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Eの秘密 Vol.2


第2章 回想:エンデルク少年

その少年は、太く節くれだった古木の幹にぴったりと身体を寄せ、剣を握りしめて前方の繁みをうかがっていた。
背中に掛けた矢筒には、弾力のある若木の枝で作った弓と、鋭い黒曜石の矢尻をつけた矢が何本か入っている。どれも彼の手製だ。
まだあどけなさが残る中にも、一人前の冒険者が持つしたたかな表情をたたえたその少年の名はエンデルク・ヤード。15歳になったばかりである。


エンデルクは北方の国の出身だった。漆黒の髪と瞳がそれを示している。
彼が10歳の時、戦乱が故郷の村を襲った。どこで、いつ、何のために始まった戦なのかさえ知らされていなかった片田舎の寒村を、荒くれた戦士や傭兵の集団が蹂躪した。裏山に遊びに行っていたエンデルクだけが、幸運な偶然で難を逃れることができた。
しかし、それは彼にとって幸せだったのだろうか。
彼が村に戻って来た時、両親も隣人も、家畜さえ、生きているものは何も残されてはいなかった。
焼き払われ、略奪の限りを尽くされた村を出たエンデルクは、ただの浮浪少年だった。
街道沿いをさまよい、時には畑の作物を盗み、すりや引ったくりも覚えた。こうして彼は独りで生きる術を身に付けながら、少しずつ、南へと進んでいった。

しかし、12歳の時、ある町でエンデルクの悪運も尽きたようだった。
とある商店に忍び込んで盗みをはたらこうとしたエンデルクは、自警団に捕まり、拷問にかけられそうになった。捕まる時に短剣で抵抗し、はずみとはいえ自警団のひとりに大けがを負わせてしまったこともまずかった。町の人々は私刑を要求し、彼は町の中央広場に引き出された。そのままでいたら、彼は住民たちから石つぶてを投げつけられて殺されていたかもしれない。
それを止め、少年の身柄を引き取ってくれたのは、偶然町を通りかかったひとりの冒険者だった。
もう男の盛りを過ぎ、老境に入りつつあったその冒険者は、傷つきねじくれていたエンデルクの心を鍛え直すことに力を注ぎ、旅を続ける中で、エンデルクは徐々に立ち直り、正義感あふれる少年に変わっていった。
そうなると、老冒険者は今度は自分が持っている剣の技と生きる術のすべてをエンデルクに伝授しはじめた。

そうして3年が過ぎ、ふたりの冒険者はシグザール王国の北部辺境に入り込んでいた。
山頂から火と煙を噴き上げている、赤い岩肌をした険しい山を登っていた時、ふたりは巨大な火竜に襲われた。
立ち向かおうとしたが、真っ赤な口から紅蓮の焔を吹き出す魔物が相手では、勝ち目はない。エンデルクをかばって逃がそうとした老冒険者は、火竜の前肢の一撃をくらい、瀕死の深手を負ってしまう。
ようやく逃げ延びた岩棚の陰で、少年エンデルクに新たな人生を与えてくれた恩人は息を引き取った。
「ザールブルグへ行け・・・」
というひとことを遺して。

その遺言を守り、シグザール王国の都であるザールブルグに向かおうとしたエンデルクは、危険なヴィラント山を迂回するコースをとった。いつかはあの火竜を仕留めて恩人の仇を討つのだという決意を胸に秘めて・・・。
ヴィラント山の東側には、うっそうとした大森林が広がっている。エンデルクは恐れるふうもなく、まっすぐ森に足を踏み入れた。狼や蛇女がうろつきまわる森ではあったが、長い冒険の旅の中で研ぎ澄まされた勘と剣技を以ってすれば、どうということもなかった。夜になれば大木によじ登り、ベルトで身体をこずえに縛りつけて眠った。
2日が過ぎ、エンデルクは次第に森の中心部へと近付いていった。
そして、3日目も夕方に近付いた頃・・・。
薮をくぐったエンデルクは、思わず身震いし、木の幹にしがみついた。
今までに経験したこともないような強烈な殺気が前方から漂ってきたのだ。
こうして、物語は冒頭のシーンに戻る。


相変わらず、エンデルクの肌には鳥肌が立ち、冷たい汗が額から頬へしたたり落ちる。
どうすべきか?
生物としての本能は、一目散に逃げ出せ、とエンデルクに告げている。
だが、冒険者としての血は、それと逆のことを求めていた。
もちろん、殺気はエンデルクに向けられたものではない。ただ、この折り重なる薮の向こうで、なにか恐ろしいことが起ころうとしているのだ。
今なら、背を向けて逃げ出すことは簡単だ。しかし、逃げ出したところで、エンデルクの強靭な心にこれだけの恐慌を引き起こした未知の危険が消えてなくなるわけではない。
別の時、この森の別の場所で、その危険が今度はエンデルクに襲いかかってくるかも知れないのだ。
少なくとも、危険の正体は確かめるべきだ。
そう決心したエンデルクは、老冒険者の形見でもある長剣を握り直すと、古木の傍らを離れ、音を立てないようにそろそろと薮の中を進みはじめた。

進むにつれ、殺気はどんどん強まってくる。
だが、覚悟を決めたエンデルクはためらいも見せず、しかし注意を研ぎ澄ませて、着実な足取りで正体不明の危険に向かって進んで行った。
徐々に地面が下り勾配になってくる。そして、しばらく進むと、薮が切れ、そこから先の地面は急勾配の崖となって切れ落ちている。下は、かなりの広さを持った円形の窪地になっており、柔らかそうな草に覆われた空き地の中央には、どこか神秘的な雰囲気を漂わせた巨大な木が大きく枝を広げている。
その巨木の傍らに、殺気の源はあった。

エンデルクは息をのみ、眼下の光景を見つめる。
そこでは、命を賭けた戦いが行われているようだった。
ようだった・・・というのは、そこでは剣や戦斧、槍や弓矢といった人間が使う戦いの道具が一切使われていなかったからだ。
巨木を背にして立つひとりの人影を、半円形に取り囲むように6、7人の長身の姿が見える。どうやら、ひとりを大勢で襲っているらしい。取り囲んでいる連中は、いずれもくすんだ深緑色の短ズボンとチュニックを身に付け、同じ色の帽子をかぶっている。肌も髪も浅黒く、女性のように長く伸びた髪の中から鋭くとがった耳が突き出ているのが見える。
そして、かれらは次々と右手を天に向けて何やら呪文のようなものをつぶやくと、それを振り下ろす。と同時に、何もなかった空中に青白い光球が生じ、巨木に向かって飛んでいく。

「エルフか・・・」
エンデルクが口の中でつぶやく。
人里離れた土地には、エルフは珍しくない。一般的には好戦的でずる賢く、道に迷った旅人などを集団で襲うという。弓矢も得意だが、それ以上に不思議な魔法の力で攻撃してくることが多い。
一方、襲われている方については、人のようだということの他は、よくわからない。というのも、虹色に輝く半透明の壁のようなものに包まれているからだ。エルフが投げつける光球は、この壁にぶつかり、弾けては消える。
壁の中にいる人物は、魔法の力で作った壁で、エルフの魔法攻撃をはね返しているのだ。そうして身を守るのが精一杯で、やり返すこともできないでいるらしい。
ところが、その魔法の壁が、だんだんと弱まっていくようだ。
光球の攻撃を受けるたびに、虹色の壁は揺らぎ、光は薄れ、縮まっていくように見える。
それに従い、中に隠れる人影がはっきりと見えてくる。
「・・・・・・!!」
エンデルクは息をのんだ。

エルフに襲われていたのは、女性だったのだ。
かなりの長身で、服装も動きやすさを優先したのか、エルフと同じようなチュニックと短ズボン姿だ。帽子はかぶっておらず、流れるような金髪が、ほっそりした背中にかかっている。もはや運命を受け入れる気になってしまったのか、敵に背を向け、巨木の幹にしがみつくようにもたれかかっている。
(どうしよう!? 助けないと!!)
エンデルクは自問した。
すぐにでも助けに飛び出していきたい。だが、ここでやみくもに出て行っても、不意を襲って倒せるのは2人か3人。後は多勢に無勢で、エンデルク自身もやられてしまうだろう。

エンデルクは心を落ち着けて、亡き師から教わった「戦士の心得」を思い出してみた。
(そうか!)
ひとつの教えが、心によみがえってくる。
『少ない人数で大勢を相手にする時はな、坊主、まず相手の親玉か、いちばん強い奴をぶっ倒すんだ。そうすりゃ、後は総崩れさ・・・』
もう一度、注意深く、戦いの場を見下ろす。

よく観察すると、もっとも手強い敵がどれかは、すぐわかった。
ほぼ正面に位置している、背は比較的低いががっしりした体つきをしたエルフだ。
このエルフが投げる光球がもっとも威力があるらしく、他のエルフが投げた光球に比べて魔法の壁に大きなダメージを与えているようだ。
「よし・・・」
心を決めたエンデルクは、そっと背の矢筒を探る。
音を立てないようにそっと手製の弓を取り出すと、矢の本数を数える。
矢は3本。敵は7人。
「ふ・・。運が良くても、五分五分ってところか・・・」
15歳とは思えないシニカルな口調でつぶやき、口許に不敵な微笑を浮かべたエンデルクは、巨木が射線に入らないようにわずかに位置を変え、弓に第1の矢をつがえる。

ここから先は、集中力とタイミングの勝負だ。
弓を引き絞り、敵の頭目と思われるエルフに狙いを定める。
今しも、そのエルフはしゃがれた声を張り上げ、弱まった魔法の防壁に最後の一斉攻撃を命じているところだった。
エルフの頭目が天を見上げ、両手を差し上げる。何もない空中から、大気の力がその手先に集まってくるのが感じられる。あの手が振り下ろされたら・・・。
(今だ!!)
気合をこめ、エンデルクは矢を放った。
軽いうなりを上げて一直線に飛んだ矢は、狙い通り、正確にエルフの首を射抜いた。
エルフの頭目は一瞬、凍り付いたように立ち尽くした。ゆっくりと両手が下がり、そのまま朽ち木が倒れるように地面にくずおれる。

仲間がそれに気付く間もあらばこそ・・・。
たて続けにエンデルクが放った2本の矢が、あとふたりのエルフの急所に突き刺さる。
あと4人。
ようやく我に返ったエルフが背後の森を振り返った時には、弓を投げ捨て斜面を駆け下りたエンデルクが、長剣を振りかざして迫っていた。
直接に魔法の戦いを経験したことはなかったが、魔法で攻撃するには一定の精神集中が必要になることをエンデルクは知っていた。そこで、不意をつき迅速に行動して、敵に魔法で攻撃する余裕を与えない作戦を、エンデルクは選んだのだ。
一番手前のエルフの胴をなぎ払い、その勢いのまま次のエルフの胸板を長剣で貫く。

残るはふたり。
だが、そのふたりはエンデルクからもっとも遠い側にいた。
倒れたエルフから剣を引き抜いたエンデルクを、青い光球が襲う。
身をかわすが、よけきれない。
ふたつめの光球が、エンデルクの左肩をかすめる。
「うあっ!!」
雷に撃たれたかのように左肩がしびれ、痛みが半身に広がる。思わず剣を取り落としそうになり、なんとか意志の力を集めて握り直す。

次に飛んできた光球をよけられたのは、いうことをきかない左足のために転んでしまったおかげだった。
それでもエンデルクは剣を杖に立ち上がり、敵に向かって進んで行こうとする。
飛び道具がない今、離れて戦っていたのでは勝ち目はない。いちかばちか、接近戦に持ち込まなければ、生き残る道はない。
生き残ったふたりのエルフは、相手がエンデルクひとりと見て、ずる賢そうな顔をせせら笑うようにゆがめ、魔法攻撃の準備にかかる。
あと10歩。
だが、左足を引きずったエンデルクでは、次の攻撃までに敵のもとにたどり着けそうにない。

「くそ、だめか・・・」
エンデルクが唇をかみしめた時だ。
「伏せて!!」
左後方から、凛とした声が響く。
思わず身を伏せたエンデルクの上を、なにか熱いかたまりが通りすぎて行ったかと思うと、前方から悲鳴があがる。
顔を上げると、残ったふたりのエルフが、真っ赤な炎に包まれていた。
エンデルクは、夢でもみているかのように、その光景を呆然と見つめる。
顔や胸をかきむしるように苦しんでいたエルフは、やがて枯れ枝のように燃えつき、焼けこげた草むらに灰の一山となって残るばかりになった。
荒い息をはきながら、エンデルクが剣を支えに立ち上がる。よろけそうになったエンデルクの背を、ほっそりした腕が支えた。
「大丈夫?」
優しげな女性の声が、エンデルクの耳をくすぐる。

振り向くエンデルクの目に、金髪に彩られた抜けるような白い肌、鳶色の瞳とピンク色をしたくちびるが飛び込んできた。つい先ほどまで生命の危機にさらされていたはずなのに、口許には微笑すら浮かべている。
冒険の旅を続ける中で、普通の15歳の少年とは比べ物にならない人生経験を積んできたエンデルクだが、このように美しい女性の顔を間近にしたことはない。なにかしゃべらなければ・・・と思うのだが、言葉のかけらひとつ浮かんで来ず、ただ相手の瞳を見つめたまま口をぱくぱくさせるばかりだった。
相手は、エンデルクの無遠慮な凝視に悪びれたふうもなく、落ち着いた声で語り掛ける。
「ありがとう。あなたのおかげよ。あなたが注意を引きつけてくれたおかげで、わたしはマジックウォールを解き、ファイアボールを呼び出す余裕ができた・・・。今回の相手は、手強かったわ。あなたが来てくれなかったら・・・。!・・・あら、あなた、けがをしているじゃない」
エルフの魔法の光球を受けたエンデルクの左肩は、皮製の肩当てが焼け焦げ、その下の皮膚も火ぶくれができていた。動かそうとすると、激痛が走る。
エンデルクも、思わずうめいた。

「手当てしなくちゃ・・・。さあ、こっちへ来て」
その女性が巨木の前で手をひと振りすると、大人5、6人でようやく抱えられるような太い幹に、いきなりぽっかりと穴が空いた。見る間にその穴は人が立って通れるくらいの大きさに広がり、エンデルクは導かれるままにその中に足を踏み入れる。
「大丈夫、心配いらないわ。邪悪な魔法ははたらいていないから」
エンデルクを安心させるように、女性が言う。
「さ、そこに横になって」
驚いたことに、そこはぼんやりとした柔らかな白い光に照らされた部屋になっていた。床には敷物が敷かれ、壁際にはベッドまで置いてある。
エンデルクは、右半身を下にベッドに横たわった。白い繊細な手が焼けこげたエンデルクの皮鎧の紐を解き、やけどを負った肩をむき出しにする。

布で汚れを拭き取りながら、不思議な力を持った女性があらたまった口調で尋ねる。
「戦士よ。あなたの名は?」
「あ、ああ・・・エンデルク。エンデルク・ヤード」
いったん口を切ったエンデルクは、ごくりと唾を飲み込み、おずおずと尋ねる。
「あの・・・あなたは?」
手を休めず、相手は言う。
「わたしの名はルミエール。またの名、『森の守護者』・・・」
「ルミエール・・・」
エンデルクはかみ締めるようにその名をつぶやく。今まで聞いたことのない、甘美な響きがする。
ルミエールはエンデルクの反応に構わず、どこからか取り出してきた塗り薬を丁寧にやけどに塗りつける。清潔そうな薄い布でエンデルクの左肩を包むと、ぽん、と軽く叩いた。
「さ、終わりよ。起きてもいいわ。若いんだし、そっとしておけばすぐに治ると思う」
「あ、ありがとう」
身を起こしてベッドに腰掛けたまま、エンデルクはぴょこんと頭を下げる。戦士の表情は消え、ただの15歳の少年の顔に戻っていた。

ルミエールはひざまずき、その手を取る。
「こちらこそ、あらためてお礼を言うわ。あなたは、わたしを救ってくれたばかりではない。このメディアの森そのものを救ってくれたんですもの」
エンデルクはきょとんとする。相手の言うことが、よく理解できない。
少年の表情を見て、ルミエールは輝くような笑みを浮かべる。
「ふふふ、そうね、最初から説明しないと、わからないかも知れないわね」
ルミエールはエンデルクの手を放すと、つと立って、
「こちらへいらっしゃい。お茶でも飲みながら説明するわ。わたしたち『森の守護者』のさだめを・・・。それから、あなたのことも教えてほしい」
テーブルの方へ向かうルミエールのすらりとした白い脚に見とれつつ、エンデルクは後に続く。
薬効成分も含まれているという香り高いお茶をすすりながら、小さなテーブル越しに向かい合ってふたりは椅子に掛け、語り合った。
先にエンデルクが、問われるままにこれまでの生い立ちと冒険の旅について話した。テーブルに頬杖を突き、興味深そうに何度もうなずきながら、ルミエールは聞いている。

次は、ルミエールが話す番だった。わずかに小首をかしげるようにしながら、鈴の音のような澄んだ声で、ルミエールは語りはじめる。
「そう・・・。まず、この古木のことから話しましょうか。この木は『妖精の木』と呼ばれているの。古い森には、その中心に必ず『妖精の木』が根を張っていて、森の動物や木々を護っているわ。人間たちもそれを真似て、城下町や村の中央広場などに『妖精の木』と呼ばれる木を植えたりしているわね。『妖精の木』が元気でいる限り、その森は健康で、生命の息吹にあふれているものなの。このメディアの森のようにね。
けれど、当り前のことですけれど、『妖精の木』は邪悪な存在から自分自身を護ることはできない・・・。だから、わたしのような、森を害そうとする存在から『妖精の木』を守護する者が必要になってくるの。邪悪な存在というのは、さっき襲ってきたブラックエルフみたいな連中のことよ」
ルミエールは言葉を切り、カップのお茶をひとくちすする。エンデルクは身じろぎもせずに耳を傾けている。
「もともと、エルフという種族は、森から生まれ、森と共存して暮らしてきた平和な種族でした。でも、いつの頃からか、魔界の血がエルフにも入り込んで来て、森の生き物を勝手気ままに殺したり森そのものを破壊しようと考える邪な種族が生まれてきてしまったの。それが、ブラックエルフやダークエルフと呼ばれる種族よ。かれらは今やエルフの主流になっていて、あなたのような冒険者も、エルフと聞くと人間に害をなす危険な生き物だと思うようになってしまったの。でも、さっきも言ったように、本来のエルフは、森を愛し森を護って生きる存在なのです。そして・・・」
吸い込まれるような神秘的な光を宿した瞳が、エンデルクの目を真正面から見つめる。
「『森の守護者』であるホワイトエルフの血筋は、今や絶えようとしているわ。もしかしたら、わたしが最後のひとりなのかも知れない・・・」

エンデルクは、この最後の言葉に愕然とした。自分の目の前にいる女性はホワイトエルフ・・・人間ではないのだ。言われてみれば、あの戦いの時に見せた人間ばなれした魔力や、今ふたりがいる現実とは思えないような場所についても説明がつく。しかし、エルフの特徴とされている釣り上がった目やとがった耳は、ルミエールの容貌からは感じられない。
それらの思いを読み取ったかのように、ルミエールは微笑んで、
「びっくりさせてしまったようね。わたしは純粋なホワイトエルフではないの。わたしはハーフエルフなのよ。先代のメディアの森の守護者、つまりわたしの母親は、純血のホワイトエルフだった・・・。でも父親は、人間の戦士だったのよ。
知っているかどうかわからないけれど、エルフは母系制社会なの。『森の守護者』の役目も、母親から娘へと受け継がれるのです。わたしの母は、『森の守護者』の血を残すために、エルフに理解と共感を示してくれた人間と契りを結びました。そうしてわたしが生まれ、わたしは180年に渡って、『森の守護者』としてメディアの森を護ってきたの。
・・・あら、何を驚いた顔をしているの? 純血のエルフの寿命は400歳なのよ。わたしはハーフエルフだから、その半分も生きられないけれど・・・」

ここまで話したルミエールは、つと手を伸ばし、エンデルクの両手を握る。
「戦士エンデルクよ・・・。わたしの寿命も、この先そう長くはありません。『森の守護者』がいなくなれば、『妖精の木』も枯れ、メディアの森は荒れ果ててしまうでしょう。それは、仕方がないことなのかも知れない・・・。
けれど、『森の守護者』の血そのものまで絶やすわけにはいかないのです。あなたは今日、わたしの生命を救ってくれました。それと同じように、『森の守護者』の血筋を生き長らえさせるために、力を貸していただきたいのです。その代わりに、わずかですが、力と幸運を差し上げましょう。これから、ザールブルグの都へ行き、戦士として身を立てて行くために役に立つはずです」
先ほどの塗り薬が効きはじめたのか、あるいはお茶を飲んで心が落ち着いてきたためなのか、エンデルクは驚きながらも意外なほど平静にルミエールの言葉を聞いていた。いや、本当のところは、少年エンデルクには、ルミエールが求めていることが充分に理解できていなかっただけなのかも知れない。
だが、少なくともエンデルクは、この神秘的な女性に心を奪われ、自分にできることは何でもしてあげようと決心していた。

「わ、わかりました・・・。でも、俺は何をすれば・・・?」
かすれた声でエンデルクが尋ねる。ルミエールは女神のように微笑んで、
「心配することはないわ。わたしが導きます。さあ、こちらへいらっしゃい・・・」
少年の手を取り、立ち上がる。
ルミエールが空いている左手を一振りすると、それまで明るかった室内が暗くなり、カーテン越しに差し込む月明りと同じ程度の薄闇に包まれる。


それ以降の出来事について、秩序立った記憶はエンデルクには無い。
熱にうかされたような、夢の中の出来事のような記憶の断片がいくつか、残されているばかりだ。

そのひとつ・・・。
気だるく心地よい疲労感にひたりながら、エンデルクはルミエールの流れるような金髪をかきわけ、むき出しになった陶器のように白い背中を、指先でなぞる。
左の肩甲骨の下あたり、やや背骨に近い場所に、指先ほどの大きさの青い痣を見つける。それは、ペンで描いたかのように均整の取れた五芒星の形をしており、薄闇の中でほのかな光を放っているかのように見える。
「その痣はね・・・。『森の守護者』の正統な後継者である証しなの。わたしたちは生まれた時から、身体のどこかにこのしるしが付いているのよ・・・」
優しく包み込むようなルミエールの声が、エンデルクの心にしみ込むようにして、消えて行く。

もうひとつ・・・。
そっと少年の額にくちづけした後、耳元でルミエールがささやく。
「エンデルクよ・・・。明日、陽が昇る前に、お別れしなければなりません。まっすぐ南へ向かえば、2日ほどでザールブルグに通じる街道にぶつかります・・・。あるいは、西のはずれに、森に面した小さな村があります。そこで休息し、都へ向かう旅支度を整え直すのもよいでしょう・・・。
あなたは、特別な星の下に生まれた戦士です・・・。あなたの活躍を心から祈ります・・・。エンデルクよ、わたしは、あなたのことを忘れない・・・」

それは、少年エンデルクにとって、青年へと成長して行く通過儀礼であったのだろう。
目覚めた時、エンデルクは妖精の木の根方に横たわっていた。陽は昇っており、大きく広がった妖精の木の葉叢がエンデルクを見守るかのように微風に揺れていた。
『森の守護者』ルミエールの気配はない。
だが、夢や幻でなかった証拠に、左肩にはハーフエルフの女性が結んでくれた包帯代わりの布が巻かれたままになっている。
エンデルクは、その日いちにち、ルミエールを求めて森の中を歩きまわった。しかし、もう一度会いたいという願いも空しく、すべては徒労に終わった。
ついに、エンデルクは自分の想いをぎこちなく綴った短い手紙を書くと、妖精の木のうろの中に残し、後ろ髪を引かれる思いを振り捨てて、真っ直ぐザールブルグに向かったのだった。

ザールブルグに着き、エンデルクは見習いとして王室騎士隊に入隊した。素性も定かでない冒険者上がりのエンデルクがめきめきと頭角を現わし、騎士隊長として『ザールブルグの剣聖』のふたつ名を戴くようになるのは、それから数年後のことである。


そして、遠くから呼びかけるエリーの声に、エンデルクは現実に戻ってくる。
「・・・エンデルク様、エンデルク様!! そろそろ目を覚ましてください。おいしいスープができましたよ。・・・だめですよ、ハレッシュさん、つまみ食いしちゃ。ピコも手を洗ってらっしゃい!」

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