《有難い 面倒をみる 人の側》

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 版画家棟方志功は若いときから絵バカと言われるほど,絵のこと以外はおよそ何もできませんでした。版画はほとんど座ったままの仕事で,どうしても運動不足になります。でも,志功はひどい近眼で危険なので,スポーツとか散歩をすることもできません。唯一の健康法というのは,毎朝6時に起きて,庭の芝生の上を裸足で歩き回ることでした。
 チヤ夫人は,夫の朝の運動が始まる30分前には,必ず芝生におりて,ピンセットで芝の中の雑草や異物を取っていました。足の弱っている夫が転んだり,ケガをすることのないようにという心遣いからでした。夫が6時を過ぎて庭に降りてくるときには,チヤ夫人は家の中に入って,雑草を抜いている姿を見せると夫がすまながって気疲れするからです。
 でも,志功はあるときから妻の配慮を知っていましたが,知らない振りをして,妻に余計な気持ちの負担をかけまいと思っていました。もちろん心の中は妻に対する感謝でいっぱいでした。運動を済ませると,朝風呂に入ります。志功はここで妻の心持ちが有難く泣いていました。「あそこで泣くと,涙か湯気か分からんから,具合がよいのであります」。
 面倒をみてもらうと,ありがとうとお礼を言うのが普通です。言葉のお返しで面倒という行為に対するけりはつきますが,その背後にある温かな心遣いに対しては,お返しのしようがありません。もちろん,心遣いをする方は,お返しなど思いもしていません。無事であることを見届けて,よかったと思えることでけりはついています。さりげない心遣いは,愛という心の泉からしみ出してきます。
 子どもたちに,「みんなと仲良くすること」と言うこともあるようですが,どうすれば仲良くなれるのか,取りあえず小さな面倒見のまねごとをしてみることを教えてはどうでしょう。かつての兄弟姉妹がいた頃は,年上の子が下の子の面倒見をしていたので,ごく自然に仲良くなることができていました。兄や姉である子たちが長じて,人の面倒をみる職業に就いていたということです。今の世の中では,他人の面倒をみようという人が少ないというのは,人の温もりの経験をした人がいなくなったからかもしれません。

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(2023年10月08日:No.1228)