《有難い 儲け話は 聞こえずに》

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 最初の文部大臣である森有礼は、阿常と結婚していましたが、阿常に恋人ができたので別れて、岩倉具視の妹の寛子と再婚しました。
 薩摩藩士の生まれで西洋かぶれの有礼は蝶ネクタイでテーブルに向かい、一つ一つ運ばれてくる西洋料理をナイフとフォークで食べます。ところが公家のお嬢様の寛子はあっさりとした日本料理が食べたくてたまりません。いつしかお茶漬けが悲願になりました。
 あるとき、有礼が国内視察に出かけることになり、寛子は念願のお茶漬けが食べられると喜び、ご満悦でした。早速コックにお茶漬けを作らせようとしましたが、その機先を制するように、コックが西洋料理を運んできました。「奥様がお茶漬けを食べたいと言うかもしれないが、食べさせないようにとご主人様のお申し付けがありました」。女性解放論者でもあった有礼も、妻の食事の好みまでは解放できなかったようです。
 女性解放論者といっても、その程度であったという歴史の一コマです。西洋かぶれである自分と同じように、妻にも同じ西洋かぶれにすることが解放であると思っているとすれば、自分を押しつけていることに気がつかない愚かさです。よかれと思うことは自分の事情であり、決して相手の事情ではないのです。妻が決めるということが封じられてはならないのです。コックに命じることによって、支配下に置くという思い上がりが露呈しています。
 日々の暮らしの重要な部分である食事で満たされないという状況は、当事者にとってはかなり不都合なことです。今現在のこととして助言するとすると、お茶漬けを食べる機会があるべきだと有礼に進言することになりますか? それとも夫婦のことに他人は口を挟まないということになりますか?
 幼い子どもがしつけにこと寄せて食事を与えられずに亡くなるという事件が起こります。側にいる者が聞く耳を持たないと、周りに不幸をもたらすという事例です。情報社会は話す口だけの世界ではありません。話すことの2倍を聞くために耳は二つある、ということに気づいてほしいものです。
 雄弁は銀であり,沈黙は金である。おしゃべりは銀と同じで人との関係を動かしていくことに役に立ちますが、金の価値はありません。沈黙をすることで自らの口を封じ、相手の話をきちんと聴き取ることで、人との関係が金の価値をおびるようになるのです。

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(2023年06月11日:No.1211)