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〜105000HIT記念リクエスト小説<Juno様へ>〜

若毛の至り Vol.2


Scene−7

その晩も、ザールブルグの西に広がる屋敷町は静かだった。
今宵はワイマール家で舞踏会が行われているが、貴族としては中流のワイマール家が主催するパーティは規模が小さく、屋敷も街の外れにあるため、音楽や人々のさざめく声もかすかにしか聞こえて来ない。
ゲマイナーは、さる貴族の邸宅の静まり返った中庭を足音を殺して歩きながら、心の中でほくそえんでいた。
貴族の間で錬金術に対する悪評が広がり、庶民にも浸透していることは知っているが、そんなことは彼の知ったことではない。また、彼の仕事にさほど影響することもなかった。
どこの世界にも、世事に疎く噂を意に介さない人物はいるものだ。今夜、相手にした老貴族もそんなひとりだった。
(だいたい、あの成り上がりのローネンハイムが何を言おうが、そんなものは嘘に決まっとる。あやつは昔から信用ならんやつじゃった・・・。それに、わしは噂などというものは気にせんことにしておる。あんなものは蒙昧な庶民が信じるものじゃ。わしはどこの誰にも、そう簡単にだまされはせんぞ)
そのような頑固な老人が、ゲマイナーの口八丁の手管にはころりとだまされて全面的に信用してしまうのだから、笑いが止まらない。例によって約定書を交わし、手付金をたんまりとせしめて、ゲマイナーはこれからねぐらに帰るところだった。
世の中、うまく立ち回れば、たやすく大金を手にすることができる。王室官僚試験に合格することを目指して、ばか正直に苦学をしていた頃の自分がまったくの愚か者に思える。真正直に努力しても報われないのなら、別の道を行くまでのことだ。努力すれば夢は必ずかなう、などと世迷いごとを言っている連中を見ると、むかついて仕方がない。そんなやつらは利用し、踏みつけにして、のし上がってやるまでだ。かつては彼の心にも存在していた良心のかけらも、厚く張り巡らされた壁の向こうに埋もれてしまっていた。
(ゲマイナー・・・)
突然、無垢な瞳をきらきら輝かせて自分を追ってくる金髪の少女の面影が心をよぎる。
(ヘートヴィッヒ・・・?)
幻を振り払うかのように、ゲマイナーは激しくかぶりを振った。
すべては過去のこと、別世界の出来事だ。思い出せば、心の奥底がうずくことになる。
記憶を抑えつけ、次の“商売”に思いをめぐらす。
(さて、次はどこから手をつけるとするか・・・。王室が極秘に懸賞金を出している、ヴィラント山の毛むくじゃらの怪物退治でもネタにして――)
石畳の舗道に出て、中央広場の方へ歩を進める。月明かりが街路樹の黒々とした影を舗道に落としている。
と、暗がりからひとつの人影が現れ、ゲマイナーの前に立ちはだかった。
「ん?」
ゲマイナーは立ち止まって、眼鏡の奥から相手を見定めようとした。
背丈は自分と同じくらいだが、身体つきははるかにたくましい。軽装にマントをはおり、女性のように長く伸ばした髪を後ろで束ねている。
「お前がゲマイナーか!?」
押し殺した声音の中に、ゲマイナーは相手の怒りを感じ取った。瞬間的に相手を観察し、考えをめぐらす。どうやら相手は武器を持ってはいないようだ。
「何だね、きみは。人にものを尋ねる時の態度とは思えないね。そんな礼儀知らずに答える義務はないと思うがね」
慇懃無礼な口調で、ゲマイナーは冷ややかに言葉を返す。あくまで落ち着いた態度をくずさない。
「うるせえ!」
次の瞬間、男の右こぶしがゲマイナーのあごをとらえた。
眼鏡が飛び、舗道に落ちてレンズが砕ける。それを追うようにゲマイナーの身体も街路樹に叩きつけられた。地面にくずおれる暇もなく、むなぐらをつかまれて引きずり起こされる。
「こんなもんじゃ済まねえぞ! 今のはリリーの分だ!」
立て続けに平手打ちをくらい、くちびるが切れ、口の中に塩辛い味が広がる。ゲマイナーはまったく抵抗しない。
「これはイングリドの分!」
両手で襟をつかまれ、持ち上げられて激しく揺さぶられる。

Illustration by Juno様

「こいつはヘルミーナの分だ!」
怒号と共に、投げ飛ばされて肩から石の舗道に打ち付けられた。
「あいつらに悲しい思いをさせやがって! 許さねえ――!」
わき腹を蹴られたが、ゲマイナーはうめき声を押し殺し、うずくまったまま痛みに耐えていた。ここで襲撃者をいい気持ちにさせてやることはない。
男が頭上にたちはだかり、黒い影がゲマイナーをおおう。
「どうだ、これに懲りたら、もうあくどい真似をするんじゃねえぞ! 詐欺師野郎め!」
男の声が降って来る。ゲマイナーはぴくりともしない。
「俺はゲルハルトだ。俺は逃げも隠れもしねえ。文句があるなら、いつでも『職人通り』の武器屋へ来やがれ!」
言い捨てると、男は足早に立ち去って行った。

しばらく待って、誰も戻って来ないのを確かめると、ゲマイナーはのろのろと起き上がった。
顔をしかめ、血の混じったつばを吐く。路面を探って、レンズが割れた眼鏡を拾い上げると、使い物にならないそれをポケットに収めた。
落ち着き払って服に付着した土を払い、にやりと笑みを浮かべる。
「フフフ、よかろう。文句は大いにあるよ。正々堂々と文句を言いに行ってやろうじゃないか。俺は善良な市民だからね、クククク」


Scene−8

翌日の昼下がり――。
ゲルハルトは、客もまばらな武器屋の店内で、リリーとおしゃべりを楽しんでいた。
あの張り込みの晩、ゲルハルトにすべてを吐き出してしまったためか、リリーも以前と同じような元気が出てきたようだ。実際、マクスハイム家のヘートヴィッヒがリリーから事情を聞いて、誤解があったことを納得し、他の貴族にも話をしてくれると約束してくれていた。
今も『職人通り』には錬金術を悪く言う噂は絶えない。しかし、リリーは――幼いイングリドやヘルミーナさえも、何事もないかのように表を出歩き、街の人たちに愛想よく話しかけていた。街のおかみさんたちの反応も、微妙に変わってきたかのように見える。
希望的観測かも知れないが、風向きは少しずついい方向へ変わって来ているのかも知れない。
(これで、後はあのゲマイナーの野郎がおとなしくなってくれれば――)
屈託なく話しかけてくるリリーの笑顔をまぶしげに見やり、ゲルハルトは心の中でつぶやいた。
もちろん、昨夜のことをリリーに話す気はない。
早めに武器屋を閉めた後、貴族の住む西ザールブルグへ出かけてゲマイナーの動向を探り、とある屋敷へ入って行くのを突き止めた。そして、深夜まで張り込みを続け、人気がないことを見すましてゲマイナーを捕まえ、叩きのめして懲らしめてやったのだ。
確かに、暴力はいいことではないかも知れない。リリーが聞けば、間違いなく眉をひそめるだろう。「何てことをしたの!」と怒られるかも知れない。だが、今の自分にできることは、あれしかなかった。後悔はしていない。
「ゲルハルト? どうしたの?」
リリーがきょとんとして見ている。
「なんか、すごく怖い顔をしていたけど」
「あ、いやぁ、何でもねえよ。そんなに怖かったか? まあ、しまらねえ顔してるより、今みたいなきりっとした顔もいいだろ? なあ」
「ばか」
リリーがにらみつける。ひとしきりにらみ合った後、ゲルハルトとリリーは笑い出した。
「失礼する」
その時、ドアが押し開けられ、まばゆく輝く蒼い鎧に身を包んだ屈強な男が数人、店に入って来た。
紛れもないザールブルグ王室聖騎士隊である。先頭の男は、引き締まった顔にどこか憂いを感じさせる瞳、さらさらの金髪がザールブルグの女性たちをひきつけてやまない副隊長のウルリッヒだ。
「ウルリッヒ様・・・?」
いぶかしげにリリーがつぶやく。いつもシグザール城内で謁見室の警固をしているウルリッヒが『職人通り』に現れるのは珍しい。
ウルリッヒは顔見知りのリリーにかすかにうなずいて見せ、カウンターの前に立ってゲルハルトをじっと見た。
「な、何だよ・・・。あ、いや、どうしたんですか?」
慣れない敬語に切り替えて、ゲルハルトが尋ねる。
ウルリッヒは懐中から書類を取り出し、静かな口調で言う。
「武器屋ゲルハルト――。騎士隊本部まで同行願いたい。お前は、ある市民から、暴行傷害および器物損壊の罪で告発されている。事情を聞かせてもらいたい」
「何だって!?」
ゲルハルトが目をむく。リリーも叫ぶ。
「何ですって? うそよ! ゲルハルトがそんなことするわけないわ!」
ウルリッヒは厳しい表情を崩さず、ゲルハルトを見つめる。
「ゲルハルト――。昨日の深夜、西ザールブルグで仲買人ギルドに属する商人ゲマイナーに暴行を働き、全治1週間の傷を負わせ、その際、ゲマイナーの眼鏡を破損した。お前は、この事実を認めるか?」
「ええっ!?」
リリーが大きく目を見開き、信じられないものを見たような表情でゲルハルトを凝視する。
「ああ、確かに殴ったさ。だがな、悪いのはゲマイナーのやつだ――」
言いつのろうとするゲルハルトをウルリッヒがさえぎる。
「認めるのだな。では、同行してもらおう。騎士隊本部で詳しい事情を聴かせてもらう。連れて行け」
部下の騎士に命ずると、ふたりの騎士がゲルハルトの両脇をがっちりと固める。
「おいおい、逃げやしねえよ。大げさだな」
「ゲルハルト!!」
リリーが悲鳴に近い声で叫ぶ。ウルリッヒに向かい、
「ゲルハルトは悪くありません! ゲルハルトはきっと、あたしのために――!」
「うむ?」
けげんそうにウルリッヒがリリーを見やる。
「おい! 言っとくが、リリーは関係ねえぞ! 全部、俺が勝手にひとりでやったことだ。リリーを巻き込まないでくれ!」
騎士に引き立てられてドアに向かうゲルハルトが振り返り、ウルリッヒにどなる。そして、リリーに笑いかけ、
「そんな情けない顔するなよ。大丈夫、“正義は必ず勝つ”ってな。ほんじゃ、ちょっくら行ってくらぁ。――あ、リリー、悪いが『臨時休業』の札を出しといてくれ。頼んだぜ」
騎士とゲルハルトは出て行き、しんとした武器屋にはリリーとウルリッヒが残った。
「ウルリッヒ様! ゲルハルトは、どうなっちゃうんですか!?」
泣き出しそうな声で、リリーが尋ねる。ウルリッヒはもの問いたげな表情を浮かべたが、落ち着いた口調を崩さず答える。
「うむ、騎士隊本部で事情聴取の後、近日中に裁判にかけられることになる。本件では、当人が罪を認めているから、迅速に判決が出て、しかるべき罰が下されるはずだ・・・」
「しかるべき、罰・・・?」
「罰金か収監――、場合によっては期限を定めてザールブルグからの追放刑に処される可能性もある」
「でも・・・、でも――!」
すがるようにリリーが叫ぶ。
「ゲマイナーは、殴られて当然のやつなんです! 悪質な詐欺師で、あいつのおかげで錬金術の評判も悪くなって、あたしたちはとってもつらい思いをして・・・。ゲルハルトはその話を聞いて、きっと、がまんできなかったのに違いありません!」
「ふむ・・・」
ウルリッヒは考え込んだ。
「確かにゲマイナーに関しては、一部の貴族から、詐欺に遭ったという被害届けが出ている。しかし、捜査の結果、詐欺には該当しないと結論が出た」
「そんな――!?」
リリーの瞳に絶望的な光が宿る。
「騎士隊は――、悪いやつの味方なんですか!?」
「そうは言っていない・・・」
ウルリッヒはしばらくリリーを見やった後、優しい微笑を浮かべて、
「ならば、ゲルハルトの裁判の際、お前が証人に立てば良い。今回の事件は、ゲマイナーの告発に端を発している。状況次第では、ゲマイナーに告発を取り下げさせて、示談に持ち込むこともできるかも知れぬ。そうなれば、ゲルハルトも処罰を免れ、前科も付かぬ」
「は、はい――!」
「私からは、これ以上は言えぬ。私も裁判官を務めるひとりなのでな。本来なら、このような助言をすることも権限から逸脱しているのだが・・・」
ウルリッヒは背を向けた。
「召喚状は、あらためてお前の工房へ送達する。それまでに、述べたいことを整理しておくが良い」
「はい、ありがとうございました!」


Scene−9

数日後――。
シグザール城の一画、騎士隊本部に近い“審問の間”には関係者が集まり、ゲルハルトの裁判が始まろうとしていた。
左右の壁際には鎧をまとった騎士隊員が立っていかめしくにらみを効かせ、さして広くない部屋には重苦しい沈黙がたちこめている。正面には3名の裁判官が座り、向かい合うようにして、部屋の中央に置かれた椅子に被告のゲルハルトがかけている。被告席のゲルハルトは肩を落とすようなこともなく、精悍な顔を真正面に向けて堂々と裁判に臨んでいた。
今回の裁判官は、文官ふたりと王室騎士隊副隊長のウルリッヒが務めている。殺人や国家反逆などの重大犯罪の場合には国王自らが裁く場合もあるが、幸いなことにそのような大事件が勃発することはめったにない。
左右には証人席があり、告発者であるゲマイナーは腕組みをして余裕たっぷりの態度で座っている。反対側の証人席からにらみつけているリリーのことは、目に入らないかのように徹底的に無視している。
裁判官席の脇には目立たぬようにして、数人の書記が羽根ペンを握って控えている。手前側は傍聴席だ。裁判は市民にも公開されているが、単なる暴行事件のため市民の関心は低く、傍聴席には空席が目立つ。まばらな傍聴人の中には難しい顔をした『金の麦亭』の店主ハインツや、心配そうに見守るイングリドとヘルミーナの姿もあった。
「では、審問を開始する」
ウルリッヒが立ち上がり、落ち着きのある声で告げた。今日のウルリッヒは聖騎士の鎧姿ではなく、黒を基調とした審問服をまとっており、金髪がよく映えている。
「まず、原告ゲマイナーの告発状を」
ウルリッヒの指示で書記のひとりが立ち上がり、淡々とした声で告発文を読み上げていく。
いわく、前々日の深夜、さる貴族との商談を終えて帰宅途中、いきなり暴漢に襲撃された。相手は武器は持っていなかったが、明らかにゲマイナー当人を襲う意図を有し、悪意をもって執拗に暴行を繰り返した。自分は護身用の武器も持ってはおらず、護身術の心得もないので、ただひたすらに無抵抗で暴行を受けざるを得なかった。その結果、くちびるなど数箇所の裂傷、顔面、腰、肩の打撲を負い、愛着のある眼鏡は修復不可能なほど破壊された。
そして、負傷の度合いを証明するため、告発状にはゲマイナーを治療した医者の書状も添えられていた。
「して、原告は、下手人が『職人通り』の武器屋ゲルハルトであると確信しているのだな」
ウルリッヒの言葉に、ゲマイナーは立ち上がって無表情にうなずく。
「はい、相違ございません。夜のことですので顔をはっきりと見定めたわけではありませんが、下手人は去り際に『俺はゲルハルトだ、文句があるならいつでも来い』と捨て台詞を残していきました。また、声と髪型ははっきりと記憶しております。犯人は、被告席にいる男に間違いございません」
「うむ。暴行の事実については、被告も認めている。ここまでは双方の供述に矛盾はない。ところで――」
ウルリッヒはゲマイナーに顔を向ける。
「被告ゲルハルトがお前を襲った理由について、思い当たることはないか」
ゲマイナーは肩をすくめ、
「はて、皆目、見当もつきません。私はまっとうな商売をしている商人です。他人様に恨みを買うようなことは――」
「嘘よ!」
証人席のリリーが叫ぶ。身を乗り出し、燃えるような視線をゲマイナーに浴びせて、
「この詐欺師! よくもそんなでたらめを――」
「黙りなさい!」
ウルリッヒが一喝する。
「証人は発言を許されてはおらぬ。不規則発言は慎むように」
リリーは怒りと悲しみがない交ぜになったような目でウルリッヒを見やり、黙って席に戻る。ゲマイナーはちらりと視線を向け、口元にかすかな冷笑を浮かべた。
「原告、続けなさい」
うながされ、ゲマイナーは言葉を継ぐ。
「――とにかく、その男がどのような意図で私を襲ったにせよ、そのようなことは私の関知するところではございません。重要なのは、善良な一市民である私が平和であるべきザールブルグ市内で理不尽な襲撃を受け、被害をこうむったことでございます」
リリーはこぶしを握りしめ、なにか言いたそうにウルリッヒを見る。ウルリッヒは一瞬、「まだだ」と目でリリーを抑え、手元の書類に目を落とした。
「被告ゲルハルトの供述によると、襲撃の動機は『天に代わって悪を懲らしめるため』だという」
「ふん、子供じみた言い分ですな。くだらぬ騎士物語でも読みすぎたのではないですか」
ゲマイナーは処置なしというように両手を広げた。ウルリッヒはうなずき、
「確かにこれでは具体性に欠ける。そこで、動機をさらに解明するため、被告側の証人として錬金術士リリーを喚問することとしたい。異議はあるか」
「いいえ」
ゲマイナーは余裕たっぷりにうなずいた。
リリーは刺すような視線でゲマイナーをにらみつけ、証言台へ進み出る。
「本証言により、動機に正当性があると認められた場合には、判決ならびに量刑に考慮が加えられる」
ウルリッヒにうながされ、リリーは用意してきたメモに目を走らせながら、これまでの事情を語った。
ゲマイナーは錬金術の心得がまったくないにもかかわらず錬金術士を名乗り、貴族に取り入ってコネクションを作り上げたこと。信用した貴族から大量の注文を請け負い、不当に安い報酬額でリリーの工房に丸投げしてきたこと。それらの依頼の内容と納期は常識的に判断して対応できるものではなく、リリーは依頼を断ったこと。それを受けてゲマイナーは貴族に対してあっさりと依頼をキャンセルし、高額な前金を返還もしていないこと。その結果、錬金術に対する貴族の信用はがた落ちになり、悪評が広がったせいでリリーの工房の面々はひどい精神的苦痛をこうむったこと。そのような事情をリリーから聞いたゲルハルトは、持ち前の正義感から義憤にかられ、ゲマイナーを懲らしめようとして襲撃したと思われること。
最後に、リリーはそっぽを向いているゲマイナーを指差し、こう言って締めくくった。
「これまでお話したように、あのゲマイナーという男は詐欺師です。自分は錬金術士であると言って身分を偽り、貴族からお金を騙し取り、悪意を持ってあたしたち錬金術士に嫌がらせをして――。殴られても当然の悪人なんです。詐欺師として告発してもいいです。確かにゲルハルトがしたことは罪かもしれません。でも、悪人を懲らしめるためであれば、許される範囲のことだと思います。国王陛下の名のもとに、この審問で正義の裁きが下されることを望みます!」
リリーは息をはずませて言葉を切り、“審問の間”は一瞬、沈黙に包まれた。
そこへ、ゲマイナーの静かな声が響く。
「異議あり」
「うむ、発言を許す」
ゲマイナーはゆっくりと立ち上がると、気取った様子で眼鏡のフレームを整え、おもむろに口を開いた。
「ただ今の錬金術士リリーなる者の証言には、重大な事実誤認があります。私が詐欺師ではないかという理不尽な告発について、それがまったく根拠のない虚妄であることを証明いたしましょう」
「何ですって!」
「何だと!」
リリーとゲルハルトの口から同時に声がもれる。ウルリッヒがにらむと、ふたりとも不満げに身じろぎし、余裕しゃくしゃくのゲマイナーをにらみつける。
ゲマイナーはすました顔で続ける。
「論点を整理して、個別にご説明いたしましょう。まず第一に、私が“錬金術士”と称して身分を偽ったという告発です。私は貴族の皆様に対して、常に『錬金術にゆかりの者』あるいは『錬金術士とコネクションを持っている』と説明して参りました。自らが『錬金術士である』と称したことなど、一度たりともございません。どの貴族の方に尋ねていただいても結構でございます」
「そんな――!?」
思わずリリーが声を上げる。ウルリッヒは手元の別の書類に目を落とし、
「うむ。騎士隊の調査でも、ローネンハイム家当主をはじめ貴族からは、それを裏付ける証言が取れている」
「でも、錬金術士とコネがあるなんて、嘘っぱちじゃない!」
「発言は許されておらぬ」
リリーをたしなめようとするウルリッヒをゲマイナーが止めた。
「良いではないですか。彼女に反対尋問を任せた方が、わかりやすいし話が早いというものです」
「よろしい。認める」
ゲマイナーはにやりと笑い、自信たっぷりにリリーを見やる。
「君は忘れているのではないかな? この商売を始めようと思った時、私は君の錬金術工房にわざわざ挨拶に行ったと思うがね。そして、貴族から受けた依頼を君の工房に持ち込みたいとお願いした。これによって、私は錬金術士とコネクションを持ったと認識していたのだがね」
「そんなの、屁理屈よ!」
「次に、第二の告発。私が貴族からお金を騙し取ったという点です」
ゲマイナーはポケットから紙を取り出し、ウルリッヒに差し出す。
「この約定書をご覧ください。これは、私が商いをする際に貴族の皆様と交わしたものでございます。口約束は、なにかとトラブルの元になりますからな。そこには、『手付金については、依頼の成功・失敗にかかわらず仲介手数料として支払われるものとする』と明確に記載してあります。もちろん、ローネンハイム様をはじめ依頼された貴族の全員が、内容を承認する署名をされています。ご確認ください」
受け取ったウルリッヒは、約定書を一瞥し、他の文官にも回す。文官たちはためつすがめつし、数回うなずき合った。
「うむ、確かに正当な約定書であるし、署名も本物だ。真正さを疑うことはできぬ」
「従いまして、私が手付金として受領した銀貨は業務に対する正当な報酬であり、なんらやましいところはありません。貴族から詐取したという告発は、まったく正当性を欠くものであると断言できます」
これ以上言いがかりをつけるな、と言わんばかりの様子でリリーを見る。
「でも、噂だと、貴族に対して『必ず成功させます』って保証していたそうじゃないの! 明らかに嘘をついていたことになるわ!」
リリーの追求に、ゲマイナーは鋭く切り返す。
「ほう、錬金術に関する悪い噂を信じてはいけないと言っていたのは、君の方じゃなかったのかね。その君が別の噂なら信じるというのは自己矛盾があるんじゃないのかな」
「う・・・」
「これも貴族の皆様に聞いていただけば明らかですが、私は依頼を受ける際、『何事もなければ』成功するだろう――と伝えています。つまり留保条件付の契約ですな。客観的に見て、失敗することもありうると明示していたわけです。依頼者の方が勘違いをされたとしても、私の落ち度ではありません。いわんや、故意に依頼者を欺いたなど、言いがかりもいいところです」
「そ、それじゃあ――」
リリーは顔を真っ赤にして、口ごもる。
傍聴席で見守っていたイングリドとヘルミーナは、ため息をついて顔を見合わせた。
「あ〜あ、リリー先生、すっかりやりこめられちゃって・・・」
「だめだね」
「くやしいけど、あいつは悪魔みたいにずる賢いわ」
「必ず逃げ道を用意してるしね」
「あいつが悪いことはわかりきってるけど、法律で裁くのは難しそうね」
「くやしいから、爆弾ぶつけちゃおうか」
「ばかなこと言わないで。あたしたちも捕まっちゃうじゃない」
ふたりがひそひそとささやき交わす間に、リリーは最後の攻撃を試みた。
「聞いてください! ゲマイナーは貴族に対して錬金術をおとしめるような話を繰り返して評判を落とし、理由のない中傷をして、あたしたち――いいえ、錬金術と錬金術士全体の名誉を毀損したんです!」
「ふん、同じ言葉をそっくり返してやろう。――裁判官殿、今のリリーの発言こそ、事実を歪曲して伝え、私を中傷しようとするものです」
「どこが中傷なのよ! 本当のことじゃない!」
「血のめぐりが悪い錬金術士さまのために説明してやろう」
ゲマイナーは哀れむようにリリーを見て、裁判官席に目を向ける。
「私はリリーの錬金術工房の実力を信頼して、貴族の皆様が要求する高度な依頼を受けたわけです。彼女らなら、このような依頼にも応えてくれるだろう、とね。しかし、時間がなかったのか自信がなかったのか、それともやる気がなかったのかわかりませんが、リリーは私が持ち込んだ依頼をすべて拒否しました。詳しい話を聞こうともせずにね」
「でも、それは――」
「ふん、否定するのかい?」
リリーは黙り込んだ。確かに、顔を見るのも嫌だったので、ゲマイナーが工房に貴族の依頼を持ち込むたびに、話も聞かずに追い出していたのだった。
「その結果、他に錬金術のコネクションを持たなかった私は、断腸の思いで貴族に断りを入れざるを得なかったのです。貴族の皆様の失望は大きく、錬金術に悪い印象を持ったとしても、それを責めるわけにはいかないと思います」
ゲマイナーは勝ち誇ったように胸を張った。
「従いまして、この“審問の間”において錬金術士リリーから提出された告発は、すべて誤解ないしは偏見に基づく根拠のないものであり――」
その時、被告席のゲルハルトが弾かれたように立ち上がった。
「てめえ! 黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって――!」
顔を怒りで真っ赤にしてゲマイナーに突進しようとしたゲルハルトを、警護の騎士がふたりがかりで取り押さえる。
「ゲルハルト!」
悲鳴に近いリリーの声。
槌が打ち鳴らされ、ウルリッヒの冷徹な声が響いた。
「静粛に! いったん休憩に入る。一刻後に、判決を下す」
騎士がなおもわめいて暴れようとするゲルハルトを連れ出し、ゲマイナーも控え室に引っ込んだ。
打ちひしがれたリリーは目に涙をためてうつむき、慰めるイングリドとヘルミーナの言葉も耳に入っていないようだった。

一刻の後、再び関係者が顔をそろえ、ウルリッヒが重々しく判決を下した。
「被告ゲルハルトを、有罪とする」
リリーは凍りついたように、微動だにしない。肩だけがかすかに震えている。
ゲルハルトは黙って目を閉じ、くちびるをかんでいた。
罪は罪だから仕方がない。だが、この“審問の間”でのゲマイナーの態度には、がまんできなかった。
自由の身になったら、もっとひどい目に遭わせてやる・・・ゲルハルトはぎろりと目を開き、ゲマイナーをにらんだ。
ゲマイナーもゲルハルトを見ていた。その目に、面白がるような光が浮かぶ。新しい悪戯を思いついた子供のような光だった。
ウルリッヒの言葉は続く。
「よって、被告ゲルハルトを――」
「お待ちください」
ゲマイナーが手を挙げ、発言を求めた。ウルリッヒが眉を上げる。だが、ゲマイナーの次の言葉に、リリーもゲルハルトも目を見張った。
「私は、告発を取り下げたいと思います」
告発が取り下げられれば、それに基づく審問自体も行われなかったことになる。当然、ゲルハルトも無罪放免だ。
一瞬、“審問の間”全体に、ほっとしたような空気が流れる。
リリーとゲルハルトは、信じられないというように顔を見合わせた。
ゲマイナーは真面目な顔をしながら、心の中でほくそえみ、効果的に次の言葉を発しようとしていた。
(相手を徹底的に痛めつけるにはね、弱点を効果的に攻撃することなんだよ。クククク・・・)
「ただ、ひとつだけ、条件があります」
その言葉に、再び部屋に緊張感が戻って来る。
(安心すれば、心に隙ができる。そこを攻めれば、簡単に崩れてしまう・・・)
「被告人に、反省と謝罪の気持ちを具体的に示していただきたい」
「どういうことだよ。詫びを入れろってことか?」
ゲルハルトが怪訝そうに言う。
ゲマイナーはウルリッヒに向き直り、
「実に簡単なことです。はるか東方の異国では、心からの反省と謝罪の意を示すために、髪の毛をすべて刈り、丸坊主になるという風習があると聞いています。心のうちはどうでもよいのです。形で示していただければ、私はすべてを水に流しますよ」
穏やかな笑みを浮かべてみせる。これで、ゲマイナーは間違いなく心の広い善人だという評判が広まるだろう。そして、再びゲルハルトが攻撃して来たとしても、悪玉はゲルハルトということになる。ゲマイナーはどこまでもしたたかに計算していた。
「お、おいおい、この髪を丸刈りにしろって言うのか? それだけは勘弁してくれよ」
泣きそうな声でゲルハルトが言う。
(フフフ、武器屋のゲルハルトが何よりも自分の髪の毛を大事にしているってことは、『職人通り』でも有名だからな。いちばん大切なものを奪ってやれば、ダメージは大きい。さんざん痛い目に遭わせてくれたお礼だ。思い切り恥をさらすといいさ)
心の中で冷酷に言い放ち、ここぞとばかりに追い討ちをかける。
「そうです。中央広場で、ただちに――!」
「何だって!? 今すぐかよ!」
ゲルハルトはへなへなとくずおれる。
「お、俺の長〜い友達を・・・」
「そんな――、ひどすぎます! ゲルハルトに公衆の面前で、恥ずかしい思いをさせろっていうんですか?」
「だが、髪は時が経てば、元に戻る。この条件を飲めば、無罪放免なのだぞ」
ゲルハルトの髪への偏愛を知らないウルリッヒは、ゲマイナーにうなずいた。
「うむ、公平で妥当な和解の提案、感謝する。だが、準備があるので、執行は二刻後とする」
審問は終った。
ゲマイナーは内心の笑みを押し殺し、淡々と控え室へ向かった。
すっかり打ちひしがれて、声も出ないゲルハルトはがっくりと肩を落として退場した。
同じように打ちのめされたリリーは、イングリドとヘルミーナに支えられ、よろよろと工房へ戻って行った。ふたりの幼い助手はリリーを励ますかのように、何やらずっとささやきかけ続けていた。


Scene−10

そして、二刻後のザールブルグ中央広場。
中央広場には普段から露天商が軒を並べ、大道芸人たちが踊りや軽業を披露して道行く人々を楽しませている。中央の噴水の周囲のベンチで日向ぼっこをする老人やキャンバスに筆を走らせる画家、井戸端会議に花を咲かせるおかみさんたちや笑い合う恋人たち、はしゃぎ回る子供たちといったのどかな風景が見られる市民の憩いの場となっていた。
だが、今は広場の一画は騎士隊員によってロープで区切られ、急ごしらえの舞台が作られている。その脇に立てられた看板には、これから行われる儀式の概要が記され、物見高い見物人たちが顔を寄せ合ってながめている。
広場のそこここでは、人々がひそひそとささやき交わしていた。
(おい、聞いたか? ゲルハルトが丸坊主にされるんだとよ)
(ほんとかい、いったい何をやらかしたんだ?)
(何でも、罪もない商人に闇討ちをかけたんだそうだ)
(おいおい、信じられねえな。ゲルハルトはいいやつだぜ)
(人は見かけによらないねえ)
(あいつの暴力は“歌”だけだと思ってたんだがな)
(それにしても、この罰は、やつにとっちゃきつすぎるんじゃないか?)
(ああ、あいつは髪の毛を命よりも大切にしてたからなあ)
(いやねえ。暴行魔が野放しになっていたなんて)
(丸坊主なんて手ぬるいわ。街から追い出してしまえばいいのに)
(そういえば、あの武器屋って、例の錬金術士と親しかったんじゃないかしら)
(まあ、やっぱり悪いやつはつるむって本当なのね)
(しっ、始まるみたいよ)
聖騎士の鎧に着替えたウルリッヒが舞台に上り、ことの経緯を簡単に読み上げる。
広場を埋めた人々は、興味しんしんといった表情で聞き入っている。
そして、王城の門から、騎士に両脇を固められて、うなだれたゲルハルトがのろのろと現れ、舞台に上った。
無造作に束ねられたつややかな黒髪が風に揺れる。この髪も風前の灯火だ。
少し遅れて現れたゲマイナーは、舞台を正面に見る位置に立って腕組みをし、いかにも残念でならないという表情でゲルハルトをながめやった。心の中ではにやにや笑いを浮かべていたが、そんな顔を市民や騎士隊に見せるわけにはいかない。
騎士にうながされ、ゲルハルトは覚悟を決めたようにひざまずいた。実際には泣き叫んで「やめてくれ!」と騒ぎたい気持ちだったが、醜態をさらしてゲマイナーをこれ以上気持ちよくさせるわけにはいかないという意地だけで、なんとか平静さを保っていたのだ。
銀色に光る大きなはさみを手にした、若い騎士が近寄る。
「いつでもいいぜ。ばっさりやってくれ」
目を閉じて、ゲルハルトは言った。声がかすかに震えることまでは隠せない。
騎士の手が長い黒髪をつかみ、開いたはさみの刃を当てる。
誰もがその瞬間を意識して息をのみ、広場はしんと静まり返っていた。
「待ってください!」
凛とした声が、静けさを切り裂いて響く。
ゲルハルトは、はっと顔を上げた。
「リリー!」
リリーは人波をかき分け、瞳に並々ならぬ決意を浮かべて舞台に近づいた。止めようとする騎士の手をはねのけ、舞台に上がる。
「おのれ、邪魔をする気か! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」
「待て」
リリーを捕えようとする騎士を、ウルリッヒが止めた。
舞台にすっくと立ったリリーは、怪訝そうに見上げるゲマイナーを正面からにらみつけると、ウルリッヒに顔を向けた。
「ウルリッヒ様! 今回の事件は、すべてあたしが原因です! ですから、あたしがゲルハルトの身代わりになります!」
そして、リリーはかぶっていた頭巾を、そっと取り去った。
おお・・・と、舞台を囲む市民からどよめきが起こる。
リリーの栗色の髪は、少年のように短く刈り揃えられていた。ファブリック製鉄工房の跡取り娘カリンの髪も短いが、今のリリーの頭はそれ以上だった。
「リリー!! 何てことを!」
ゲルハルトの声は悲鳴に近い。ウルリッヒも言葉を失っている。
リリーは無言でナイフを取り出す。そして、唯一、残っていた左右のおさげをつかみ、リボンで結んだ根元に刃をあてた。
「やめろ、リリー!!」
自分の髪を切られようとしているかのように、ゲルハルトが叫ぶ。
さくり――、さくり・・・と、ふた房の髪が切り落とされ、リリーの手に残る。
悲しげな目でひとしきり見つめた後、リリーはつかつかとゲマイナーに近づく。気圧されたように思わず後ずさるゲマイナーの顔に、リリーは切ったばかりの自分の髪を叩きつけた。
「どう! これで気が済んだでしょ!!」
眼鏡にぶつかった拍子にリボンが解け、リリーの栗色の髪の毛はふわりと広がり、ゲマイナーの顔と頭にまとわりつく。ゲマイナーが払いのけると、髪の毛は風に乗って渡りを行う蜘蛛の糸のように、からみあいながら天に向かって舞い上がっていった。
「さあ、文句があるなら言ってみなさいよ!」
リリーの瞳はきらきらと輝き、戦いの女神のように神々しかった――少なくとも、ゲルハルトの目にはそう映った。
ゲマイナーは強がるように肩をすくめた。
「ふ、ふん、くだらないね。そんな自己犠牲が何になる? とんだ三文芝居を見せてもらったよ」
ウルリッヒの方を見て、不愉快そうに言う。
「こんな茶番劇には付き合っていられない。失礼するよ」
くるりと背を向けると、去って行った。
リリーは緊張の糸が解けたかのように、茫然とその場に立ちすくんでいた。
「お、おい、リリー・・・」
おそるおそるゲルハルトが声をかける。
はっと振り返ったリリーは、ゲルハルトにうるんだ目を向けると、うつむいて口を押さえ、そのまま脱兎のごとく人垣に駆け込んだ。
「リリー! 待て!」
ゲルハルトも舞台を飛び降り、後を追う。
ウルリッヒも、部下の騎士隊員たちも止めなかった。
この事件は、決着がついたのだ。
そうでなかったとしても、ゲルハルトの勢いは誰にも止められなかったろう。

ささやき交わしながら広場に群がる人々を押しのけて歩きながら、ゲマイナーは憤懣やるかたない思いでいた。
なぜあの女はあんなばかなことができたのだ。あの愚かな行為のせいで、すっかり計算が狂ってしまった。計画通りに物事が進まないことほど、ゲマイナーをいらいらさせることはない。
広場を出て行こうとしたゲマイナーの前に、四頭立ての豪華な馬車が止まった。
怪訝そうにゲマイナーが立ち止まる。
馬車の扉が開き、上品なドレスに身を包んだ金髪の女性が降り立つ。
眼鏡の奥のゲマイナーの目が見開かれた。
「ヘートヴィッヒ・・・」
信じられないように小さくつぶやく。
つかつかと近づいたヘートヴィッヒは、黙って右手を振り上げた。
一瞬後、ぱあん――と派手な音を立ててゲマイナーの頬が鳴る。
幼馴染のお仕置きに、じんじんとしびれる頬を押さえながら、ゲマイナーは心の中に張り巡らされていた大きく重い壁ががらがらと崩れ落ちるのを感じ取っていた。

Illustration by Juno様


Scene−11

「リリー! リリーよぉ! あんなことまですることはなかったんだよ! 俺のために――くううっ」
リリーの工房の一階で、ゲルハルトは涙を浮かべながら叫び続けていた。その様子を、ちょこんと並んだイングリドとヘルミーナが興味深げにながめている。
走って工房に戻った後、リリーは二階の部屋に閉じこもっていた。後を追って来たゲルハルトも、そのままリリーの部屋へ飛び込もうとしたが、イングリドとヘルミーナに止められ、こうして嘆き続けているのだ。
「ちくしょう! みんな俺のせいだ! 俺はただ、リリーを守ってやりたかっただけなのに――。結果はどうだ、余計にリリーにつらい思いをさせることになっちまった! リリーよぉ、俺は死んでも死にきれねえよ!」
「ちょっと、静かにしないとご近所に迷惑でしょ」
「騒ぐなら、自分のお店で騒いだら?」
落ち着き払ってイングリドとヘルミーナが言う。
「何だと!?」
ゲルハルトはかみつくように、ふたりをにらむ。
「お前らだって、女のはしくれだろう!? だったら、髪の毛を失うことがどんなにつらいことか、わかりそうなもんじゃねえか! くそ、リリーだけにつらい思いはさせねえぞ!」
作業台をがさがさとかき回し、調合用のナイフを手に取る。
そして、自分の黒髪をわしづかみにし、ナイフの刃をあてた。だが、手が大きく震え、狙いすら定まらない。
イングリドもヘルミーナもおもしろそうに見ている。
「くそ! 自分じゃできねえ! ・・・俺は、なんて情けない男なんだ!」
ゲルハルトは床にどっかと座り込み、
「おい、ヘルミーナ、やってくれ!」
「はあ?」
「だからよ、ばっさりやってくれって言ってるんだよ!」
ヘルミーナはイングリドと顔を見合わせる。
「でも、あんたが髪を切っても、リリー先生は喜ばないと思うけど」
「そうよね。あたしたちは、珍しいものが見られて楽しいけど」
「バカ野郎! 笑い事じゃねえんだ!」
その時、のんびりした声が上から降って来た。
「ゲルハルト、何してるの?」
「リリー!?」
見上げたゲルハルトは、階段を下りてくるリリーの姿を見て、あんぐりと口を開けた。
イングリドとヘルミーナが笑いをかみ殺す。
「リリー、お前、その髪は――!?」
今のリリーは頭巾を着けていない。栗色の髪の毛はゆるやかに肩にかかり、いつもと同じリボンで束ねた左右のおさげが揺れている。
「え? でも、お前、さっき――」
ゲルハルトは口をぱくぱくさせるばかりだ。
「じゃーん、これよ」
リリーは、右手に持っていた“それ”をゲルハルトに放った。
「こ、こいつは――」
ゲルハルトは目を丸くして、リスの毛皮のようなそれを見つめる。
「そう。さっき、中央広場に行った時、あたしはかつらをかぶってたのよ。本物の髪の毛は、中に隠してね。ゲマイナーも、まんまとだまされたみたいね」
リリーはにっこりと微笑みかける。イングリドもヘルミーナも楽しそうに笑った。
「ほんと、あたしたちがお遊びで作ってみたかつらが、こんなに早く役に立つなんてね」
「この前、リリー先生たちが『伝説のカツラ』の話をしてたから、ちょっと材料を集めて、ふたりで作ってみたのよ」
「な、なんだ・・・、そういうことかよ・・・」
ゲルハルトは気が抜けたようにへたりこんだ。
「でも、良かった、ゲルハルトの髪が無事で」
リリーの声に、ゲルハルトも笑い出す。
「ははは、そうだよな! くううっ、こんな嬉しいことはないぜ!」
だが、すぐにゲルハルトは真面目な顔に戻った。
「リリー・・・。感謝するぜ。俺のために、あんなに一生懸命になってくれて。感激だ」
「ううん、あたしの方こそ――。ゲルハルト、ありがとう・・・」
「リリー・・・」
「――あ、ちょっと! イングリドとヘルミーナが見てるじゃない!」
赤面したリリーが、あわてて言う。
「大丈夫ですよ、リリー先生」
イングリドが澄まして言う。
「あたしとヘルミーナは、ちょっと近くの森まで採取に行って来ますから」
ぱたぱたと足音を立て、ふたりは工房から出て行った。

数刻の後――。
「そういや、あれだな」
ふと、なにかを思い出したようにゲルハルトが言う。
「何?」
「いや、お前の髪の毛が元通りになってるのをゲマイナーのやつに見られたら、まずいんじゃないかと思ってな。それに、騎士隊や街のやつらもみんな、お前が髪を切ったと思ってるんだからよ」
「うん、だから――」
「だから?」
「しばらく、ザールブルグを離れていればいいのよ。2、3ヶ月したら帰って来て、旅の間に髪が伸びて元通りになったって言えばいいんだから」
「なるほど」
「そうね、グランビル村あたりまで交易に行けばいいんじゃないかしら。ゲルハルト、護衛してくれる?」
「ああ、もちろんだ!」
「それでね、ゲルハルト・・・」
もじもじとリリーが言う。
「ん、何だ?」
「できたら、護衛はゲルハルトだけにして、その・・・」
「あん? どういうことだ?」
「その――、もう、鈍いわね。ええと、ふたりきりで、行きたいってことなんだけど・・・」

Illustration by Juno様

「あ? 何だそりゃ? ――ははは、まあ、何でもいいけどよ」
ふたりきりの時間は、静かに流れていった。

<おわり>


○にのあとがき>

お待たせしました〜。
「ふかしぎダンジョン」10万アクセス突破後、初のキリ番105000(微妙にキリ番っぽくありませんが(^^;)を踏まれたのは、ゲルハル党Junoさんでした。
その前の小説リク権争奪企画で当選された理珈さんのリクもゲルハルトネタでしたから、なんとゲルリク2連発〜。
うわわわ、ゲルって、自分的にはいちばん小説のネタにしにくいキャラなんですよ! それが連続で主役って――イジメかい!(絶対ちがいます)。

というわけで開き直って(笑)、すぐにネタ出しを始め、ルイーゼさんの酒場で宣言しました。
「ひとつ目はゲルハルト&●●●、ふたつ目はゲルハルト&●●●●●で行きます!」
もうおわかりでしょう。最初の伏字はタイトル通り「ゲルハルト&クルス、そしてもうひとつの伏字は「ゲルハルト&ゲマイナー」だったんです。
ゲマイナーの詐欺師連鎖イベントとデア・ヒメルの張り込みイベントを軸に、知能犯ゲマイナーと単純肉体バカ(笑)ゲルハルトの対決――勝敗はやる前から明らかな気がしますが(汗)。

あんまりラブラブにするつもりはなかったんですけどね〜。勝手にふたりでどんどんひっついていっちゃいました。「そこはダメぇ」は、ゲームとは逆転バージョンで(笑)。Junoさんも「今回は恋愛要素はあまり期待していなかったのに〜!!」と狂喜乱舞してくださいました。
まあうちではリリーさんは特に誰とくっついてもこだわらないと言うか(笑)。リクいただければ誰とでもひっつけますよ〜(←口は災いの元という気がする)。

ところで、Junoさんからも「『逆転裁判』みたいです!」という言葉をいただいた、クライマックスの法廷場面。○には「逆転裁判」はプレイしたことがありませんが、よく徘徊するサイトさんで話題になっていたこともあって、影響を受けたのかも知れません。まあ、法学部出身で法廷ミステリもそれなりに読んでいますからね。
もちろんシグザール王国の法制度について書かれた文献などありませんから、適当にでっち上げてます。日本じゃないから民事と刑事がごっちゃになってるし(承知の上で書いてますから、ツッコミはしないでくださいね)。
現代日本なら、ゲルハルトは刑事裁判で有罪となって刑罰を受け(情状によっては起訴猶予になる可能性もありますし、有罪となっても初犯なので執行猶予がつく可能性は高いでしょう)、それとは別に、ゲマイナーが原告の民事裁判で不法行為による損害賠償請求を受けることになるでしょう(こちらは双方の歩み寄りによって和解も可能)。ちなみに暴行傷害は親告罪ではないので、ゲマイナーが告訴を取り下げたとしてもゲルハルトは裁かれます(器物損壊は親告罪なので、告訴が取り下げられれば起訴はされません)。

それにしても法廷シーンをこんなに長々と書くつもりはなかったんですけどね。ゲマイナーが途中から調子に乗ってしまいましたから(全部ゲマイナーのせいなんです! by リリーさん)。
今回、ゲマイナーは初心に返って(え?)最後まで徹底的にずる賢い悪人にしようと思っていたのですが、フォローも必要かなと悩んだ末に、ヘートヴィッヒさんのお仕置き(笑)シーンを入れてしまいました。

最後の工房のシーンでゲルひとりが取り乱していて、竜虎コンビが落ち着き払っているのは、もちろんグリ子もヘル美も真相を知っているからです。

ともかく、お楽しみください。感想などお聞かせいただけると嬉しいです〜。

☆追記:リク者のJunoさんが、挿絵を描いてくださいました〜♪ しかも、5枚も!(妖精乱舞)
ぜひぜひ、ご堪能ください〜。(2004.7.9)


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