《有難い 見知った顔の 中にいて》

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 上野公園にある西郷隆盛像は,高村光雲による作品です。当時はまだ時の人として政治家で軍人である西郷のイメージが強かったはずなのに,なぜウサギ狩りの姿なのでしょう。実は,高村光雲は,陸軍大将の正装で銅像の原型を作りました。しかし,重臣の一人が「賊軍の大将が陸軍大将の正装ではおだやかではない」と異議を唱えました。官を退いて無官の人になったときの姿ならよいということで,ウサギ狩りの姿が選ばれました。
 除幕式で西郷夫人は不服でした。西郷は家にいるときでも服装にやかましく,あぐらをかいたり寝そべったりしたことのない人で,くだけた姿で像になるのは心苦しいと思うのではということです。人には他人に見られたくない姿があり「プライベートを覗かれるのはおだやかではない」という異議もあり得ます。
 学校の音楽室の壁に飾られていたバッハ,ハイドン,モーツァルト,ベートーベンなどの肖像画を思い出すと,ベートーベンだけがボサボサのロングヘアーです。ほかの人は当時の王侯貴族に合わせてカールしたヘアスタイルのカツラをかぶっていました。当時の音楽家は王侯貴族をパトロンとしていたので,宮廷サロンでの正装スタイルで肖像画を描かせたのです。ところが、ベートーベンはパトロンを持たず独立した音楽家として自立する道を歩んでいました。宮廷スタイルになる必要がなかったために,あの通りの肖像画になりました。見られたい姿がある人とありのままでいい人とがいるということです。
 見られたくない姿を隠すために,人は装います。化粧も化けることなのですが,一応の了解は得られています。ところで,防犯上の広報などで,危ない人は異様な姿で表現されています。旧いイメージでは,泥棒はほおかむりをしてひげ面です。少し新しくなると,黒いサングラスの男といった姿です。怪しい人の立場に立てば,いかにもという姿をさらしては仕事になりません。見られたくない姿を隠そうとしてサングラスをするのでしょうが,隠蔽意識が見え見えで逆効果です。
 普通の姿になって紛れ込むのが普通です。危ない人はごくありふれた姿をしているのです。いかにも怪しいとみえる姿ではないのです。怪しい人に気をつけましょうというアピールは,本当の怪しい人を見逃すことになります。
 人が記号になっているネットという世間では,この記号は怪しいという識別は不可能です。名前という呼ばれたい姿の表現をありふれた記号の中に埋没させると,匿名の姿に変身できます。識別技術として記号化した自分を晒しているのは,自分を護る手段ですが,一方で他の記号の人たちを信用しきれないということです。顔を見せろ! そういう台詞が聞こえてきそうです。

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(2021年05月09日:No.1102)