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Eの秘密 Vol.3


第3章 ロブソン村の伝説

ザールブルグの秋も深まっていた。
ヘウレンの森の吸血鬼が退治されたという知らせが街を駆け巡ってから、ほぼ一ヶ月が経過していた。
街の噂によれば、吸血鬼を一撃のもとに倒したのは王室騎士隊長のエンデルク・ヤードだった。ヴィラント山の火竜フランプファイルに続いて、国民を悩ます魔物を見事に退治したとあって、エンデルクの名声はいやが上にも高まっていた。
事の真相を知るのは本人の他にはふたりだけだったが、ハレッシュは口をつぐんでいたし、エリーは再び採取の旅に出かけていた。


そんなある日のこと。
「アイゼル、ちょっとお待ちなさい」
1日の授業が終わり、教室を出ようとしたアイゼルは、師のヘルミーナに呼び止められた。
「はい、何でしょう、先生」
アイゼルは立ち止まる。
ヘルミーナは軽く腕組みをし、口許に意味ありげな微笑を浮かべて、教壇の上からアイゼルを見下ろしている。

アカデミーの学生たちからは『黒魔術を操る』だの『魔女の血を引いている』だのと噂され、敬遠されがちなヘルミーナではあったが、錬金術師としての実力はアカデミーでも1、2を争う。エリーの師であるイングリドとは、ケントニス・アカデミーの生徒だった頃からのライバルで、ふたりは『アカデミーの竜虎』と並び称されている。
だが、アイゼルは、自分がマイスターランクに進む前のある事件を通じて、師の冷たい表情の下には人を思いやる暖かい心が隠されていることを知っていた。
「今、少し時間はあるかしら」
「はい、大丈夫ですけれど」
また秘密の実験結果について意見を求められるか、魔術書の翻訳を手伝わされるのだろう、とアイゼルは思った。
しかし、師の言葉は意外なものだった。
「そう、それじゃ、これからわたしと一緒に校長室へ来てちょうだい。頼みたいことがあるのよ。ふふふふ・・・」

師の後について廊下を歩きながら、アイゼルはいろいろと思案したが、これから何が起ころうとしているのか、見当もつかなかった。
研究棟から事務棟へ繋がる渡り廊下に出るところで、反対側の階段を下りてきたふたり連れとぶつかる。
「あ、アイゼル」
意外そうに声をかけたのは、同期生でマイスターランク主席のノルディス・フーバーだった。アイゼルと同じように、彼の師であるイングリドと連れ立っている。
イングリドとヘルミーナは、つと立ち止まると、にらみ合うように視線を合わせていたが、どちらからともなくうなずき合い、並んで歩を進める。
「どうしたんだい、アイゼル」
ノルディスが声をひそめてささやく。
「それが、よくわからないのよ。ただ、一緒に校長室へ来なさい・・・と言われただけなんですもの」
「本当かい? 実は、ぼくもなんだよ。急にイングリド先生に呼ばれて・・・」
「まあ、ノルディスもなの? ふたり揃ってなんて、どういうことなのかしら?」
「そうだね、卒業試験の話にしてはまだ時期が早いし、わからないな」
ノルディスとアイゼルは歩きながら顔を見合わせ、首をひねった。それを察したのか、イングリドが振り返って言う。
「来ればわかります。黙ってお歩きなさい」
ヘルミーナも続ける。
「そう。事と次第によっては、面白いことになるかも知れないわよ。ふふふふふ」

事務棟の階段を上り、2階の廊下を奥まで行くと、突き当たりがアカデミーの校長ドルニエの執務室になっている。
イングリドがドアを軽くノックし、返事を待たずに引き開ける。
うながされて中へ入ったノルディスとアイゼルを、校長のドルニエが迎える。
「おお、良く来てくれた。さ、かけたまえ。・・・これで、全員揃ったのかな?」
「はい、校長」
イングリドが答え、窓の方に目をやる。
その視線の先には、聖騎士の鎧に身を固め、マントをはおった大きな人影。
窓辺で外を見やっていた聖騎士が振り返る。

「あ、エンデルク様・・・」
アイゼルが思わずつぶやく。
エンデルクは、いつも通りの重々しい調子で口を開く。
「君たちか・・・。偽デア・ヒメル事件の時には世話になったな・・・。実は、今回も力を貸してもらいたいのだ・・・」
「え? それでは、またなにか事件が起こったのですか?」
ノルディスが尋ねる。エンデルクは軽く首を振り、
「いや、厳密には、事件というような性質のことではない・・・。だが、ぜひ君たちに意見を聞かせてもらいたいのだ」
校長のドルニエが口をはさむ。
「いや、実はな、エンデルク隊長は、君たちの友人、エルフィール・トラウムのことで、アカデミーにいらしたんじゃよ」

「エリーのことですって?」
「エリーが何かしたんですか?」
思わず顔を見合わせるノルディスとアイゼル。
低いがよく通る声で、エンデルクが話しはじめる。
「ひと月前に、ヘウレンの森で吸血鬼フォン・シュテルンビルト伯爵が永遠の眠りに就いたことは、君たちも知っているだろう・・・。その戦いのさなかに、わたしは気付いたのだ。あのエリーという少女が、不思議な能力を持っていることに・・・」
この言葉を聞いたアイゼルのエメラルド色の目が、大きく見開かれる。思わずノルディスに身を寄せるが、同じように驚いていたノルディスは、それに気が付かない。
ふたりが来る前に同じ話を聞いていたイングリドとヘルミーナは、表情を変えずに黙って耳を傾けている。

エンデルクは続ける。
「あの吸血鬼は、魔力を持っていた・・・。その目を見た者の身体の自由を奪い、おのれの思うがままに操る能力だ・・・。現に、一緒にいたハレッシュは、それにやられている。・・・しかし、あの少女、エリーには、その魔力がまったく効かなかったのだ。
ふたりは目を合わせ、にらみ合っていた・・・。そして、目をそらしたのは吸血鬼の方だった。そればかりではない・・・。吸血鬼はわれわれの前から姿を消し、わたしでさえも、どこにいるのか見当もつかなかった。姿を隠し、人間の目をくらます・・・それもあの伯爵の魔力のひとつだ・・・。
ところが、エリーの目には、わたしには見えなかった吸血鬼の姿がはっきりと見えていたのだ。彼女の助言に従ったおかげで、わたしは伯爵の魂を安らげることができたのだ・・・」
エンデルクが言葉を切ると、部屋を沈黙がおおった。
しわぶきひとつ漏れぬ中で、みなそれぞれに今の話を理解しようとし、思いを巡らせていた。

最初に口を切ったのは、イングリドだった。
「この話を聞いて、思い出したのよ。いつかノルディスが話していたことを・・・。エルフィールは妖精を何人も雇っているけれど、普通の人間には同じ顔に見える妖精を、ちゃんと見分けることができるらしいわね」
ヘルミーナが続ける。
「アイゼルも、あの娘の工房に行ってきた時に、同じようなことを言っていたわね。なんで妖精の見分けがつくのか、気持ちが悪いって・・・」
「あ・・・はい、言いましたけど、でも、あたし、そんなつもりで言ったんじゃ・・・」
くちごもるアイゼル。
「誤解しないでほしい・・・。騎士団としては、あの少女をどうこうしようという意図はない。ただ、謎を謎として放置しておくことができないだけなのだ・・・」
「ぼくも、エリーが妖精を見分けられることは、不思議に思っていました。でも、それはそれでいいじゃないですか。素敵な力だと思いますよ」
ノルディスが力強く言う。ヘルミーナが問い返す。
「その素敵な力の正体が何なのか、あなたは知りたくはない? マイスターランクの主席の座を守っているにしては、好奇心が足りないわね、ふふふ」
「でも、ヘルミーナ先生・・・」

「わたしの見立てでは、あの娘は『薄明眼』・・・トワイライト・アイの能力を持っているようね」
「え、何ですか、それ?」
ノルディスが叫ぶそばで、アイゼルが呆然とつぶやく。
「まさか、それって、人に不幸をもたらすという・・・」
ヘルミーナがぴしゃりとさえぎる。
「アイゼル! あなた、参考書の内容を間違えて覚えているようね。減点ものよ。あなたが言っているのは、『邪眼』すなわち視線を浴びた人が災難に遭うというイーブル・アイのことでしょう」
「そう、ヘルミーナが言ったトワイライト・アイというのはね、普通の人には見えないものが見える能力のことなのよ。例えば、人間に化けている魔物の本当の姿が見えるとかね」
イングリドが説明する。

「ただ、なぜエルフィールにそのような能力があるのか、わたしにも説明がつかないわ。そこで・・・」
ヘルミーナの言葉を受け、ドルニエがゆっくりと口を開く。
「どうも、学者というものは好奇心が強くてな、わしも、イングリドやヘルミーナも、謎を謎として放っておくことができない性分なんじゃ。そこで、この件について、アカデミーとして調査することになったのだよ」
「エルフィールは、今、採取に出かけているそうね」
イングリドが言う。ノルディスが答える。
「はい、東の台地に行くと言っていました。遠いから、ひと月は帰らないって」
「そう・・・。リハビリを兼ねて、ダグラスが護衛として付いて行っている・・・」
エンデルクが付け足す。
「そこで、その間に調査しようというわけだ」
「でも、校長先生、なぜ本人に尋ねてみないんですか?」
「そうです。その方が、話が早いのではなくて?」
ノルディスとアイゼルが異口同音に言う。だが、イングリドは、
「本人に尋ねて、わかると思いますか? 彼女自身、自分の能力が何なのかすら、わかってはいないでしょう。いきなりそんなことを尋ねたら、あの娘の性格からして、悩み、考え込んでしまうに決まっています。ですから・・・」
「あなたたちも、親友のことを、もっと良く知りたいんじゃないの? ふふふふ」
ヘルミーナの言葉に、しぶしぶうなずくノルディス。

「わかってもらえたかな? それでは、さっそく君たちには、出発の支度をしてもらおう」
ドルニエに言われて、ふたりとも怪訝な表情になる。
「出発?」
「どこへですか?」
「決まっているでしょう。エルフィールについてもっと知りたかったら、どこへ行けばいいの?」
ヘルミーナの問いかけに、考え込むノルディス。驚きの連続で、いつもの明晰さが影をひそめてしまっている。ドルニエが説明する。
「この調査は、極力秘密裏に行いたいのでな、アカデミーでもっとも優秀である君たちに、いや君たちだけに頼みたいのだ。すぐに、ロブソン村へ向かってもらいたい」
「え? ロブソン村ですって?」
「あ、そうか・・・」
納得したようにノルディスがうなずく。

ロブソン村は、エリーの生まれ故郷である。ザールブルグから北へ10日ほどの旅程だ。
「あの・・・ふたりで、行くんですか」
ノルディスの声は、心なしか上ずっている。
アイゼルは、そんなノルディスの顔をちらりと盗み見する。頬がかすかに赤く染まっている。
「いや・・・。道中は危険だ・・・。君たちふたりだけ、というわけにはいかない。しかし、残念だが騎士団の仕事があり、わたしが同行するわけにはいかない。そこで・・・」
エンデルクの言葉を引き取って、ヘルミーナがぽつりと言う。
「わたしが一緒に行くわ。ふふふふふ」
「ヘルミーナ先生!?」
ノルディスとアイゼルの言葉が重なる。
「そう。残念だけれど、わたくしは重要な研究をかかえているので、アカデミーを離れることができません。ヘルミーナでは、不安ですけれど・・・」
イングリドの言葉に、ヘルミーナが言い返す。
「ふん、何を負け惜しみを言っているの。まあ、わたしに任せておくことね。イングリド、あなた、来なかったことを後悔することになるわよ、ふふふふふ」
「それでは、出発は、明日の早朝だ。どうか、よろしく頼む」
ドルニエの声にわれに返ったノルディスとアイゼルは、一礼して、部屋を出る。心の中に、不安と期待をないまぜにした奇妙な思いを抱えながら・・・。


翌朝。
晴れわたった空の下、ヘルミーナ、ノルディス、アイゼルの3人は、ザールブルグ街道を北へ向かった。
ザールブルグの北側には広大な農地が広がり、村や森が点在している。畑の中をまっすぐに抜ける街道を歩くこと3日で、道はなだらかな上り坂にさしかかる。
4日目、一行は十字路に突き当たった。木で作られた道標が立っているが、風雨にさらされ書いてある文字は読み取れない。
ここまでは、ノルディスやアイゼルも錬金術の材料採取に来たことがある。まっすぐ北へ行けばヴィラント山の登山道へ、西へ曲ればエルフィン洞窟にたどり着く。だが、ヘルミーナはふたりが行ったことがない東へ向かう道を選んだ。

「この道はね、あなた方が入学する何年か前までは、アカデミーの学生たちにもなじみの深い道だったのよ」
石がごろごろして歩きにくい道をすたすたと歩きながら、ヘルミーナが言う。3人ともグラビ結晶を身に付けているので、身が軽くなっており、悪路でもつまずいたり転んだりすることはない。
ヘルミーナは話を続ける。
「この先には、かつて『メディアの森』と呼ばれる大きな森があったのよ。良質の薬草が豊富に取れるので、アカデミーの生徒や街の薬草医たちが、よく採取に言っていたものなの。でも・・・そうね、7年ほど前かしら、急に森の土地がやせはじめて来てね、数年のうちに、昔の面影もなくなってしまった・・・。今は、あなたたちの目に映る通りよ」
あたりの風景は荒涼としており、ところどころに潅木や草地が見える他は、岩や古い切り株が転がっているだけだ。
「ふうん、そうだったんですか」
「そう言えば、古い参考書で『常若のリンゴ』というアイテムがあるって読んだことがありますけど、確か、メディアの森でしか取れないと書いてあったような・・・」
「よく覚えていますね。たしかに、常若のリンゴは不老不死の薬の材料になると言われています。しかし、メディアの森が滅ぶと共に、常若のリンゴも失われてしまいました。残念なことね・・・おや」

ヘルミーナが立ち止まり、耳をすます。
同じように足を止め、左右を見回すノルディスとアイゼルの耳にも、低いうなり声が聞こえてきた。
「なにかいるみたいだよ!」
ノルディスが叫ぶ。
「わかっているわ。狼の群れが近くにいるようね。冬も近いし、お腹をすかしているのでしょう。逃げ場はないし、戦うしかないようね、ふふふふ」
ヘルミーナが平然と言う。
「ヘルミーナ先生、楽しそう・・・」
アイゼルがあきれたように小声で言う。そのアイゼルも左手で白銀の杖を持ち、右手でフォートフラムを握りしめる。ノルディスはノルディスで、時の石版としびれ薬を取り出す。

そうこうしているうちに、前方の岩陰から10頭前後の狼が姿を現わした。
「あなたたちは、黙って見ていらっしゃい。ふふふふふ」
不敵に笑ったヘルミーナは、かくしから取り出した爆弾のようなものを右手に握ると、大きく振りかぶった。
「ええぃ!!」
ヘルミーナの手を離れたアイテムは、宙の一点で、一瞬静止したかと思うと、大きく弾けた。
と、次の瞬間、轟音とともに無数の流星が、迫り来る狼の群れに降り注ぐ。
地に落ちて弾ける流星の閃光に、思わず目を閉じるノルディスとアイゼル。
音と光のシャワーが途絶え、ふたりが目を開くと、狼は一掃されていた。
「すごい・・・」
ノルディスの声に、腕組みをして自分の爆弾の威力を見ていたヘルミーナが、振り返る。
「ふふふふ。しばらく前にオリジナル調合した爆弾だけれど、役に立ったようね」
「先生! 今のは何という爆弾なんですか」
「あらアイゼル、あなたも作ってみたいの? これの名前は『メガ・メテオール』よ。調合法は・・・まず自分で研究してみることね。ふふふふ、イングリドにはとても真似できないでしょうけれどね」
妙にすっきりした表情で微笑むヘルミーナだった。

それ以外には大した事件もなく、一行は荒れ果てた台地を越え、エリーの故郷に近付いていった。
今日はロブソン村に着く、という日の朝。
「さて、村に着いたら、まずどこへ行き、誰と話しますか?」
ヘルミーナがふたりに問い掛けた。
「ええと、まずエリーのご両親に会って、話を聞きます」
「そうね、何といっても、いちばんエリーのことを知っているものね」
うなずき合うふたりに、ヘルミーナは険しい表情で、
「ふたりとも、研究者としてはフィールドワークの経験が浅いようね。見も知らぬわたしたちが突然訪ねて行って、エルフィールの両親が身内の大事なことを簡単に話してくれると思うの?」
「あ、そうか」
「そうね、エリーのことですもの、あたしたちのことを故郷のご両親に手紙で書いているかどうかも怪しいものだわ」
「わかったようね。それでは、どこへ行ったらいいと思いますか?」
「なんか、試験されてるみたい・・・。ええと・・・村長さんのところかしら?」
「あと、村には語り部みたいな人がいるかも知れません。そういう人のところとか」
「ふふふふふ、だいたい正解ね。まず、村の長老を訪ねてみましょう。ほら、村が見えて来たわ」

草におおわれた丘の上から見下ろすと、眼下に広がる農地の真ん中に、円型をした村が見えた。ひときわ目立つ教会の建物を中心に、家や納屋、花壇や牛小屋がこじんまりと固まっている。
急斜面に刻み込まれた細い道を下り、村に近付く。
空き地を走り回って遊んでいた子供たちが、3人に気付くと一瞬足を止め、避けるように物陰に入ってしまう。
「招かれざる客ってところかしら、ふふふ」
村の中央広場に出る。広場の中央に大きく枝を広げた巨木が立ち、その向こう側に教会がある。
「あら、これと同じような木、ザールブルグにもあったんじゃなくて?」
アイゼルが古木の幹に手をはわせ、つぶやく。
「うん、そうだね、確か『妖精の木』と呼ばれていたと思う」
ノルディスも、大木の枝振りを見上げる。

「それは、この村の守り神ですじゃ」
背後から突然聞こえた見知らぬ声に、驚いて振り向く。
顔の下半分が白い髭におおわれ、軽く曲がった腰に杖を突いた老人が立っていた。
穏やかな目をしており、突然の来訪者を怪しむ様子はない。
「わしは、この村の長老のベラルドですじゃ。服装からみると、あなた方、錬金術師じゃな。この村では、錬金術師はいつでも大歓迎じゃ。10年前の、あの流行り病の時に、通りすがりの錬金術師が村を救ってくれなかったら・・・」
にこにこと話す長老の言葉に、アイゼルが反応する。
「その、村を救ってくれた錬金術師って、マルローネさんのことじゃ・・・」
「ほう! あのお方の知り合いかね。これはますます大歓迎じゃ。さ、教会でお茶でもどうかね」
3人は教会に通され、神父にも紹介された。
村を訪れる数少ない旅人の宿舎も兼ねているという教会の一室に通された3人は、円テーブルを囲んで椅子にかけ、ベラルドや神父と語り合った。香り高いお茶と神父の心づくしのクッキーが出され、会話は弾んだ。
ノルディスとアイゼルがエリーの友人だということも、いい方向にはたらいたらしい。

「そうですか。エルフィールがそんなに立派に・・・。あの娘ときたら、手紙ひとつ寄越さないものですからね」
初老の、人の良さそうな神父が、しみじみと言う。ベラルドが引き取って、
「そこが、エルフィールのいいところじゃよ。ひとつのことに熱中したら、他のことは目に入らなくなってしまうんじゃ。小さい頃から、そうじゃったよ」
「エルフィールのご両親は、どんな方ですの?」
意外なほど人当たりのよい態度で、ヘルミーナが聞く。さりげなく探りを入れはじめているのだ。それに気付いたノルディスが、隣のアイゼルに目配せする。
「ああ、後でご案内しようかの。トラウムの親父もおかみさんも、働き者じゃよ。エルフィールを、本当に可愛がっておっての」
ベラルドの答は、何の手がかりにもならない。

「あの・・・エリーは小さい頃は、どんな子だったんですの?」
アイゼルも尋ねる。
「ああ、それはもう、元気な子でな、森や野原を走り回っとったよ。普通の女の子なら、ヘビや虫を怖がるもんだが、あの子は全然平気じゃった。ヘビの方も、なぜかエルフィールにはなついておっての」
「ヘビですって?」
アイゼルが眉をひそめる。何年か前の夏祭り、肝試しの時の出来事を思い出したのだ。
「ぼく、ずっと不思議だと思っていたことがあるんです。実は・・・」
意を決したように、ノルディスが語り出す。エリーが妖精の見分けがつくことを話題に出してみたのだ。
ベラルドが上機嫌に答える。
「ああ、そうじゃろう、そうじゃろう。あの娘は、不思議な星の下に生まれた娘じゃでな」
ヘルミーナの目が光った。
「どのような星の下に、ですの?」

「ち、長老様、そのことは・・・」
神父がうろたえる。ベラルドは、目をしばたたき、
「いや、これは・・・ちょっと口がすべってしもうたか」
しばし、目を閉じて考え込む。神父は心配そうに、ベラルドとヘルミーナの顔を交互に見やっている。
やがて、長老は目を開く。
「どうやら、あなた方は信用できそうじゃ。ひとつ、この老いぼれの長話を聞いていただくとしましょうかの。信じる信じないは、自由じゃが・・・。
ただ、ひとつだけ約束してほしい。これからお話しすることは、エルフィール自身も知らないことじゃ。あの娘には、黙っていてほしい。・・・そして、これからも、あの娘を、エルフィールを支えてやってくだされ」
しわに囲まれた小さな目で、ヘルミーナ、ノルディス、アイゼルと、順にひとりひとりを見つめる。
3人とも、無言で大きくうなずく。

「まず最初に言うておく。トラウム夫婦は、あの娘の本当の親ではないのじゃ。エルフィールの本当の両親が誰なのかは、誰も知らぬ・・・」
はっと顔を上げたアイゼルの目が、ノルディスの目とぶつかる。力づけるように小さくうなずくノルディス。
「あの娘は・・・エルフィールは、ある朝、村の妖精の木の根方に、かごに入れて捨てられていたのじゃ」
「見つけたのは、わたしでした・・・」
と、神父が後を引き継ぐ。3人の錬金術師は、身じろぎもせず聞き入る。
「朝の祈りを終えたわたしが外に出ると、かすかな赤ん坊の泣き声が聞こえました。その頃、村には赤ん坊はいないはずでしたので、不思議に思い、探してみると、先ほど長老がおっしゃった通り、妖精の木の下にかごに入った女の子の赤ん坊が捨てられていたのです。置き手紙のようなものは、何もありませんでした」
「知らせを受けたわしは、近隣の村に人をやって調べさせた。じゃが、当時、旅人がこの近在を通りかかった記録もなく、近くの村でも心当たりはないという・・・。ともかく、赤ん坊は、子宝に恵まれなかったトラウム夫婦に世話をさせることにした」

遠くを見るような目で、長老は続ける。
「ただ、赤ん坊に名前を付けなくてはならなくなっての。わしは、考えに考えた末、あの娘にもっともふさわしい名を付けることにした・・・。エルフィールという名を」
「まさか、その名前というのは・・・」
ヘルミーナが静かに言う。
「そう・・・あなたにはわかったようじゃな。エルフィール、すなわち『エルフの血を引く者』という意味じゃよ」

「!」
長老の言葉にショックを受け、呆然としたノルディスの左手を、汗ばんだ暖かい手が握りしめた。アイゼルの右手だった。そっと横を見やると、アイゼルはエメラルド色の目を大きく見開き、身体は小刻みに震えている。ノルディスは、力づけるように、アイゼルの右手を優しく握り返した。
長老は語り続ける。
「今でこそ荒れ果ててしまっているが、あの頃は、メディアの森はこの村のすぐそばまで広がっておった。村には言い伝えがあっての。メディアの森には、森を守る善良なエルフが住んでおる・・・と。わしは、あの娘がエルフからの授かりものなのではないかと思ったわけじゃ。『しるし』らしきものもあったしな」
『しるし』とは、どのような・・・?」
ヘルミーナが、相変わらずの平静な調子で尋ねる。
「痣じゃよ・・・。あの娘の身体には、不思議な形の痣があったんじゃ」

「確かに、エルフィールは不思議な子でした。わたしもよくトラウム家へ行って、あの子をあやしたものですが、時々、何もない空中を見て、笑うことがあったのですよ。もしかすると、わたしたちには見ることができないなにかが、あの子には見えていたのかも知れません。
ただ、ものごころ付いてからは、そのような気配はなくなり、同じ年頃の子供たちと普通に遊びまわっていましたが・・・」
神父も思い出すように、ひとつひとつ言葉を選んで語る。
「話は、これで終わりじゃ・・・。そうそう、ザールブルグへ戻ったら、たまには村に帰って来るように、エルフィールに伝えてもらえないじゃろうか。わしらも、老い先短い身なのでな・・・」
語り終えたベラルド老は、肩の荷を下ろしたかのように笑った。


神父と長老に別れを告げ、教会を出た3人は、言葉もなく妖精の木の下でたたずんでいた。
アイゼルの右手は、まだノルディスの左手を握りしめている。まるで、それだけが、自分を支えてくれる確かな存在であるかのように。
「さて、これからどうしようかしら? エルフィールのご両親に会ってみる?」
腕組みをしたヘルミーナが言う。
しばらく考えていたノルディスは、首を横に振った。
「いえ、もうこれで十分です。ご両親に会っても、何を話していいかわからないし・・・」
「どんな顔をしたらいいかも、わかりません」
アイゼルの声はかすかに震えている。

「それより、あたし、これから先、どんな顔してエリーに会ったらいいのか・・・」
アイゼルの瞳から、一筋の涙が頬を伝う。
ノルディスは、思わずその肩を抱いた。自分にも言い聞かせるように、優しくアイゼルに語りかける。
「アイゼル・・・。確かに、今聞いたことはショックだったけど、それでエリーが変わってしまうわけじゃないだろう? エリーはエリーさ。ぼくたちの親友であることに変わりはない・・・。そうだろ、アイゼル・・・」
ノルディスの胸に顔をうずめ、泣きじゃくりながらもアイゼルは何度もうなずいていた。
「・・・それで、いいのよ」
ふたりを見やり、ヘルミーナがつぶやく。その目はいつになく優しい光を放っていた。


エピローグ 『森の守護者』

そして・・・。
時はめぐり、季節は春になっていた。
3人の調査の結果は、ヘルミーナの考えで王室騎士隊にも知らされず、アカデミー上層部で封印されることとなった。
エリーに対しては、メディアの森の痕跡を調査に行った時に、たまたまロブソン村に立ち寄ったと説明した。エリーは驚いていたが、ベラルド長老や神父が元気だったと聞いて、素直に喜んでいた。
アイゼルとノルディスは、多少の努力が必要だったが、以前と変わることなくエリーと付き合っていた。変わったことと言えば、あの旅以来、ふたりの距離が目に見えて近くなったということだった。
そして、3月1日、アイゼルの21歳の誕生日に、ノルディスはアイゼルに指輪を贈るのだが、これはまた別の話である。


時は4月。
マイスターランクの卒業まで5ヶ月となり、エリーとアイゼルは卒業製作のための材料集めと息抜きを兼ねて、ミュラ温泉に来ていた。
ミュラ温泉は、ヴィラント山の頂上近くにある。いつもは危険な魔物が出没するヴィラント山だが、今月は 王室騎士隊が定例の魔物退治を行った後なので、女性だけでも安心して旅ができる。
そう、温泉に行くのだから、当然、男子禁制である。メンバーは、エリー、アイゼルと、フローベル教会のシスター、ミルカッセだ。
山間の岩場に湧き出たミュラ温泉は、そのまま岩の割れ目に沿って流れ下り、適度な温度となって岩の窪みに溜まり、天然の露天風呂となっている。

湯気に包まれた、さして広くはないミュラ温泉から、エリーたちの歓声が響いてくる。
「やだあ、ミルカッセったら、思ったよりスタイルいいじゃない」
「そんな・・・見ないでください。恥ずかしいですわ」
「ふうん、そうね、シスターの服って、身体の線が出ないようになっているものね。それに比べて、エリーときたら・・・」
「ア、アイゼル、何が言いたいのよ」
「ふふふふ」
「何よぉ、その勝ち誇ったような笑いは。・・・どうせあたしは、幼児体型ですよ」
「まあまあ、エルフィールさん、これからですよ、きっと。アルテナ様にお祈りすれば・・・」
「へえぇ、アルテナ様って、そういうご利益もあったんだ。確かにそうだね。ミルカッセのスタイルを見れば・・・」
「それにしても、アイゼルさんの肌って、白くてきめ細やかですわ。うらやましい」
「あら、あなたもなかなかのものよ」
ミルカッセとアイゼルは、顔を見合わせて笑う。

「あ〜、でも、ほんと、のんびりするよね。来て良かった〜」
少し離れたエリーは、立ち上がって両腕を空に向け、大きく伸びをする。
「いやだ、エルフィールさん、はしたないですわ・・・あら?」
ミルカッセがエリーに近付き、左の脇腹をしげしげとながめる。
「どうしたの、ミルカッセ」
「い、いえ、ちょっと気になったものですから・・・。不思議な痣ですね、これ」

ミルカッセの声に、アイゼルはぴくりと震える。
それに気付かず、エリーは屈託なく答える。
「ああ、その痣ね。生まれた時からあるんだよ。ロブソン村の神父様が言うには、幸運のしるしなんだって」
「はあ、そうなんですか・・・。でも、ほんと、不思議。ほら、アイゼルさんもご覧になって」
ミルカッセが指し示す先を、アイゼルは勇気を出して見つめた。
そこには、正確な五芒星の形をした青い痣が、上気したピンク色の肌に鮮やかに浮かび上がっていた。
半年前、ロブソン村で聞いた話が耳元によみがえり、アイゼルはごくりと唾を飲み込む。

「どうしたの、アイゼル? なんか、顔色が悪いよ」
心配そうにエリーが言う。
「そ、そう? 少し、のぼせてしまったのかしら。そろそろ、上がらない?」
「そうですね。髪をかわかす時間も必要ですし」
「じゃあ、上がろっか」
岸に向かうエリーにアイゼルが声をかける。
「ね、ねえ、エリー」
「ん?」
「あたしたち、卒業した後も、何があってもずっと親友よね」
「え? どうしたの、あらたまって。やだなあ、そんなこと、決まってるじゃない」

そして、エルフィール・・・『森の守護者』の血を受け継ぐ娘は、いつも通りの明るい表情で、笑った。

<おわり>


<付録>

−<メガメテオール・レシピ>−
メテオール4.0
つむじ袋1.0
メガフラム1.0
天秤を使用


○にのあとがき>

<おことわり>
この作品はフィクションであり、実在するアトリエキャラとは一切関係がありません。
ふう、最初にこう言っとかないと、エンデルクファンや他の人たちから、何をされることやら・・・。
え、もう遅い!?

タイトルにある「E」とはふたつの意味を持っているんですね〜。
それにしても、隊長とエリーに、そんな秘密があったとは・・・。
最初は、「なぜエリーは妖精さんの見分けがつくんだろう?」という単純な疑問からスタートした作品だったのですが・・・。
どこをどう間違ったらこんなお話になっちゃうんだろう。不思議だ・・・。

そんなつもりじゃなかったのに、しっかりノルとアイゼルはくっついちゃうし。ヘルミーナさんはなにげにいい役もらってるし。
ラストで必然性ないのにミルカッセを脱がせちゃったのは、隠れた煩悩のなせるわざ?

でも、これらの「秘密」をすべて知っているのは読者のみなさんだけで、登場人物たちは、断片的な情報を知っているだけなんですよね。
おそらく、エンデルク様がエリーの『しるし』に気付くことはまずないでしょうし(もしそんなシチュエーションになったら、もっとヤバいよ・・・)。

ところで、作中に、いくつか○にの過去の作品や他の作品につながるセリフが出て来ます。ちょっと解説すると・・・
☆アイゼルがマイスターランクへ進む前の事件とは・・・「夜明けのアイゼル」
☆エンデルクが語る「偽デア・ヒメル事件」とは・・・「幻の怪盗ふたたび」
☆夏祭りの肝試しの時の出来事とは・・・「肝試しのその後で」
☆ノルディスがアイゼルに指輪を贈る話とは・・・「Alchemistの玉子」に掲載されているDer Himmelさんの「明日のわたしをつかまえて」です。
よろしかったら、こちらも読んでいただければ、とても嬉しいです。

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それではっ!!(逃走)


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