《有難い 知らぬ言葉に 巡り会い》

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 樹木の年齢は,切り株の断面を見れば分かりますが,立木の樹齢はどうやって数えるのでしょう。立っている状態の樹木の樹齢は,成長錘という細い円筒状のドリルを樹木の真ん中まで突き刺し,内部の一部を抜き取り,その樹木の内部に刻み込まれている年輪を数えると樹齢が分かります。
 ある新聞記者が,歓楽街で働くシングルマザーに,子どもの貧困について取材しているということを説明しているときです。「ひんこんって何ですか」と聞き返されて,戸惑ったと囲み記事の中で書いていました。「お金がなくて貧しいってことです」「あ、そうなんですね」。
 中学の先生の話が紹介されていました。「厳しい環境で育った子どもは,語彙が少ない傾向がある。その言葉の概念を知らないのと同じで,自身の状況を客観的に秩序立てて把握する力が育たず,生活力の欠如につがっていく」。
 人は自分を理解する手段として言葉を使います。ある異性に憧れて落ち着かない自分を,恋という言葉で理解することができます。逆に何と言っていいか分からない状態は,不可解です。悩みがあるとき,相談をすると,自分のつらく苦しい状況を言葉で刻んでいきます。一言では言い尽くせなくても,言葉を重ねていけば,状況を把握できます。年輪を数えて樹木の奥に分け入るように,対話によって言葉を重ねていくと,心の奥に幾分かは近づいていけるかもしれません。お医者さんの問診に似た言診ドリルで,悩みを探る寄り添いができるようになりたいものです。
 本を読んだり,講演で言葉を聞いたりするとき,そうだという思いをするときもあれば,どういうことなのかと分からないことがあります。同じ言葉でも人によって連想が異なるものです。共通の経験をしているときに,それを共感することができる言葉を交わし合う,そういう間柄であれば通じ合うはずです。
 一つ一つの言葉では分かり合えなくても,たくさんの言葉が交わされると,どのことが通じ合えるかという仕分けができて,そこのつながりが互いを理解する縁になります。自分とここは違うが別のここは同じという理解ができます。木の年輪と同じで,同じ所と違う所のまだら模様が,お互いの理解になります。何気ないおしゃべりを交わしているときも,このまだら模様を楽しみたいものです。

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(2022年06月12日:No.1159)