《有難い 自ら願う 吾ならば》

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 バチカン宮殿の一部であるサン・ピエトロ寺院の屋上で石像を制作している彫刻家に,友人がやってきて言いました。「先日見たときから,ちっとも変わっていないようだが,一体どこが進んだんだろう」。すると,彫刻家は石像のあちこちを指しながら,「ここを一削りした。ここも一磨きしたさ。それからここの曲線も柔らかくしたし,ここに筋をつけた。また,この唇に言葉を与え,この腕にも力を加えたよ」と説明しました。友人はこう言いました。「なるほど。しかしそれはみな些細なことではないか」。
 彫刻家は「もちろん些細なことだが,その些細なことの積み重ねが総体の美につながるのさ。全体の美を表現することを,きみは些細なことだと言うのかね」と答えたのです。
 こうして,このサン・ピエトロ寺院の建築,絵画,彫刻に18年間の長い時間を注ぎ込んだ彫刻家がミケランジェロです。残念なことに,その完成を見ることなく途中で亡くなりました。
 彫刻は,鼻を大きめに,口を小さめに,と削っていきます。はじめから大きな口を削り出してしまうと,小さく修正することができないからです。人生も同じです。ある一線を越えないようにしていればなんとか修復できますが,過ぎてしまうと修復ができなくなります。覆水盆に返らずという状況を招かないように用心すべきです。一線を踏み越えそうになったら,早めに気付くことです。胸騒ぎに駆られて不安な気持ちを感じているとき,そのサインが最後のチャンスなのです。
 やり直しの効かない地味で手間暇の掛かる仕事をコツコツと続ける作業や仕事が次世代から忌避されています。当然の成り行きで,いわゆる伝統技術と言われるものが途絶えていっています。それが発展の証であると傍観していいものか,気がかりです。
 時間は過ぎてしまうと取り返しは効きません。常に流れ去っていきます。貴重な時間を無駄にしたくない,有効に使いたいという焦りが,手間暇を省くことになっています。ただ手間を省くということは,創作物の品質を低下させるはずです。工業製品のように,規格内であれば合格とする場合は別として,繊細な感性が関わるものについては,一目瞭然の差が現れます。
 人は長い時間を掛けて創造を続けています。唯一の創造物,それは「私」です。日常の些細な経験から学び,自分を手間暇を掛けて作り上げています。どのような品性を備えた自分に仕上がるか,創造者である自分は,どのように願っているのでしょう?

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(2022年08月14日:No.1168)