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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<朧褻 龍霞さまへ>〜

緑の目の令嬢 Vol.2


Scene−4

「う・・・ん・・・」
アイゼルは、目を覚ました。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
しかし、すぐに、見慣れた壁紙の模様や高級な羽根布団から、寮の自分の部屋のベッドにいることがわかる。差し込む日差しを見ると、朝のようだ。
そして、思いはすぐにノルディスのことに突き当たる。
「ノルディス!」
叫ぶと飛び起きて、寝間着から錬金術服に着替える。
マントを留めるのももどかしく、杖を手に部屋を飛び出した。
頭の中は、ノルディスのこと、魔界のこと、エアフォルクの塔へ行くことでいっぱいだった。

「あら、アイゼル、元気そうじゃない。よかったわ、うふふふ」
廊下に飛び出したとたん、背後から聞こえた声に、アイゼルは振り向く。
窓辺に寄りかかり、腕組みをして立っていたのは、露出度の多い踊り子の衣装を身に着けた、赤銅色に日焼けした健康そうな若い女性だった。長い銀色の髪が、流れるように背中を下っている。『飛翔亭』の踊り子、ロマージュだ。
「ロマージュさん! どうしたんですか、こんなところで」
「あなた、エアフォルクの塔へ行くんでしょう? あたしもご一緒させてもらうわ、うふふ。一度は話のタネに、あそこへ行ってみたいと思っていたのよ」
「え・・・?」
アイゼルは、目を丸くした。アイゼルとて、ひとりでエアフォルクの塔に巣食う魔物どもに勝てるとは思っていない。塔へ行くためには、誰か頼りになる冒険者を雇わなければならないと思っていたところなのだ。

「俺も、付き合わせてもらうぜ」
声と共に、赤いマントを着けた冒険者姿の大柄な男が現われた。
「ハレッシュさん!」
いつも『飛翔亭』に入り浸っている冒険者のハレッシュは、アイゼルにうなずいてみせた。
「ノルディスのことについては、俺も心を痛めていたんだ。なにか協力できることはないか・・・ってな。魔界ってところは、行ったことはないが、魔物がたくさんいるらしいじゃないか。俺の槍の腕が、役に立つと思うぜ」
「ふたりとも・・・どうして・・・?」
言葉が出てこないアイゼルに、ロマージュが答える。
「昨日の午後、イングリド先生が『飛翔亭』に来たのよ。そして、あたしたちに、あなたと一緒にエアフォルクの塔へ行ってほしい・・・って」
「イングリド先生が・・・」
アイゼルの胸に、あたたかいものがこみ上げてくる。
「さっき、見て来たけれど、ノルディスにも変わりはないみたいよ。あなたの留守中は、ミルカッセとルイーゼさんが交替で付き添ってくれるって」
「さあ、ぼやっとしていないで、出かけようぜ。騎士隊が、足の速い馬を貸してくれるそうだ。外門のところに、もう準備ができているはずだぜ」
ロマージュとハレッシュの言葉に、大きくうなずいたアイゼルだが、ふと思い付いたように、
「お願い。少しだけ、待っていて」
アイゼルは、小走りにノルディスの部屋へ向かう。

そっとノックして部屋に入ると、付き添っていたミルカッセに声をかける。
「様子はどう?」
「変わりありません。さっき、汗を拭いて、シーツも取り替えたところです。でも・・・」
ミルカッセは口から出かかった言葉を飲みこんだ。
(・・・脈がだんだんと弱くなってきています)
今、そのことをアイゼルに告げるわけにはいかない。
アイゼルは、それ以上は何も聞かず、ベッドのそばに歩み寄る。
「それより、アイゼルさん、エアフォルクの塔を通って、魔界へ行かれると聞きました。あまりにも危険ではありませんか?」
ミルカッセが心配そうな口調で言う。

アイゼルは、熱で紅潮したノルディスの顔を覗きこんだまま、一言一言をかみしめるように答える。
「危険は覚悟の上だわ。それ以外に、ノルディスを救うことができないのなら、やってみるしかないでしょう?」
「アイゼルさん・・・」
アイゼルは、右手に持っていた自分の魔法の杖を、ベッドの端の、看護の邪魔にならないようなところへ、ノルディスの身体と平行になるように、そっと滑り込ませた。
(しばらく出かけて来るわ。でも、薬を手に入れて、すぐに戻ってくる・・・。それまで、わたしの杖を、代りに置いて行くわね。だから、帰ってくるまで頑張っていて・・・)
そして、アイゼルは、部屋の片隅に立てかけてあったノルディスの杖を手に取る。彼女が先日、ケントニスから戻ってくる途中、港町カスターニェで買い求めてきた、ふたりお揃いの『白銀の杖』だ。
「ちょっと借りて行くわね、ノルディス・・・」
つぶやくように言ったアイゼルは、ミルカッセと目が合うと、恥かしそうに目を伏せた。

ミルカッセは優しく微笑み返すと、
「そうだわ、これを・・・」
と、首に掛けていたペンダントを外し、アイゼルの首に掛けた。
「アルテナ様の紋章です。危ないところへ行かれるのですもの、きっと役に立ちますわ」
「あ、ありがとう・・・。でも、これはあなたの大切なものではないの?」
「いいえ、スペアがありますから・・・」
ポケットから同じ『アルテナの紋章』を取り出すと、そのまま自分の首に掛け、ミルカッセはにっこりと笑った。


Scene−5

ハレッシュが言った通り、外門では騎士隊が手配してくれた、たくましい馬が3頭、一行を待っていた。
ハレッシュは元騎士隊員で、馬には慣れている。ロマージュも放浪の旅の間に何度も馬に乗っていた。アイゼルはアイゼルで、幼い頃から乗馬に親しんできていたので、すぐに乗りこなすことができるようになった。
3人は、東に向かってひたすらに馬を駆った。
アイゼルの小物入れには、数々の魔法の武器と共に、ヘルミーナがスケッチした、魔界の植物『アルテナの涙』の絵が収められていた。その名の通り、涙滴型をした白い花びらと、紫がかった緑色の葉が大きく垂れ下がっている。これが、ノルディスの全身に回った魔界の毒に対する特効薬となるのだ。
先頭に立つアイゼルの薄桃色のマントと栗色の髪が、秋の涼風にたなびく。首に掛けた『アルテナの紋章』が、陽光にきらめく。後に続くロマージュの銀髪、ハレッシュの真紅のマントも同様に、風になびく。空の上からながめたならば、さながら3頭の竜が大地を駆けているかのように見えただろう。
平原を疾駆し、林の間を駆け抜け、3人は、徒歩であれば4日かかる行程を、半日あまりでこなしてしまった。
アイゼルにとっては、つい先日、元気なノルディスと共に歩いて来た道だ。しかし、アイゼルにはそのことを思い起こす余裕はなかった。ただただ、薄暗い森を突き抜けてそびえ、遠くから見渡せるエアフォルクの塔を、ひたすらに見据えて馬を走らせてきたのだ。

「よし、日があるうちに登ってしまおう!」
塔の前の広場に立ち、傍らの木に馬をつないで、ハレッシュが言った。
「でも、アイゼルは疲れているんじゃない? 慣れない馬の旅で」
気遣うロマージュに、アイゼルは、
「大丈夫。魔界へ着くまでは、休むわけにはいかないわ」
ときっぱりと言うと、『栄養剤』を一息で飲み下した。

ランプに火を灯したロマージュを先頭に、アイゼルが真ん中、ハレッシュがしんがりを務めて、3人はエアフォルクの塔に足を踏み入れた。
塔の中は、噂にたがわず魔物どもの巣だった。
ぷにぷにが、ヤクトウォルフが、エルフが、クノッヘンマンが、アボステルが、それぞれの階で群れをなして襲いかかる。
しかし、3人の冒険者はひるまない。
「どう、切れ味は?」
ロマージュの剣が、蝶のように舞い、怪物の身体を切り裂く。
「止めてみやがれ!」
ハレッシュの突進が、魔物の集団を追い散らす。
「これでもくらいなさい!」
アイゼルの必殺技と爆弾が、石造りの壁を炎で焦がす。
数え切れないほどの戦いを経て、3人はようやく最上階に向かう踊り場に足を掛けることができた。

「いよいよ最上階だ」
「みんな、怪我はない?」
「この上に、魔界への入口があるのね」
高まる胸を抑え、アイゼルが数段の階段を上り、最上階への第一歩を踏み出す。
油断なく武器を構え、ロマージュとハレッシュが続く。
そこは、だだっ広い空間だった。
石造りの広間のそこここに瓦礫の山が点在しているほかは、目をひく物はない。
広間の向こう側は光が届かず、暗がりになっている。
そこに、魔界への入口があるのだろうか。
3人は、あたりに気を配りながら、そろそろと進む。
その時、周囲の沈黙を圧するような声が響き渡った。
「そこまで! それ以上進むことは許さぬ!」


Scene−6

ぼんやりと揺れる、ランプの光に照らされた中に・・・。
ゆっくりと、長身の女騎士の姿が浮かび上がる。
身体にぴったりとついた銀の戦鎧に身をかため、濃紺のマントをはおっている。赤紫色の髪がマントの上に流れ、同じ色の瞳とくちびるが、知的で高貴な顔立ちの中で目立っている。腰には1本のレイピアを差していた。
「だ、誰だ!」
ハレッシュの声がうわずる。
「油断しちゃだめよ」
切迫しているはずなのに、このような時でもロマージュの声音は色っぽい。
ハレッシュは右に、ロマージュは左に散り、正面のアイゼルをかばうように数歩前に出る。
そして、3人とも、いつでも戦いに突入できるように体勢を整える。
今度の相手が、ここまで戦ってきたような雑魚でないことは、肌で感じ取っていた。

3人を代表するように、アイゼルが凛とした声で叫ぶ。
「あなたは何者なの? わたしたちは、魔界へ行かなければならないの! あなたの後ろに、魔界への入口があるのでしょう!? さあ、そこをどきなさい! どかないと、どうなっても知らなくってよ!」
女騎士は、口元にかすかな笑みを浮かべ、ずいと1歩前へ出る。そして、ランプの光に照らされてきらめくアイゼルのエメラルド色の瞳をじっと見据えた。
「緑の瞳・・・。ふ、そうか、おまえが、水晶球に予言された瞳の持ち主か・・・」
「な・・・何をわけのわからないことを言っているのよ!」
アイゼルは、両手で杖を握り締めた。魔力が体内にわき上がり、杖に集中するのを感じる。いつでも必殺技を出すことは可能だ。
しかし、この相手は、ただの魔物とは違う。どう見ても、普通の人間だ。そして、今のところ、攻撃してくるそぶりは見せていない。
アイゼルは、先制攻撃するのをためらった。

その時、ハレッシュが大声をあげた。
「ちょっと待ってくれ・・・そうだ、思い出したぞ! あんた、昔、『飛翔亭』に出入りしていたことがあるだろう!? その髪、そのレイピア・・・。まちがいない! たしか、キリーと言ったな」
キリーの視線がハレッシュに移る。その氷のような眼差しに、ハレッシュほどの豪胆な者でも背筋がぞっとするのを抑えられない。
「ふ、昔の話だ・・・。では、聞こう。何が望みだ? 魔界へ行って、何をしようというのだ?」
感情というものが一切感じられない平静な口調で、静かにキリーが問う。しかし、その声にはたとえようのない威圧感があった。

それを振り払うように、アイゼルが答える。
「これよ!」
小物入れから『アルテナの涙』が描かれたスケッチを取り出し、広げると、キリーに突きつけるようにかざす。
「わたしたちは、これが欲しいだけなの! この薬草が・・・これが手に入らないと、わたしの・・・、わたしの・・・」
ノルディスへの想いがこみ上げ、言葉が続かなくなる。
ロマージュが、引き取って言う。
「アイゼルが言う通りよ。あたしたちは、薬草を手に入れたいだけ。決して、魔界を荒らすようなつもりはないわ。でも、人ひとりの命がかかっているの。薬草を手に入れるまでは、あたしたちは、帰るわけにはいかないのよ」
その言葉を聞いても、キリーは無表情を崩さない。変わらない平板な口調で、
「その薬草ならば、魔界のどこへ行っても生えている。ありふれた草だ・・・。しかし、人間が魔界に足を踏み入れることは許さぬ。因果律を、大きく歪めてしまうことになるからな・・・」
「何だと!? じゃあ、俺たちに、黙って帰れというのか!」
「そんなことはできない・・・。腕ずくでも通るわよ!」
ハレッシュとアイゼルの声が重なる。ふたりとも、すぐにでも打ち掛かりそうな勢いだ。

しかし、次のキリーの言葉は意外なものだった。
「わたしが、採って来てやろう・・・」
「え・・・?」
アイゼルが、ぽかんと口を開ける。ロマージュもハレッシュも、緊張を解く。
「それじゃあ・・・」
「待て。まだ話には続きがある」
キリーは再び、アイゼルに視線を戻す。
「魔界の物を人間界に持ち出すからには、相応の代償を支払ってもらわねばならぬ」
「代償・・・って、いったい何を・・・?」
キリーの氷のような視線と、アイゼルの決意をこめた視線がぶつかり合い、火花を散らす。
キリーは宣告した。
「ふ・・・。簡単なことだ。わたしと戦って、勝ったならば薬草を渡そう」

「何ですって!」
「1対1の勝負だ・・・。いやなら、そのまま帰るがいい・・・」
キリーは言葉を切り、身構える。
「おい!」
「ちょっと待って、アイゼルとあなたじゃ、力が違い過ぎるわ。不公平よ」
ハレッシュとロマージュが抗議の声を上げる。
しかし、アイゼルは、杖を握り直した。身体のふるえが杖に伝わり、小刻みに揺れる。
「わかったわ」
小さいが、よく通る声で、アイゼルは答えた。
「ハレッシュさん、ロマージュさん、ふたりとも、手は出さないで。これは、わたしの戦いだわ・・・」
「そんな・・・」
「無茶だ! だめだと言われても、助太刀するぜ!」
ハレッシュは長槍を構え、突進しようとする。

キリーは口元に笑みを浮かべ、
「お前たちには、別の相手を用意してやろう。それ!」
マントを跳ね上げるように両手を頭上に振りかざすと、大きく振り下ろす。
「な、何だ、こいつは・・・!?」
ハレッシュがのけぞった。
「いったい、どういうこと?」
ロマージュも、愕然として目を凝らす。
アイゼルには、何が起こったのかわからない。ただ、連れのふたりが、それぞれの正面の何もない空間に、視線をさまよわせているのが見えるばかりだ。

だが、ハレッシュとロマージュには、アイゼルには見えないものが見えていた。
自分の真正面の空間から、霧と共にわき出て来た、自分自身の姿・・・。
まるで、鏡を覗き込んでいるかのように、ふたりは自分自身と向き合っていた。
そして、現われた第2の自分は、無言で武器を構えると、いきなり襲いかかってきた。
「くそっ!」
「なんで? どうして!?」
叫びながら、ふたりはやむなく応戦する。
アイゼルには、仲間が突然気が狂い、武器を何もない場所に向けて振り回しているように見えた。
「ハレッシュさん! ロマージュさん! どうしちゃったの!?」
「気にすることはない・・・」
また1歩踏み出したキリーが、つぶやくように言う。
「あのふたりには、自分の影と戦ってもらっている。われらの戦いに、邪魔が入らぬようにな。心配は要らぬ・・・。ドッペルゲンガーは、本人と同じ能力、同じ体力、同じ武器を持っている。疲れはするだろうが、致命傷を負うことはない・・・」

アイゼルは、ごくりとつばを飲みこみ、キリーに正対する。
助けてくれる者はいない。
それでも、アイゼルには、勝たなければならない理由があった。
握った杖の、手許の部分には、ノルディスの名が彫り付けてある。
アイゼルは、この杖の持ち主の命を、何としても救わねばならない。
(必ず・・・必ず勝つわ、ノルディス!)
心の中でつぶやき、杖を振りかざす。
「いくわよ!」
「承知!」
キリーが、腰のレイピアをすらりと抜き放った。

アイゼルは、心を集中する。自分の体内や、周囲の空間から、魔力が流れ込み、杖の先端に集まっていくのを感じる。それにつれ、ルーン文字が無数に描かれた杖の先端が、まぶしく輝き始める。
「これでもくらいなさい!」
魔力が最高潮に高まった瞬間、気合いのこもった叫びと共に、アイゼルは杖を振り下ろす。
杖から放たれた魔力のこもった光球は、キリーめがけて宙を飛んだ。
キリーはレイピアを構えつつ、左手でマントをかざす。
光球は、キリーのマントにぶつかり、大爆発した。
無数の流星のような光の矢が四方に飛び散り、瓦礫の山や石壁にぶつかって跳ねる。きなくさい臭いが、あたりにたちこめる。
アイゼルは、大きく息を吐いた。
光が弱まり、舞い上がった砂煙が次第に晴れていく。
その向こうに、冷ややかな表情を浮かべ、レイピアを構えた大きな姿が見えてくる。
「ふ・・・。その程度の魔法では、わたしは倒せぬ」
キリーのマントは一部が焼けこげ、煙をあげていたが、キリー本人は少しもダメージを受けていないようだ。

アイゼルの心に、ふと不安がよぎる。
ロマージュが言った通り、実力が違い過ぎるのでは・・・?
アイゼルは、その思いを振り払うように、首を激しく左右に振った。
踏み出してくるキリーの動きに気を配りながら、杖を左手に持ち替え、右手で小物入れを探る。
探していた物は、すぐに見つかった。
レイピアをかざし、キリーが大きく踏み込んでくる。
「時の・・・石版っ!」
アイゼルはキリーの顔めがけて、相手の時間を止める魔法アイテムを投げつけた。
そして、呪文を唱える。
しかし・・・。
「てぇいっ!」
『時の石版』が効力を発揮する前に、矢のように繰り出されたキリーのレイピアが、石版を打ち砕いた。
石版は、ただの石のかけらとなり、床に散らばる。

アイゼルが体勢を立て直す前に、キリーの剣が襲った。
「きゃあっ!」
半回転して、キリーの攻撃をかわそうとする。
銀の矢のようにキリーのレイピアが走り、はらり、とアイゼルの栗色の髪がひと房、石の床に散った。
キリーのレイピアは、紙一重のところでアイゼルの頬をかすめていた。
大きく息をはずませ、アイゼルが向き直る。
キリーはいったん剣を引いていた。
相変わらず、表情は平静で、氷のように冷たい。
キリーの冷ややかな視線を感じ、ぞくり、とアイゼルの身体が震えた。
力が、違い過ぎる・・・!!

それでも、ここで負けるわけにはいかない。
再び、アイゼルは杖をかざし、精神を集中した。魔力を限界まで高め、一点に集中すれば、何とかなるかも知れない・・・。
アイゼルの杖が、発光しはじめる。アイゼルは、杖に刻まれたルーン文字をひとつひとつ、心の目で追い、呪文をつむぎあげていった。
狙うのは、キリーの胸元。そこは、戦鎧がとぎれ、肌がむき出しになっている。また、最初の攻撃で、マントの防御力も弱くなっているはずだった。
「これならば、どう!!」
アイゼルの叫びと共に、先ほどよりもまばゆい光球が、杖の先端から発射された。大きさは一回り小さいが、集中した分、威力は大きい。
光球は、キリーの胸元めがけて飛ぶ。

しかし、キリーも準備をしていた。
呪文と共に、レイピアを突き出す。その先端が雷光のように閃き、同じ色の光球が飛び出す。
ふたつの光球は、広間の中央でぶつかり、轟音と共に、大きく弾け飛んだ。
火花のような光の矢が、キリーとアイゼルに降りかかる。
キリーは素早くマントで防いだが、攻撃に全精力を使い果たしていたアイゼルは、少し動きが遅れた。
「あああっ!」
魔力のこもった光の矢がアイゼルを襲う。顔はなんとかかばったものの、錬金術服が焼けこげ、むき出しになった手や腕の肌は火傷を負った。
痛みに耐える余裕もなく、キリーのレイピアが突き出される。
アイゼルは、杖で相手の切っ先をかわしながら、後退するしかなかった。

しかし、広いフロアとはいえ、逃げるにも限界がある。
ついに、アイゼルは広間の東南の隅に追い込まれた。
冷たい石の壁が、マント越しにアイゼルの背中に当たる。
レイピアをかざし、キリーの影が大きく迫ってくる。
「ふ・・・。どうした、そこまでか?」
キリーの声に、勝ち誇ったような響きはない。ただ、淡々と事実を話しているだけのように聞こえる。
そして、それが事実だということも、アイゼルは感じていた。
(ノルディス・・・。ノルディス、ごめんなさい・・・)
アイゼルは、右手でノルディスの杖をかざし、左手で胸に下がった『アルテナの紋章』を握り締めると、祈るかのようにエメラルド色の目を閉じ、最期の時を待った。

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