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かつてザールブルグで・・・ Vol.2


<過去>−3

季節は、晩秋に移っていた。
傾きかけた黄色い日差しに照らされたヘーベル湖畔に、ふたつの小さな影が踊っている。岸辺で遊んでいるかのように見えるその影は、イングリドとヘルミーナのふたりだった。そこから少し離れた場所で動かない大きな影は、アイオロスのものだ。
ヘーベル湖は、ザールブルグから東へ歩いて数日のところにある。その水は青く澄み切っており、飲むだけで身体の疲れが消えると言われている。また、水辺には様々な薬草が自生していることでも知られていた。
ふたりの少女は、自分たちの工房で調合する薬品の原材料を採取するために、大きな採取かごを背負ってザールブルグからやって来たのだった。
そして、その護衛役をアイオロスが務めていた。
健康を取り戻してからも、アイオロスは絵を描く気になれなかった。そのため、リリーの工房にいさせてもらう宿賃代りに、採取の旅の護衛を引き受けることにしたのだ。
本職は絵描きだったが、旅の途上で魔物や盗賊に出会うことも多かったため、アイオロスもそれなりの剣の技量を身に付けていた。そして、工房を切り盛りするリリーにとっても、アイオロスが護衛を引き受けてくれれば、冒険者を雇う必要がなくなり、お金の節約になるのだった。

そんなわけで、今日もアイオロスはヘーベル湖の岸辺の倒木に腰掛け、薬草を探して草原のあちこちを動き回る錬金術師の少女ふたりを見守っていた。
「見つけた! また『ズユース草』よ」
イングリドが叫べば、ヘルミーナも負けじと叫び返す。
「ふん、なによ。こっちは『ズフタフ槍の草』よ」
半日の採取作業で、すでにふたりのかごは半分以上が薬草や水袋で満たされていた。
日が暮れ、3人は野営の準備にかかる。
大人用の寝袋と、子供用の小さなふたつの寝袋が川の字にきちんと並べられた傍らで、たき火がぱちぱちと燃え、野草と干し肉のスープがおいしそうな湯気を立てていた。
金属製のマグカップでスープをすすりながら、3人はにぎやかに話し合っていた。もっとも、しゃべっているのはほとんどイングリドとヘルミーナで、アイオロスはもっぱら聞き役だった。

アイオロスにも、このふたりがただの少女ではないとわかっていた。
かれらの故郷、はるか海を越えた西の彼方にあるエル・バドール大陸のケントニスでは、ふたりは“神童”と呼ばれていたという。そして、ケントニスの魔法学院アカデミーの重鎮であった師のドルニエが、東のシグザール王国に錬金術を広めようと旅立った時に、リリーと共にふたりの天才少女を連れて来たのだった。
イングリドもヘルミーナも、大人顔負けの論理と熱意で、錬金術を、そしてアカデミー建設の夢を語っていた。
それを聞く度に、アイオロスは心の中のどこかがかすかに疼くのを感じていた。
こんな子供たちまでが、自信を持ち、熱く夢を語っている。それに引き換え、自分は・・・。
その夜更け、しゃべり疲れたイングリドとヘルミーナが穏やかな寝息を立てているそばで、アイオロスは眠れず、色砂を撒いたような星空を見上げていた。

翌日、朝食を済ませると、イングリドとヘルミーナは相変わらずけたたましく言い合いをしながら、採取に動き回りはじめた。
アイオロスは、自分用にリリーが持たせてくれた採取かごの底を探る。薄汚れたスケッチブックと石墨が、そこに入っていた。
一時は、もう二度と手にすることはないかも知れないと思っていた絵を描くための道具だったが、久しぶりにアイオロスはそれを広げていた。
朝日に照らされた草原はみずみずしく風に波打ち、その向こうに青々としたヘーベル湖の鏡のような水面が広がっている。魚を狙っているのか、白い翼の水鳥が上空を舞い、時おり水面に向かって急降下し、一瞬、澄み切った水面に同心円状の波が広がり、ゆっくりと消えていく。
アイオロスは、しばらくその情景をながめていたが、意を決したように石墨を握り直し、スケッチブックに走らせはじめた。

時間は、ゆっくりと過ぎていく。
このあたりには、ほとんど魔物は出ない。アイオロスは、周囲の状況を忘れ、自分の世界に没頭していた。
気が付くと、あたりはしんと静まりかえっていた。ふたりの少女のおしゃべりも、聞こえては来ない。
ふとスケッチブックから目を上げると、イングリドとヘルミーナが目の前に立って、のぞきこんでいた。青と茶色、左右の色が異なる大きな瞳が、食い入るようにアイオロスのスケッチを見つめている。
「へええ、うまいものね」
イングリドが感心したように言う。
「当たり前じゃないの。お兄ちゃんはプロの絵描きさんなのよ」
ヘルミーナは平然と言う。どうも、無意識のうちにイングリドの言葉に反発したがっているようだ。
「いや、そんなことはないさ。ザールブルグには、俺よりも上手な絵描きがたくさんいるよ」
「ふうん・・・。でも、どうしてそんなことがわかるの?」
とヘルミーナ。
「『中央通り』の画廊に行ったことがあるかい? あそこに飾られている絵の色合いには、とてもかなわないよ」
アイオロスは明るい口調で言って、小さく肩をすくめてみせた。
そして、気付く。ようやく、それを素直に口に出すことができるようになったことに。

しばらく黙っていたイングリドが口を開く。
「お兄ちゃん、絵の具は何を使っているの?」
「何って・・・普通の絵の具だよ」
町の雑貨屋で売っている絵の具は、植物の葉や花びらをすりつぶした液を布でこし、油を加えて固めたものだった。それを必要に応じて油を加え、溶かして使うのである。
「たぶん、それよ」
イングリドがぽつりと言う。
「え?」
「絵の具が違うのよ。お金のある人は、高級な絵の具を使っているの。普通のお店で売っている絵の具と比べると、色数が多いし、つやもあるの。あたし、知ってるのよ。ケントニスでは、そうだったわ」
「そう言えば・・・」
アイオロスは、『中央通り』の画廊に行った時のことを思い出した。そこでは、絵のほかに高級画材も取り扱っていた。壜に入れられた色とりどりの絵の具と、それに付けられた値札を見て、とても自分には手が届かないと思ったものだった。

「確かに、それはあるかも知れないな・・・。でも、とてもじゃないけれど、あの高価な絵の具を手に入れるのは無理だよ。何十種類もあるんだぜ」
「そうね、買い揃えるのは無理ね」
ヘルミーナは言って、イングリドをちらりと見やる。イングリドはうなずき、意味ありげな笑みを浮かべる。
「だったら、作っちゃえばいいのよ」
「うふふ、面白そうね」
「見てらっしゃい、最高の絵の具を調合してみせるから」
「あら、あなたには負けないわよ」
「ほほほほほ」
「ふふふふ」
「お、おいおい」
アイオロスが口をはさむ。
「本当に、そんなことができるのかい」

イングリドとヘルミーナは、自信ありげにうなずいてみせる。
「あら、錬金術でできないことはないのよ」
「しかも、腕は超一流」
「そうと決まったら、さっそく材料を採りに行かないとね」
「そうね、行き先は・・・」
そして、ふたりは双子のように声を揃えて言った。
「・・・エルフィン洞窟ね」


<現在>−4

「ふあああ、疲れた〜」
アイオロスのアトリエから自分の工房に戻ったエリーは、調合道具やアイテムが入ったかごを下ろすと、大きく伸びをした。
「あ、お姉さん」
「お帰りなさい」
作業台の下で調合をしていたお手伝いの妖精たちが、次々と現われ、エリーを出迎える。

「ただいま。なにか変わったことはなかった?」
エリーは、妖精のリーダー格である青妖精のピコに尋ねた。
青い服に青い帽子をかぶったピコは、おずおずと答える。
「お昼頃、お客さんがありました」
「へえ、誰?」
「ピンクの服を着た、こわいお姉さんです」
「ああ、アイゼルね」
どうも、ピコはアイゼルと相性が悪いらしい。実は、ピコが黒妖精の頃、アイゼルに雇われてこき使われたことがあり、それがトラウマになっているのだが、エリーはそれを知らない。
「それで、アイゼルは何て?」
「いえ、お姉さんがいないことがわかると、なんだか怒って、また来るって言って、帰っちゃいましたけど」
「あ、そう。何だろう?」
エリーがそう言ったとたん、鋭いノックの音が工房に響いた。

「は〜い、開いてま・・・」
言い終わる前に扉が押し開けられ、噂の主がつかつかと工房に入って来る。
高級そうなピンクの錬金術服に身をかためたアイゼルは、一直線にエリーのところまで来ると、大きなエメラルド色の目でにらみつける。
「もう! エリーったら、やっと帰って来たのね! 逃げたんじゃないかと思っていたわ」
アイゼルの剣幕にも、エリーはきょとんとするばかりだ。
「ちょっと待ってよ、アイゼル。わたし、何がなんだか・・・」
エリーの返事に、アイゼルは大きく天をあおいだ。
「ああ、そうだったわね・・・。あなた、1週間というもの、アカデミーに顔を出さなかったのですものね。掲示板も、見ていないわけよね。いいこと、明日はアカデミーの大掃除があるの。なんでも、20年以上閉め切っていた、地下の倉庫も開けてみるそうよ。朝一番で、アカデミーの中庭に集合なんですって。サボってはだめよ。よくって!?」
言うだけ言うと、エリーの返事も待たず、アイゼルはすたすたと出て行ってしまった。
エリーはあっけにとられて、ピコと顔を見合わせる。
「アカデミーの大掃除ねえ・・・。とにかく、今日は早く寝よ」

翌朝、寝過ごしそうになったエリーは、あわててアカデミーに急いだ。
息を切らせてアカデミーの中庭に駆け込む。アイゼルの「遅いわよ、エリー!」という声を覚悟しながら。
しかし、エリーを出迎えたのは、別の声だった。
「こら! 遅えぞ!」
エリーが目を丸くする。
「あれえ、ダグラス・・・。なんで、いるの?」
シグザール王室騎士隊の成長株である、聖騎士ダグラスは、不機嫌そうに続ける。今日は普段着姿で、いつもの青い聖騎士の鎧は身に着けていない。
「ったく、アカデミーが大掃除なんてことを考えるもんだから、俺たち非番の騎士隊員は全員、招集をかけられたんだよ。だいたい、お前ら非力な学生には、荷物運びなんかできやしねえだろ。だから、隊長も俺たち力自慢の騎士隊員を動員したんじゃねえのか」
「へえ、そうなんだ」

そう言っている間に、集合した学生たちに向かって、教師のイングリドが話しはじめる。その後ろで腕組みをして聞いているのは、同じく教師のヘルミーナだ。
「皆さん、今日はご苦労様です。本格的な冬を迎える前に、アカデミーの大掃除を実施したいと思います。特に今回は、約20年ぶりにアカデミーの地下室を開くことになりました。皆さんはご存知ないと思いますが、地下室は、アカデミーが当地に建設された頃に造られたもので、当時の建築資材や珍しいアイテムなどが残されていると考えられます。もちろん、中には危険なものがあるかも知れませんので、地下室の探索には、まずマイスターランクの生徒と王室騎士隊の方々にお願いしたいと思います。それでは皆さん、けがのないよう安全な作業を心がけて、よろしくお願いします」
ヘルミーナの合図で、生徒たちはそれぞれの持ち場に散って行く。そして、エリーはダグラスや数名の騎士隊員と共に、イングリドの方へ歩み寄った。
アイゼルと、エリーの同級生でもある学年主席のノルディスが、同様に残っている。
一同の顔を見回すと、イングリドはうなずいた。
「あなたがたには、地下室に下りていただきます。何が残っているかわかりませんから、十分に注意してください」
ヘルミーナが、微笑を浮かべながら続ける。
「面白いものが残っているかもしれないわよ。ふふふふふ」
そして、面々はイングリドの後について、アカデミーの建物の奥に向かった。

普段は生徒が立ち入らない、校長室のさらに先の廊下のはずれに、その扉はあった。
イングリドが、錆の浮いた大きな鍵を差し込み、ゆっくりと回す。カチリ、と音がした。ダグラスが、力を込めて取っ手を引くと、扉は大きなきしみをたてて開いた。天井や壁との隙間にこびりついていた埃が、雨のように降り注ぐ。
そして、その向こうからカビくさい湿った空気が吹き出してきた。
思わずアイゼルが、マントで口と鼻をおおう。
しかし、ダグラスは平然とした様子で、
「よし、行くぞ」
と先頭に立って、狭く暗い階段を降りていった。
階段は、突き当たりの踊り場でいったん折れ曲がり、ちょうどアカデミーの研究棟の真下に通じているようだ。
ランプの灯に照らし出される石造りの壁に、みんなの影がうごめく魔物のように映し出される。
階段の先は、ぽっかりと空いた地下の空間につながっていた。

「ずいぶんとカビくさいわね。大丈夫かしら」
アイゼルが顔をしかめて言う。
「たぶん大丈夫だよ。ほら、ランプの火は普通に燃えている。有毒ガスはないし、どこからか空気が入って来ているようだ」
ノルディスが、安心させるようにささやく。
低い天井と地下の暗さに気おされるのか、どうしても小声になってしまう。

「あれ? 何だろう、これ」
エリーが指差す先に、なにやら丸い固まりがごろごろと積み重なっている。全体に厚く埃がかかり、起伏のあるひとつながりの丘のようにも見える。
正体を見極めようと、ランプを手にしたエリーが近付く。
「お待ちなさい!」
ヘルミーナが鋭い声で止めた。
「火を近づけては危ないわ。これは爆弾の山よ」
「ええっ!?」
「何ですって!」
驚きの叫びが交錯する中、ヘルミーナはゆっくりと進み出る。
「これは、岩を爆破して地下室を作った時に使った爆弾の余りね。こんなところに無造作に置いておくなんて、ばかなことをしたものだわ」
「そ、それじゃあ・・・?」
「そう、いつこれが爆発して、アカデミーが吹っ飛んでもおかしくなかったということね。ふふふふふ」
「ヘルミーナ! 笑い事ではないでしょう!」
イングリドがたしなめる。
「ふふふふ、いいから先へお行きなさい。ここは私が始末するわ」
一行は、爆弾の山を避けるように、大きな半円を描くようにして、先へ進んだ。

とはいえ、地下室はそう大きなものではない。
壊れてしまった調合器具の山や、古い机と椅子が並んだ先は、もう行き止まりの壁になっている。
「あら、これは何かしら」
アイゼルが、ランプを高く差し上げる。
壁のその部分には、床から天井まで届く、大きな布がかぶせられていた。全体的に、石の壁から握りこぶしひとつ分ほど、四角く前に突き出ている。
「この布の下に、なにかあるみたいだね」
ノルディスがつぶやく。
「じゃあ、布をどけてみようよ」
エリーが言って、布の端に垂れている皮製のひもを指差す。
「きっと、これを引っ張れば、取れるんじゃないかな」
ノルディスが、反対側にも同じようなひもを見つける。
「よし、それじゃ、一緒に引っ張ってみよう。エリーはそっちを頼む。アイゼルは、ランプで照らしていてくれるかい」
「ええ、よくってよ」
「いいかい、せえの!」
ノルディスの合図で、エリーはひもを引く。

はらり・・・というよりは、ずるり・・・という感触で、布がはがれ落ちる。湿った埃の固まりが頭を直撃し、思わずエリーは首をすくめた。
布の下から、がっしりした大きな木枠のようなものが現われてくる。
そして、ついに湿った布はどさりと床に落ち、それが覆い隠していたものが、アイゼルの掲げたランプの光に照らし出される。
「まあ・・・」
「これは・・・」
アイゼルとノルディスは絶句した。
一瞬遅れて、エリーの叫びが響く。
「うわあ、きれい・・・」


Illustration by アイオロスえみゅ〜様

そこには・・・。
上等そうな額縁に入った、一幅の大きな肖像画が掛かっていた。
描かれているのは、4人の人物。手前には、あどけない顔をしたふたりの少女がおり、その後ろに風格のある髭をたくわえた中年男性と、エリーたちと同じ年格好の少女が立っている。
一目で、才能のある画家が描いたものとわかる。色合いは生き生きとし、人物たちは今にも動き出しそうに見える。
「まあ、これは・・・」
後ろから近づいて来たイングリドが、息をのむ。
「こんなところに、残っていたのね・・・」
エリーが振り向く。
「イングリド先生、この絵のことを知ってるんですか?」
イングリドが答える前に、その背後の暗がりからヘルミーナの声が響いた。
「ふふふふふ、懐かしい絵ね。それにしても、その右側の娘、実に生意気そうな子供じゃない? ねえ、イングリド」
「ほほほほほ、その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ、ヘルミーナ」
3人の生徒は、師匠ふたりの会話をぽかんとして聞いていたが、やがてノルディスがあっと声をあげる。
「まさか・・・?」
すぐに、アイゼルとエリーも思い当たった。
「それじゃあ・・・!?」
「このふたりの女の子が・・・? うそぉ!?」

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