《有難い 捕らわれが無く 共にいる》

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 1910年10月のある雪の夜,82歳のトルストイは,家庭の不和に耐えかねて家を出ました。11日後,停車場で行きずりの老人のようにして亡くなりました。死に際してのトルストイの遺言は「妻を絶対に近づけてくれるな」というおぞましい言葉でした。
 世界的な文豪として名声を一気に受け,冨と社会的地位,そして子宝にも恵まれていたトルストイが,一切を捨て人生の敗残者のような姿で最後を迎えることになったのはなぜでしょう。トルストイの妻は派手好きで,社会的名声,冨を絶えず望んでいました。しかし,トルストイは晩年になって,そんなものはなんの意味もないもので,特に冨を邪悪視していました。
 例えば,著書の印税を受け取ることも拒み続けて,妻はしつこく責め,泣きわめいていたり,また気に入らないことがあるとヒステリーの発作を起こし,死ぬと言ってトルストイを脅していたということです。
 後年,妻が死に臨んで枕元に娘たちを呼び寄せ,「あなた方のお父さんが死んだのは,私のせいです」と懺悔の言葉を吐いたということです。トルストイは,妻との融和こそを望ましいものと思っていたのでしょう。そのことに気づくのが遅かったという後悔が人の常かもしれません。
 そういった感想に止まるのではなく,後悔先に立たずですので,トルストイの遺言から後世は学び取り気づくことが大事になります。
 富や名声は作品に付随した世間との関わりでしかなく,人としての存在に結びつくものではありません。夫婦の有り様としての成長に準えると,富を手にして「幸せかい」と語りかけ,冨を享受して「幸せよ」と答える仲睦まじい若夫婦は,やがて,冨から解き放たれて「幸せだね」「幸せですね」と心が融け合い一体となった老夫婦になっていきたいものです。
 何かに捕らわれた形の幸せは,副作用として魂の飢えを招きます。夫婦という人の結びつきは,お互いの人としての温もりを共にしようと寄り添えるときに,魂が満たされるものになることでしょう。

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(2023年02月12日:No.1194)