家庭の窓
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うっかり手を滑らせて,モノを壊すことがあります。そのとき「壊した」と言いますか,それとも「壊れた」と言いますか。子どもは壊れたと言ってきます。大人は分かっていますから,「モノが自分で壊れるはずはないでしょう。どうしたの?」と問い詰めることになります。物事は勝手に起こるのではなく,関わりの中で起こります。話を聞くときには,自然な成り行きであるかどうかを見極めることが大切です。唐突に始まる話は,話し手の都合に合わせた脚色が入るので眉唾ものです。
人と獣が身近に暮らしていた昔,人はキツネやタヌキに化かされることがありました。この獣たちは,人の眉毛の本数を数えることで人の力量や値打ちを評価し,人の心を推察する能力を持っていると信じられていました。そこで,人は見透かされない対抗策として,眉毛に唾を付けて本数を誤魔化そうとしました。怪しいものに出会うと化かされないように,眉毛に唾を付けるまじないが定着していき,信用できないモノを眉唾物というようになりました。
ヘルマン・ヘッセが「現代の人間は,ことがうまく運ばなくなると,いつでもその罪を他人に求めるといういまわしい技術を身につけてしまった」と語ります。最近,ムシャクシャするからと他者である世間に八つ当たりするような所業が増えています。パワーハラスメント,モラルハラスメント,カスタマーハラスメントといった言葉で表される所業の他,子どもたちの身近な世界で起こる虐待やいじめも,自然な成り行きとは相容れない理不尽な所業です。人はお互い様の存在であるという社会認識が薄れているようです。
自分のことは棚に上げて人にあれこれと咎め立てることは,後ろめたさが伴なうので,普通には表立つことは押さえられます。ところが,自分が特定されない陰に居る場合には,後ろめたさは消えてしまうので,他に対して傲慢になります。そういう場としてネット世界が利用されると,炎上という八つ当たりが横行することになります。昔から匿名で落書きをすることがありましたが,それがごく手軽に実現されるようになっています。匿名性が剥がされやすくなるように,法が改まっていくようです。
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