家庭の窓
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生後19ヶ月に激しい腹痛を起こして病んだ後,目と耳の感覚をまったく失った女の子がいました。手掴みで食べ散らかし,気に入らないことがあればものを投げたりぶったりしていました。両親は盲学校を訪れ,家庭教師を紹介されました。忍耐強い教育が続きました。
ある日,庭に駆け出した女の子は,水道の蛇口をひねって出てきた水を両手ですくいながら叫んでいます。いつもの叫び声とは違って,何かに感動している声だと聞こえました。やがて,女の子は水を捨てると,教師の手に「冷たい」という合図を指を送りました。
教師の目には涙がにじんでいました。女の子はとうとう外界を理性的に把握することができたのです。これが,見えず,聞こえず,話せないという三重苦を背負ったヘレンケラーが外部と,そして他の人と意思の疎通が持てるようになったきっかけでした。
もともと高い素質を持っていたのでしょう,ヘレンは一度きっかけを掴むと,その後の進歩は早かったようです。ヘレンはやがて目と耳の不自由な者として世界で初めて大学を卒業しました。
親や先生に限らずに大人は,こどもの負の思いを受け止める機会があります。こどもは伝えたいと願いながらも,その伝え方が未熟であるため,伝わらないことがあります。言った,聞いてないというコミュニケーションの不通が起こります。分かるように言ってくれなければと,大人はついこどもの言い方の未熟さを問います。でも,語り掛けは分かってほしいという願いが届けられます。その願いに寄り添うためには,分かろうという願いを相手に向けて届けなければなりません。叫ぶだけのこどもの訴えを,きちんと受け止めて,このように分かったと伝えることによって,対話という寄り添いが完結するのです。
こどもの意見を代弁するアドボケイトという役割が始まっています。児童虐待や親の不在などにより,施設などで暮らす社会的養護のこどもたちがいますが,彼らの意思を尊重し,保障するための仕組みとして,いま注目されているのが「アドボケイト(代弁者)」という考え方です。これまでは,児童相談所などが福祉サービスを決定する際に,こどもと親の双方の話を聞いて「こどもの最善の利益」は何かを考えて判断していました。しかし,こどもの中には,うまく話せないこどももいて,弱い立場に立たされ,意見が反映されないこともありました。そこで、こどもの立場だけに立って,こどもの意見を代弁するアドボケイトと呼ばれる人たちが,いわば「こどものマイク」となって,周りの大人にこどもの意見を伝えるという仕組みです。
また,アドボケータ―という動きもあります。自分の意見や権利を上手く伝えることのできない患者の代わりに,意見や権利を主張する代弁者のことです。医療の現場においては,患者と接する時間の長い看護師が,アドボケーターとしての役割を担うケースが多いそうです。患者(障がい者,高齢者,様々な被害者など)に寄り添い,患者の意見を聞きながら,患者が納得いくように,社会(周囲のスタッフ,患者の親族,行政機関など)に伝えていきます。病院,医療チームと患者をつなぐ調整役になり,両者がきちんと話し合い,患者中心の医療の実現を図られます。
情報社会といわれる中で,情報が不通になる部分が際立ってくることになっています。ちゃんと聴き取りたいという気配りがされていることが,安心な社会を期待させてくれます。
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