《有難い その場限りの ご縁でも》

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 1867年,無名の新人作家マーク・トウェーンが原稿の束を抱えてニューヨークの出版社に社長のカールトンを訪れました。「何かご用かな?」。トウェーンは約束に従って出版してもらう本の原稿を届けに来たと告げました。するとカールトンは横柄な態度で「あの書棚を見たまえ。どれもこれも出版を待っている原稿であふれているんだ。それなのにまだ引き受けろっていうのかい?」
 それから21年後,スイスのホテルに滞在していたトウェーンのもとにカールトンがやってきて言いました。「私はあなたの本の出版を断った。きっと私の名前は19世紀最大の馬鹿者として永遠に残ることでしょう」。この謝罪の言葉にトウェーンは満足して,カールトンの手を握りながら答えました。「この21年間,私は毎年毎年空想の中であなたの生命を奪ってきました。けれど,今のあなたの言葉を聞いて気が静まり,怒りが和らぎました。それ故,今後は二度と殺すようなことはしないつもりです。」
 マーク・トウェーンらしいユーモアに富んだ許しの言葉です。お互いがなんてバカなことをしていたかという後悔を打ち明ける形になっているから,おあいこという形で水に流すことができるようになります。バカなことであるかどうかはそのときは分かりません。もちろん,バカなことにならないこともたくさんあります。バカな結果になるかどうかは,その後の成り行きに拠るので,分かるはずもありません。
 それでもなんとかできないものでしょうか。たとえそのときは小さな出会いであると思われても,一期一会と気を引き締めて向き合うようにすれば,礼を失することはなくなります。礼と言えば,古い単なる形式的な作法でしかないと思われているかもしれませんが,人と人の縁における不思議な奥深さを見越したものです。日々の生活で「しておけばよかった」と後悔の種をまくことのないように,「しておいてよかった」と安堵の基になるような気配りをしておきたいものです。情けは人のためならずと同様,礼は人のためならずです。

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(2022年10月23日:No.1178)