《有難い 相手が見えて 付き合いが》

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 正岡子規のうまいもの好きは胃弱を圧倒するほど強大でしたが,読書の面でも土佐日記を読んで文中に出てくる食物のリストを作り,土佐日記ほど食物の記事が出てくる古典はないと,日記に書くほどでした。御馳走論という文明批評的な創作論では,作品ができないのは御馳走を食べないから栄養が不足しているためだと言って,牛肉が不消化だからといって香の物を食う人があるが,「香の物の不消化にして胃を害するは牛の滋養多きと同日の談にあらず」と説いています。食べ物への関心が強い子規ですが,食べた物のことがくわしく記されている「仰臥漫録」からは,ある人の計算によると,月の支出のうち家賃と車代以外はほとんど飲食費だということです。
 子規の病気は肺結核で,食器なども消毒しなければ伝染します。合理主義者の子規はそのことを弁えて,来客に自分からは決して飲食を勧めないとことわっています。子規の家で調理しない菓子と果物だけは安全だと思えば食ってくれてもいいし,失敬になるからといって,無理してお茶を飲むなど「無用の辞宜に候」と,俳詩「ホトトギス」に書いています。せっかく来客を迎えるのならば,主人も客もお互いが気持ちよく時を過ごしたいという子規の合理主義の現れでした。
 コロナ感染症が波状的に襲っていた頃は,「コロナとの戦いは短距離走ではない。何年か続く長いマラソンだと考え,ペースを考えて息長く走り続けないといけない」と強調されていました。感染症の専門家も,SARSなど致死率が高かったこれまでの新型ウイルスと異なり,新型コロナは知らないうちに感染し,無症状のまま多くのウイルスを排出して周辺に静かに感染を広げる特徴や,一方で一部の感染患者には重い症状を引き起こし死亡させるケースも少なくないなど,「非常にしたたかでしぶとい」ウイルスだと分析していました。
 そのような状況の中で,「コロナ禍をできるだけ早く終わらせる,撲滅する」のは医学上難しく,有識者の中には,コロナに対抗しながらもしばらくは共に走り続けるという「ウィズコロナ(with coronavirus)」というマインドに切り替えるべきだ,という声が上がってきました。コロナウイルスを倒すというより,「隣にいる」のは仕方ないとして,せめて感染を防ぐ努力を続けていく対応にシフトしていきました。
 子規が心掛けていた配慮である「共に生きる」という意味の生き方が,まさに「ウィズコロナ」として再現したといえます。側にいる人にコロナがまとわりついているかもしれないが,それぞれがコロナウイルスが届かない適切な間を保持しながら,人と人の付き合いは気持ちよく保っていきたいものです。このような対応が可能になったのは,コロナという得体の知れない感染症がどういうものであるか分析が進んで少しは知り得たからです。

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(2023年10月22日:No.1230)