《有難い 今考える 謎があり》

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  トルストイの大叔母が死の床についたある日,彼が大叔母の部屋に入っていくと,長男のセルゲイが彼女の枕元で,プーシキンの「断片」を朗読して慰めていました。
 トルストイは「ちょっと借りていいかな」と,「断片」を息子から受け取り,最初の頁に目を走らせていたが,うなるように「書き出しというものは,まさにこうならなければならん。プーシキンは,いきなり読者を事件の中心的興味に引きずり込んでしまう。他の作家たちがくどくどと客や部屋のことから書き始めるのと大違いだ」。
 その部屋に居合わせたある人が,「あなたも,そうなさったらどうです」と冗談に言いました。しかし,いつも作品の書き出しには苦心を重ねていたトルストイは,冗談とは受け取りませんでした。急いで自分の書斎に入ると,ペンを取り「オブロンスキー家では,何もかもがめちゃくちゃであった」と書き出したのです。名作「アンナ・カレーニナ」の冒頭の部分です。
 まとまった内容を人に伝えようとするとき,普通の人は何から話していいか分からないといいます。並の作家がくどくどと勿体ぶった話を持ち出してくるように,聞いている方は一体何が言いたいのか掴めないことになります。話を受ける立場にいる場合には,分からないままでは済みません。適切な質問を出して,相談者の話の核心を導き出す手伝いをしなければなりません。
 小説の書き始めには,今どうなっているかという状況が述べられます。筋道立てるという意識は次にして,まずは今直面している状況を語ってもらうことです。話される未知の世界に踏み込むためには,先ずは話す人が今いる現在地を知ることが最初の必須情報になります。現在地が分かれば,出口への判断と踏み出すべき最初の一歩の選択が可能になります。話し手に寄り添うというのは,今の思いに寄り添うことであり,そのためにも今の状況を知ることが大事になります。
 推理ドラマでは,先ずは事件が起こります。そこで視聴者は,誰が,どこで,何の目的で,どのように・・・といった問を誘い出されます。それらの問が開かされていくプロセスを快感を伴って楽しむことが出来ます。疑問が解き明かされることを望ましく思う本能が,人の現状に対する対応力の源であり,環境に適応してきた実績の証拠です。順を追って話す論理的な展開は,疑問という扉が取り払われているために,楽しくありません。学びの喜びは,疑問が必須なのです。

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(2023年01月22日:No.1191)