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恋のアトリエ・ドミノ Vol.9


第9章 第三の物語(4)

「おい、見ろ!」
先頭で馬を飛ばすバルトロメウスが叫ぶ。
「あれ、じいさんが言ってた馬車じゃねえか?」
その声に、アイゼルもブリギットも馬上で身を浮かせ、前方を透かし見る。うねうねと曲がりくねって見通しの悪いテュルキス山道とは異なり、平地をほぼまっすぐに延びる王国横断道には視野をさえぎるものも少なく、遠く先まで見渡せる。ここからは小さな箱のようにしか見えないが、砂埃を巻き上げながら遙か前方をごとごとと進んでいるのは、たしかに馬車のように思える。
王都ハーフェンの真北には大きな湖があるため、北へ向かう街道は北西方向と北東方向へ分かれることになる。北西の山岳地帯へ向かうテュルキス山道に対し、北東から湖を回り込むようにして王国北部のワインの町ファスビンダーへ向かうのが、王国横断道だ。カナーラント王国の陸上交通の大動脈ともいえる。それだけに徒歩の旅人や各地の産物を運ぶ荷馬車、乗合馬車などの行き来も多い。こちらの街道に入ったとたん、情報が得られそうな相手は格段に増えた。バルトロメウスも、行き会う馬車や旅人に勢い込んで尋ねるのだが、話は多く聞ける割には有力な手掛かりがつかめない。
「ああ、馬車なら何台もすれ違ったよ。でも、怪しい感じはなかったなあ」
「盗賊の馬車? ばか言うなよ、こんな人通りの多い道を、真昼間から盗賊が堂々と通ったりするもんか」
「いやいや、この街道も昔と比べれば平和になりましてな。ここのところ、盗賊が出たなんぞという噂もとんと聞きませんのじゃ」
だが、とうとう、野菜をハーフェンの市場へ卸しに行くという荷馬車に乗った年寄りの農夫が、耳寄りな情報を伝えてくれた。
「ああ、たしかにそんな娘さんが乗った馬車を見たよ。すれ違うときにちらっと見ただけじゃったが、髪は長くてきれいじゃし、随分と別嬪さんじゃったで、せがれの嫁さんにするにゃ、ああいう娘さんがええな、と思ったんじゃ。ただのう、気になったのは、えらく青い顔をしておっての。泣きそうな顔で、窓をたたきながら、必死にこじ開けようとしとったような気がするんじゃ。相手の馬車はすぐに通り過ぎて行っちまったんで、そっから先はわからんがのう」
「それだ! クラーラさんに違いない! 窓から逃げようとしていたんだ、かわいそうに・・・」
そんなわけで、バルトロメウスはさらに馬を急かし、ひたすら街道を疾走させていたのだった。アイゼルもブリギットも真剣な面持ちを強め、後に続いている。このあたりは風光明媚な場所として有名で、左には広大な湖が広がり、右側は田園地帯の向こう、深い森を越えて『神の食卓』の高峰がそびえている。だが、3人とも、そんな風景には目もくれない。
どんな馬車だったかという質問に、老農夫は「そこいらを走ってる乗合馬車と変わらんかったのう」と答えていた。
今、前方に姿を現した馬車は、まさにその通り、ハーフェンとファスビンダーの間で毎日のように運行されている、何の変哲もない普通の乗合馬車に見える。しかし、悪賢い盗賊ならば、自分たちの馬車を乗合馬車に偽装して、白昼堂々、アジトへ向けて走らせていても不思議ではない。このように交通量の多い街道を走るなら、そうするのが当然とも言える。
ジーエルン家の名馬は、険しいテュルキス山道を往復したばかりなのに、疲れた気配も見せずに街道を疾駆していく。前方の馬車は、急ぐ気配もない。距離は急速に縮まっていった。
先頭に立つバルトロメウスは、馬を急がせながら、間断なく馬車に向けて叫んでいる。
「こら! そこの馬車、待ちやがれ! 止まれって言ってんだろ! この勇者バルトロメウス様の命令が聞けねえって言うのか! そうか、痛い目に遭いたいんだな、覚悟しやがれ!」
もはや自分でも何を言っているのかわからないのだろう。少し遅れて後に続くアイゼルとブリギットは、馬上で顔を見合わせる。
「ねえ、あの人を先頭で行かせるのは、ちょっとまずいんじゃないかしら」
「そうですね。無鉄砲に突っ込んでいって、かえって厄介なことになるかもしれません」
「相手が本物の盗賊だとしたら、人質になっているクラーラさんのことを第一に考えないといけないしね」
「頭に血が昇っている単細胞の殿方は、何をするかわかりませんもの。わたくしたちが先に出て、馬車の様子をうかがった方がよいのではありませんこと?」
「ええ、追いかけてきたのが女性なら、盗賊たちも油断するかも知れないし」
「そうですわね・・・。ちょっとお待ちになって、バルトロメウスさん!」
だが、ブリギットの呼びかけは遅きに失した。
盗賊の馬車が間近に迫ると、バルトロメウスはさらに馬に鞭を入れ、自分にも気合を入れるために叫び続けた。もう脈絡も論理もない。砂埃と汗で、バルトロメウスの顔は泥を塗ったかのように汚れており、こちらの方が荒くれた盗賊のようにさえ見える。
「てめえら、覚悟しやがれ! おとなしく馬車を止めねえか! ギッタギタにしてやる! 身ぐるみはいでから、片っ端から首をはねて、さらしものにしてやるぜ! 土下座して命乞いをしても無駄だぞ!」
バルトロメウスの叫びが届いたのだろうか、御者が後ろを振り返り、なにか叫んだかと思うと、馬車は急に速度を上げた。
「くそ、気付かれたか!」
気付かれたくなければ、もっと静かに忍び寄ればいいはずだが、頭に血が昇ったバルトロメウスには論理は通用しない。さらに騎馬に拍車をかける。後ろからアイゼルがなにか叫んでいるが、無視して走り続ける。
「止まれ! 天誅を受けろ!」
必死のバルトロメウスの叫びが天に届いたのか、前方の馬車が急に速度を緩めた。
だが、諦めて止まろうとしたわけではない。馬車のドアが開くと、抜き身の剣を手にした人影がひらりと街道に飛び降りる。すると再び馬車は速度を上げて逃走を続けた。
馬車から下り立った剣士は、さほど大柄ではなく、細身と言った方がいいくらいだ。革製の軽鎧にマントといった冒険者姿で、さりげなく街道の真ん中に立ち、迫り来るバルトロメウスを静かに待ち受けている。追っ手をさまたげるため、盗賊が用心棒を差し向けたのだろうか。
「けっ、刺客がひとりだけとは、俺もなめられたもんだぜ! だが、今は相手をしてる暇はねえんだ! 蹴散らしてやる!」
バルトロメウスは、そのまま突進する。この勢いで突っ込んでいけば、いくら手練れの盗賊だろうと避けるしかないだろう。避けなければ、馬の蹄で蹴り倒すまでだ。
だが、道理をわきまえたジーエルン家の名馬は、そうは考えなかった。
剣士が発するすさまじい殺気におびえ、騎馬はかん高いいななきを上げて棒立ちになる。手綱を取りきれず、バルトロメウスは振り落とされてしまう。
「いたたた・・・。くそっ!」
腰をしたたかに打ったバルトロメウスだが、クラーラを救わなければという気持ちで、痛みなど消えてしまう。急いで起き上がり、剣の柄に手をかけた。馬車を追いかけたいのはやまやまだが、邪魔する相手を倒すのが先決だ。もしかしたら、アイゼルとブリギットが先に馬車に追いついてくれるかもしれない。
「勝負だ、盗賊野郎め!」
叫ぶと、盗賊に向き直る。相手はバルトロメウスよりもはるかに細身で小柄だ。これなら、難なく勝てるだろう。
「さあ来い、悪党め!」
「悪党に言われたくないわね。盗賊野郎はあなたでしょう」
冷ややかな声が、バルトロメウスに浴びせかけられた。バルトロメウスが目をむく。
「お――お前、女か!? 女盗賊なのか――」
「だから、盗賊じゃないわ。真昼間から脅し文句を並べ立てて、定期便の乗合馬車を襲ったのは、あなたの方でしょう。大胆なのかバカなのか、わからないけれど」
「うるせえ、わけのわかんねえことを言ってるんじゃねえぞ! ・・・おや、お前?」
バルトロメウスは、ぽかんと口を開けた。女剣士は無表情で、油断なく身構えている。
「お前・・・。カタリーナじゃねえのか?」
愕然とした口調で、バルトロメウスがつぶやく。放浪の女性冒険者カタリーナ・トラッケンは、ヴィオラートの護衛を何度も務めており、ヴィオラーデンの常連客でもある。そして、『グラムナート動乱』の際には、故郷のマッセンを救うために大活躍をした英雄のひとりだ。
名指しされたカタリーナは、いぶかしげに眉を上げた。
「気安く名前を呼ばないで。盗賊に知り合いはいないと思うけど」
「だから、盗賊じゃねえって言ってるだろ! それにしても、何でお前が――そうか!」
バルトロメウスは大きくうなずく。
「情けねえぜ、金のためなら何でもやるってわけか。いったいいくら積まれて、盗賊団の用心棒なんて引き受けたんだよ? それでも冒険者か」
「はあ? 何を言ってるのかわからないわ。それに、見ず知らずの田舎盗賊にお説教されるいわれはないし」
冷静なカタリーナと、頭に血が昇ったバルトロメウス。ふたりの会話は、どうにもかみ合わない。
「見ず知らずだとぉ!? どこまでとぼけるつもりだ。・・・ふん、そうか、わかったぜ」
バルトロメウスは、ロードフリード張りに気取って流し目をくれた。
「身も心も、盗賊に売っちまったってわけか。グラムナートを救った勇者の末路が、これってわけかい。人生ってやつは、皮肉なもんだな」
「何をひとりで勝手に人生論をぶっているのかしら。馬車を襲う気がないのなら、あたしもあなたと戦う気はないわ。さっさと帰りなさい」
「おっと、馬車のことを忘れてたぜ! どうしてクラーラさんをさらったりしたんだ!?」
「クラーラさん? たしかに、馬車にはクラーラさんが乗っていたけれど――」
この返事に、バルトロメウスは勢い込む。
「ふ、とうとう白状しやがったな。か弱い女性をさらって売り払おうとした不届き者の盗賊め、勇者バルトロメウスが、月に代わってお仕置きしてやる!
「バルトロメウス・・・? ひょっとして、あなた、ヴィオラートのお兄さん?」
カタリーナがきょとんとする。相手の顔が泥と汗にまみれていたため、見分けがつかなかったのだ。
「あたぼうよ! 今ごろ気付いたか!」
「かわいそうに・・・。畑仕事のし過ぎで、暑さにあたったのね」
気の毒そうにカタリーナが言う。カタリーナにしてみれば、カロッテ村のバルトロメウスが馬を駆って馬車を襲ってくるなど、暑気あたりで一時的に気が変になったのだとしか考えられない。
しかし、バルトロメウスは聞く耳を持たない。
「さあ、覚悟しろ、悪魔に魂を売った女に用はねえ。俺の邪魔をするやつは、剣のサビにしてやる!」
「仕方がないわね。正気に戻すには、ショック療法が効くかもしかない・・・」
隙のない動きで、カタリーナは剣をかざす。晴天なのに、遠くから雷鳴がとどろく。決意に燃えるバルトロメウスも、一歩も引かない。
「いくぜ! てやあ!」
バルトロメウスが突進しようとした瞬間――。
「そこまでよ!」
凛としたアイゼルの声とともに、長剣を振りかざしたまま、バルトロメウスは薄汚れた彫像のように動きを止めてしまった。カタリーナは鍛え抜いた反射神経で素早く飛びすさり、アイゼルが振りまいた麻痺効果の『暗黒水』から逃れている。
前方では、逃げる馬車に追いついたブリギットが、身振り手振りを交えて御者に声をかけ、落ち着かせている。
アイゼルの解毒剤で、バルトロメウスがようやく身体の自由を取り戻したときに、馬車がのろのろと引き返してきた。
ドアが開き、青ざめた顔をしたクラーラが、グレールに支えられながらよろよろと下りてくる。蒸留水で濡らしたハンカチで顔の汗と泥を拭ったバルトロメウスに気付くと、クラーラは目を丸くした。
「まあ、バルトロメウスさん・・・。いつから盗賊に転職されたのですか?」


「まったく・・・。結局、またおっちょこちょいの早とちりだったわけですのね。開いた口がふさがらないとは、このことですわ」
大げさに肩をすくめ、あきれかえった表情で、ブリギットが不機嫌そうに言う。文句を言いたくなるのも無理はない。一刻も早くロードフリードを追いかけたいという気持ちを抑え、盗賊の手に落ちた(かも知れない)クラーラを救おうと、必死になって行動した結果がこれだ。
「まあまあ、気持ちはわかるけれど、よかったじゃないの。クラーラさんが本当に誘拐されたわけではないとわかって。最悪の事態は避けられたのだから、喜ばなくちゃ」
アイゼルがなだめるが、ブリギットは険悪な視線をバルトロメウスに向けたままだ。当のバルトロメウスは、魂が抜けたようになって、ぼんやりと座り込んでいる。会いたかったクラーラがそばにいるのに、実感がわかないようだ。こちらも、無理はない。悪漢どもの中に躍り込んで叩きのめし、囚われのクラーラを救出するという幻想が一気に打ち砕かれてしまったのだから。
ハーフェンを正午に発ってファスビンダーへ向かう途中の定期便の乗合馬車は、今は街道脇に止まり、普段と違う全力疾走をして興奮した馬を、御者がなだめている。追跡してきた3人が乗ってきたジーエルン家の馬は、おとなしく付近の草原の水場で喉をうるおしている。追ってきた者と追われていた者は、馬車の日影に腰を下ろし、これまでの情報交換をしているところだった。
「・・・とまあ、そんなわけで、買い物に夢中になっているクラーラさんを、無理やり馬車まで引きずっていったわけだよ。とにかく、この馬車に乗り遅れるわけにはいかなかったからな」
「たしかに、その場面だけを見られたら、悪いやつらがクラーラさんを拉致しようとしているように見えたかも知れないね、あははは」
ダスティンとグレールが、交互に説明する。
「それにしても、目撃者が言ってた『入れ墨をした荒っぽそうな男』ってのは、俺のことかい? 参ったな、こんな善良な青年をつかまえてよ」
二の腕に彫られた竜のタトゥーをさすりながら、ダスティンは笑った。
「笑い事ではありません。本当に、人騒がせですわ」
まだ機嫌が直らないブリギットは、誰にともなくつぶやく。
「ちょっと待ってくれよ。人騒がせは、お互い様じゃないの?」
グレールが反論する。
「だって、のんびりと馬車の旅を楽しんでいたら、いきなり御者のおじさんが『盗賊だ!』って叫んだんだよ。見たら、馬に乗った薄汚れた男がすごい勢いで追いかけてきていて、『覚悟しろ』だの『命乞いをしても無駄だ』だの、物騒なことを叫んでいるんだもの、びっくりしちゃってさ」
「まあ、さいわい、馬車には腕利きの護衛がついていてくれたからな」
と、ダスティンは、馬車に寄りかかってぼんやりと雲を見上げているカタリーナを見やる。カタリーナは一同を振り向き、
「この前、カロッテ村で、ヴィオラートにホーニヒドルフまで護衛してほしいと頼まれたのだけれど、その時にはもう、酒場でこの乗合馬車の護衛を引き受ける約束をしてしまっていたのよ。最近、盗賊団の動きが活発化しているという噂があって、交易ギルドが警備を強化した一環ね。それで、盗賊が追ってくると聞いて、すぐに降りて迎え撃ったというわけ」
「とにかく、けが人が出なくて何よりだったよね。それに、かわい子ちゃんやきれいなお姉さんとふたりも知り合いに慣れたし」
ブリギットとアイゼルの方を見ながら、グレールが言った。
「ふん、お世辞を言っても、何も出ませんわよ」
ブリギットはそっけなく言ったが、やや機嫌は直ったようだ。
「事情はわかったわ。でも、あのおじいさんの証言は何だったのかしら」
アイゼルは眉をひそめる。追跡の途中に出会った年老いた農夫は、クラーラらしき女性が青ざめた顔をして、馬車の窓を必死にこじ開けようとしているのを目撃したと言っていた。
「ああ、それはね」
グレールが笑って答えた。
「クラーラさんが、馬車に酔っちゃってさ」
「へ? 乗り物酔い?」
「そうなんです。お恥ずかしい話ですけど」
これまで黙っていたクラーラが、口を開いた。
「年甲斐もなくお買い物ではしゃぎすぎて、寝不足だったし、疲れが溜まっていたのでしょうね。馬車が出発してしばらくすると、すごく気分が悪くなってきて・・・」
まだ気分がすぐれないのか、顔色は良くない。
「そのうち、どうしても我慢できなくなって、その、窓から・・・しようとしたんです」
「でも、俺が止めたんだよ。外から風が吹き込んでくるから、へたに窓から××しちゃったら、かえって馬車の中がえらいことになってしまうからね」
グレールが言う。ダスティンも、
「そう。結局、背に腹は代えられないから、クラーラさんが買った壺をひとつ、使うしかなかったよ」
「そうだったの」
ようやくアイゼルも納得したようだ。クラーラがうなだれて言う。
「きっと、罰が当たったんです・・・。わたし、掘り出し物を探すのに夢中になって、ヴィオやロードフリードさんに、たくさん迷惑をかけてしまっていたのに、全然それに気付いていなくて・・・。馬車で気持ちの悪い思いをしていたとき、やっと思い当たったんです」
「そんなことはないです! クラーラさんは悪くないですよ」
バルトロメウスの根拠のない慰めにも、クラーラは黙って首を横に振った。
「お〜い、そろそろ出発するとすっか」
御者の声に、皆、はっと顔を上げる。気がつけば、日もかなり西へと傾いている。
「そうですわね。それじゃ、クラーラさんも無事だったことですし、ロードフリード様を追いかけましょう!」
ブリギットは張り切って、馬を呼び集めにかかる。アイゼルもとっくに身支度を整えていた。
「じゃあ、ここでお別れだな」
バルトロメウスが平然と言う。
「俺はこれから、クラーラさんを村まで送っていくから・・・」
その言葉に、ブリギットは目を三角にした。
「何ですって!? あなたは、護衛の仕事を途中ですっぽかすつもりですの?」
「いや、だってよ、俺の目的はクラーラさんを無事に村へ送り届けることだったし、あんたにはアイゼルさんっていう頼りになる護衛がいるから、いいじゃねえか・・・な?」
「そんな目的、聞いていませんわ。あなたの仕事の内容は、ロードフリード様に追いつくまで、どこまでもわたくしを護衛することだったはずです」
「何だとぉ? 勝手に決めるな! 『どこまでも』なんて話、俺は聞いてねえぞ」
どっちもどっちである。
ダスティンとグレールは既に馬車へ乗り込んでおり、カタリーナはドアの脇に立って、最後の乗客が乗り込むのを待っている。
「お〜い、乗るのか乗らんのか、はっきりしてくれんかの。遅れてしまうぞ」
御者もやきもきしている。
「あなたがいなくても、ちゃんと無事にクラーラさんをカロッテ村まで送り届けてくれると、カタリーナさんがおっしゃってくれているではありませんか」
腰に手を当て、ブリギットはバルトロメウスをにらみつける。実を言えば、アイゼルとふたりきりでも、戦力的にはさほどの心配はしていない。バルトロメウスのいい加減な態度が我慢できないだけだ。というよりは、想い人に一足先に会えたバルトロメウスに嫉妬して、無意識に意地悪な言動に走っているのかもしれない。
ブリギットの言うとおり、乗合馬車を無事にファスビンダーまで送り届ければ、カタリーナの任務は終わる。ファスビンダーの酒場『酒と俺亭』のマスター、ザヴィットに頼めば、馬車を手配して荷物ごとクラーラを連れて、カロッテ村まで送り届けるのは造作もないことだ。この乗合馬車にカタリーナが護衛として乗り込むことを知っていたから、ダスティンも先を考えて、グレールと一緒にファスビンダーまでクラーラに付き添っていくのを引き受けたのである。
「仕方がないわね、それじゃ――」
アイゼルが言いかけたとき、それまで黙っていたクラーラが口を開いた。
「あの・・・。バルトロメウスさん、お願いがあるのですが」
「は――はい、何でしょうか!? 何でも言ってください!」
バルトロメウスが直立不動で答える。
「ブリギットさんたちと一緒に、ヴィオのところへ行ってくださいませんか。それで、ヴォオとロードフリードさんに追いついたら、わたしが謝っていたと、伝えてほしいんです。買い物に夢中になって、周りのことが見えなくなって、迷惑をかけてごめんなさい――って。本当は一刻も早く、わたしが自分で行って、言わなくてはいけないんですが、おじいさまの言いつけに従わないといけないので」
「へ?・・・でも、クラーラさん、俺は――」
「こんなことをお願いできるのは、バルトロメウスさんしかいないんです。お願いします」
憂いを秘めた潤んだ瞳――バルトロメウスには、そう見えた――で見つめられ、懇願されると、バルトロメウスの心はあっさりと切り替わった。
「――そ、そうですか。わかりました、クラーラさん! 必ず、ヴィオとロードフリードのやつに追いついて、伝えます!」
バルトロメウスにとってクラーラの言葉は絶対である。すぐに立ち上がると、ブリギットとアイゼルを振り向く。
「こら、何をぼさっとしてるんだ! 無駄にしてる時間はねえぞ、すぐにヴィオたちを追いかけようぜ!」
「まあ・・・」
アイゼルが、エメラルド色の目に苦笑を浮かべてブリギットを見やる。ブリギットは、あきれたように肩をすくめた。
「では、出発しましょう」
「おう! 行くぞ、クラーラさんのために!」
「本当に、わかりやすい方ですわね」
北へ向かう乗合馬車と別れ、3騎の騎馬は街道を戻り始めた。


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