第2章 戦士の集結
その日の晩、クライスは後輩の3人と一緒にエリーの工房にいた。
アカデミーでの会合が終わった後、クライスは明日から自分が使う実験室を準備する作業に没頭した。
そして、夕方には再び姉のもとを訪れ、アカデミーの宿舎に戻る途中、エリーの工房に向かうノルディスとアイゼルに出会い、誘われて、彼にとっても懐かしい工房に足を踏み入れたのだった。
今、4人の錬金術師は工房の中央に置かれた丸テーブルを囲んで座り、エリーが入れたミスティカティをすすっている。エリー特製のチーズケーキも用意されていた。
「そうかあ、クライスさんにとっては、ここは『マリーのアトリエ』だったんですね」
エリーが感慨深げに言う。クライスは、工房の中を懐かしそうに見回しながら、
「ふ・・・、最初にわたしがここを訪れた時のことを思い出しましたよ。ひとこと言っただけで、あの問題児はむきになってくってかかってきましたっけ・・・」
思いにふけるように口をつぐむ。
「それにしても、いったいどんな人なのかしら、デア・ヒメルって・・・」
と、アイゼルが、今の最大の関心事に話を戻す。彼女が育ったワイマール家も、10年近く前に、デア・ヒメルの被害を受けている。アイゼル自身、誕生日の贈り物として大好きな祖母からもらったばかりの宝石を盗まれているのだ。
「あいつは人間じゃないよ!」
声を荒げるノルディス。
「あいつが使ってる毒薬だって、身を隠す道具だって、誰かが錬金術で作ったもののはずだろう。錬金術を、人を傷付けたり、物を盗むことに使うなんて、ぼくには許せない。錬金術は、人を幸せにするために存在するはずなんだ。それなのに・・・」
悲しみと憤りを浮かべて言い終わると、ノルディスは黙り込む。
「ローネンハイム家の時なんか、予告状が来たので、騎士団が屋敷を厳重に固めていたというのに、どこからともなく入り込んで、まんまと宝石や金の延べ板を盗み出したらしいし・・・。その時も、毒で何人かやられてるよね」
エリーがため息をつく。が、ふとなにかに気付いたように、いぶかしげな顔をして、
「でも、毒を使う時って、犯人もその場にいたはずでしょう? 自分はなんでやられなかったのかなあ?」
「ばかね、あなたは。毒を使う犯人だったら、自分はちゃんと備えをしていて当然じゃない。先に解毒剤を飲んでおくとか・・・」
アイゼルがあきれたように言う。
だが、アイゼルの言葉を聞いたクライスは飛び上がった。
「それだ! それですよ、アイゼルさん! 毒を使う人間は、必ず解毒剤も身に付けているはずです。ということは、デア・ヒメルを捕まえることさえできれば・・・」
「解毒剤も手に入るってことですね」
ノルディスの顔も明るくなる。
「でも、どうやってデア・ヒメルを捕まえるんですか。王室騎士隊があれだけ頑張っても、どうにもできないというのに・・・」
アイゼルが残念そうに言う。だが、クライスは熱のこもった口調で話し続ける。
「わたしが思うに、騎士団のような普通のやり方では通用しません。暴力に訴えるだけの盗賊団ならいざしらず、今回の犯人は知性と魔力をあわせもっています。
しかし、錬金術師には錬金術師のやり方があります。ザールブルグ最大の頭脳と言われたわたしが、ここにいるのです。あなた方もマイスターランクに進んでいるわけですから、人並以上の能力を持っているでしょう。わたしたちが力を合わせれば、きっとデア・ヒメルを罠に掛けることができるはずです。
さあ、一緒に考えてください」
クライスの熱弁が、他の3人にも次第に伝染していくようだった。
まず、エリーが、
「やりましょう、ザールブルグの平和は、あたしたちで守らなければ・・・」
アイゼルも、
「あたしも、デア・ヒメルには言ってやりたいことが山ほどあってよ」
慎重派のノルディスさえも、
「そうですね。これ以上、被害にあう人を増やすわけにはいきません。ぼくにできることであれば・・・」
4人の錬金術師は、立ち上がり、うなずき合う。
と、その時・・・。
「その話、あたしも一口乗せてくれないか?」
どこからともなく、工房に女性の声が響いた。
「誰だ!?」
ノルディスが部屋の中を見回す。アイゼルはおびえたように身をすくめ、エリーは部屋の隅に立てかけてあった『陽と風の杖』に手を伸ばす。
クライスは、眼鏡を掛け直して天井を見上げ、
「どうやら、屋根裏に誰かいるようですね」
「え? 屋根裏部屋には妖精さんたちがいるはずですけど・・・そういえば、今日は静かだなあ」
と、エリー。
その言葉が終わらないうちに、屋根裏部屋の扉が音を立てて開き、小柄な人影が飛び降りてきた。
軽い音を立てて着地すると、あっけにとられている4人を見回して、白い歯を見せて笑った。
「あははは、そんなに驚かないでよ。怪しい者じゃないんだからさ・・・と言ってもだめか」
典型的な冒険者のいでたちをしたその女性は、茶色い髪を束ねて後ろに垂らし、二の腕にうっすらとコウモリの刺青をしている。小柄で童顔なので、年齢ははっきりとはわからないが、エリーやアイゼルよりも多少は年上だろうか。
「うるさかったんで、妖精さんにはちょっとの間眠ってもらったよ。大丈夫、朝になればすっきり目覚めるさ。あたしは、毒薬なんか使わないからね」
「だ、誰なんですか、あなたは?」
油断なく魔法の杖をかまえたエリーが聞く。
相手はふっと笑い、
「あたしは、ナタリエ・コーデリア。偽者のデア・ヒメルがザールブルグに出たって聞いたんで、本家としては黙っていられなくなってね。つい先日、冒険の旅から帰って来たんだよ」
「偽者・・・? 本家って・・・? う〜ん、わかんないよ」
首を傾げるエリー。だが、クライスは思い出した。
「そうか、冒険者のナタリエ・・・思い出しましたよ。時々、マルローネさんの護衛をしていましたね。そのあなたが、なぜこんなところに?」
「さっき言ったじゃないの。8年前にデア・ヒメルを名乗っていたのは、このナタリエなんだよ。でも、あたしは誰一人として、けがをさせたり死なせたりはしなかった。
しかし、今、ザールブルグを荒らしているやつは、まったく違う。偽者にデア・ヒメルの名を汚されてはたまらないからね。正体を突き止めて、懲らしめてやろうと思っていたんだけれども、ひとりではちょいと荷が重い。で、マリーの手を借りようと思ってここへ来たんだけれど、工房の主が代っているとは思わなかったよ」
と、本家デア・ヒメルことナタリエは一気にしゃべった。
ナタリエのことを覚えているクライスはともかく、他の3人は目を白黒させている。それでも、ようやく事の次第を理解しはじめたノルディスが、自分の頭の中を整理するように話しはじめる。
「それじゃあ、あなたが、以前に暗躍していた怪盗デア・ヒメルの正体で、今、ぼくたちが捕まえようとしているデア・ヒメルはまったくの別人だと・・・」
「そういうことさ。どうだい、ここはひとつ、共同戦線を張らないかい?」
不安そうに顔を見合わせるエリーとノルディス。だが、クライスはひとつうなずくと、右手を差し出した。
「いいでしょう。ナタリエさんならば、信用できます。マルローネさんからも、話は聞いていますからね」
そして、他の3人を振り返る。
「どうでしょう、ナタリエさんを仲間に加えることに異議はありますか?」
エリーもノルディスも、かぶりを振る。先輩のクライスがそう言うなら、何も言うことはない。
アイゼルだけは、反応が違った。
「協力するのはよくってよ。でも、その前に・・・あなたが本家デア・ヒメルなら、言っておきたいことがあるわ」
と、いつのまにか手にしていた杖を振りかざす。
「あの時は、よくもあたしの大切な宝石を盗んでくれたわね。あの後、おばあちゃまは、何日も寝込んでしまったのよ・・・。あたしが、どんなにくやしい、悲しい思いをしたか・・・知らないとは言わせなくてよ」
決意を秘めた顔で、ナタリエににじり寄る。
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな昔のこと、覚えちゃいないよ・・・」
後ずさりするナタリエ。
「やめて、アイゼル! 工房を壊さないで!」
アイゼルが何をしようとしているのか気付いたエリーが叫ぶ。
しかし、それと同時にアイゼルは気合をこめて杖を振り下ろした。
「これでもくらいなさい!」
アイゼル必殺の魔法の光球が、ナタリエに向かって飛ぶ。だが、ナタリエは人間離れした動きで飛び上がり、身をかわすと、素早くアイゼルの背後に回り、杖を取り上げた。
あっけにとられるアイゼル。目標を失った光球は、工房のドアにぶつかり破裂する。そのままドアは重い音を立てて舗道に倒れた。
呆然としているアイゼルの肩に、ノルディスがそっと手を置き、話しかける。
「もう気が済んだだろ、アイゼル。気持はわかるけれど、今は、みんなで力を合わせなくちゃ・・・」
こくんとうなずくアイゼル。ナタリエは、何事もなかったかのように、杖を床に置くと、足を組んで壁にもたれている。
「あ〜あ、壊しちゃった。これ直すの、けっこう大変なんだよ」
壊れたドアの様子を見に外に出たエリーだが、驚いた声を上げる。
「シアさん! どうしたんですか、こんな時間に?」
エリーに続いて工房の入口に姿を現わしたのは、マルローネの親友でドナースターク家の一人娘のシアだった。
エリーたちがアカデミーに入学した年に、ザールブルグ屈指の資産家エンバッハ家の嫡男と結婚したシアは、今や一児の母になっている。
工房に集ったメンバーの顔を見回したシアは、ほっとしたような表情を浮かべた。走ってきたのか、息を切らせている。
「クライスさんもここにいたのね。良かった。アウラさんには、もう会ったんでしょ」
「はい、ご挨拶が遅れて、申し訳ありません。ドナースターク家には、姉がすっかりお世話になってしまっています。あらためてお礼を言わせてください」
と、クライスはシアをエスコートするように椅子に掛けさせる。エリーがあわててお茶を入れに行く。ナタリエは興味なさそうに様子を見ている。
「で、何があったんですか、こんな夜遅く、シアさんが来るなんて」
新しいティーカップを渡しながら、エリーが聞く。
「そうだわ、大変なのよ。今日の夕方、うちの主人宛てに、こんな手紙が来たの。デア・ヒメルの予告状なのよ。もう、あたし、びっくりしてしまって、誰に相談していいかもわからなくて、ここに来てみたの」
と、シアは一通の手紙を取り出す。
全員が、テーブルの周りに集って、手紙を広げるクライスの手許を見つめる。
手紙には、こう書かれていた。
エンバッハ家当主へ告ぐ
明日の真夜中、エンバッハ家の書斎に置かれた純金の壷をいただきに参上する。 |
怪盗デア・ヒメル |
読み終わっても、誰も言葉を発しなかった。
シアは、不安と期待のこもった目で、一同を見回す。
しばらくたって、クライスが考え込むように言う。
「シアさん、この手紙を受け取ってから、誰かに見せましたか?」
「いいえ、主人は商用で旅に出ていますし、召使いたちに知らせても、不安がらせるだけでしょう。騎士団に知らせるべきなのでしょうが、あまり大きな騒ぎにしたくなくて・・・。
それで、クライスさんが戻って来ていることを聞いていましたから、エリーに頼めば連絡がつくと思って、ここに来たのです」
シアはよどみなく話す。
聞き終えたクライスは、一同の顔を見回し、言う。
「これは、わたしたちにとって、千載一遇のチャンスかも知れませんね。明日の真夜中・・・。どうです、わたしたちの手で、デア・ヒメルに一泡吹かせてやることにしませんか?」
「それって、あたしたちだけでデア・ヒメルを捕まえるってこと?」
エリーが目を丸くして言う。
「賛成!」
ナタリエが手を叩く。
「でも、騎士団には? 知らせなくていいんですか?」
とノルディス。クライスはかぶりを振り、
「騎士団のやり方が通用しないことは、ローネンハイム家の事件で実証されています。ここは、シアさんがデア・ヒメルの警告通り、騎士団には知らせなかったということにして、こっそりと備えを固めましょう。いいですね」
一同は、あらためてうなずき合う。
「さあ、そうと決まればさっそく作戦会議です」
シアはそのまま屋敷に帰り、残った5人は、深夜遅くまで、相談を続けた。
明け方も近くなった頃・・・。
クライスは、アカデミー内の宿舎に戻るため、職人通りを急いでいた。戻って少し仮眠を取り、その夜の作戦に備えなければならない。
作戦会議が終わると、ナタリエは音もなく深夜の街に姿を消した。ノルディスとアイゼルは、そのままエリーの工房に泊って、準備を進めるという。
そんなわけで、クライスは人っ子ひとりいない深夜の舗道を、早足でアカデミーに向かって歩を進めていた。
クライスがとある路地の前を通りすぎた時だ。
路地から小柄な黒い影が飛び出し、背後からクライスに組み付く。
「な・・・!!」
抵抗する間もなく、クライスの鼻と口に湿った布が押し当てられる。ズフタフ槍の草独特の甘い香りが、クライスの最後の記憶だった。
深い眠りに落ち、ぐったりとなったクライスの身体を、黒い影は真っ暗な路地に引きずり込もうとする。すると、路地から棒のようなものを持ったもうひとつの人影が現れ、最初の影に手を貸す。
クライスは、夢も見ない眠りの牢獄に捕らえられたまま、どことも知れぬ闇の中を運ばれて行った。