《有難い 生の感覚 写し取り》

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 江戸時代の画家円山応挙は,日頃花卉鳥獣の写生に苦心していました。ある日,猪の寝ている姿を描こうと思い,苦心を重ねて一枚の絵を完成させました。写生を重んじている応挙は本物の猪にどれほど似ているか,狩人に見てもらいました。
 「この猪は死んでいます。生きている猪なら,眠っていてもこんなに毛が寝ているわけがありません」。応挙は丁寧に礼を言って,「本物の猪が寝ているところを見ることはできないだろうか」と尋ねました。
 狩人の家に招かれて,数日が過ぎた頃,狩人が山から下りてきて,「上の山に大きなやつが寝ております。目を覚ますと大変ですから,できるだけ静かに,それからあまり近寄らないでください」。応挙は近寄るなと言われたことも忘れ,すぐ側まで近寄って,熱心に写生しました。狩人はもしものことがあってはと,火縄銃を抱えながら、待ってくれていました。
 このように写生を重んじる円山派の基礎を確立した応挙は,近世の画壇に大きな足跡を残しました。写生とは,文字通り生きている姿を写し取ることです。
 人は物事を思い描くときに経験を基にしていますが,見たことがない,したことがない未経験な事柄については,お手上げです。そこで,他人の経験から学ぶことによって,幾分かを補っています。皆の経験を言葉のような共有し理解できるデータに変換して集約し,疑似経験として情報を共有し,自己検証するという学びが必要になります。常に現実に生きている人の様子を写し取り,皆で寄り添っていくという姿勢が大事です。
 最近のように,スマホ経由の情報世界に浸っていると,いわゆる頭で分かっているという段階に止まります。議論などの言葉の世界では,そのレベルで不都合はありませんが,現実の世界に具体的な活動として持ち込もうとすると,馴染まなくなります。知っていることと出来ることの間には,溝があります。想定外の溝を埋めるための微妙な補正活動,それが経験という写生活動なのです。

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(2023年01月15日:No.1190)