家庭の窓
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18世紀のイギリスのケント州に,起きている間は手の中にカードがあるというカード狂いの伯爵がいました。「殿,お食事です」「カードで忙しく,食べる暇は無い」。こんな会話が伯爵と執事の間で繰り返されました。それでも,さすがに空腹には勝てません。考えた伯爵は「パンや肉,野菜などを,トランプ台の上に持って参れ」。厳格な執事の困惑する顔をよそに,伯爵はパンを手掴みで食べ,続けて肉や野菜も手掴みで口に押し込んでいきました。
それでも面倒だと思った伯爵が次に考えたのは,別々に食べる手間を省いて,さらには手を汚さない方法として,2枚のパンの間に肉や野菜をはさみ,手掴みでムシャムシャやることでした。こうしてできあがった手軽にできて栄養価も高い食物は,カード好きで横着な伯爵の名に因んでサンドイッチと呼ばれています。
手間暇を嫌って手軽さを追い求めると便利さに行き着いていきます。お年寄りの遠い系経験になったわざわざ立っていってガチャガチャと回していたテレビのチャンネルは,今では手元で操作できます。わざわざ居間に出向く必要があった家庭に一台であった電話は,最近ではそれぞれの手元にあります。食事についても,わざわざ調理をしなくて済むように,レンジでチンすればいいモノに変わっています。
挙げていけばきりが無くて,生活にわざわざ感が失われてきました。なるべく楽をして,欲しいものは「アリガトウ」としっかり受け取ることに慣れ親しんでいます。アリガトウは有難いことです。わざわざ「ドウゾ」と与えてくれている,その有り難さを引き受けてくれている人が,先にいなければなりません。そのことを感謝できる人だけがアリガトウと言う資格があります。
サンドイッチを作ってくれる人がいるから,手を汚さずに手軽に食事ができているのです。このごく当たり前のことをまったく意に介せずに,単純にアリガトウとだけしか言わない人たちは,人の温かい関係を受け取っていないので,やがて冷えた関係にこじらせていきます。
お年寄りが営んでいる食堂に出向いた若者たちが,その対応についてあれこれ難癖を付けた情報発信をして,炎上しています。食事を出すという手間を引き受けてくれていることに対して,アリガトウは勝手な要求ができる言葉だという錯覚を抱いています。自分という存在はどのように生かされているのか,存在の自覚をする機会が無かったようです。生きることへの手間をあまりにも惜しんでしまったと気付いて欲しいものです。
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