《有難い 小さな文字は 見逃して》

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 幼くして父を失ったトウェーンは,十四歳の時地元のハンニバルの印刷所に年季奉公に出されました。ある日,街の通りを歩いているとき,風に吹かれて紙切れが飛んできました。何気なく拾って読むと,ジャンヌ・ダルクの伝記の一ページでした。愛国心に燃えるオルレアンの乙女が捕らえられて,ルーアンの城に閉じ込められる件が書かれていました。「なんて,ひどいことをする人たちだろう!」。
 幼いトウェーンは,ジャンヌ・ダルクの名前すら知りませんでした。しかし,一枚の紙切れに書かれていた話には,ひどく心を動かされ,このときからジャンヌ・ダルクについて書かれた本を,手当たり次第に読むようになりました。そしてやがて文学に目覚め,作家の道を志すようになったのです。
 一枚の紙切れがマーク・トウェーンに世界的文豪への道を歩ませましたが,いろんな「もしも」が折り重なっています。風が吹かなかったら,紙切れを拾わなかったら,伝記のページでなかったら,ジャンヌ・ダルクでなかったら,トウェーンが読まなかったら,心が動かされなかったら,ジャンヌ・ダルクについての本がなかったら,文豪は誕生していなかったのかもしれません。あるいは,印刷所で働いているので,別の機会に別の方法でトウェーンの心を動かす話に出会って,やはり文学の道に進んでいくことになったのかもしれません。
 日々の何気ない出会いから,何かを感じ取る経験をして,関心興味の感度を高めていると,似たような出会いを選んでいくようになります。馴染んでいくと終には身についていくことになります。身を振り返って,あの時あのことがなかったら今は違っていたと思うこともあれば,別のときに似たことに巡り会って結局今と同じであったと思うこともあるでしょう。
 日々の出会いは山ほどあります。でも,何も感じ取れない出会いはただ過ぎ去っていくだけです。何を感じ取ることができるか,出会いをチャンスに変えるのは自ら感じ取る力です。私たちは情報社会に住んでいますが,出会う情報は目の前を激しく流れ去っていっています。自分の気持ちを動かされる情報に出会っているかも知れませんが,それを感じ取る前に次に情報が迫ってきて,掴み損ねているのかもと危惧します。
 栄養をとるために,食べ物を摂取するときはよく噛みなさいと教わっています。情報の摂取も同じかも知れません。ただ世間の流れに任せるのではなく,自分のペースに合わせた情報の取り込み方を工夫することが必要です。自分らしい情報の味わい方,そうしないと本当に価値ある情報を得られなくなります。

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(2023年07月16日:No.1216)