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夜明けのアイゼル Vol.2


第3章 ミケネー島の昼食

「え? 1ヶ月後ですって!?」
アイゼルが愕然として問い返す。カウンターの向こうから、宿屋『船首像』の主人ボルトが、落ち着いた口調で答える。
「ああ、そうさ。ケントニス行きの定期船は、月に1便だけだ。昨日、出港したばかりだからな。あと1月は待ってもらわないとな」
「そんな・・・困るんです。わたし、すぐにでもエル・バドールへ行きたいの。1ヶ月もこの町で足止めされるなんて、がまんできないわ。ねえ、お願い、なんとかしてくださらないかしら」

馬車がカスターニェに着いたのは、今朝のことだ。
到着すると、アイゼルは一休みする間も惜しんで、ミューに教えられた、町で唯一の酒場兼宿屋である『船首像』にやって来たのだ。しかし、そこで得られたのは、ケントニス航路の定期船が出たばかりだという情報だった。

困り果てたアイゼルを見て、考え込む表情になったボルトは、
「そうは言ってもな。あとは、誰か、あんたを乗せて行ってくれる船乗りを見つけるしかないな。だが、今はちょうど沖合いに魚の群れが押し寄せる季節だ。漁師にとっては一番の稼ぎ時さ。だから、この時期、空いている船を捜すのは難しいな」
「・・・・・・」
「ま、とにかく港を回って、ひとりひとり当たってみることだな。だめでも、気を落とすなよ。うちに泊りたかったら、部屋はいつでも空いているからよ」

アイゼルは肩を落とし、『船首像』を出た。
ミューは、いない。護衛としての契約は、カスターニェに到着するまでの約束だった。ミューは、ここから海岸沿いに、南の方へ向かうつもりだと言っていた。
ザールブルグに比べて、日差しがまぶしい。風に乗って潮の香りが漂ってくる。しばらく、その場にたたずんでいたアイゼルは、やがて顔を上げた。固い決意が表情に現れている。
「負けるもんですか。きっと、誰かいるはずよ。わたしを連れていってくれる人が・・・」
アイゼルは、しっかりした足取りで、港の桟橋の方へ向かった。


「ふう・・・」
夕方の桟橋に腰をおろし、夕日に真っ赤に染められた海面を見やりながら、アイゼルは大きなため息をついた。
すべては、無駄足だった。一日中、足を棒にして、船から船へと尋ねて回ったが、返って来るのは断りの言葉ばかりだった。

「冗談じゃない、この忙しい時に・・・」
「俺たちは、この季節に収入の半分以上を稼ぐんだぜ。その大事な時期に、ケントニスくんだりまで行っていられるか」
「冬になりゃあな、いくらでも連れてってやるぜ。だが、今はだめだ」
「あんた、けっこう美人じゃねえか。うちのせがれの嫁に来てくれるんなら、話に乗ってやらんこともないぜ・・・」

漁師たちが、自分の仕事を大事にしているのは、わからないでもない。しかし、アイゼルは思い通りにならないことがもどかしかった。一刻も早く、エル・バドールへ行きたい。そして、エリーが見たもの、感じたことを自分でも体験したい。
(彼女に勝ちたいのなら、敵を知ることからはじめなさい・・・)
ヘルミーナの言葉がよみがえってくる。
(いけない・・・このままだと、また泣き出してしまいそう。今日のところは宿屋に泊って、明日、もう一度頼んでみよう)

マントの埃を払って、立ち上がろうとした時、背後から声がかかった。
「よう、どうしたんだい?」
振り向くと、よく日焼けした肌に青い目をした、アイゼルよりやや年かさの娘が立っていた。地元の漁師の娘だろうか。
「あ、あたしはユーリカ。ユーリカ・イェーダっていうんだ。あんた、その服装から見ると、錬金術師だろ?」
「え、ええ・・・。わたしは、アイゼル・ワイマール」

「そういや、あんただろ? 昼間、カスターニェ中の船を訪ね歩いて、ケントニスに行きたいってわめいてたっていうのは」
「わめいてたなんて・・・。ずいぶんとごあいさつね。それが、この町の人たちの歓迎の仕方なのかしら」
いささかむっとして、アイゼルはいつもの口調で言い返す。だが、ユーリカは笑って、
「ははは、良かった。元気が出てきたみたいじゃないか。さっき、後ろ姿を見てたら、今にも海に飛び込むんじゃないかと思うくらい、寂しそうだったけどさ」

「そ、そんなこと・・・」
ユーリカが、自分を元気付けようとしてくれていたことに気付き、アイゼルは口ごもる。ユーリカは、アイゼルに顔を近付け、
「乗せて行ってやろうか、ケントニスに?」
「え? あなたが・・・?」
「ははは、信じられないって顔してるね。これでも、れっきとした船乗りなんだよ。ちゃんと、自分の船も持ってるんだ。もっとも、父さんが早くに死んじゃったからなんだけどさ。ただ・・・」
「ただ?」
「1週間、待ってほしいんだ。明日から、他の錬金術師をミケネー島まで連れて行く約束が入っちゃっててさ。そこから帰って来たら、すぐケントニスに向かって船を出してあげるよ。それでどうだい?」
意外な申し出に呆然となっていたアイゼルは、ただうなずくだけだった。

「よし、決まった。じゃ、1週間後の夜明けに、この桟橋で待ってておくれよ。それじゃ」
背を向け、歩み去ろうとするユーリカに、はっとわれに返ったアイゼルが声をかける。
「ま、待ってちょうだい。さっき、他の錬金術師って言ったわよね。ミケネー島へ連れて行くっていう・・・」
「ああ。ケントニスのアカデミーから来た人でさ。どうしても、ミケネー島でこの季節にしか取れない絶滅寸前の実がほしいって言ってね。それがどうしたんだい?」

考えるよりも早く、言葉がアイゼルの口をついて出た。
「わたしも、一緒に連れて行ってくださらないかしら? お願いよ」
振り向いたユーリカが、目を丸くする。
「そ、それは構わないと思うけど。でも、どうして?」
「とにかく、行きたいの。いいわね」

ケントニスから来た錬金術師・・・このことだけで、アイゼルの心は沸き立っていた。これが、神様の引き合わせでなくて、何であろう。この出会いは、きっと彼女に何かをもたらしてくれるに違いない。


翌早朝。
アイゼルは、久しぶりにわくわくした気分で、カスターニェ港の桟橋へ出向いた。

ユーリカの船は、カタパルトを備えた小型の高速船で、持ち主に似て元気が良く、頼りになりそうに見える。アイゼルが甲板に上がると、船首に立って沖合いを見つめていた錬金術服の男が振り返った。
長身だが、ユーリカと対照的に肌の色は白く、やせていて、いかにも学究の徒という印象だ。銀縁眼鏡の奥から、皮肉な色をたたえた目で、値踏みするようにアイゼルを観察している。
いささか居心地が悪くなったアイゼルだが、負けじと相手をにらみ返す。

先に相手の方が口を開いた。
「なるほど。あなたですか、一緒に来たいという錬金術師は。・・・ふ、なかなかいい目をしていますね。同行を認めましょう。あ、わたしはクライス。それから、断っておきますが、必要な時以外は話し掛けないでください。思索の邪魔になりますからね」
言いたいことだけ言うと、アイゼルの返事も待たず、船室へ入ってしまった。

「な・・・何なのよ、あの人。いったい、何様のつもりなのかしら。あんまりの言い方だと思わない?」
アイゼルは、腹立ちまぎれに、帆を揚げる準備をしているユーリカに話しかける。ユーリカは、ロープを結びながら平然と、
「ああ、気にしない気にしない。錬金術師って、みんなどこか変ってるんだから・・・あ、ごめん、気に障ったかい?」
「もういいわ。それにしても、ケントニスの人って、みんなあんな感じなのかしら」
「あの人はケントニスの人じゃないよ。ケントニスの人は、左右の目の色が違うんだから」
「そう言えば・・・」
アイゼルは、ヘルミーナやイングリドの目を思い出した。

「さあ、船出だよ。風向きもいいし、ミケネー島まで、2日あれば十分だ」
「ね、ねえ、ユーリカ」
と、アイゼルは昨夜来、疑問に思っていたことを口に出した。
「みんな言っていたけど、今は漁に絶好の季節なんでしょ。それなのに、何で・・・」
「ああ、そのことかい」
と、ユーリカは白い歯を見せて笑った。

「あたし、錬金術師には大きな借りがあるからね。できることは、何でもしてあげたいのさ」
「も、もしかしたら、その錬金術師って・・・」
「おっと、早く出港しないと、風を逃しちまう。続きは、後にしてくれないか」
広げられた帆は大きく風をはらみ、船はスピードを上げながら、カスターニェの港を出て行く。


ミケネー島の昼下がり。
砂浜では流木が燃やされ、その周囲には、ユーリカが釣り上げた魚が串に刺され、何匹も煙を上げている。油が砂にしたたり、香ばしい匂いがあたりに漂っている。

アイゼルは、よく焼けた魚をひと串取ると、水筒を持って近くのヤシの葉陰に向かう。そこでなら、強烈な日差しが少しは避けられるのだ。
アイゼルはヤシの幹にもたれて腰を下ろすと、マントにくるまって横になっているクライスを見下ろす。
「いかが、体調は? 島へ着いたとたんに貧血を起こすなんて、さすがはマイスターランク主席だけのことはあるわね」

クライスは身じろぎすると、青白い顔のまま、まぶしそうに目を開く。
「うるさいですね。瞑想の邪魔をしないでください」
「あら、それは失礼したわね。じゃ、お食事もお水も必要ないってことね。わたしとユーリカで、全部いただくことにしようかしら」
「ま、待ちなさい。天才にも、食事は必要です。こんな野蛮なものは食事とは言えませんが、他に選択の余地がないのですから、がまんすることにしましょう」
いささかあわてたような口調で、クライスは半身を起こすと、アイゼルから魚の串焼きを受け取った。

クライスは、食べながらぶつぶつとつぶやいている。
「・・・まったく、これだから、こんな所には来たくなかったんですよ。それを、あの問題児があんなことを言うから・・・」
その様子を、アイゼルは面白そうに見ている。ザールブルグ・アカデミーのマイスターランクで主席だったというクライスは、少し話をするうちに、最初に感じていた冷たい印象は薄れ、ただの不器用な優等生というイメージに落ち着いていた。

「お〜い、見つけたよ」
という声と共に、傍らの繁みからユーリカが姿を現わす。片手に持った枝には、赤ん坊の握りこぶしほどの大きさをした青紫色の実がいくつか付いている。
「ほんとにあきれたね。絶滅寸前の実が、どんな形と色をしているかも知らないで、採取に来たなんてさ。ほら、大事にするんだよ」
ユーリカは、実をクライスに手渡す。受け取ったクライスは、ぎこちない手付きで自分の採取かごにそれを収める。

「し、仕方がないでしょう。文献をひもとく時間もなく、やって来たんですから。・・・それにしても、早かったですね。一応、お礼を言っておきます」
そんなクライスをじっと見て、アイゼルが言う。
「ひょっとしてクライスさん、こんな遠くへ採取に来るの、初めてだったのではないこと?」
ぎくりとするクライス。だが、片手で眼鏡の位置を直すと、
「わたしのような優秀な人間は、実験室で研究を続けるのに手一杯なんです。なのに、ちょっとした賭けに負けましてね。絶滅寸前の実を手に入れてくるというのは、その罰ゲームというわけです。まったく、わたしともあろうものが・・・」

「賭けって、どんな?」
「エリキシル剤の調合です。 まさかわたしが負けるはずはないと思っていたのですが、品質、効力ともに、マルローネが調合した方が優っていたなんて・・・」
クライスは肩をすくめる。
アイゼルは、はっとした。その名前には、聞き覚えがある。たしか、エリーがよく話していた、エリーの命を救ってくれたという錬金術師の名前ではないか。
エリーは、マルローネのようになるために、錬金術師になることを志したのだという。

「あ、あの、マルローネって・・・」
「ほう。あなたもザールブルグ・アカデミーの出身なら、耳にしたことがあるかも知れませんね。まったく、とんでもない女性ですよ。アカデミー始まって以来の劣等生と言われながら、追試験の期間中に竜は倒すわ、賢者の石まで調合してしまうわ・・・。
今は、ケントニスのアカデミーで、「錬金術とは何か」というとんでもない命題に取り組んでいるのですからね」

「錬金術って、金を作り出すことが目的ではないの?」
いぶかるアイゼル。クライスはうなずき、
「わたしも、最初はそう思っていました。しかし、マルローネと話していると、どうもそれだけではないという気もしてくるのです。まあ、今のわたしの最大の研究テーマは、あのマルローネがなぜここまで成長したのか。そしてこれから先、どこへ行こうとしているのか、ということになりますね」
この時、クライスの目から皮肉な色が消え、優しさすら感じる眼差しになったことに、アイゼルは気付いた。

「ふうん、いいね。そうやって、追いかけて行ける目的があってさ」
ユーリカが口をはさむ。
「ね、ところで、アイゼルの夢って、何なの?」
「え? わ、わたしの夢・・・?」
不意を打たれて、アイゼルが口ごもる。混乱した心の中で、アイゼルは自問自答する。
(わたしの夢・・・。それは、ノルディスと一緒にいること・・・いえ、それは、もう消えてしまった。じゃあ、エリーに勝つこと? ううん、そんなのは、夢とは言えない。今のわたしには、夢はあるのだろうか)

「そ、そんなことより、ユーリカの夢を聞かせてくださらない?」
時間稼ぎのつもりでアイゼルが言う。
ユーリカは、遠く水平線を見つめて、
「あたしは、今、新しい夢を探してるところさ。ついこの間までは、父さんが追い求めていた夢、英雄ヴァルフィッシュの財宝を見つけ出すっていう夢があったんだけどね。結局、それは見つからなかった。でも、後悔はしてないよ。あたしの夢を絵空事だとばかにせずに、一緒になって探してくれた友達がいたからね。あんたと同じ錬金術師さ」

「その錬金術師って、もしかして、エリーのこと?」
「へえ、知り合いなのかい? 元気かな、彼女・・・ふふふ、元気じゃないわけないよね。いつも輝いていたもの」
「エリーが、輝いていた・・・?」
「そう。絶対に、命の恩人に会うんだって・・・。それで、とうとう、あの海竜フラウ・シュトライトまで倒しちまったんだからね。大きな夢を持ってる人間には、誰もかなわないよ」
「そう・・・」
アイゼルは、目を伏せて考える。自分はこれまで、それほど大きな夢を持って生きてきただろうか。

ユーリカの声が、遠くから聞こえる。
「アイゼルの夢も、早くかなうといいね。あたしも、少しでもその手伝いができるんだから、嬉しいよ」
はっとして、アイゼルは顔を上げる。ユーリカは、満面の笑みを浮かべて、
「だって、エル・バドールに行くことが、あんたの夢の第一歩なんだろ? 詳しい事情はわからないけどさ」
「そ、そうね・・・。あ、ありがとう、ユーリカ」
いつになく、素直に答えるアイゼル。

「さてと・・・それじゃ、目的のものも手に入ったし、カスターニェに帰るとしようか。着いたらすぐ、ケントニスに向かう準備にかかるからね」
ユーリカは、たき火に砂をかけて消し、帰り支度にかかる。
クライスは、ふらつきながらも自力で立ち上がり、もったいぶってマントの砂を払うと、船に向かって歩き出す。
アイゼルはその後を追ったが、心の中では、ひとつの言葉を繰り返していた。
(わたしの・・・夢・・・?)


第4章 ケントニスの夜明け

「見えてきたよ! あれがエル・バドールだ!」
ユーリカの叫びに、アイゼルが船室から飛び出す。水平線に盛り上がった緑色の大地が、見る見る近付いてくる。
「あれが・・・エル・バドール」
「やれやれ、やっと着きましたね。これでようやく、落ち着いて研究に戻れるというものです」
目を輝かせるアイゼルの傍らで、クライスがほっとしたように言う。

カスターニェを出発して、19日目の朝だ。
アイゼルと、ケントニスのアカデミーに帰るというクライスを一緒に乗せて、ユーリカの快速船は、快調に飛ばした。
それなりの長旅だったが、クライスと錬金術の議論を毎日のように戦わせていたおかげで、退屈することもなかった。当初は軽くあしらうような態度だったクライスも、日が経つにつれてアイゼルの実力を認めはじめたようで、「久しぶりに、淑女との知的な会話ができましたよ」というセリフまで出るようになっていた。

しかし、船室のベッドで一人になると、毎夜アイゼルは自問を繰り返していた。
(わたしの夢って、何なんだろう・・・)
とはいえ、ようやく旅の目的地、エル・バドールへ到着したのだ。
(まずは、ヘルミーナ先生が学んだ、ケントニスのアカデミーへ行ってみよう。きっと、エリーが何をしたか、教えてくれる人がいるだろう)
とにかく、なんらかの行動ができることが嬉しかった。

そんなアイゼルの思いを乗せ、ユーリカの船は、昼過ぎにケントニスの港にすべり込んだ。
「じゃあね。あたしは明日の朝、発つことにするよ。あんたはしばらくここにいるんだろ? カスターニェに戻ることがあったら、寄っておくれよ」
港での別れ際、ユーリカは笑いながら、たくましい手でアイゼルの背中をどん、と叩いた。

クライスは、アカデミーへ通じる坂道を、ずんずん登って行く。アイゼルは遅れないように、息を切らせてついて行く。
街外れの丘の中腹に建つケントニス・アカデミーは、ザールブルグのそれよりも遥かに長い歴史を持っている。それだけに、建物も古ぼけているが、なんとも言えない重々しい威厳のようなものが伝わってくる。

「あら、随分と早いお帰りじゃない。約束のものは、ちゃんと採取できたのかしら」
先に立ってアカデミーの門を入ったクライスに、中庭で声をかけたのは、金髪を束ね、丸い髪飾りを付けた錬金術師姿の女性だった。手には三日月を模したような不思議な形の杖を持ち、空色の瞳には、いたずらっぽい笑みが絶えない。
「当然でしょう。わたしに不可能はないのですから」
と、クライスはかごから絶滅寸前の実を得意げに出して見せる。

相手は実を手に取り、
「ふうん、どうやら本物みたいね。でも、あなたが自分自身で採取してきたという証拠はないわけよね、クライス?」
「し、失礼な。・・・そうだ、証人がちゃんといますよ」
クライスはアイゼルを振り向き、
「さ、アイゼルさん、証言してください。この実は、わたしが自分の手でかごに入れたものだということを、マルローネさんに言ってあげてください」

アイゼルはちょっと考え込んだが、にっこり笑って答えた。
「そうね。確かに、クライスさんは自分の手でかごに入れました。間違いなくてよ」
ただ、その実がユーリカから受け取ったものだということは、言わない方がいいだろう。少なくとも、クライスは嘘を言ってはいない。

マルローネは、いぶかしげにアイゼルを見やる。
「ね、ねえクライス、こちらは?」
「あ、忘れていました。紹介しましょう。アイゼルさんは、わたしたちの後輩ですよ」
「ええっ、ほんとに!? じゃあ、ザールブルグのアカデミーから来たんだ。大変だったでしょう」
と、マルローネはアイゼルの両手を握り、ぶんぶんと振りまわす。アイゼルは相手のおおげさな反応にあっけにとられたが、手を放すと貴族風に優雅に一礼した。

「はじめまして。アイゼル・ワイマールといいます。あの、わたし、エルフィールの・・・友人です」
「ええっ、そうなんだ。ますますびっくりだよ。エルフィールってば、元気?」
はしゃいだ声を上げるマルローネに、アイゼルは眉をひそめる。
どうも、このマルローネという人は、今まで噂で聞いていたイメージと違う。本当に、この人がエリーの命の恩人で、エリーが目標にしている錬金術師なのだろうか。
そんなアイゼルの心の内に気付いたのか気付かないのか、マルローネはアイゼルの手を引き、建物の入口へ向かう。
「とにかく、アカデミーの中を案内するよ。またね、クライス」

アカデミーの作り自体は、ケントニスもザールブルグも、そう違うものではない。正面玄関を入るとロビーがあり、三方の壁には研究棟や図書室、寮棟などに通じるドアがある。
ここケントニスでは学生の絶対数が少ないのか、ロビーに人影はまばらだ。玄関を入ってすぐ右側には、ショップのカウンターがある。

アイゼルとマルローネが通り過ぎようとすると、カウンターから声がかかった。
「あの、もしもし?」
「あら、イクシー、何か用?」
マルローネが答える。

アカデミーの司書とショップ店員を兼ねるイクシーは、常に落ち着いた態度を崩さない。
「もしや、お連れの人は、ザールブルグから来たアイゼル・ワイマールさんではないですか?」
「うん、そうだけど、どうして?」
「ザールブルグから、手紙が届いています」

アイゼルがはっと顔を上げ、目を輝かせた。まさか、ノルディスから・・・。
「はい、これです。受け取りにサインしてください」
サインするのももどかしく、手紙を受け取る。封にはアカデミーの印章が押されているが、これだけでは差出人が誰かはわからない。
期待に胸を弾ませて手紙を開いたアイゼルだが、字を見て落胆の色を隠せなかった。ノルディスの字とは、明らかに違う。

しかし、書かれた内容を追って行くにつれ、アイゼルはこみ上げてくるものを抑えられなくなっていった。
手紙の文章は、簡潔だった。

アイゼル・ワイマール

貴下のマイスターランク進学資格は、ヘルミーナ師の推薦により、無期限に保留されるものとする。貴下より復学の意思表示あり次第、同資格は発効する。

ザールブルグ・アカデミー

すべてを振り捨ててきたつもりだったが、アカデミーはアイゼルを忘れてはいなかった。
卒業式すら出席しなかったというのに、ヘルミーナ先生はマイスターランク進学の道まで残しておいてくれた。
気付くと、アイゼルは手紙を握りしめ、大粒の涙をこぼしていた。

「ちょ、ちょっと、どうしちゃったの? ねえ、大丈夫?」
あわてるマルローネ。その傍らで、イクシーはあくまで冷静に、自分のハンカチをアイゼルに差し出していた。


「ふうん、そうか・・・。そんな事情があったんだ」
アイゼルの長い話を聞き終わったマルローネが、しみじみと言う。

夜も更け、二人の頭上には七色の砂を撒いたような星空が広がっている。
ここは、アカデミーの建物からさらに高く登った、とある山の中腹だった。森の真ん中に、ぽっかりと開けた空き地があり、そこからはケントニスの街並みや、その向こうに広がる海が遠くまで見渡せる。
昼間の出来事から、なにか深いわけがありそうだと察したマルローネは、アイゼルを、この自称『隠れ家』に誘ったのだった。

今、二人は、空き地の真ん中に置かれた手作りの木のベンチに並んで座っている。
「ここはね、あたしが行き詰まったり、なにか考え事をする時に、必ず来る場所なんだよ」
と、マルローネは説明した。

「この辺の森は、アカデミーでは『竜虎の森』と呼ばれてるんだよ。正式な名前は別にあるんだけどね。イングリド先生が若い頃、ここでライバルの女性と対決したんだって。
その人は、アカデミーでイングリド先生と同級だったんだけど、卒業式の前に姿を消してね、この山にこもって修行をしていたらしいよ。そして、先生に果たし状を叩き付けたんだって。
二人の対決って、迫力だっただろうね、何といっても、湖をひとつ干上がらせて、地滑りまで引き起こしたっていうんだから。結局、引き分けに終わったらしいけれど・・・。あ、そう言えば、この話、ちょっと似てるね、あなたとエルフィールにさ」

マルローネは気楽に話していたが、アイゼルは愕然としてこの話を聞いていた。
ライバルの女性というのは、きっとヘルミーナ先生に違いない。アカデミーを出る自分を見送ったヘルミーナの意味ありげな表情を、アイゼルはようやく理解できた気がした。

しかし・・・とアイゼルは考える。
師と同じように、自分はエリーと戦うことを望んでいるのだろうか。
カスターニェ以来、ずっと悩んでいた、自分の本当の夢は何かという疑問が、再び心をかき乱す。
しばらくの間、二人は黙りこくって星空を見上げていた。

アイゼルは、心を決めた。
自分の感じている疑問を、素直にマルローネにぶつける。
マルローネは、あっさりと答えた。
「あなたの本当の夢? 簡単なことじゃない。あたしには、はっきりとわかるよ」
「え?」
「あなたの心にいちばん深く根を下ろして、忘れられないものが、それだよ。ここまで言っても、わからない?」

アイゼルは、自分の心の中を見渡してみる。答えは、すぐに出た。
「ノルディス・・・」
自然に言葉が口をついて出る。
「そう。素直に自分の心と向き合えばいいんだよ」
「でも、わたし、ノルディスのことは、もう・・・」
「あきらめた・・・って言いたいの? うそつきだなあ。あなた、自分の夢に、正面からぶつかってすらいないじゃないの」
「・・・・・・」

「たとえ失敗したっていいじゃないの。その向こうに、また別の夢が見えてくるはずだからさ。でも、夢から逃げてたら、どこにも行けなくなっちゃうよ」
「・・・・・・」
「ま、夜は長いよ。ゆっくり考えるといい。あたしも付き合うからさ」
そう優しく言って、マルローネは再び沈黙に返る。
アイゼルは目を閉じ、過去の様々な出来事をひとつひとつ思い浮かべていった。

東の水平線が、白みはじめる。目を覚ました小鳥のさえずりが、森のあちこちから聞こえてくる。
いつのまにか眠り込んでいたマルローネは、肩に手が置かれるのを感じて、目を覚ました。
薄闇の中で、アイゼルのエメラルド色の瞳が、じっとマルローネを見詰める。
そこには、昨夜にはなかった安らかな光が宿っていた。

「マルローネさん・・・いろいろとありがとう。わたし、決めたわ」
アイゼルは、すがすがしい中にも決意を秘めた口調で話す。
「これからすぐ、ザールブルグに帰ります。そして、今のわたしの気持をそのまま、ノルディスにぶつけてみます。それから、エリーにも・・・」
マルローネもアイゼルの目を見詰め、大きくうなずく。

Illustration by なかじまゆら様

そして、二人は申し合わせたかのように、海の方へ目をやった。
水平線に、オレンジ色のまぶしい点が生じたかと思うと、それはすぐに左右に伸びひろがる。
新しい1日の始まりを告げる、朝陽が昇って来ようとしているのだ。

アイゼルは、まっすぐにその方角を見つめている。
彼女は、夜明けの光に向かって、進んで行こうとしている。
その光の向こうに、ザールブルグがあるのだ。

<おわり>


○にのあとがき>

なかじまゆらさんの「Salburgs Museum」に寄贈した第1作です。
そして、今回、ゆらさんから素敵な挿し絵をいただきました(感謝感激!!)
お読みいただければわかりますが、ゲームのイベント「さようなら、私の恋」の後日談という設定になっています。

アイゼルをこのままザールブルグから去らせてしまうわけにはいかない!
・・・という決意を持って書いただけに、思いのほか気合が入りました。

自分としては、ミューがいい味を出していると思うのですが(ホッフェンのイベントを持って来ちゃったし)、意外にも、ウケたのは何気なく出演させた某マイスターランク主席男でした。
男性キャラが全然出ないってのも何だかなあ・・・と思って出しただけなんだけど。
いやー、クライスファンって、多いんですね。

これ以降、自分の作品にもクラマリものが増えてしまった・・・。
これも、皆さんのおかげです(←思い当たる人、あなたのことですよ)。

もうひとつ、マリーが語る「イングリド先生とライバルとの対決」の顛末を詳しく知りたい方は、こちらをお読みください。


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