戻る

前ページへ

〜10万HIT(リク権争奪企画)記念リクエスト小説<理珈さまへ>〜

ゲルハルトとクルス Vol.2


―15日目―

「あら、クルス、今日も早いのね」
2階から階段をとことこ下りてきたクルスに、徹夜明けのリリーが声をかける。
「リリー」
クルスはにっこり笑った。
「うん、クルス、おでかけ」
本当に、毎日が楽しくて仕方がないという様子だ。それを見ると、リリーも疲れが吹き飛ぶように感じる。こんなに感情表現が豊かな妖精は、見たことがない。
「ところで、ヘルミーナは?」
リリーの問いに、クルスは小首をかしげた。
普段なら、クルスよりも前に起き出して、忙しげに動き回っているはずなのだ。リリーの顔に懸念がよぎる。
「ヘルミーナのこと、ちょっと心配なのよ。もともと、あまり身体が丈夫な方じゃないのに、昨夜も遅くまで作業してたし・・・。それに意地っ張りで頑固だから、言って聞かせても休むような子じゃないしね。ドルニエ先生って、あんまりそういう方面で気がつく人じゃないから、無理させちゃってるんじゃないのかしら」
「ヘルミーナ・・・」
クルスも心配そうに2階に目をやる。
その時、話を聞きつけたかのようにヘルミーナ本人が下りてきた。
「リリー先生、おはようございます・・・。クルスも、おはよう・・・」
「ヘルミーナ? 大丈夫なの? なんか、顔色が悪いわよ」
リリーが心配そうに声をかける。ヘルミーナは弱々しく微笑んだ。
「だ、だいじょうぶ・・・です・・・」
そのまま、崩れるように床に倒れこんでしまった。
「ヘルミーナ! ――たいへん、すごい熱だわ!」
抱き起こしたリリーが叫ぶ。
「クルス! ドルニエ先生とイングリドを呼んで来て!」

「どうやら疲れが相当に溜まっていたようだ。私が面倒をみることになっていたのに、こんなことになってしまうとは・・・」
階下へ下りてきたドルニエは、顔をくもらせた。
「具合はどうなんですか!?」
イングリドが叫ぶように尋ねる。
「とにかく、体力を消耗している。だが、大丈夫だよ。リリー、『フェニクス薬剤』の在庫があったはずだね。あれを飲ませてやれば、すぐに――」
「『フェニクス薬剤』は、ありませんよ」
ぽかんとして、リリーが答える。
「何だって?」
「先日、貴族の誰だかに緊急に頼まれたとか言って、ドルニエ先生が全部持って行ってしまわれたじゃないですか」
「そ、そうだったか?」
「もう! しっかりしてください、ドルニエ先生!」
イングリドがあきれたように言う。
「とにかく、新たに『フェニクス薬剤』を調合するしかないわね。――イングリド、すぐに『栄養剤』の準備にかかって! あたしは『常備薬』を調合するから」
リリーはすぐにてきぱきと指示を出す。『栄養剤』も『常備薬』も、難病に効き回復力の高い『フェニクス薬剤』の材料だ。
イングリドも弾かれたように動き出し、お手伝いの妖精に矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
「ペーター、『蒸留水』を用意して! あんたは緑の『中和剤』よ、ピエール! それから、ピコはオニワライタケを――無いなら、森へ行って採ってらっしゃい! 大急ぎよ!」
「計算はできています。簡単なことですな」
「オゥ、キミにはかなわないな」
「は、はい・・・行って来ます。ああ、ボクにできるかなあ・・・」
「リリー」
クルスがリリーの服の裾を引っ張る。
「クルス、てつだう」
リリーは一瞬、考え込んだ。
「気持ちは嬉しいけど、クルスはまだ見習い中でしょ。調合も採取もできないしね」
なだめるようなリリーの口調にも、クルスは真剣な表情を変えない。
「ヘルミーナ、しんぱい。クルス、てつだう」
その時、背後からイングリドのあわてた声が聞こえた。
「リリー先生! 『アードラの羽根』の在庫がありません!」
「何ですって?」
『アードラの羽根』は『フェニクス薬剤』の重要な材料だ。これがなくては、『フェニクス薬剤』は作れない。
「それじゃ、誰かヴェルナーの店へ行って――」
言いかけたリリーが、クルスに目をとめる。
「そうだ!」
リリーは身をかがめると、クルスの目を見つめて言う。
「あなたにもできる用事があったわ、クルス。ヴェルナーのお店へ行って、『アードラの羽根』を買って来てほしいの。わかるわね?」
「ヴェルナー。『アードラのはね』」
クルスは自分に言い聞かせるように繰り返す。
「急いでね!」
リリーの声を背に、クルスは工房を飛び出して行った。

「ああ、いい天気だ。たまにゃ、こうして街をぶらつくのも悪くねえな」
ゲルハルトは鼻歌を歌いながら、のんびりと『職人通り』を散歩していた。すれ違う人たちが顔をしかめ、耳をふさいで足早に去っていくのが、自分の鼻歌のせいだということにも気付かない。
角を曲がったところに、二階建ての雑貨屋がある。1階のヨーゼフの店では野菜や果物、パンといった食料品から日用品までを幅広く商っており、新鮮な食べ物や特売品の雑貨を求めるおかみさんたちで、いつもにぎわっている。一方、2階に店を構えるヴェルナー雑貨店は、それこそ日常生活に役立つものは一切売っていないという不思議なところだ。だが、錬金術の材料になる珍しいものを置いてあるということで、リリーが頻繁に出入りしているようだった。そのことがゲルハルトは気に入らない。
(まさか、あのヴェルナーのひねくれ野郎も、リリーのことを狙ってやがるんじゃ――)
通り過ぎようとすると、ヴェルナー雑貨店の階段をとぼとぼと下りてくる小さな姿に気付いた。
「おい、クルスじゃないか」
ゲルハルトの声に、クルスは顔を上げた。
「どうしたんだ、そんな悲しそうな顔してよ」
「ゲルハルト」
クルスはすがるような目でゲルハルトを見上げる。
「何があったんだ? 言ってみな」
ひざまずくと、ゲルハルトはクルスの頭をなでる。
「『アードラのはね』」
「ん? そいつがどうかしたのか?」
『アードラの羽根』なら、ゲルハルトも知っている。以前、一緒に採取に遠出をした時、たまたま襲ってきた大きな鳥を倒したところ、その羽根を手に入れたリリーが大喜びしたのを覚えている。
「ヘルミーナ、びょうき。『アードラのはね』、くすり。クルス、てつだう」
クルスは覚えた言葉をなんとかつなぎ合わせて、言いたいことを表現しようとしている。
「するってえと、こういうことか? ヘルミーナが病気になって、何だかわからねえが『アードラの羽根』が薬になるから、それが必要ってことだな」
「ヘルミーナ。クルス、しんぱい」
「そんなに深刻なのか?」
ゲルハルトは顔を上げた。ヘルミーナにはいつも目の仇にされて、憎々しい言葉を浴びせかけられてはいるが、それを根に持つようなゲルハルトではない。
「『アードラのはね』。ヴェルナー、しなぎれ」
クルスが言葉を継ぐ。
「そうか、ヴェルナーのやつの店へ行ったけど、品切れだったんだな!」
ゲルハルトは立ち上った。
「よし! 俺がなんとかしてやる。安心して、工房で待ってろ」
「ゲルハルト・・・」
心配そうに見上げるクルスに、ゲルハルトはにやりと笑って見せた。
「任せとけ、武器ってのは、こういう時に役に立つんだぜ」
お気に入りの槍を取りに武器屋へ走りながら、ゲルハルトは次の段取りを考え始めていた。
(いちばん早くあそこへ行って戻る方法は――、やっぱり・・・)

シグザール城の門の前では、王室騎士隊副隊長ウルリッヒが、自ら警固の任についていた。
聖騎士の蒼い鎧とさらさらした金髪が、日差しを受けてきらめく。城門前を通り過ぎる若い娘たちが、その凛々しい姿を盗み見てはささやき交わし、恥ずかしそうな笑い声を上げたりしているが、ウルリッヒは一顧だにしない。その瞳は憂いをたたえ、どこか寂しげだ。
かつてのドムハイト王国との国境紛争の際に王室騎士隊長が戦死し、後任にウルリッヒを推す声は高かったが、ウルリッヒは「自分は隊長の器ではない」と固辞し、副隊長の地位にとどまっている。
目の前に広がるザールブルグの中央広場には、今日もいつもと変わりなく散歩する人たちや駆け回る子供たち、キャラバンでやって来た大道芸人、軽業や占いに見入る男女、イーゼルを立てて静かに筆を動かす絵描き、ベンチで読書する老人など、人々が思い思いに過ごしている。かれらに共通しているのは、心から生活を楽しんでいる幸せそうな表情だ。
今日も、ザールブルグは平穏だ。
ウルリッヒは小さくうなずくと、気持ちを新たにした。
(私は、この平穏な風景を守り抜かねばならぬ・・・)
ウルリッヒの思いは、あわただしい足音と呼びかけにさえぎられた。
「副隊長殿!」
城の中庭から走って来たのは、騎士隊見習いの少年だった。
「何事だ!?」
「厩舎に、侵入者です! 馬泥棒が――」
「よし、今行く!」
シグザール城の裏門に近いところにある騎士隊の厩舎に駆けつけると、長い黒髪を振り乱した若い男と、厩番の騎士がもみ合っているところだった。男は冒険者姿で、長い槍を手にしている。
「だから、さっきから言ってるだろ! 俺は馬泥棒なんかじゃない! いちばん足が速い馬を借りたいだけなんだ!」
「騎士隊は馬の貸し出しなどやってはおらん! 牢にぶち込まれないうちに、さっさと帰れ!」
「何だと!? それでも貴様ら、市民を守る王室騎士隊かよ!」
「鎮まれ!」
ウルリッヒが鋭く一喝する。
男も厩番も、一瞬、言い争いをやめて、駆けつけたウルリッヒを見た。
「お前は――? 武器屋の・・・」
ウルリッヒは眉をひそめた。ゲルハルトは、知らない顔ではない。それどころか、リリーの採取の護衛として、機会は少ないが一緒に旅をしたこともある。
「副隊長! 報告いたします! この男が、突然乱入して来て、馬を強奪しようとしたのであります!」
「違うっつってんだろ! 俺は馬を借りたかっただけなんだよ」
同時にまくしたてようとするふたりを、ウルリッヒはひとにらみで黙らせた。このあたりは貫禄だろう。
まだ何か言いたそうにしている厩番の騎士を下がらせると、ウルリッヒはゲルハルトに対峙した。ゲルハルトもおじけず、真っ向から視線をぶつける。
(いい目をしている)
ウルリッヒは思ったが、表情には表さず、厳しい口調で尋ねた。
「厩舎とは言え、ここはシグザール城内だ。無断侵入は罪になる。城に用事があるなら、なぜ表門で申告しなかったのだ?」
「うるせえな、非常事態なんだよ! かてえこと言わないでくれ!」
ゲルハルトはかみつくように言った。
「ガタガタ言わねえで、いちばん速い馬を貸してくれよ!」
「事情はどうあれ、規則は規則だ。ここの馬は王室の財産なのだ。いざという時に国を守るためのな。規則を曲げるわけにはいかぬ」
「何だと! このコチコチ頭が!」
胸倉をつかまんばかりの勢いでゲルハルトが詰め寄る。
「人の命がかかってるんだ! それでもかよ!」
乱暴にウルリッヒを押しのけると、厩舎に近づく。そして、手近な馬の手綱を取ろうとした。
「待て」
「うるせえ!」
振り向きもせず怒鳴り返したゲルハルトに、ウルリッヒは静かに言葉を継ぐ。
「3番目の馬にしろ。足は速いしスタミナもある。それに、いちばんお前の体型に合っている」
「何だと?」
「人の命がかかっている・・・それはまことだろうな?」
「あったりまえよ!」
「ならば――行け」
「ありがてえ! 恩に着るぜ、隊長さんよぉ!」
「・・・副隊長だ」
ゲルハルトはあわただしく馬の手綱に手をかける。ウルリッヒは静かな口調で続ける。
「だが、用事が済んだら必ず私のもとに出頭せよ。事情を聞かせてもらうぞ。その上で、処分を決めることになる」
「ああ、処分でも何でも受けてやらあ!」
引き出した馬に飛び乗ると、ゲルハルトは槍を小脇にはさみ、鞭をくれて飛び出して行った。
ウルリッヒは何事か考え込みながら、城壁に上る。
ザールブルグの周囲に広がる平原を見渡すと、北東方向へ向けて矢のように馬を駆るゲルハルトの姿が小さく見えた。

「さすがは騎士隊の馬だな! この速さは半端じゃねえや」
少しでも風の抵抗を少なくしようと、馬の背で低い体勢を取りながら、ゲルハルトは感心して叫んだ。
傾きかけた日差しを背に受け、荒れ果てた大地を疾駆する。
目的地は『日時計の草原』だ。
そこには、巨鳥アードラが生息している。
店で手に入らないなら、現地調達しかない。『アードラの羽根』がヴェルナー雑貨店で品切れだと聞いたゲルハルトは、単純にそう考えたのだ。
アードラが都合よく目の前に姿を現すのか、そして見事にしとめられるのか――。
(行ってみなきゃ始まらねえ)
難しく考えるのは、ゲルハルトの性には合わなかった。まずは行動――である。
「待ってろよ、クルス! 日暮れまでには、『アードラの羽根』を山ほど持って帰ってやるからな!」
その時、馬が不意に棹立ちになった。
「おおっとぉ!」
振り落とされそうになったが、かろうじて身を立て直す。
「どうしたんだ?」
馬は不安げに首を振り、足を踏み鳴らす。
長く尾を引く遠吠えが、大気を震わせる。
そして――、馬をおびえさせた原因が、ゆっくりと、姿を現した。
周囲の岩陰から、くぼみから――。
「こ、こいつら・・・」
歯をむき、目をらんらんと光らせたオオカミの群れ、およそ十数頭。
ゲルハルトは槍を構え、油断なく目を配った。一方、おびえた馬も御さなくてはならない。
「くそっ、邪魔するな! 今はお前らにかまってる暇はねえんだ!」
怒鳴ってみるが、オオカミにわかるはずもない。
茶色の毛皮をゆるやかに波打たせ、群れはひたひたと半円形に近寄ってくる。
十分に距離を詰めた段階で、一斉に襲いかかって来るのだろう。
「くっそお!」
ひときわ身体の大きなオオカミが、短く吠える。
それが合図だったのだろう。オオカミの俊敏な足が大地を蹴った。
しかし――。
なにかが宙を飛び、鋭く大気を切り裂く。
真っ先に馬ののど笛にかみつこうとしたオオカミは、おのれののどを矢に貫かれて、岩場に転がった。
その時初めて、複数のひづめの音が背後から近づいて来るのにゲルハルトは気付いた。
的確に放たれる矢ぶすまに邪魔され、オオカミはゲルハルトの馬に近づけない。
「こりゃあ、いったい――?」
振り返ったゲルハルトの目に、疾駆してくる数頭の騎馬の姿が映った。
誰が呼んだか、“ザールブルグの蒼き煌き”――。
接近してきた蒼い鎧の聖騎士たちは、弓を背の矢筒に収め、長剣を抜き放っている。
先頭の金髪の騎士が、飛び込みざま、オオカミを両断した。
「あ――あんたは!?」
目を丸くするゲルハルトに、ウルリッヒは静かに答える。
「人の命がかかっているというのなら、放ってはおけぬ」
他の騎士たちは馬から飛び降り、ひとりが数頭のオオカミを引き受け、手錬れの剣を振るっている。
「行け。ここは、われらに任せよ」
「あ、ああ・・・。だけど・・・」
ためらうゲルハルトに、ウルリッヒは厳しい口調で言い放つ。
「迷うな。おのれのなすべきことをなせ!」
それは、自分に言い聞かせる言葉でもあっただろう。
「わかった!」
ゲルハルトは鞭を入れた。
馬は弾かれたように飛び出す。再び風景が流れるように左右を飛び去って行く。
(待ってろよ! 絶対に――)
ゲルハルトの胸には、熱い血潮がたぎっていた。

日没と同時に、ゲルハルトはザールブルグに帰り着いた。
『アードラの羽根』は1枚しか入手できなかったが、それだけで十分だった。
準備万端、整えて待っていたリリーとイングリドがすぐに調合にかかり、『フェニクス薬剤』は無事に完成した。
その日の深夜には、クルスが心配そうに見守る中、ヘルミーナは熱も下がり、ベッドで穏やかな寝息を立てていた。
しかし、別室ではドルニエが難しい顔で思いに沈んでいた。目の前のテーブルには、ヘルミーナが無断で持ち出していた錬金術書が開かれている。
「まさか・・・。かれがホムンクルスだったとは・・・。いや、しかし――。ヘルミーナは、知っているのだろうか」
ドルニエは、別ページに記された注釈に目を走らせる。そこには次のように書かれていた。
『――ここで付与された生命力は甚だ不安定であり、その生存期間は20日間に満たないことが多く・・・』


―20日目―

今日も空は晴れ渡っている。
「ああ、まるで俺の心と同じようだぜ!」
ゲルハルトは好き勝手なことを言いながら、好天に誘われるように街外れまで散歩の足を伸ばしていた。
ふと、耳をそばだたせ、足を止める。
丈高い草におおわれた空き地の隅で、妖精がふたり、人目を忍ぶように言葉を交わしていた。
ひとりは水色の服を着ており、もうひとりは目のせいだろうか、目を向けるたびに服と帽子がいくつもの色に変化しているように見える。
(ありゃあ、クルスじゃねえか)
見知らぬ妖精が何事かを言い聞かせ、クルスは考え込みながら耳を傾けているようだ。
ふたりが交わす言葉の切れ端が、風に乗ってゲルハルトの耳にも届く。
「クルスくん、・・・一緒に・・・気はないかね?」
「・・・」
「・・・だよ。少々、時間が・・・」
「ダメ、・・・ーナ、しんぱい」
「だが、このままでは、君の・・・もうすぐ・・・」
「・・・・・・」
「そうか、でも、考えて・・・。悪いようには・・・」
「・・・」
「心が決ま・・・、・・・まえ。待っているよ。それじゃ」
次に目を向けた時には、七色に変化する服を着た妖精の姿は消えていた。
クルスがよちよちと近づいてくるのを見て、ゲルハルトは内緒話を盗み聞きしてしまったような罰の悪さを覚えながら、手を上げた。
「よう、クルスじゃないか。何してたんだ?」
「ゲルハルト」
うつむいていたクルスは顔を上げ、にっこり笑う。
「今日は武器を磨きに来ないのか? あいつらも寂しがってるぜ、クルスに磨いてもらいたい――ってな」
「ぶき、さびしい?」
クルスは真面目な顔で尋ねる。
「ああ、明日も、明後日も、これからずうっと、クルスに磨いてもらいたがってるよ、あいつらは」
本当は、ゲルハルト自身、毎日クルスが来てくれるのを楽しみにしているのだった。
「ずっと」
クルスはつぶやくように言うと、目を伏せた。
「うん? どうしたんだ?」
しばらくうつむいていたクルスは、再び顔を上げる。緋色の瞳は、清々しいと言ってもいい光をたたえていた。
「おい、クルス――?」
「クルス、おもいで、わすれない」
「え?」
「クルス、ゲルハルト、わすれない」
「お――おい」
クルスはぱっと背を向けると、ぱたぱたと足音を立てて、草むらへ消えて行く。
あっけにとられて、ゲルハルトは見送った。
(いったい、どうしたってんだ?)
しばらく、ぼんやりとたたずんでいたゲルハルトは、別のあわただしい足音が近づいて来るのに気付いて、顔を上げる。
「よう、ヘルミーナじゃないか。もうすっかり元気になったみたいだな」
血相を変えたヘルミーナは、ゲルハルトの言葉も耳に入っていないようだ。息をはずませ、きょろきょろと空き地を見回す。
「お、おい」
不意に、初めてそこにいるのに気付いたとでもいうように、ヘルミーナが左右の色が異なる目でゲルハルトを見た。
「クルスを・・・見なかった?」
「あ、ああ、見たぜ、さっきまで、そこに・・・」
「ああ、クルス!!」
ヘルミーナは、密生した草むらをかき分けるようにして、繰り返しクルスの名を呼ぶ。
「おい、どうしたってんだよ?」
「お願い! クルスを探して!」
ヘルミーナは全身を震わせるようにして叫んだ。
「いや、そりゃいいけどよ・・・。でも、クルスだって、たまには独りになりたい時もあるんじゃないのか? お前みたいな口うるさい娘といつも一緒にいたんじゃ、息が詰まるだろうしさ」
「何ですって!?」
ヘルミーナの視線がゲルハルトに突き刺さる。もし視線が人を石に変えられるものなら、ゲルハルトは即座に石化していたかも知れない。
だが、ゲルハルトが弁解する間もなく、ヘルミーナの両目から涙があふれ、頬を伝う。
「お、おい、ヘルミーナ・・・」
「何にもわかってないくせに!!」
叩きつけるように叫ぶと、そのままくるりと背を向け、クルスの名を呼びながらヘルミーナは走り去った。
「一体全体、何がどうなってるんだ?」
あっけにとられて、ゲルハルトはつぶやいた。

ゲルハルトが事情を了解したのは、一刻ほど後、リリーと行き会ってからだった。
リリーもクルスとヘルミーナを探して、街を走り回っていたのだ。
リリーの口から、ゲルハルトは初めて事実を聞かされた。
クルスは、ヘルミーナが錬金術で創り出した人工生命体――ホムンクルスだったこと。
ホムンクルスの寿命は短く、20日間が限度――つまり、クルスの命は今日にも尽き果ててしまうかも知れないこと。
なんとかクルスの命を救おうと『エリキシル剤』を調合しようとしたが、必要な原材料をヘルミーナの病気を治すために使ってしまったために、期限に間に合わなかったこと。
それを知ったヘルミーナは、自分を責めて工房を飛び出して行ったこと。
同時に、クルスも工房から姿を消していたこと。
「それで――? クルスは、自分の寿命のことを知ってるのか?」
ゲルハルトの問いに、リリーは悲しそうに目を伏せた。
「ええ・・・知ってるわ。昨夜、ヘルミーナが話したの」
「そうか・・・。よし、俺も探すぞ!」
「お願い」
ゲルハルトは走った。
いや、彼だけではない。この20日間、クルスと関わった街の人すべてが、クルスを探して走り回った。
クルスと言葉を交わし、クルスに触れ、クルスと笑い合い、クルスが元気に歩き回る姿を目にし、クルスの噂を聞いたことがあるだけの人さえも。
テオが、ヴェルナーが、イルマが、エルザが、カリンが、イングリドが――。
ヨーゼフが、ハインツが、シスカが、アイオロスが、クルトが――。
ウルリッヒは騎士隊を動員し、ザールブルグの外まで広く探索した。
大工たちはアカデミーの建設現場を放り出し、フローベル孤児院の子供たちは大人が入り込めない路地裏や建物の床下にまでもぐり込んだ。
しかし、日が暮れかけてもクルスは見つからなかった。
声をからして街中を駆け回ったゲルハルトは、暗い気分で中央広場に戻って来た。
広場の中央の噴水の縁石にもたれ、青い輪っかの帽子をかぶった小さな影が、しょんぼりとうつむいている。
声をかけようかどうしようか迷ったが、ゲルハルトは無言でヘルミーナの隣に座った。
ヘルミーナのブラウスもスカートも、枯葉や土ぼこりにまみれ、あちこち夢中で探し回ったことを示している。虚脱したかのように無表情で、もはや泣く気力すら失くしてしまったかのようだ。
ゲルハルトは、ためらいがちに声をかけた。
「その・・・、うまく言えねえけどよ」
ヘルミーナはちらっとゲルハルトを見上げたが、すぐに視線を自分の足先に戻す。
「大切なものを失うつらさは、俺にもわかるぜ」
ヘルミーナはきっと顔を上げた。絞り出すように、きつい声で、
「何よ、偉そうに! あんたみたいな能天気な人に、わかるわけないわよ!!」
だが、見下ろすゲルハルトの表情を見て、ヘルミーナははっと息をのんだ。
ゲルハルトの深みのある瞳に浮かんでいたのは――。
感受性の高いヘルミーナは直感した。
口先だけの同情でも、お仕着せの共感でもない・・・。
(この人は、今のあたしなんかより、何倍もつらくて悲しい思いを経験してるんだ――!)
ふたりは夕日に照らされながら、黙りこくって座っていた。心の根底で、同じ思いを共有しながら・・・。
「なあ・・・」
ゲルハルトが口を開く。
「きっと、クルスは幸せだったと思うぞ」
「うん、そうね」
ヘルミーナは素直にうなずいた。


―1年後―

武器屋のカウンターに頬杖をつき、ゲルハルトはぼんやりと宙に視線をさまよわせていた。
壁にかかった剣や槍をながめると、小さな手で懸命に磨いていたクルスを思い出す。
最近、カリンが製鉄工房で妖精を雇い始めたのだが、ちょこまかと動き回る姿を見ただけで、胸が詰まってしまうのだ。気を利かせたのか、武器を磨くために貸してくれたりもしたのだが、カリンのところの妖精は不器用で、クルスの繊細な手つきには及びもつかなかった。そのことが、かえって切なさをつのらせる結果となった。
護衛の旅にでも出ていれば、気が紛れるのだが、店に戻ると、つい水色の服を着た小さな姿がいないか探してしまう。
(こりゃあ、重症だな・・・)
リリーに聞くと、ヘルミーナも時々工房で調合中に、ぼうっとしていることがあるらしい。
今日も、日課だった武器磨きにかかる気が起きず、ゲルハルトは無為に時間をつぶしていた。
その時、リリーとヘルミーナが入って来た。
「よお」
「何よ、まだスランプ中なの?」
あきれたようにリリーが言う。いつも元気なリリーだが、今日はいつになく笑顔がまぶしい。
「あ〜あ、気のない挨拶ね。とてもお客さんを相手にする商売人の態度じゃないわね」
とげのある口調でヘルミーナが言う。
「無愛想で悪かったな」
ぶすっと言い返したゲルハルトだが、ヘルミーナの後ろに隠れるようにしている小さな姿に気付いた。緑色の服と帽子をつけた、普通の妖精だ。
「あのね、この子が、武器屋を手伝いたいんだって。でも、うちの仕事もあるんだから、半日だけよ」
不機嫌そうな口調だが、ヘルミーナの表情は明るい。こみ上げてくる嬉しさを隠し切れないでいるかのようだ。よく見れば、頬に涙の跡がかすかに残っている。
妖精は、ゲルハルトが床に置きっぱなしにしていた剣によちよちと歩み寄ると、布を取って磨き始める。
その手つきを何気なく見やったゲルハルトは、目を見張った。
赤ん坊をあやすかのように、柔らかく丁寧な手つきで、かいがいしく磨き上げる。まるで、武器が好きでたまらないかのように。
リリーとヘルミーナが笑みを浮かべて見守る中、ゲルハルトはカウンターを飛び出すと、妖精の傍らにひざまずいた。あの頃と同じように、視線の高さを合わせ、振り向いた妖精の頭をなでる。
「ゲルハルト」
妖精は、にっこり笑った。
ゲルハルトの声に、万感の思いがこもる。
「お帰り、クルス・・・」

<おわり>


○にのあとがき>

2003年10月、『ふかしぎダンジョン』はおかげさまで節目の10万ヒットを達成することができました。しかし、事情により正規のキリ番とは認定できませんでした。
キリ番を楽しみにしていらした皆様に申し訳ないと思い、失われた10万キリ番に代わっての小説リク権争奪企画「ヘイヘイ、たっぷり読んだぜ。満腹クイズ大会(笑)」を開催させていただきました。
12名の方からご応募いただき(結果発表はこちら)、理珈さんが当選されました。

で、いただいたリクが「かっこいいゲルハルトのかっこいいお話(出来ればリリーさんとちょっといい感じv)」でした。
けっこう悩みました(笑)。
実はゲルハルトって、ザールブルグキャラの中でも感情移入がしにくいヤツなんですよ(汗)。
他のキャラと違って過去がわからないし、しかも将来があれでしょ?(笑)
ですから、従来うちではいい役が与えられてなかったんですね。竜虎コンビの妙な薬をかけられたり、二日酔いで寝込んだり・・・。

でも、今回はがんばりましたっ!
理珈さんのリクを見ているうちに、浮かんで来たですよ、「ゲルハルトとクルス」ネタが。
ゲーム『ヘルミーナとクルス』には登場しなかったゲルハルト。もし登場していたら、どんなイベントが起こって、どんなふうにクルスに関わっていったんだろう?
そんなことを考えていたら、自然にストーリーが出来上がって行きました。同じように『ヘルクル』に登場しないウルリッヒさんとカリンにも登場願って、もう一つの物語を描いてみたわけです(あっ、シスカさんを忘れてた!)。
ラストは、ゲームのエンディングB「おかえりなさい」に基づいています。

そして、もうひとつ、公式設定でもまったく明かされていないゲルの過去を、ほんの少しだけ想定して書いています。きっと、彼はただの能天気青年ではなく、過去になにか重いものを背負っているに違いない・・・(ミューもそうですね)。ただ、明確に書くのはちょっと、と思いますので、ほのめかす程度にとどめていますが。

さて、今度はJunoさんのゲルリクだ〜!!


前ページへ

戻る