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名探偵クライス 第1話

アカデミーの怪事件〔後編〕


「どうやら、犯人の見当がついたようです」
落ち着き払ったクライスの言葉に、俺もマリーもぽかんと口を開けていた。

アカデミーのショップから夜な夜なアイテムが盗まれるという怪事件が起こり、クライスの姉でもある店員のアウラさんに犯人の疑いがかけられていた。その疑いを晴らすために、クライス、マリー、そして俺の3人は、この事件を解決しようと、前夜に『国宝虫の糸』を使った罠を仕掛けておいたのだ。ところが、そんな俺たちをあざわらうかのように、昨夜も何の痕跡もなく、アイテムは消え失せていた。
しかし、ショップの床を中心に調べていたクライスが、光明を見出したようなのである。

「誰なの、犯人は!? どうしてわかったのよ!?」
我に返ったマリーが、矢継ぎ早に問いかける。熱くなっているマリーとはあくまで対照的に、クライスは冷静さを崩さず、
「あわてないでください。私は、犯人の名前がわかったと言っているわけではありません。犯人がどんな人物か・・・いや、これは正確ではありませんね。犯人がどんな存在か、見当がついたと言っただけです」
クライスはマントをひるがえすと、カウンターの中を見るようにうながす。

俺とマリーは、狭い隙間に身体を押しこむようにして、ショップの床に目をこらした。
カウンター内の床は、光を反射してきらめく砂が一面に撒かれていた。昨夜、クライスの依頼でマリーが持ってきた『星の砂』だ。そこには、先ほど中に入った時についたものだろう、クライスとアウラさんの靴跡がくっきりと残されている。
その他には・・・。

「どうです、わかりますか」
カウンター越しに覗き込んだクライスが、静かに尋ねる。
「何よ、クライスとアウラさんの足跡の他は、子猫の足跡だけじゃない」
マリーが言う。たしかに、例の子猫が夜中に歩き回ったのだろう、猫特有の小さな足跡が、一面に金色の砂を乱している。
「本当に、猫の足跡だけだと思いますか。もう一度、よく見てください」
クライスの言葉に、俺はもう一度、なめるように床を見直した。

「何度見ても同じよ。どこに犯人の手がかりがあるっていうの」
「いや、待てよ。こいつは・・・」
俺は、妙な跡に気付いた。これはまるで・・・。
「ほう、ルーウェン君は気付いたようですね。注意力散漫なマルローネさんには無理だと思っていましたが・・・」
「何よ。どこにあるのよ」
「ほら、これだよ。猫の足跡と足跡の間に・・・」
さらに見を乗り出すマリー。マリーの胸が俺の右肩に当たる。こそばゆいが、マリーは気にもしていないらしい。

「まあ・・・これって、靴の跡?」
「ああ、それも、すごく小さい。子供の靴よりも小さいぜ」
「それに、普通の子供の靴とはちょっと形が違うみたい」
たしかに、その靴跡には特徴があった。つま先の部分がとがっていて、先端に小さなふくらみがある。
じっと見つめていたマリーが、あっと小さな叫びをあげる。
「これって、妖精さんの・・・」

「そう・・・。昨夜、ショップに妖精が出入りしたことは間違いありませんね。これで、『国宝虫の糸』の罠に、何もかからなかった理由も説明できます。妖精の身長では、いくら糸を張り巡らしたところで、その下を通りぬけてしまいますからね。そして、鍵のかかったロビーとショップに入り込んだ経路もはっきりしました。さすがに、猫の出入り口に鍵をつけようなどとは、誰も思いもしなかったでしょうからね」
頭上から、クライスの落ち着いた声が降ってくる。

「それはわかったけど・・・。誰なのよ! いったい、どこの妖精さんが・・・?」
マリーがクライスに向き直る。クライスは目を伏せ、
「それは・・・まだ、わかりません。私自身、妖精を雇ったことがありませんから、妖精のことはよく知りませんし、このザールブルグに何人くらいの妖精がいるのかもわかりません。さて、どうやって調べたらいいものでしょうか・・・」
「アカデミーの生徒や、街中の錬金術師を片っ端から調べて回るわけにもいかないしな」
俺も考え込む。

「そうだ!」
マリーが大声を上げた。
「妖精さんのことは、妖精さんに聞いてみるのがいちばんよ! うちへ行って、ピッコロに聞いてみましょう!」
「なるほど、そいつはいい考えかも知れないな」
クライスもうなずいた。
「マルローネさんにしては、まともな提案だと言えますね。ここは人も増えてきましたし、いったん引き上げて、マルローネさんの工房に行くことにしましょうか。相変わらず、掃除はできていないのでしょうがね」
「もう! ひとこと多いのよ、クライスは」

そろそろ講義が始まる時間が近付いたのか、ロビーにも参考書を抱えたアカデミー生徒の姿がちらほらと現われ始めている。
アウラさんもショップの店開きの準備を始めた。そのそばで、黒い子猫がみゃあ、と鳴いた。その鳴き声を背に、俺たちはアカデミーの建物を出る。


マリーは、職人通りに通じる石畳の道を、張り切ってずんずんと歩いて行く。
そのあとをゆっくりと歩きながら、クライスが低い声で俺に話しかけた。
「ところでルーウェン君、相談があるのですが・・・」
「なんだい、あらたまって」

「私は、今回のマイスターランク進学を機に、アカデミーの寮を出ようと思っているのですよ。研究を深めるためには、アカデミーにこもりきりになるのも悪くはないのですが、最近、少し考えが変わってきたのです」
そう言って、前を行くマリーの後ろ姿へちらりと視線を向ける。
「錬金術を究めるためには、研究に打ち込むだけではなにかが欠けてしまうのではないかと。世間というものからかけ離れてしまってはいけない、錬金術師も人間なのだから、と思い始めたのです。そこで、世間に触れることができる場所で暮らしてみようと思い立ったのですよ」

「ふうん、いろいろ考えるんだな、錬金術師ってやつは。で、俺に相談ってのは?」
「どこか、適当な下宿をご存知ありませんか。あまり騒がしくなく、研究の邪魔になるような隣人さえいなければ、文句はないのですが」
「そうか・・・。だったら・・・」
俺は考えをめぐらせた。
「俺が住んでる下宿はどうだい? ちょうど、俺の隣の部屋が空いてる。大して広くもないし、高級な部屋じゃあないが、家賃は安いし、うるさい連中も住んでない。なんなら、家主のハドソンさんに口をきいてやってもいいぜ」

「そうですか。あなたが隣人ならば、何の文句もありません。後で、さっそく紹介していただくとしましょう。なにしろ、あのような・・・」
と、再び前を行くマリーに目をやる。
当のマリーは、
「クライス! ルーウェン! なに、のんびり歩いてるのよ! さ、早く早く!」
と振り向いて叫ぶ。クライスはため息をつき、
「・・・あのようなけたたましい隣人がいた日には、なにひとつ研究も進まないでしょうからね。では、よろしくお願いします」
と、足を速めた。


「ただいま〜!! ピッコロ、いる〜!?」
工房に帰り着くなり大声をあげるマリーに、作業台の下から茶色の服と帽子を身につけた妖精が姿を見せる。
「あ、おかえりなさい、おねえさん。緑の中和剤、できましたよ」
昨日と比べて、明るい声でにこにこしている。やはり、調合に成功したためだろうか。

「そう、ありがとう、ピッコロ。でも、調合はそれくらいにして、ちょっと教えてほしいことがあるのよ」
「え、何ですか?」
「ま、立ち話もなんだから、座ってじっくりと話すことにしないか」
俺の提案に、昨日と同じように椅子を引きずり出すマリー。
床から埃が舞い上がり、クライスが顔をしかめる。

「毎回同じことを言うのも時間のむだとは思うのですが、この乱雑さは、いいかげんにしてほしいものですね。アイテムまで散らばっているじゃないですか、本当にだらしのない・・・」
見れば、埃に混じってきらきらと細かな砂が散らばっている。
「あらら・・・。昨日、『星の砂』を袋に詰めた時にこぼしちゃったのね。あ〜あ、もったいないことしたわ」
あっけらかんと答えるマリーに、クライスは処置なし、というように肩をすくめる。

作業台に面して半円形になるように椅子を並べ、ピッコロは作業台の上にちょこんと座る。
「それでね、ピッコロ、あたしたちが聞きたいのは、あのね、ええと・・・」
いきなりまくしたてるマリーを、クライスがさえぎる。
「お待ちなさい。マルローネさんが話したのでは、何日かかるかわかりません。時間も大切ですし、ここは、私にまかせてください」
「ま、もっともだな」
俺もうなずく。

ふたりの冷たい視線を受けて、マリーは不服そうな表情を見せたが、ピッコロの頭をなでると、
「じゃあ、このいやみな眼鏡のおにいさんの質問に答えてくれる? 意地悪な質問されたら、あたしが仕返ししてあげるからね」
「悪かったですね、いやみな眼鏡のおにいさんで」
と、クライスは右手で眼鏡の位置を整え、机の上で不安げに見上げるピッコロに向き直る。
「さて、ピッコロくん。まずは第1の質問です・・・」

さすがはクライスというべきか、ピッコロへの質問は、1時間とかからずに終わった。
今、ピッコロは再びマリーの指示を受けて、作業台の下で研磨剤の調合にかかっている。
そして、俺たちは昨日と同じようにマリーの工房で椅子に掛け、マリーが入れた怪しげなミスティカティをすすりながら、クライスの話を聞いている。

「では、ピッコロくんの話からわかったことをまとめてみましょう」
クライスは時々、手元のメモに目をやりながら、話を進める。
「まず、ザールブルグ近辺にいる妖精は、必ず人間に雇われているということです。それ以外の妖精は、みな『妖精の森』にいる、と。どこかに『はぐれ妖精』みたいなものがいて、勝手に泥棒をはたらいているのではないかという疑いもあったのですが、どうやらそれはないようですね。次に重要な点は、妖精は、雇い主の命令には絶対服従ということです。ということは、誰かが指示を与えて盗ませている可能性が強い、そういうことになります。そのような錬金術師がいるなどということは、あまり考えたくはありませんが・・・」

「そうよ! 絶対許せないわ! こんなにかわいい妖精さんに悪いことをさせているなんて・・・」
マリーが椅子の背もたれを激しく叩く。
「おや、それにしては、あまり可愛がっているように見えませんが・・・」
「そ、それは・・・考え方の違いよ!」
何が違うのか、よくわからない。

そう言っているそばから、作業台の下では悲鳴が上がり、白い煙が噴き出す。
「もう、ピッコロってば、また!」
「ふぇぇん、ごめんなさいぃぃ」
真っ白な粉にまみれたピッコロが、よろよろと姿を現す。
「あ〜あ、フェストだって、ただじゃないのよ! しっかりしてくれなくちゃ、困るじゃないの」
マリーの叱責が飛ぶ。ピッコロは、産業廃棄物で白く染まった袖で、涙をぬぐう。

「やはり、可愛がっているようには見えませんね・・・」
クライスの冷静な声に、マリーはむっとしたようにクライスをにらむ。
だが、声を和らげ、
「さ、もういいから、後片付けなさい。今度は失敗しないようにね」
ピッコロは泣きながら、ほうきとちりとりを持って、作業台の下に消える。

「やれやれ・・・。ピッコロ君は、もう何回くらい失敗しているのですか?」
「そうね。最初は採取をやってもらってたんだけど、先月から調合もしてもらうようにしたのよ。それ以来、2、3日に1回は失敗してるわね。やっぱり、賃金をケチって、安い妖精さんにしたのが間違いだったのかしら」
「だいたい、茶妖精というのは調合ができる中で、いちばんレベルが低い妖精さんなのでしょう? あまり多くを期待してはいけないのではありませんか?」
「うう・・・。それは、そうなんだけど・・・」
「お金もあまりないし・・・だろ?」
「し、失礼ね! 依頼だって、たくさん来てるんですからね」

「まあ、それはそれとして・・・」
クライスが眼鏡の奥の瞳を光らせ、
「ピッコロ君の話では、このザールブルグだけでも100人以上の妖精さんがいるということです。その中から、どうやって犯人を見つけ出すかということですが・・・」
「手分けして、ひとりずつ締め上げたら?」
「おいおい、そんなの俺でも非常識だとわかるぜ。何日かかると思うんだ」

「ルーウェン君の言う通りです。それに、重要なのは証拠です。証拠もないのに、疑いをかけることはできないでしょう。そんなことをしたら、姉さんを疑っているアカデミー当局と同じことになってしまいます」
「じゃあ、どうしろって言うのよ!」
「現場を押さえます。できれば、今夜・・・」
クライスが、静かに言った。
「ええっ!」
「どうやって!?」
俺もマリーも驚いて叫んだ。クライスは、あくまで落ち着き払っている。

「もし、私の推測が正しければ、犯人は今夜もやって来ます。そこを、捕えることにしましょう。そうでなければ、犯人の雇い主も納得しないでしょうから」
「でも、昨日は、気付かれるといけないって、帰っちゃったじゃない。なんで今度は・・・」
「昨日は情報が少なすぎました。しかし、今日いろいろと得た情報で、考えが変わりました」
「じゃあ、今度はどんな罠を仕掛けるの?」
「それは、今夜のお楽しみです。では、そろそろ一時解散するとしましょうか。これ以上、この乱雑な部屋にいるのは耐えられません」
「悪かったわね」

「ところで、この工房は、夜は鍵をかけるのですか」
「そう言えば、かけたことって、ないわね」
「不用心ですね。しかし、この有り様では泥棒に入られることもないでしょう。入った方が困ってしまうでしょうからね。では失礼」
クライスは、目で俺に合図して、工房を出る。
「それじゃあな、また夜に会おうぜ」
マリーに別れを告げ、俺はクライスを追った。

「さっそくですが、今朝ほど話をした下宿の件をお願いしたいのですが」
というクライスを、俺は下宿に連れて行った。
家主のハドソン夫人に紹介する。話はすぐにまとまり、2、3日中にはクライスが荷物を運びこむことになった。
話を終え、ハドソン夫人の居間を出ようとすると、階段を降りてきた小柄な姿に出会った。
「おっす」
俺に気付くと軽く手をあげ、身軽に外に飛び出していく。赤紫色の髪を三つ編みにして長く垂らした、冒険者姿の若い女だ。

「今のは?」
クライスの問いに、俺は答える。
「屋根裏部屋の住人だよ。時々、『飛翔亭』で見かけるけど、それほど親しくしてるわけじゃない。ま、普段はいるのかいないのかわからないくらいだから、研究の邪魔になることはないと思うぜ」
「そうですか、とにかく、お礼を言います」

「ところで、今夜の準備はしないでいいのかい」
「私の考えが正しければ、特に準備は必要ありません。ただ、ルーウェン君には主役をお願いすることになると思います」
「何? 主役?」
「それは、こういうことです。つまり・・・」


そういうわけで。
俺はクライスの指示通り、アカデミーのショップの片隅、カウンターの裏に座り込んで、犯人が現われるのを待ち受けていた。手には、シェードをかけて暗くしたランプを持っている。

「ルーウェン君は、閉所恐怖症ではありませんよね」
ここに入る前に、クライスが念を押した。
たしかに、狭い。引き戸を閉められてしまうと、真っ暗な洞窟に閉じこめられたような気分になる。俺は、いちばん奥の壁にもたれて座り、反対側の端に、子猫のために作られた出入り口がある。もしやって来るとすれば、犯人はそこから入って来るはずだ。

ショップの外では、クライスとマリーが、それぞれの持ち場についている。クライスはロビーの入口の脇、掲示板の下の植木の陰に、そしてマリーは寮棟への出口のそばで、息を殺している。
「あまり神経質になる必要はありませんよ」
再び落ち合って打ち合わせをした時、クライスは涼しい顔でそう言っていた。昨晩と違い、とてもリラックスしているように見えた。

俺の方は、とてもではないがリラックスするどころではない。やって来る犯人を、最初に捕まえるのが俺の仕事だからだ。
仕事の邪魔にならないように、子猫はアウラさんが連れて帰ってしまっている。だから、何の気配もない。
もうここにこもって、2時間近くになる。時刻も夜中を回った頃だ。

どこか遠くの方で、カタン、と軽い音がした。
おそらく、ロビーの大扉に作り付けられた、猫の出入り口の扉が開いた音だ。もちろん猫の出入り口に、鍵はかかっていない。
身体に緊張が走る。とうとう来たのか・・・。
全身を耳にして、引き戸の向こうの気配を探る。

最初は、何も感じなかった。
やがて、パタ、パタと軽い足音が床を伝わってかすかに響いてくる。
あわてた様子も、足音を忍ばせている様子もない。ごく自然な足音だ。
俺は、息を殺して待つ。
そして・・・。

暗闇の中、かすかに蝶番のきしむ音。猫の出入り口の扉が、外から押し開けられようとしている。
ごくり。
自分が息をのむ音が、やけに大きく聞こえる。
次の瞬間、パタン、という音とともに、小さな気配がショップの中に入りこんできた。
パタ、パタという足音とともに、カサカサとなにかがこすれる音がする。続いて、コトン、コトンという音。
その時・・・。

「今です! ルーウェン君!」
引き戸の外からクライスの大きな声が響いた。
俺は、はじかれたようにランプのシェードをはぎ取り、気配の方を照らす。
同時に、引き戸が引き開けられ、外からクライスとマリーがショップの出口をふさぐように覗き込む。
ランプの黄色い光に照らされて、ひとりの妖精が、ぺたんと床に座りこんでいた。

茶色の帽子に、茶色の服。そばには採取用のかごが置かれ、ショップの棚から取り出したと思われる『フェスト』がいくつか、かごの中に入っている。まちがいなく、現行犯だ。
「ピッコロ!! ピッコロじゃないの!!」
悲鳴に近いマリーの声。
ピッコロは、床にぺたんと座りこんだまま、まぶしそうに目をぱちぱちさせた。きょとんとした表情。

「あれ、おねえさん・・・。ぼく、どうしたの・・・?」
「もう! なんてことをしてくれたのよ! あなた、いったい・・・」
叫ぶマリーを、クライスがさえぎる。
「待ちなさい、マルローネさん。ここは私にまかせてください」
そして、ぼんやりとしているピッコロを抱き上げると、カウンターに座らせ、優しく話しかける。
「ピッコロ君・・・。さっきまで、あなたは何をしていましたか?」
「え、ええと・・・。おねえさんの工房で、いつものように寝床に入って・・・。でも、ぼく、なんでこんなところにいるんですか」

「ふむ。わかりました。ピッコロ君は、そこで休んでいてください」
大きくうなずいたクライスが、マリーと、ランプを手に立ち上がった俺を振り向く。
「これで、すべてがはっきりしました。この事件には、罰するべき犯人はいないということが」
「ん? そりゃあどういうことだい?」
いまだに呆然としているマリーに代わって、俺が尋ねる。

クライスは再びピッコロを抱き上げると、ロビー中央にあるソファに向かった。俺とマリーも腰を下ろす。
「でも、どういうことなの? 犯人がいないって言うのは」
ようやく一息ついたマリーが、あらためて問いかける。ピッコロを見つめる目はまだ険しい。
クライスはひとつ咳払いをすると、もったいぶって話し始める。
「あえて言わせていただくならば、間接的な犯人は、マルローネさん、あなたなのですよ」

「ええっ!! 何を言い出すのよ! まさか、あたしがピッコロに命令して盗みをさせていたと思ってるんじゃないでしょうね!」
「そんなことを言ってはいません。まずはっきりさせておきたいのは、ピッコロ君はこの事件に責任はないということです。なぜなら・・・」
と、クライスは隣にちょこんと座って不安そうに見上げている茶妖精の頭をなでる。

「ピッコロ君は、夢遊病にかかっていたからです」
「何だって!?」
「そう、夢遊病です。まず、私が妙だと思ったのは、昨晩の出来事です。足跡を確かめるために『星の砂』を撒いておいたわけですが、ご存知のように、あれは光をよく反射します。用心深い犯人ならば、すぐに気付いて、足跡を消そうとするでしょう。ところが、そんな気配はまったくありませんでした。そこで、犯人は無意識のうちに犯行を行ったのではないかと推測しました。ここが第一のポイントです」

クライスは続ける。
「次に、今朝、マルローネさんの工房で、床にこぼれた『星の砂』を見つけました。それで、もしかしたら、と思ったのです。マルローネさんにもおわかりでしょうが、ピッコロ君は、技術的には未熟ですが、とても責任感の強い妖精さんです。失敗する度に、無神経なマルローネさんに叱られるので、精神的にまいってしまったのですね」
「悪かったわね、無神経で」

「それで、ピッコロ君は失敗を取り戻さなければ、という気持ちが無意識のうちにはたらいて、自分がむだにしてしまったアイテムを取り戻そうという行動に、眠っているうちに出ていまったのでしょう」
「でも、なんだってアカデミーに? アイテムを取りに行くなら、近くの森とか、他にも採取に行く場所があるだろうに」
「これも、今朝ピッコロ君に聞いた話なのですが、妖精さんというのは、本能的に、自分が探そうとしているアイテムがどこにあるかがわかるらしいのです。そして、最短距離でそこへいく・・・と。つまり、マルローネさんの工房からいちばん近い、アイテムのある場所がアカデミーだったというわけです」

「そうだったの・・・」
珍しく、マリーがしおらしい声を出す。クライスが明らかにした真相は、マリーにとってもショックだったのだろう。
「だいたい、マルローネさんは、アイテムの在庫が不自然に増えているのに気付かなかったのですか。注意して管理していれば、すぐにわかったでしょうに」
クライスが責めるように言う。マリーはあっけらかんと答える。
「だって、管理なんかしてないもん。わかるわけないじゃない」
「まったく、あなたという人は・・・。聞いた私の方が愚かでした。ところで・・・」
と、クライスは眼鏡を整える。目が光った。

「真相が明らかになった以上、アカデミーに報告しなければならないわけですが、イングリド先生のところに行かなければなりませんね」
「え・・・」
マリーが絶句する。顔色が良くない。
「どうします? 私の方から話をしておきましょうか。もちろん、後でマルローネさんへも呼び出しがかかるでしょうが」
「わ、わかったわよ。朝になったら、あたしがちゃんとイングリド先生のところに行って、謝って来るわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
投げやりな調子で言うと、マリーはソファの背に大きくもたれかかった。

翌朝、イングリド先生の部屋で、どんな会話が交わされたのか、俺は知らない。しかし、特にマリーにペナルティが課せられるというようなことはなかったようだ。もちろん、ピッコロが持ち出した分のアイテムを採取して返還するという約束はさせられたようだが。


こうして、アカデミーのアイテム紛失事件は解決し、アウラさんの疑いも晴れた。今日もアウラさんは黒い子猫を膝に、にこやかに仕事をこなしている。

そして、今日はクライスが俺の下宿に引っ越してくる日だった。
家具は部屋に備え付けのものがあるので、荷物はそれほど多くはない。調合の道具と参考書の山が、主な荷物だ。
俺も手伝って、2階の奥の部屋に運び上げる。
マリーも通りかかって、手伝おうかと言ってくれたのだが、
「マルローネさんに手伝わせたら、片付くものも片付かなくなってしまいますよ」
というクライスの言葉に、俺もマリー自身も納得してしまった。

運び上げると、クライスはてきぱきと荷物をほどいていく。夕方になるころには、部屋はさっぱりと片付き、すぐに生活ができるように整っていた。
しかし、しばらく住み手がいなかっただけあって、やや湿っぽく、かび臭さが残っているのはやむを得ない。
「これは、かなり空気を入れ換えないといけませんね」
本棚に参考書をしまい終えたクライスがつぶやく。
「ここの窓は、開くのでしょうか?」
それは、部屋の西側の壁だった。窓は作り付けてあるのだが、ブラインドが下ろされ、埃をかぶっている。どうやら長いこと開けたことがないようだ。

「さあな、でも、開けても、裏の建物の壁があるだけじゃないのかな」
「それでも、閉め切っておくよりはましでしょう。手伝っていただけますか」
そこで、俺も手伝って、ブラインドを上げ、窓を大きく押し開けた。
そして、窓の外を見たとたん・・・。
クライスの目が点になった。

俺も見た。
窓のすぐ向こう、ランプの光に浮かび上がったのは、流れるような金髪と、白く伸びたすらりとした脚。
下着姿で、寝間着に着替えようとしているマリーだったのだ。

「な・・・」
クライスが、口をぱくぱくさせる。
こちらに気付いたマリーも、びっくりしたのか声が出せない。
数瞬の後。
「キャーーーー!!」
マリーが悲鳴を上げ、シーツで身体を隠す。
「な、なんでクライスがこんなとこにいるのよ!」
「そ、それはこちらのセリフですよ! なんでまた、マルローネさんが・・・」
「だって、ここは工房の2階で、あたしの寝室だもん」

俺もびっくりしていた。まさか、ここの下宿がマリーの工房の真裏に当たっていたとは・・・。いつも職人通りを回って行き来していたので、位置関係がよくわかっていなかったのだ。
しかも、クライスが借りた部屋とマリーの寝室とは、ほんのわずかの隙間があるだけ。跳ぼうと思えば跳び移れる程度の距離しかない。
クライスとマリーは、まだ愕然とした表情で見つめ合っている。
俺は、下宿を探している時のクライスのセリフを思い出していた。
(・・・マルローネさんのようなけたたましい隣人がいた日には、なにひとつ研究も進まないでしょうからね)

俺はクライスの肩をポン、と叩くと、自分の部屋にひきあげた。
触らぬ神に祟りなし、である。

<おわり>


○にのあとがき>

はああ。
やっと完結しました。いかがでしたでしょうか、名探偵クライスのシリーズ第1作。
本当にシリーズ化できるのか? という不安もあるのですが、某掲示板で「オムニバス形式にします!」と宣言してしまった以上・・・。
そのために、次作以降への伏線をいろいろと張ってみたりしたので、「何これ?」というようなシーンがあったかも知れません。

ちなみに、中編の冒頭で女の子が転ぶシーンは、単なる趣味(←おい)です(笑)。
時期的には、この話は『少女の決意』の少し後、という設定ですし。

さて、ひょんなことでマリーの隣人(^^)になってしまったクライスの次回の活躍は?
ということで、次回作は年内にはお届けできるかと思います。(あっ、自分の首を絞めてるぅ!)


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