《有難い 共に向き合う 風月を》

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 新古今和歌集の撰者である藤原定家は,医療の発達していない当時に80歳の長寿を得ています。ただ身体強健であったのではなくて,まったく逆の多病息災でした。14歳の時にハシカにかかり九死に一生を得ました。さらに,16歳の時に天然痘にかかって死の淵をさまよいました。一命は取り留めたものの,これ以後,呼吸器疾患に悩まされました。
 長年月つけていた明月記という日記で,52歳の時に書いています。「毎年冬になると心身が不快になり,時々重病になる。今年は身体の衰えもひとしおで心配であるが,どんどん悪くなって苦痛も激しくなっている。けれど,人には言わないようにしている」。気管支喘息だったようで,気候の変わり目に発作に襲われるため,自分の健康状態と天候にはたいへん気を遣っていたようです。
 定家にとっては煩わしい限りであったでしょうが,長寿を得て歌壇において名をなしたのは,病気がちの身体をいつも気遣っていたことから,森羅万象とつながる感性を研ぎ澄ましたためでしょう。花鳥風月に寄り添う心身の喜びが生きる活力になったからこそ,そこから生まれた和歌は人々の素直な心と共感していくことができたのです。
 今生きている私たちの心身は定家と変わらず同じはずですが,一方で,森羅万象を忌み嫌い極力排除し,花鳥風月への感性も衰退させてしまっています。心身は人工的な虚像や化学の成果であるサプリメントに依存しています。大いなる自然に向き合う仲間であるから,人はお互いの尊厳を信じ合って寄り添うことができていました。しかし,自然を排除した世界に安住する暮らしの中で,人は人だけと向き合わざるを得なくなり,心身の緊張を招いています。その帰結として,人の心身に負の影響をもたらす新たな形の他者への忌避が表世界に溢れ出ています。
 暑いですね。本当に暑いです。そういう会話によって,人は互いに寄り添うことができていました。同じであることの確認ができるから平和という関係が成立するのです。ところが空調の効いた場所では,お互いの感性を確かめ合う言葉が失われているために,お互い様という同じであることの確認が欠落するのです。できるのは自他が向き合うことによる対立,違いを自覚するしかありません。自然界から隔離した人間集団では,イジメやハラスメントが発生しやすいのです。
 自然の風物詩として中秋の名月を見上げながら,連れ合いと語ります。月との距離に比べて遙かに近くに寄り添うという感覚を得ることができます。

二人で見上げている満月です

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(2023年10月01日:No.1227)