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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<なかじまゆら様へ>〜

名探偵クライス 第2話

彼女が創り出したもの [捜査篇] Vol.1


マリーの工房での打ち合わせを終えると、俺とクライスはさっそく行動を開始した。
クライスは、妖精のピッコロを連れて、アカデミーへ向かう。自分の実験が終わらないので研究室に泊まり込むという口実で、ヘルミーナ先生の実験室を見張るのだ。
俺はアカデミーの外に待機し、ヘルミーナ先生がどこかへ出かけるような気配があれば、それを尾行する。ピッコロは連絡係だ。妖精は、どんな場所へでも一瞬で移動できるという特技を持っているため、このような連絡役にはうってつけなのだ。
「もし尾行するような事態になった時は、私も同行しましょうか」
クライスの問いかけに、俺は首を横に振った。
「いや、あんたはずっとアカデミーに待機しててほしい」
「なぜですか。ひとりよりもふたりの方が、相手を見失う可能性が低いと思うのですが」
「確かにそれはそうだが、相手に見つかる危険も倍になる。それに、あんたには、気配を消すテクニックがないだろう? 経験を積んだ冒険者なら誰でも自然に身につけているものなんだがな」
「何ですか、それは」
「例えば、森の中で足音を立てずに移動する方法を知っているかい?」
「・・・。残念ですが、知らないと白状せざるを得ませんね」
「だろう? だから、そっちは俺に任せてくれ。その代わり、見張りの退屈しのぎにいろいろと調べてみてくれよ。怪物の正体についての手がかりとか、錬金術と怪物の関係とかさ」
「わかりました。文献をあたってみることにしましょう」
うなずくと、クライスはピッコロを連れて足早に石畳の道を去っていった。

「さて・・・と」
俺はいったん、下宿に戻ることにした。外で一夜を過ごすために必要な小道具をいくつか、取ってこようと思ったのだ。
部屋から階段を下り、外に出ようとすると、1階の廊下に人影を見つけた。窓から差しこむ月明かりに照らされて、背中を一方の壁につけ、うずくまるように座りこんでいる。波打つ金髪が、月光の中で金糸のようにきらめいている。ハドソン夫人の姪っ子、アカデミー生徒のルイーゼだ。
よく見ると、膝に本を乗せ、顔をすりつけるようにして、一心に読みふけっているようだ。こんな薄暗いところで、目が悪くならないのだろうか。
ひとこと挨拶しておこう。そう思って、俺は気軽に声をかけた。
「やあ、こんばんは」
ルイーゼは気付いた様子がない。読書に熱中しているせいだろうか。俺が発した言葉だけが、空しく宙に浮いている。
俺は、2、3歩近付き、もう一度声をかけた。
まだ反応がない。
このまま黙って引き返し、外に出てしまおうかとも思ったが、なんとなく引っ込みがつかない。思いきって、肩を軽く突ついてみた。
「きゃっ!」
ルイーゼは小さく悲鳴をあげ、身を起こす。その拍子に、膝から本が床に落ちた。
「あ、ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだ」
俺は本を拾い、手渡してやった。
ルイーゼは、濃いブルーの瞳を大きく見開いて、俺の方を見た。だが、その視線は遠くを見ているようで、どこか夢見るような表情が浮かんでいる。
いくぶんか間があって、ルイーゼが口を開く。
「びっくりしました・・・」
全然びっくりしたような感じではない。普通の人よりテンポがのろく、ほんわかとした口調だ。
俺は自己紹介して、あらためてルイーゼを見やった。朝も思ったが、なかなかの美人である。スタイルも悪くない。
ちょっと無遠慮に視線を向けたせいか、ルイーゼは本を胸の前で抱きしめるようにして、落ち着かなげにうつむく。小刻みに身を震わせているようだ。
雰囲気を和らげようと、俺は優しい口調で話しかけた。
「あ、いや、その・・・。そんなに緊張されると、困っちゃうんだけどな。ちょっと挨拶しようと思っただけで・・・。別に、俺、悪いやつなんかじゃないぜ」
ルイーゼは顔を上げた。無理に微笑もうとしているかのようだ。
「違うんです・・・。わたし、あまり男の人と話をしたことがないもので・・・」
なんだ、そういうわけだったか。俺個人が悪い印象を与えたのではないかという不安は消えた。心に余裕ができた俺は、ルイーゼが抱えている本に目を止めた。
「ずいぶん熱中して読んでたみたいだな。それ、錬金術の本かい?」
ルイーゼの表情が一変した。生き生きと目を輝かせ、本の表題を見せる。
「はい、そうです。補習用の参考書として渡されたものなんですけど、今まで知らなかったレシピがたくさん載ってるんです」
俺は表紙に記された題名を見た。
「ええと、『魂の秘術・改訂版』?」
「はい、主として、無生物に生命を吹き込むという、比較的高度な術が中心です。『生きてるホウキ』とか『生きてる台車』とか、日常生活に役立つ物も作れるんですよ。基本は『ぷにぷに玉』と『祝福のワイン』で、対象物の1.5倍から2.5倍の範囲で配合し、それから・・・」
「ちょっと待ってくれ」
俺はルイーゼをさえぎった。専門的な錬金術の話をされても、よくわからないし、放っておけば一晩中でもしゃべり続けそうな勢いだったのだ。
「俺、これから用事があるから・・・」
自分から声をかけたにしては、我ながら情けない物言いだ。もちろん、アカデミーの外で待機するという用事が実際にあるわけだが。
ルイーゼは夢見るような眼差しで微笑んだ。
「ごめんなさい。つい夢中になってしまって・・・。わたし、もう少し読み続けますから」
「でも、こんなところで読んでたら、目を悪くするぜ」
俺の言葉に、ルイーゼはやや顔をくもらせた。
「そうですね・・・。でも、これ以上悪くなりそうにないし・・・」
そう言うと、ルイーゼはぺこりと頭を下げ、大事そうに本を抱えたまま、廊下の奥へ消えていった。自分の部屋で読み続けるつもりなのだろう。

さて、今夜の本番はこれからだ。アカデミーへ向かわなければ。
玄関に下りようとした俺の前に、ぬっと黒い影が立ちはだかった。
「ちょいと、フィルニールさん!」
ハドソン夫人が、目を三角にしてにらみつけている。
「ど、どうしたんですか、ハドソンさん」
驚いて問い返す俺に、ハドソン夫人は1階廊下の奥にあごをしゃくって見せた。
「言っとくけどね、うちの姪っ子に手ぇ出したら、ただじゃおかないよ! すぐにここを出ていってもらうからね!」
「それは・・・」
俺はすぐに、誤解だと説明しようとした。確かに、薄暗い廊下にふたりだけでいたことは事実だが、それに気付いたハドソン夫人が早とちりをしたとしか思えない。
だが、ハドソン夫人は俺の言葉をさえぎって続ける。
「あの子は・・・ルイーゼはね、見かけはのほほんとしているけど、けっこう苦労してるんだよ。まだほんの子供の頃に、父親が失業してしまってねえ・・・。だから、あたしは心底、あの子に幸せになってもらいたいのさ」
そして、ハドソン夫人は、表情を和らげた。
「あたしもこの商売をして長いからね、人を見る目はあるつもりさ。あんただったら・・・。筋さえ通してくれりゃ、あたしはちっとも構わないからね!」
あっけにとられた俺の目の前で、ハドソン夫人は豪快に笑った。


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