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名探偵クライス 番外編

危険なお茶会:空白の章


「でもさあ・・・」
ピコがあらためていれてくれたお茶をすすりながら、マルローネが言った。
ドルニエは気絶寸前の状態だったので、『アルテナの水』を与え、とりあえずエリーのベッドに寝かせてある。
「もし、真犯人がもっと図太い人で、あの罠に引っかからず、解毒剤に手を出さなかったら、どうするつもりだったの?」
ヘルミーナもうなずいた。
「そうね、ふふふ。例えば、イングリドが犯人だったら、どうなっていたかしら?」
「ちょっと、どういう意味かしら?」
イングリドがじろりとにらむ。
「ふふふふ、気にしないで。ほめてるんだから」
「さあ、どうだか」
「その点に、ぬかりはありませんよ」
クライスは、気取った調子で眼鏡に触れ、すまして答えた。
「もちろん、念には念を入れて、もうひとつ手を打っておきましたからね」
「へ?」
「もうすぐ、証拠品が届くはずです」
「どういうこと?」
クライスは自信たっぷりに言う。
「関係者全員をお茶会に招待し、午後いっぱい、長々と話をしてこの場所に足止めしていたのは、なぜだと思っているのですか。伊達や酔狂ではないのですよ」
「へ?」
「みなさんの部屋を空っぽにしておくこと・・・。それが、このお茶会を開いたもうひとつの理由でもあったのです」
その言葉に応えるかのように、足音が聞こえ、小柄な人影が階段を駆け上がってきた。軽鎧に緑色のマント、紫に染めた髪を三つ編みにまとめた冒険者姿の若い女性だ。
「ナタリエ?」
マルローネがぽかんとしてつぶやく。
「待たせたね。家捜し完了、見つけたよ。これが、探してるっていう品物じゃないのかい?」
かつて怪盗デア・ヒメルの異名でザールブルグの夜を騒がせた元盗賊の冒険者ナタリエ・コーデリアは、にっこり笑って、片手に持った風変わりな黒いガラス瓶を振って見せた。
「びっくりしたね。言われたところをあっちこっち探したけれど見つからなくて、あんたの勘違いなんじゃないかと思い始めてたところさ。でもまさか、最後に探したアカデミーの校長室にあるとは思わなかったよ」
「クライス、あなた・・・」
イングリドが、怒っているというよりもあきれたような表情で見つめる。
「はい、イングリド先生のご想像通りです」
クライスはうなずいた。
「お茶会を始める前に、ナタリエさんにお願いして、問題のガラス瓶がないかどうか、関係者全員の部屋を調査してもらうようにしました」
「そんな――!? なんてことするのよ? 無断家宅侵入じゃない!?」
「本当です! レディの部屋を――」
マルローネとアイゼルがいきり立つ。しかしクライスは涼しい顔で、
「男性である私が女性の部屋に忍び込んで家捜ししたら、確かに問題でしょう。ですから、同じ女性のナタリエさんにお願いしたのです」
「そういう問題じゃないわよ!」
「ええと・・・。ぼくもそう思います」
ノルディスが複雑な表情で言う。
「安心しなよ、これはビジネスだからね。目的のもの以外には目もくれなかったよ」
ナタリエは罪のなさそうな笑顔で言う。
「でも・・・」
心配そうに目を伏せるアイゼルに、ナタリエは言った。
「大丈夫だよ、あんたの日記なんて、見てないから」
そのとたん、アイゼルの顔が真っ赤に染まった。あわてて、とりつくろうようにお茶をすすったが、派手にむせてしまう。
ヘルミーナがつかつかとナタリエに歩み寄り、黒いガラス瓶をひったくった。口の部分の封印をじっくりと観察して状態を確かめると、満足げに笑みを浮かべる。
「ふふふふ、どうやら開けられてはいないようだね」
目の前に差し上げ、勝ち誇ったように振って見せた。
マルローネもエリーも、落ち着きを取り戻したアイゼルも、まだ青ざめた顔をしているノルディスも、きょとんと目を見開いたルイーゼも、魅入られたように真っ黒なガラス瓶を見つめた。
イングリドがいぶかしげに言う。
「でも、どう見てもただのガラス瓶にしか見えないわね。どこが『究極の錬金術アイテム』だというのかしら?」
「うん、あたしも腑に落ちないんだよ。クライスに話を聞いていたもので、どんな金目のものが入っているんだろうと思ってたんだけど――」
ナタリエが腕組みをして言った。
「あたしの勘では、その瓶の中は空っぽだね」
「ええっ!?」
マルローネが目を丸くする。
「そんなはずないわよ! 『究極の錬金術アイテム』なんだもん! まさか、ナタリエ、欲に目がくらんで――」
叫ぶと、ローブの裾に手を突っ込んだ。そこには爆弾や物騒な魔法アイテムを収めたいくつもの隠しポケットがある。
「ま、待ってよ、あたしはアカデミーの校長室で見つけて、持って来ただけだよ。『生きてるナワ』はもう勘弁してよ!」
「お待ちなさい!」
イングリドがマルローネを止める。
ヘルミーナは楽しそうな笑みを浮かべている。
「ふふふふ、そこの盗人さん、なかなかいい勘をしているね」
「怪盗だよ。そこいらのけちくさい盗人と一緒にしないでくれ。それに、元・怪盗なんだからね」
ナタリエは不満そうだ。
「でも、腕は現役じゃないの」
アイゼルが眉をひそめ、エリーにささやきかける。
ヘルミーナは平然と言った。
「確かに、あなたの言うとおり、この瓶の中には、何も入っていないわ」
「何ですって!?」
イングリドが大声をあげた。
「それじゃあ、ヘルミーナ先生、最初から嘘を言っていたんですか?」
アイゼルがくちびるを震わせる。
「どういうことなのかしら? この事件そのものが、最初から茶番だったというわけ?」
イングリドの瞳に剣呑な光が宿っている。マルローネがびくりと震えた。自分に向けられたものでなくても、師の迫力にはついおびえてしまう。
「イングリド、何を凄んでいるのかしら? あたしは嘘なんか言っちゃいないよ。これこそ、無から有を創り出すという錬金術の本質から導き出される、錬金術の逆説的帰結なのさ。何回も言っているだろうにねえ。ふふふ、あなたのレベルでは、理解できなくても仕方ないかも知れないけれどね」
ヘルミーナは自信たっぷりにイングリドの視線をはね返す。
「無から有・・・。錬金術の逆説的帰結・・・」
つぶやいたイングリドの目に、別の光が宿った。
「――!! ヘルミーナ、あなた、まさか!?」
ヘルミーナの手が無造作にぶら下げた、黒いガラス瓶を凝視する。
「ふふふふ、さすがはイングリド。理解したようだね」
「どういうことなんですか、イングリド先生?」
エリーが尋ねる。
「あたし、全然わかんないよ」
「何も入っていない瓶が、究極の錬金術アイテムだなんて・・・」
マルローネはさじを投げ、アイゼルも眉をひそめている。クライスも腕組みをし、険しい表情で考えにふけっていた。
「ヘルミーナは、『無』を創り出したのよ」
イングリドがぽつりと言った。
「へ?」
「どういうこと?」
イングリドは壁際に歩み寄り、棚から中身が空のガラス瓶を手に取った。
「マルローネ、この瓶には、何が入っていますか?」
「へ? 何も入っていませんよ。空っぽじゃないですか」
「いや、違います」
窓辺にもたれたクライスが、鋭い声で言う。
「あ、そうか」
エリーが声をあげた。
「その瓶には空気が入っていますね。目には見えないですけど」
アイゼルも答える。
「あ、そうか、そうだよね、えへへ」
マルローネは頭をかいて照れ笑いしたが、すぐに真顔になる。
「それじゃ、ヘルミーナ先生の瓶の中には?」
「空気すら入っていないのですね。それは『真空』と呼ばれるものです」
ルイーゼが、いつになくはっきりとした口調で言った。
「ふふふふ、よく知ってるじゃないか、ルイーゼ」
「はい、以前に読んだ本に書いてありましたから・・・。でも――」
上目遣いに思いをめぐらし、
「その本には、『真空』は理論的なものでしかないとも書いてありました。『真空』は本当に存在したのですね。素晴らしいですわ・・・」
ルイーゼは夢見るようにうっとりとつぶやいた。
「ぼくたちは、錬金術は無から有を創り出すものだと教わってきました。でも、無を創り出すということは、思いもつきませんでした」
ノルディスが目を輝かせて言う。興奮して、元気を取り戻したようだ。
「逆の意味で錬金術を突き詰めれば、何も存在しないまったくの『無』を創り出すというのは、ひとつの究極の姿なのかも知れませんね」
クライスもつぶやく。不思議な感動が、心に沸き起こっていた。
「わたし、錬金術をやっていて良かったです」
アイゼルが感無量のおももちで言った。
「わたしも!」
エリーが力強くうなずく。
「すごいです、ヘルミーナ先生!」
叫んだマルローネだったが、ふと真顔に戻ると尋ねた。
「ところで、『真空』って、何の役に立つんですか?」
一瞬、部屋はしんと静まり返った。
誰もが興味しんしんでヘルミーナの顔を見つめる。イングリドも真顔で、
「そうね、『これがあれば世界征服も夢じゃない』と言っていたそうですものね」
「そ、それは――」
珍しくヘルミーナが口ごもった。
瓶をテーブルに置き、腕組みをして、窓の外の闇を見つめる。
しばらくして、ヘルミーナは微笑みながら振り返った。
「ふふふふ、あたしは『無』を創り出した。それだけで充分だよ。どう人々のために役立てるか、それを考える役目は、あなたたち若い世代に譲ることにするわ。期待しているからね、ふふふふ」
ちらりとイングリドを見やる。
(余計なことを言うんじゃないよ)
(うまくごまかしたわね、ほほほほ)
互いの手の内を知り尽くしているアカデミーの“竜虎”は、心で会話を交わした。
「よぉし! それじゃ、みんなで考えよう!!」
マルローネが張り切って叫ぶ。
お茶会は、まだまだ続きそうだった。

<おわり>


○にのあとがき>

お待たせしました。当初の想定の4倍くらい長くなってしまいましたが(汗)、「名探偵クライス番外編:危険なお茶会」ようやく完結です。
このお話は、もともとあるふぁさん主宰の「クラマリアンソロジー」への掲載作品の候補として考えたものでした。「名探偵クライス」ものの番外編をということで2編をネタ出しして、結局はもう一方の(短くて、書くのが楽だった、とも言う(^^;)「狙われたマリー」をアンソロジーに書いたわけです。

さて、この「危険なお茶会」は、第3章の末尾で注釈を加えたとおり、アメリカのサスペンス作家ウィリアム・アイリッシュ(別名コーネル・ウールリッチ)の短篇「晩餐後の物語」の翻案です。事件の関係者を招待して、真犯人を暴くという仕掛けの部分ですね。このシチュエーションは非常に魅力的で、日本のテレビドラマやアニメでも何度か使われているのを見た記憶もあり、一度は使ってみたいと思っていました。
どうやらルイーゼさんは、元ネタの小説を読んだことがあったようですね。だからああいうセリフが出たのでしょう(笑)。元ネタ「晩餐後の物語」は実に面白いので、機会があったら是非読んでみてください(余談ですが、アイリッシュの短篇の最高傑作は短編集3巻所収の「じっと見ている目」だと思います。これは泣けますよ〜。ちなみに長篇なら「幻の女」よりも「暁の死線」を推します)。

さて、最近キリ番を申告してくださる方がいなかったことから、第2章を掲載した時点で小説リク権争奪犯人当てクイズを突発的に実施させていただきました。期間中にご参加いただいた方は6名。しかも、そのうち4名様がズバリ真犯人を指摘されました(汗)。さりげな〜く記しておいた真犯人の犯行の機会を暗示する伏線や、動機(?)までしっかり押さえた推理を展開してくださった方もいて、みなさんの鋭さに脱帽でした(笑)。
リク権当選者の発表は、少しお待ちくださいね。

もうひとつの焦点は、ヘルミーナさんの『究極の錬金術アイテム』でしょう。当初の構想では、盗まれるのはただの『エリキシル剤』だったのですが、それでは面白くないと思い、ふっと浮かんだアイディアをうまく膨らませて、あの『究極アイテム』が生まれました。
犯人当てクイズへの回答で、「ブラックホールですか?」というコメントもあり、その手もあったかと思いましたが、どうやって創るんだそんなもん(笑)。あ、でも「マリエリアニス」には『虚無の穴』というアイテムがありましたな。

第3章の、危険なお茶会となったところでの各自の反応を考えるのが楽しかったです。可哀想なノルと、大物ぶりを発揮したルイーゼさん(わかってないだけ?)が注目どころでしょうか。
とにかく、楽しんでいただければ嬉しいです〜。


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