぎます。私がドラグーン本部へ戻って、すぐに追跡隊を編成いたしますので、ここはわれわれドラグーンにお任せください――」
「悠長に待っている時間はありませんの」
竜騎士の言葉をさえぎったブリギットは、丁寧だがきっぱりとした口調で続ける。
「竜騎士隊の応援は感謝します。でも、わたくしたちはお友達のために今できることをする――それだけです」
「ですが――」
「議論をして、無駄にする時間はないわ」
アイゼルも言い、馬首をめぐらした。
「はあっ!」
ブリギットの掛け声に、鍛え抜かれた名馬は乗り手の意思が乗り移っているかのように走り出す。曲がりくねった下り坂を一気にハーフェンまで駆け下り、ファスビンダー方面へ向かうのだ。
ふたたび、探索と追跡が始まった。


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