《有難い 臆さず舐めず ひたすらに》

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 剣豪として知られる武蔵は,晩年は絵もたしなんで,二天と号しました。ある日,客分として身を寄せていた細川忠利から達磨の絵を描くように言いつかりました。力一杯に描いてみましたが,筆が自分の意のままになりません。いつもより出来が悪いことが一目で分かります。「どうして思い通りに筆が運ばないのか」と,夜になり床についても眠ることができず,静かな苦闘をしていました。一瞬ひらめくものがあり,起き上がりました。「我が道の兵法で描くべきであった」。筆を持って紙に向かうと,筆が驚くほど自在に生き生きと動きました。
 後日,武蔵は弟子たちに語りました。「あの時,達磨を思い通りに描けなかったのは,己の兵法を忘れて,殿に気後れする心があったからだ。兵法の太刀をとるときは,天地もなければ,身分の高低もない。この心境で描けば,思い通りの絵が描けるのだ」。人の能力は,その人が経験で目指してきた自らの目標に向かって最もよく発揮されるものです。
 誰しも生きる中で何らかの力量を磨いています。ところが,他人と関わるときに,相手の思惑や世間の評判を慮り,自分を忘れることがあります。自分を装っても能力発揮の細やかな手順は変わりようがないので,満足できる結果は生まれません。自分のありのままで取り組むしかありません。
 社会的な活動をする場合に,良くみられようと意気込むと,自信のないものになりかねません。自分の経験から導き出されるものが一番のものと思うことです。自分の責任分担を提供するような場合は,まず自分にできることを最大限に発揮することが大切なのです。いいところを見せようという雑念は,能力発揮のプログラムに至らないバグを巻き込んでしまいます。
 逆の場合もあります。簡単な仕事と思って気を抜くような場合は,能力発揮のプログラムを一部欠落させるようになり,結果は惨めなものになります。自分らしくない出来上がりとは,緊張や気抜けといった平常心を失う時に現れます。常に自分の精魂を込めて取り組む気構えが大事であること,忘れないことです。

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(2022年10月09日:No.1176)