《有難い 自分なりにも 道拓く》

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 大阪の緒方洪庵の塾で蘭書の読解に励んだ福沢諭吉は,大いに自信を付けて江戸に出て行きました。「江戸には蘭学を教えに行くのだ」と,自信満々でした。江戸で大家とされる蘭学の先生の実力を試して歩きました。表面は教えを乞う振りをして,訳読の厄介な原文を持ち出して困らせ,密かに得意がっていました。
 ある日,横浜見物に行った諭吉は,自慢の鼻をいっぺんに折られることになりました。横浜の外国商人には,諭吉のオランダ語は全く通じず,先方の言うこともとんと分かりません。店の看板はおろか,ビンのラベルも読めない。どこを探しても諭吉の知っている文字がありませんでした。
 蘭学にすべてをかけてきた諭吉にとっては,大きなカルチャーショックで,お先真っ暗な気分に落ち込んでしまいました。しかし,その翌日には,諭吉はすっかり諦めを付けました。世界の大勢は英語なりと,改めて英語修行を発心していました。初心に戻ると,先生は子どもでも漂流人でもかまわないと,あらゆる手づるをかき集めて勉強しました。思い切りのよい現実主義のところがあり,それが啓蒙家としての識見を確かなものにしたのです。
 思いもせずに慣れない世界に踏み込まされて,突然の未知体験を迫られます。そんなこと考えたこともないという局面に,どのように対応したものかと戸惑ってしまいます。新しい世界を受け入れるにはどうすればいいのか,その前向きな思い切りができる人であると思われてしまっていることに気付かされます。豊かな経験の上に新たな学びを積み上げていくささやかな挑戦から,明日の世界に喜びが生まれ出てきます。
 そういう話の展開はできるのですが,一方で,言うは易く行うは難しという言葉が,我が身には降りてきます。若いときなら,エイヤという無茶ぶりが可能ですが,その声かけもか細くなっていると踏み出せません。それならと,未知の世界への旅は無理でも,今の世界からちょっとはみ出してみることはできそうです。日々の行動の中にある面倒だな、無理かなという局面に出会うとき,やってみるかという気張らない歩みをしてみるのも一興です。

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(2023年03月12日:No.1198)