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〜ふかしぎアンケート感謝プレゼント小説<なかじまゆら様へ>〜

名探偵クライス 第2話

彼女が創り出したもの [捜査篇] Vol.2


月はゆっくりと動き、南の空にかかっている。俺の後ろにはアカデミーの建物が黒々と影を落とし、中庭の木々のざわめきが魔物の群れの足音のように聞こえる。
俺は、アカデミー正門の脇の植え込みの陰にしゃがみこみ、ただひたすらに、何かが起こるのを待っていた。
もしかしたら、今夜は何事もなく過ぎるかもしれない。それならば、また明日の晩に張り込むまでだ。いや、真相が解明されるまでは、幾晩でも。
もちろん、イングリド先生の推測が間違っていて、俺たちの努力が全てムダに終わるという可能性もある。それならそれでいいではないか。疑いがひとつ消えるということは、真実に一歩近づくことに他ならないのだから。
いろいろと考えをめぐらしているうちに、時はうつろう。深夜を回り、ついうとうととしかけた時だった。
目の前の空間が、ぼうっと薄い光に包まれるのに気付いて、俺ははっと身構えた。
見る間に、光は凝縮し、小さな子供のような影に取って代わる。そして、光が消えると同時に、赤い服を着た小柄な男の子が、どさっと地面に落ち、丸くなって転がった。
「おいおい、大丈夫か」
「あいたたた・・・。着地に失敗しちゃったよぉ」
腰をさすりながら、むっくりと起き上がる。伝令役の妖精ピッコロだ。例の盗難事件の折、マリーの工房で初めて知り合った時には茶色の服を着ていたものだが、今は赤い帽子と服に身を包んでいる。マリーの説明では、最近、“レベルアップ”したのだという。何がレベルで、どうアップしたのか、俺にはよくわからないが。
「それで? 何かあったのか?」
俺の問いに、ピッコロは居ずまいを正した。
「あ、あのね。メガネお兄ちゃんから連絡だよ。ヘル・・・なんとか先生が、実験室を出て、裏門の方へ行ったって。もしかしたら、外に出るつもりかも知れないって」

「よし、わかった!」
俺は、足音を殺して石畳の道を走り、アカデミーを半周すると、裏門の手前の街路樹の陰に身をひそめた。
待つ間もなく、軽いきしみをたててアカデミーの裏門がわずかに開き、人影が滑り出てくる。影になっているので顔立ちはわからないが、髪の長い女性であることは確かだ。片手に杖らしきものを持っている。間違いなく、ヘルミーナ先生だろう。
ヘルミーナ先生らしい人影は、警戒する様子もなく、自信に満ちた足取りで、すたすたと外門へ向かっていく。やはり、街の外へ出て行こうというのだろうか。
俺は、ふといぶかしく思った。ザールブルグの外門は、夜でも必ず警備の兵士が不寝番をしているはずだ。こんな時間に街を出て行こうとすれば、間違いなく怪しまれてしまう。
外門のすぐ近くで立ち止まると、ヘルミーナ先生はふところからなにかを取り出し、右手で掲げて2、3回軽く振った。そして、しばらく待つと、堂々と外門をくぐって外へ出ていく。
てっきり門番の兵士に誰何されるものと思ったのだが、何事も起こらない。俺も、一歩遅れて、そろそろと門を抜ける。
見ると、外門の両脇を固める兵士は、どちらも柱にもたれかかり、ぐっすりと眠り込んでいる。
(そうか、眠り薬か・・・)
俺は合点した。ちょうど、風は市街から外門の方向へ向かってゆるやかに吹いている。ヘルミーナ先生は、この風に乗せて、兵士たちに向かって眠り薬をばらまいたに違いない。
見まわすと、街道を北へ向かって早足で歩いていく影が小さく見えた。このまま北へ進めば、例の怪物が出た森へ向かうことになる。
(おいおい、最初っから大当たりかよ)
俺は気を引き締め直し、距離をとって、街道を同じ方向へ進み始めた。

ほどなく、近くの森の木々が、黒々とした影を現わし始める。
吹きすぎる風にざわめく木々の音と、揺れ動く影が、まるで魔物の群れのようだ。普通の人だったら、とても夜の森にひとりで足を踏み入れる度胸はあるまい。だが、ヘルミーナ先生は、怖れる様子も見せず、森の奥へと踏み入っていく。
風のざわめきは好都合だ。小さな音なら消してくれるからだ。それでも俺は、枯れ枝を踏み折ったり小石を蹴飛ばしたりしないよう、細心の注意を払って進んだ。暗がりの中で、あちこちに落ちているとげとげの『うに』を踏みつけないようにするのも一苦労だった。
かなり奥まで入りこんだところで、俺は足を止め、茂みの陰にそっと隠れた。
その先は少し開けた空き地になっている。
そこでは、ヘルミーナ先生が、謎めいた作業をしていた。
杖を使って、地面に大きな円を描き、その中に何やら模様を描いているようだ。時々立ち止まり、ふところから出した袋から粉のようなものを振りまく。
俺は、息をのんで見守っていた。
作業が一段落すると、次にヘルミーナ先生は、周囲を歩き回ってなにかを拾い集め、円の中央と思われるところに積み上げた。
(あれは・・・!)
積み上げられていたのは、ひと山の『うに』だったのだ。
続いて、ヘルミーナ先生は、円の外側の縁に、均等に4本のロウソクを立てていく。ほくちが光り、4箇所のロウソクは炎を上げ始めた。炎の色はロウソクによって異なり、赤、青、緑、白の4色に分かれている。
さらにヘルミーナ先生は、中央の『うに』の山にも火を移した。
ぶすぶすと煙を上げながら、『うに』の山が燃えあがる。
その炎と、ロウソクが放つ4色の光に照らされて、円の縁に立ったヘルミーナ先生は、ひとつうなずいた。ほの見える口元には、不気味な笑みが浮かんでいるようだった。
そして、両腕を大きく広げ、杖を振りかざす。その口から、低いがはっきりとした声がもれ出てくる。
教会で聞く賛美歌にも似ているが、聞いている場所のせいだろうか、どこかまがまがしい響きを持って耳に届いてくる。ある種の歌には違いないのだが、俺には理解できない言葉で語られているようだった。
詠唱は、次第に高まり、それにつれて周囲の森がざわめきたつように感じられた。ロウソクの4つの色が混ざり合い、円全体がぼうっと虹色の光を帯びてくる。
不意に、俺は首の後ろがちりちりするのを感じた。背筋が総毛立つ。思わず、右手で剣の柄を握り締める。
いつのまにか湧き出た不気味な気配が、森中に充満していた。なにか、途方もない危険が着実に近付いている・・・。
逃げたいという本能と、見届けたいという理性の欲求に挟まれ、俺は身動きが取れなくなっていた。
その呪縛を打ち破ったのは、背後に感じたもうひとつの気配だった。
薮をかき分ける、がさがさという音。踏みつけられた枯れ枝が砕ける、ぱきりという音。神経が鋭くなっていたためだろうか、それらの音は驚くほど大きく、鮮明に感じられた。
誰か、別の人間が、この場所に近付いてくる。
しかも、そいつは自分の気配を消すという努力をまったくしていない。夜道にはぐれた旅人だろうか。
放っておけば、すぐにヘルミーナ先生も気付いてしまうだろう。今夜の尾行が台無しになりかねない。
俺は、先ほどから高まっている危険な気配にも気を配りつつ、背後をうかがった。ふと、風向きが変わり、ただよってきた異臭が鼻をつく。決していい香りとは言えないが、どこかなじみのある臭い。
俺は気付いた。これは、火薬と産業廃棄物の臭いがが混じり合ったもの・・・マリーの工房にいつもただよっている臭いだ。
そのとたん、ひときわ大きな音を立てて茂みがざわめき、人影が姿を現わす。見なくとも、誰だかわかっていた。
その人影は、警戒するそぶりもなく前方を見透かし、さらに進んでいこうとする。
これ以上、ヘルミーナ先生のいる空き地に近付けてはならない。
俺は、とっさに背後に回りこむと、左手で相手の肩をつかみ、右手で口を押さえた。豊かな金髪と、丸い髪飾りが邪魔になったが、とにかく、声を上げさせてはならない。
不意を突かれたマリーは、一瞬、身を固くしたが、すぐに逃れようと暴れ始めた。自由な両足をばたつかせ、もがく。マリーの肘打ちがみぞおちに入り、手が放れそうになる。爆弾やらしびれ薬やらを使われてはたまらない。俺は声を殺してささやきかけた。
「待て、マリー、俺だ、ルーウェンだよ」
マリーが必死に首を振り、こちらを向こうとする。
「いいか、とにかく声は出さないでくれ」
こくこくとうなずくのを確認して、手を放す。
マリーは振り向き、空色の目を大きく見開いて、俺を見た。
「ルーウェン! びっくりした・・・」
「こら、声を出すなって言っただろ」
あわててマリーが口をつぐむ。
「この先に、ヘルミーナ先生がいるんだ」
俺はささやきかける。だが、それは失敗だった。
「えええっ!? ヘルミーナ先生が!?」
マリーが素っ頓狂な声をあげる。
大あわてで口を押さえたが、もう遅い。
「誰だ!?」
鋭い声が響いた。間をおかず、いくつもの青白く輝く光球が木の間をぬって、俺たちめがけて飛んでくる。
「まずい、逃げろ!」
マリーを突き飛ばすように追いやリ、俺は身をひるがえした。最後に空き地を一瞥した時、ヘルミーナ先生が描いた円を取り巻いていた光は消滅し、杖を構えた女錬金術師の姿だけが、燃え尽きようとするロウソクの光に映えていた。

薮を抜け、茂みを飛び越え、俺とマリーは息が切れるまで夢中で走った。
足がもつれ、重なり合うようにして、とある茂みに倒れこむ。
「はあ・・・、はあ・・・」
せわしないマリーの吐息が、すぐそばで聞こえる。
「どうやら、逃げきれたようだな」
背後には、誰も追ってくるような気配はない。
俺は、息を整えようとしながら、ささやきかけた。
「何だって、マリーがあんなところに出て来るんだよ!?」
「あ、あははは。あたしもなんかしなくちゃ、と思って、個人的に深夜のパトロールをしてたのよ・・・。もちろん、なにかあったら、すぐルーウェンやクライスに知らせるつもりだったのよ。ほんとよ」
やっぱりだ。工房で打ち合わせをしていた時、妙に素直にクライスの言うことをきいていたマリーの瞳に宿っていた炎の正体は、これだったのだ。
「やれやれ、やっぱりなにかやらかすと思ってたが、案の定、これかよ」
俺はぼやいたが、ふと、ある事実に気付いて、口調を変える。
「あ、あのな、マリー・・・」
「ん、何?」
「その・・・、もう少し、離れてくれないか」
狭い茂みの中に押しこまれ、俺とマリーの身体はぴったりと密着していた。みんな知っての通り、マリーの服装は露出度が高い。それだけに、マリーが身じろぎする度に、彼女のぬくもりや柔らかな感触が、直に伝わってくる。決して嫌だとは言わないが、居心地が悪いことおびただしい。
「無理よ・・・、動くと枝がちくちくして、痛いんだもん」
マリーは鈍感なのか、ふたりが置かれている状況も全く意に介していないようだ。いつも通りの口調で、あっけらかんと言う。
その時、俺たちは、一筋の光に照らし出された。
「おい、誰だ? そこで何をしている?」
その声には聞き覚えがあったが、動転していたので、すぐには誰か思い出せない。しかも、逆光なので、相手の顔は見えない。こちらの姿はくっきりと照らし出されているというのに。
「ルーウェンに・・・マリーじゃないか!?」
相手の声が裏返った。手に持ったランプが揺れる。赤いマントを身につけた、大柄な男の姿が浮かび上がる。
「ハレッシュ・・・!?」
「おまえら・・・。こんなところで、何をしてるんだ?」
「い、いや、それはだな・・・」
思わず言葉がもつれる。本当のことを言うわけにはいかない。秘密裏にことを運ぶという、イングリド先生との約束だ。
「ハレッシュこそ、何してるの?」
いつもの口調で、平然とマリーが問い返す。俺とマリーの体勢は、相変わらずのままだ。
やや赤面したハレッシュは、咳払いをしてから言う。
「俺は、自警団の一員として、このあたりをパトロールしていただけだ。それにしても、おまえら・・・」
「あ、あたしたちは、アイテムを採取に来ただけよ。・・・そのぉ、夜にしか採れない、特別な材料があって。あははは」
マリーが口からでまかせを言う。このあたりは、いつもイングリド先生に言い訳することで、鍛えられているのだろう。
しかし、ハレッシュはしらっとした表情で、ランプを振って見せた。
「ふうん、そうかい。じゃ、そういうことにしといてやるよ。それにしても・・・」
肩をすくめ、ため息をつく。
「なかなか大胆だな、おまえら。羨ましいよ。あ〜あ、俺もいつか、フレアさんと・・・」
「おい! ちょっと待て!」
だが、ハレッシュはくるりと背を向け、歩き去ってしまった。
頭にかあっと血が昇った。これは、完全に誤解されてしまった。
確かに、誤解されるのも無理はない状況にあったが、それにしても、まずい。
夕刻のハドソン夫人といい、今のハレッシュといい、よくよく今夜の俺は、他人から誤解される運命にあるのだろうか。
「あれぇ? ハレッシュ、どうしちゃったんだろう。なんか、様子が変だったね」
何もわかっていないマリーの、あっけらかんとした声が響いた。


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