《有難い 寄り添う人と つながる間》

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 ルソーは貧しい時計職人の子に生まれ,少年時代から奉公にやられ,酷い目に遭わされました。そこを逃げ出して放浪した末,ヴァラン夫人という親切な婦人に救われました。そのお陰で書物を読み,志を立ててパリに出かけましたが,生来音楽が好きだったので,先ず音楽で身を立てようとしました。子ども時代に歌ったことがある「むすんでひらいて」の曲はルソーの作品です。
 作曲をするうち,ハーモニカの曲に使われるような数字で音譜を表す方法を創案しました。彼は得意になって素人でも音符に親しめると吹聴しましたが,ある専門家に見せたところ,やはり五線音譜でないと,音の高低その他がすぐに視覚に訴えないし,数字だと頭の中でもう一度それを翻案しないといけないといわれて,参りました。ルソーが数字にした機能とは,記録するという面では有効でしたが,次の伝えるという面では不適だったのです。その後,ある懸賞論文に当選して,文学者の道に入っていきました。
 音楽に限らず社会的な活動の動きを表現するために指標を定めて数字というデータを集めて記録します。その記録を伝えていく局面では,数字の並びを眺めているよりも,グラフという図にした方が直感的に状況を理解やすくなります。例えば,2と8という数字を見て,8は2の4倍の大きさとは見えず,いわゆる理屈で考えなければなりません。
 社会的な課題を分かってもらうという局面で,いじめやパワハラという抽象的な単語言葉では,その痛みを分かり合うのは困難です。例えば,周りの皆からガイジと呼ばれる毎日であるとか,仕事ができないなら辞めてしまえと上司からいわれるとか,絵に描くように具体的な文章表現をすることが大事です。単語で伝えたつもりになっていても,相手には伝わっていない事態が起こるのは,具体的なイメージの共有ができていないからです。
 ドラマの中で,被害者に寄り添う場面で,被害者が「あなたに私の何が分かる?」と突き放す言葉が発せられます。具体的な説明で分かり合えることはできても,同じ経験を持たない限り,その痛みを実感することはできません。せめては似たような経験までに辿り着くまでです。それでも,その限界までは寄り添えることを,分かり合いたいものです。人間という言葉が抱えている「間」とは,そういうものです。

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(2023年03月05日:No.1197)